D: Julian Von Karolyi
(1965, Orbis): ジュリアン・フォン・カーロイ
目の覚めるような金属的な打鍵と乾いた音。スピード感があり、激しさにも欠いていないが、82小節でオクターブのフレーズがなだれ込む箇所のフォルティッ
シモは抑制されており、激しい中にもコントロールのきいた演奏であることがすぐわかる。覚醒した意識はそこかしこに見られる。叙情的表現も溺れず、ルバー
トも最低限で、かなりあっさりと弾かれている。331小節アンダンテ・ソステヌートもリリカルで、あまり粘っていない。テンポが速い中でもフレーズ処理は
巧みで、フ
レーズとフレーズのつなぎに矛盾はない。技術も全てに安定している。フガートも推進力が素晴らしい。クライマックスのオクターブはチョッピーなタッチで、
若干唐突。曲の暗く、デモーニッシュな側面に迫る演奏ではなく、ピアニスティックな側面にのみ光をあてた表面的な演奏とも言える。
ディ
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D: Sviatoslav Richter (1966/6/21L, AS Disc):スビャトスラフ・リヒテル
開始から粗く弾き飛ばされている印象。細部が丁寧に弾かれていないのと、和音が汚い。
アンダンテ・ソステヌート(331小節)はじっくり歌っていてよい演
奏。ピアノにマ
イクが近いせいか、ミスタッチが気になる。後半のデモーニッシュな箇所でエンジンがかかってきたようだ。これはオールドバラでのライブだが、彼のカーネ
ギーホールの録音ほどの感銘が無い。
D: Emil Gilels
(1966/7/20L, Music and Arts) : エミール・ギレリス
Allegero
Energicoは速いテンポで引き締まっている。ただ、ペダルが長めなため、三連符を含め、オクターブの速いパッセージが濁って聴こえてしまっている。
105小節
Grandiosoはストレートな表現で、大きなルバートもかかっていない。153小節cantando
espressivoは柔らかい音でリリカルに歌っている。その一方で、アンダンテ・ソステヌート(331小節)ではコルトー風のルバートと大時代的な奏
法も登場。若干恣意的ではあるが、流麗に美しく歌っている。フガートは快速でやはり流動感を優先して演奏されているが、音楽の骨格は若干弱い。途中、アン
ダンテソステヌートの後半部でピアノの弦が切れたような音が入っており、その後右手の高いG音が出なくなっている。
ディス
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D: Sviatoslav Richter
(1966/7/25L, TNC):スビャトスラフ・リヒテル
非常にゆっくりと始まる。ピアノの調律が良くないのか、音がぼやけ気味のレスポンスの悪いピアノの音。技術的には粗く、最初のAllegro
Energecoがせわしなくなっているのと、大きなミスタッチが多い。テンポはあまり変化せず、叙情的な箇所もルバートはかかっていない。
153小節Cantando espressivoは美しい。続くAlegro Energico como
primaでスピードを上げるが、オクターブがうまく弾けていない。ただ、その後の展開はスピード感が出ていてよい。レチタティーヴォは力強く、決然たる
響き。アンダンテ・ソステヌート(331小節)は超絶的な空気が支配する。フガートは焦燥感が出ているが、やはり細部は粗い。デモーニッシュかつスケール
大きく展開する。
ディ
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D: Fausto Zadra (1966, Geneve):ファウスト・ザドラ
こじんまりとしているが、表情は丁寧で緊張
感の盛り上げ方もそこそこ巧い。技術的はしっかりしているが、強音のエッジはきいておらず、音楽を極限まで追いつめた時の迫力はない。主部は快速で、デ
モーニッシュな雰囲気は薄い。音色は柔らかく、音の多彩さにはかける。清澄さはあり、聴いていて一種の心地よさは感じる演奏。一方で、ピアニストがリハー
サルで軽く指先だけで弾いているようなサロン的雰囲気が漂う。全体的にあまり軽く弾かれ過ぎているきらいがある。
ディス
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D: Tatyana Nikolayeva (1967L, Vogue):タティアナ・ニコラエーヴァ
引き締まった開始。大胆なルバートをかけて いる。ミスタッチは多く、深いペダルのために音の分離があまり良くない。集中力の高い演奏で、フレーズの緊張感を保ちつつ、音楽が力強く進行。ルバートも 理にか なったもの。叙情的な箇所は感情の高揚を感じさせるかのように、美しいフレージングで高らかに歌い上げていて強く印象に残る。ただ、どうやらオクターブの 速い進行はあまり得意でないらしく、ところどころスピードに乗り切れないうらみがある。フガート以降では、劇的緊張力を保っているが、やはり技術的な問題 を隠せない箇所が多くある。強弱のメリハリもついており、力強く、確信に満ちた演奏で、音楽的な充実度は高いと思う。
D: Jorge Bollet
(1968/1/10L, Berlin): ホルヘ・ボレ
流麗な演奏。技術のキレはある。フォルテの音はあまり綺麗ではない。音色の変化はほとんど無く、冷たい細身の音色で全編を通している。125小節
dolce
con graziaはさらりと歌っているが、歌い回しは巧く、フレーズが次のフレーズに連関している。Allegro
energicoではテンポはあまり上がらず、落ち着いたテンポで進行させている。397小節のa
tempoの箇所は美しく歌い上げている。ただ、感情があまりコミットした痕跡がなく、ある意味醒めていて、今ひとつ方向性の見えない演奏でもあるが、そ
のひんやりとした感性が味なのかもしれない。ところどころ記憶違いがあるようで、間違った音を弾いている。例えば、282小節目の左手のFをF#で
弾いている。フーガも落ち着いたテンポで正確に弾いている。リズム感の良さはあまり感じないが、細部まできちんと折り目正しく弾いているのは好感が持て
る。
D: Georges Cziffra (1968/1/30, EMI):ジョルジュ・シフラ
非常に癖が強く、恣意的で即興的な印象を与 える。アゴーギグ、デュナーミクの設定が若干変わっている。シフラにおいては、快速のパッセージではフレーズに歌心というか、人間味を感じさせないことが 多く、結果的に誰とも異なった演奏になる。普通、息を吸って吐く、腕を振り上げ、降ろす、という人間工学的な理由からフレーズのアーティキュレーションが 決まるのだが、シフラでは、曲によってそれが普通のピアニストよりも前面に出てこず、ただ速いだけ、という場合がある(これは完全に想像だが、そういった 場面でのシフラは、一切呼吸を止めて弾いているか、あるいは呼吸と音楽のリズムが無関係なのではないかと思う)。そういった面がこの演奏でも出ていて、好 き嫌いの分かれるところだ。一方で、叙情的な箇所ではたっぷりとしたテンポで弾いている。濃厚なロマンティシズムではないが、一種の儚さが漂って良い。
D:
Ivan Davis (1968, Audiofon):
イヴァン・デイヴィス
フレーズの歌い回しに数小節、時に十数小節に渡る長大なパルスを感じる点で、古い録音、例えばバレルやシャンドールと共通するものがある。このパルスがあ
るため、全体に一本筋が通って聴こえる。テンポ変化も自然で、cantando
espressivoも微妙なテンポ変化の中で優雅に歌われる。技術的には若干問題がある。205小節、Allegro Energico come
primaなどのオクターブの速い動きが得意ではなかったようだ。派手に音を外すのはまだ良しとして、流れが若干停滞することがある。331小節アンダン
テ・ソステヌートも後半で激しいテンポ変化で自在に、かつ高らかに歌い上げており、感情移入も感じられる。フガートは速めのテンポで滑らかに始まる。その
後の展開もオクターブ奏法の処理に問題はあるものの、自在なテンポ設定で聴かせている。
冒頭はむしろ軽いタッチで始まるが、徐々に
音楽は熱を帯び、雄大かつ劇的に発展する。叙情的な箇所では溜息が出るような見事なルバートで美しい歌を聴かせる。濃厚に歌いつつ、どんなに遅いテンポで
もフレーズに常に大きなアーチが感じられるため、自己陶酔に陥っているように聴こえない。アレグロの箇所でもたっぷりとしたテンポで、タッチも常に強靭な
ものを使用してはいない。だが、繊細なタッチで描かれた油彩が全体として巨大な迫力を獲得するように、表現のパレットの多さ、そのテンポにおけるタッチの
適切な使用、アーティキュレーションの設定の見事さ、こういったもの全てがこの演奏を力強いものにしている。終結部の和音も潤いがあってすこぶる美
しい。
ディス
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D: Arthur Moreira-Lima (1970, Melodiya):アーサー・モレイラ=リマ
ショパンコンクールでアルゲリッチに次いで二位に入ったピアニスト。神経質なイント
ネーションで始まる。一筋縄ではいかない、ダメをおすかのような展開。
技術的にはキレがある。ロマンチシストではないようだが、得られる効果については細かく計算をしており、ロマンチックに聴こえるように弾いている。時々顔
を出す奇妙なアクセントやイントネーションを聴いていると、曲に退屈しているか、あまり共感していないのではないかと思う。内面の発露よりも、外面的な効
果に注意を払っていることが伺える演奏。心が揺さぶられない。
ディ
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C: Martha Argerich (1971/6, DG):マルタ・アルゲリッチ
若干引きずり気味のフレージングで始まる。
技術のキレは申し分なく、細部まで丁寧に弾かれている。どんな難しいパッセージでも余裕がある印象。Allegro
Energicoは中庸のテンポで開始し、105小節Grandiosoからは粘りのあるリズムで盛り上げる。叙情的な箇所では粘らず、淡々と弾いてい
る。
153小節Cantando espressivoも粘らない。全体の流れがスムーズで、聴いていて心地よい。205小節Allegro
energico
come
primaからはスピード感をまし、めくるめくよう。フガートは落ち着いたテンポで始まる。プレスティッシモからは速い。技術的完成度は高く、華麗、流麗
ではあるが、音楽がスムーズに横に流れているせいか、デモーニッシュな迫力へは今一方。全曲が有機的につ
ながっている印象を与える一方、表現上のメリハリはあまり無く、複雑な構成を持つソナタという印象は受けない。どちらかというと、ショパンの前奏曲集を聴
いているようであった。
ディ
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B: Alexander Slobodyanik (1971, Melodiya):アレクサンドル・スロボジャニク
陰鬱に始まり、すぐに強烈な打鍵がとって変わる。デモーニッシュで集中力に富む表現。一部、せわしなく感じる箇所もあるが、Grandiosoは壮大で
たっぷりと歌っている。音楽を自由に呼吸させ、壮大な箇所ではテンポに十分なスペースを与えているのが特徴。125小節dolce con
graziaからは甘さに流れないストレートな歌いぶり。がっちりとしたフレームを維持しながら、クライマックスに向けて音楽を盛り上げて行く。フレーズ
処理
の端々に、弓を引き絞って放った時のような、テンションの緊張と解放、という合理性が感じられる。331小節アンダンテ・ソステヌートはルバートをかけて
いるが、濃
厚なロマンティシズムは感じられない。フガートは快速かつ羽毛のように柔軟なフレージングで始まり、劇的に展開。技術はもとより、音楽的にも完成度が高い
ディ
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D: Rafael Orozco (1972, Philips):ラファエル・オロスコ
たっぷりしたフレーズで始まるが、すぐに軽めのタッチになる。中庸の美。円柱のような
バランス。テンポ設定、フレージングは適切で音楽に流麗さもある。手
慣れた印象
がマイナスか。タッチの変化は少なく、常に暖かい音色で全曲が統一。技術は安定している。ただ、音楽の大きさは出てきていない。切れば血の出るようなフォ
ルティッシモ、ささやくようなピアニッシモが無く、テンポもデュナーミクも安定、中庸に留まっている。標題音楽的ではない。フガートも非常に安定した技術
でフレーズ処理も適切。全ての点で平均点が高いが、若干、安全運転すぎるきらいがあるかもしれない。
ディ
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C: Nelson Freire (1972, Columbia):ネルソン・フレイレ
小気味のよいテンポとキレのあるテクニック。曲の大きさはなく、こじんまりとしている
が、非常に完成度の高い演奏。Grandiosoもフレーズ処理が巧
い。細やかなニュアンスにも富んでおり、知的なピアニストである事がわかる。dolce con
graziaではテンポは自由に伸縮し、非常に美しく歌っている。続くオクターヴも軽やかでリズミカル。流麗で華があり、音楽が自然な呼吸に基づいてお
り、そして非常に巧い。フガートも軽やかで、破綻を示さない。
欠点としては、表現と感情のダイナミックレンジがあまり大きくないこと。呼吸が短く、憂愁の
影にかけることと、明快な音色と奏法が神秘性やデモーニッシュな空気を醸し出してはおらず、若干サロン的空気が漂う事。それ以外の点での説得力は大きい。
ディ
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D:
Jorge Bolet (1972/1, AS
Disc): ホルヘ・ボレ
あっさりと始まる。テンポは速め。呼吸が若干短く、せわしない印象。もう少しタメがあった方が良い。技術的にはミスタッチはあるものの、安定しており、技
術的なものに演奏が影響されていないのが良い。105小節Grandiosoの大きさも過不足ない。125小節dolce con
grazioも丁寧でたっぷりとしたフレージングで美しく、一種の官能性も漂わせる。叙情的な箇所における流麗さに長じており、フレーズとフレーズのつな
がりも自然。劇的な箇所ではあるべき瞬間で音が決まらないことがあり、力強さ、壮大さには若干欠けるが、流麗さとスピード感で補っている。281小節の左
手のFをF#で弾いている(Joseffy版による)。363小節は非力さを感じさせる。あまり壮大に響いていない。フガートは快速で、
クライマックスもやはりあっさり弾かれてい
る。悪い演奏ではないが、非日常的な空気、彫りの深さのようなものに欠けており、若干のもの足らなさが残る。
ディ
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A: Cyprien Katsaris (1973, PIANO21):シプリアン・カツァリス
キレのある打鍵から、デモーニッシュになだれ込む。メカニックな意味において、歴史上、このピアニスト以上に「巧く弾ける」ピアニストが果たしていただろ
うか。単に指が速く回る、ということではなく、全てのレベルでピアノが巧い、という意味で。ここでも冒頭から素晴らしい迫力で音楽が展開。様々なタッチを
駆使しつつ、声部に気を配りながら、音楽を盛り上げて行くやり方が実に巧妙。彼は全体を俯瞰し、構築する指揮者的な視点をもっているようだ。全てのフレー
ズが見事に設計されており、それで勢いを失わない。壮大な箇所も見事なフレージングで大きさを出す。125小節dolce con
graziaからは粘りのあるフレージングを使ってじっくりと歌っている。まるで綱渡りを渡る芸人のように、ぎりぎりの中で細心のバランスを取りつつ、華
麗、
かつ自由に舞っている。めくるめくような箇所ではチョッピーなタッチを使いながら、スピーディーかつ饒舌に展開。フレーズの力学の中で起承転結をつけるや
り方が憎らしいほど巧い。フガート以降も凄まじい迫力でありながら、全てが完璧なコントロールの元にある。その一方で、その表情の出し方にあざとさ、計算
高さも感じさせる。つまり、表現が内面の発露から出てきたようには聴こえない。ピアニスト本人の曲への共感も外面的なものに留まっている。この点で非ロマ
ン的、近代的な演奏なのだが、同時に完成度においては恐るべき高みにまで達している。聴いた後、マシンガンで撃たれたかのような感覚が残る。
ディ
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D: France Clidat (1974, Véga):フランス・クリダ
正攻法。マイクがピアノに近すぎる嫌いはあるが、美しく表情豊かなピアノの音色が印象
的。暖かい音色だが、同時に若干金属的な音が混ざる。技術的にも高い
ものを
持っていて、キレのあるタッチを堪能できる。骨太の男性的な演奏で、甘さは感じさせない。決してデモーニッシュな演奏ではなく、憂愁の影は薄い。だが、リ
ズミカルで華麗で流麗なピアノには独自の魅力がある。細部まで良くコントロールされた演奏。全体的に正攻法のケレンの無い演奏で、125小節dolce
con
graziaからは、ロマン的表情には乏しいものの、美しいピアノの音で演奏。骨格はしっかりしており、聴いていて安定感はある。
E: Eric Heidsieck (1974, Charlin):エリック・ハイドシェック
テンポが速い。最初のクライマックスへ持っ
て行くやり方はうまいが、速い箇所の表現はあっさりしすぎている。叙情的な箇所の歌い回しは魅力的で、柔らかい弱音を用いてデリケートで詩的。ただ、タッ
チに鋭さが無く、音楽のスケールも小さく、非力。フガートの開始はニュアンスに富んでいるが、全体的にナヨナヨしすぎ、あまりに弱音に寄り過ぎている。
ディ
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C: Yuri Boukoff (1974, BOURG):ユーリ・ブーコフ
イーヴ・ナットに師事したブルガリア出身の
ピアニスト。国際的な知名度は無いが、少なくない録音を残している。がっちりしたスタイルと明快なタッチ。なにより、正確なリズム感が素晴らしい。よく聴
くとアクセントの付け方が繊細で、そのため、どんな難所でも音楽が不安定になることがない。フガートも安定しつつ、正確なテンポを刻みつつ展開。クライ
マックスでも騒がしくなることがなく、節度を保っている。標題的な面、例えば曲のデモーニッシュな面は全く出てこないが、純音楽として力強い。質実剛健、
辛口の名演。
ディ
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B: Lazar Berman (1975, EMI):ラザール・ベルマン
暖
かい音色。びくともしない骨格の強さ。いい意味で余裕のあるピアノ。テンポはゆったりとしており、リズムも非鋭角的でフレーズのアーティキュレーションは
あくまでなだらかなカーブを描く。雄大であると同時に繊細。静かな叙情もあり、細部まで実に丁寧に弾かれている。抜群の安定感を持ちつつ、音楽がジワジワ
と高揚していく。153小節cantando
espressiveも美しく自然なルバート。風の中でゆっくり揺れる絹のレースのように、全てのフレーズが連関し、呼応しあっている。205小節
Allegro
Energico come
primaも落ち付いたテンポだが、内部にエネルギーを矯めつつ盛り上がって行く。そしてまた絹のレース。タッチにおける緩急のメリハリが素晴らしい。ア
ンダンテ・ソステヌート(331小節)もこの上ないデリケートなタッチ。ベルマンにはエキセントリックなものを本能的に避けるようなところもあって、音楽
に暴力を加えることなくスケールの大きさと迫力を獲得している。
ディス
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A: Alicia de Larrocha (1975, Decca):アリシア・デ・ラローチャ
力 感あふれる演奏。キレのある強烈な打鍵。全 編を通じて、弓を引き絞る、矢を放つ、というような、緊張とその解放の力学がフレージングに感じられる。そのため、粘りとキレの良さ、音楽の大きさを感じ させる。安定した技術で、全体を俯瞰しつつまとめあげており、そのバランス感覚は見事の一言。細やかなニュアンスをつけつつ、音楽をクライマックスへと盛 り上げて行く。テンポは急がず、じっくりと構えており、演奏のスケールも大きい。叙情的な箇所でももたれず、歌心豊かに、開放的に演奏される。フレージン グ処理も見事で、全てが線として繋がっている印象。フガートは快適なテンポで、適度な重量感を持ちながら進行。一瞬たりとも弾き飛ばされる箇所が無く、細 部まで綿密に弾かれているが、音楽は自然さを失わない。壮大かつ繊細、豊麗で劇的。全てを兼ね備えた名演。
E: Ted Joselson (1975, RCA):テッド・ホセルソン
一種、耽美的な空気の漂う演奏。ゆったりと したフレーズで始まる。しっかりとした技術で弾かれているのだが、フレーズの骨格がヤワ。ペダルが深いため、キレがあまりよくない。エッジもきいておら ず、優柔不断に聴こえる。ただ、Grandiosoに向かうメランコリックな感じは悪くない。105小節Grandiosoもヤワなタッチで弾かれてい る。 叙情的な箇所も同じような耽美的トーンだが、これは曲調と合っている。激しい箇所では、慎重になっているのか、耽美主義への傾斜からか、キレがよくなく、 だらしなく聴こえる。テンポの設定に関しては、突然加速する一カ所(アンダンテ・ソステヌート(331小節)の前)を除いて無理が無く、ピアニストのセン スの良さの一端が伺えるのだが、いかんせん、劇的な箇所、壮大な箇所で腰砕けになりすぎる。フガートも生気がない。
B: Valery Afanassiev (1976, EMI):ヴァレリー・アファナシェフ
フ
レーズのキレ。技術的に素晴らしく、一つ一つの音が鋭く、屹立している。陶酔、甘さ、ロマンチシズムは抑えられている。技巧を駆使しつつ、テンポを伸縮さ
せつつ、強い推進力を持って音楽がすすむ。スケールは大きくないものの、ストレートで厳しいピアノには独自の魅力がある。105小節Grandiosoは
快速で迫力
がある。緊張感を保ちながらクライマックスを作る手腕が光る。きらめくような右手のパッセージとスピード感。フガート以降は緊張感、技巧、表現ともに見
事。凝集力の強い演奏。正直、90年代以降のアファナシェフに関しては、とってつけたような思想家のイメージと、奇をてらったようなミスだらけの演奏か
ら、勝手に山師だと思っていた。それだけに、ブラインド・リスニングを終えて、若い頃のアファナシェフと知って驚いた。
ディ
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D: Claudio Arrau (1976L, Music & Arts):クラウディオ・アラウ
つんのめるような開始部。重低音に比重があ
る。Grandiosoからは力強く、壮大。力強い演奏ではあるが、録音があまり良くないせいか、様々な箇所で粗さを感じさせる。前半は若干ばたついてい
る印象はあるが、アンダンテ・ソステヌートからは素晴らしく、その静謐な空気は素晴らしい。フガート以降も劇的で、若干粗さはあるものの、聞き応えのある
演奏になっている。
ディ
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D: Vladimir Horowitz (1977, RCA):ヴラディミール・ホロヴィッツ
デモーニッシュかつロマンティックな演奏。
強烈なフォルティッシモ。ただ、技術的には粗さがあり、速いパッセージにおける音のムラ、音が飛ぶ箇所での、運動性能の問題から来るタメがかなり顕著に
なっている。ところどころ、リズムの硬直が見られる。しかし、曲の襞を拡大したかのような濃厚で先鋭的な解釈には惹かれるものがある。555小節のスフォルツァンドをppに改変している。なお、ホロヴィッツ
には同時期のライヴが複数あり、それらの方がよりコミットした白熱の名演を展開しており、リズムの硬直も見られない。
ディ
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D: Bruno-Leonardo Gelber
(1977, EMI):ブルーノ・レオナルド・ゲルバー
冒頭の弱音からニュアンスが細やか。遅めのテンポで細部まで明確なタッチで弾いている。几帳面な性格のピアニストのようだ。タメやルバートをあまりつけ
ず、インテンポで進行する。うまくコントロールをしており、破綻の要素が無い一方で、安全運転的で表現の意外性に乏しく、ミステリアスな空気のかけらもな
い。叙情表現、劇的表現もほどほどで、踏み外さない。表現やタッチをギリギリまで追い込んで検討した痕跡が無く、全体に均一な、日常的な空気が漂う。
331小節アンダンテ・ソステヌートはゆったりとしたテンポで歌っているが、ロマンティックではないし、感情移入が感じられない。フガート。軽いのはかま
わないのだが、若干上滑り気味。技術的には申し分ないし、良く弾けている演奏なのだが、まったく心をゆさぶられる事の無い演奏であった。ある意味、音大生
的。
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D: Vladimir Horowitz (1977L):ヴラディミール・ホロヴィッツ
ひどく癖のある弾き方。テクニックが粗い。
デモーニッシュでグロテスク、ニレジハージ的な演奏。ニューロティックな不安感が通奏低音のように全編を支配し、表現と強弱のダイナミックレンジは恐ろし
く広い一方、ひっぱたきすぎて単調になっている嫌いがある。リズムの硬直も若干ある。ホロヴィッツだから許される演奏かもしれない。555小節のスフォルツァンドをppに改変している。アン・アーバーでのライヴ。
ディ
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C: Claudio Arrau (1977/11L
(Tronto) Marston) : クラウディオ・アラウ
強靭な開始。アクセントやルバートに癖がある。技術的な粗さも若干あるが、それ以上に長年の癖から来るマンネリズム的な弾き崩しがある。表現のダイナミッ
クレンジは大きく、重低音を強調した弾きぶりは迫力があって壮大。多彩なタッチを駆使しつつ、劇的な表現を行っている。アンダンテ・ソステヌートのロマン
も美しく、フガート以降はスピード感があって素晴らしい迫力。
ディ
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鋭 い打撃で始まる。ダイナミックレンジが大きく、凄まじい迫力と表出力がある。dolce con grazia、cantando espressivoも濃厚でテンポも引き延ばされている。アンダンテ・ソステヌートも表現の彫りが深く、美しく、壮大に展開している。フガートも悪魔 的。デュナーミクやアゴーギクは楽譜から完全に逸脱しているのだが、変更が不自然に響く瞬間が少なく、音楽の流れと一体になっている。例えば、ホロヴィッツの録音の中では唯一、555小節のスフォルツァンドをppに改変していない。個人的にはこの箇所をppにする音楽的必然性を感じないので、この判断は好ましい。
テープの状態は悪く、音飛びがある。ア
ン・アーバーのものよりも音像が大きく、音自体は明瞭。演奏はRCAのものよりもはるかにコミットしており、リズムの硬直も少なく、良い意味で音楽が流れている。
ミスタッチは数多く、ところどころカオス状態になっている箇所もあるが、演奏の内容は5種類あるホロヴィッツのベストかもしれない。3.19カーネギーホールでの
ライヴ。
ディ
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D: Terrence Judd (1978L, Chandos):テレンス・ジャッド
ライブということでミスタッチがある。テン
ポとフレーズの設計が見事。細部まで計算されている。105小節grandiosoも壮大にして力強い。125小節dolce con
graziaのピアノの微妙な音色の変化も良い。331小節アンダンテ・ソステヌートでは美しく歌っているが、タメが若干無いため、曲の大きさが出てきて
いない。中
間部で大きなミスをしている。フガート以降、アクセントの付け方が若干神経質で、音楽の大きさは出てきていないが、スピード感はある。全体的に良く弾けて
いるが、ライヴのせいもあるのだろうが、びくともしない骨格の強さみたいなものに欠ける。
ディス
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C: Daniel Barenboim (1979, DG):ダニエル・バレンボイム
ピアノの技術は洗練されているとは言いがた
く、場所によってはかなり無理をして弾いている感がある。ただ、リズムの骨格はしっかりとしており、表現に筋は通ってはいる。全体的にストレートな奏法
で、フレーズ処理が適切。良いのは125小節dolce Con
graziaからで、ここは美しい音色でしっとりと歌っている。フレージングも柔らかく、タッチの種類も多彩。331小節からのアンダンテ・ソステヌート
も美しい音色で弾
かれている。フレームをがっちりと決め、ダイナミックレンジをあまり大きく取らず、ペダルを少なめにしたクリアなタッチはベートーヴェンに相応
しい。ただ、技術的な限界のせいか、全体的にこじんまりとした出来になってしまっている。
ディ
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B: Alfred Brendel
(1981, Philips):アルフレッド:ブレンデル
中
庸のテンポで、隅々まで良くコントロールされており、バランスが良い演奏。フレーズ処理が巧く、どの箇所でもほどよい緊張感が保たれている。ピアノの音が
目の詰まった美しい響きで、上等のYamahaを思わせる。
表現豊かなので、聴いていて退屈しない。デモーニッシュな側面はあまり感じられないし、曲に内包されている前衛性もあまり表に出てこない。リリカル
な美しさが印象深く、どちらかというと初期ロマン派の作品に聴こえる。迫力という点で物足らないかもしれないが、表現意欲に溢れており、音楽としての完成
度はきわめて高い。
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D: Pascal Devoyan (1981, Erato):パスカル・ドヴァイヨン
キレの良い打鍵と速めのテンポ。明快なタッ
チ。技術的に巧い。金属的な音色と、微妙なルバートとあいま
り、若干神経質にも聴こえる。テンポ、ルバートの設定が巧いが、フレーズの息が短い。華やかでモダンな感覚を持つ一方、デモーニッシュな味、深みは感じさ
せない。重
低音域があまり前面に出てこない、軽く、明るい印象を与える演奏だ。ブラインド・リスニングの段階では女性かと思った。
ディス
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C: Bernard d’Ascoli
(1982, Classics for Pleasure): ベルナール・ダスコリ
フレーズと音の響きの扱いに繊細なセンスを感じさせる演奏。テンポ設定が自然で、音楽に無理がない。125小節dolce con
graziaや331小節アンダンテ・ソステヌートの密やかな雰囲気が良い。夜の冷涼な空気が流れ込んでくる感じがする。タッチがデリケートで、高らかに
歌い上げるところでも音楽が滞らず、流麗さを失わない。フガートも中庸のテンポを維持しつつ、細部までコントロールが聴いているだけでなく、軽やかなリズ
ム感と美しい音色の組み合わせが素晴らしい。派手さはないし、デモーニッシュなものを指向している演奏ではないが、繊細で魅力的な演奏。
非力なのか、ダイナミックレンジは大きくな い。Allegro Energicoはベース音の強調などがあるものの、特に変わったことはやっておらず、普通。音色も変えておらず、淡々としているが、一方で枠を飛び出さ ない 安定感はある。153小節Cantando espressivoの前後からエンジンがかかってきたのか、表現がよりコミットするようになり、ダイナミックレンジの幅も若干大きくなる。叙情的な箇所 の方が良いようだ。劇的表現が要求される箇所では、ペダルを深めにかけているせいで、オクターブの速いパッセージが緩く、音がつぶれてしまっている。難し いパッセージをペダルで逃げる印象。代わりに流麗さはあるが、もう少し垂直方向の彫りの深さが欲しいところがある。アンダンテ・ソステヌートには感情移入 が感じられ、俄然、音楽が生き生きとしてくる。フガート以降も、抒情的な箇所は相変わらずすばらしい一方、劇的な箇所での骨格の弱さが目立つ。この箇所 でははっきりホロヴィッツ的な迫力を指向しているのはわかるのだが、このピアニストはホロヴィッツのような音の鋭さや表出力を持っていない。抒情表現のみ 印象的。
D:
Nicola Economou (1983L,
Loft production):ニコラ・エコノム
ライブの緊張感はあるが、若干ひっぱたきすぎており、細部が粗い。ミスタッチは多い。呼吸が短く、フレーズのアーチの保持が十分ではないため、旋律がせわ
しなくなる箇所がある。105小節Grandiosoの直前も直裁的に弾きすぎているし、Grandiosoでも大きさが出てきていない。ただ、125小
節
dolce con
graziaや331小節アンダンテソステヌートのピアノは美しく、密やかな空気が良い。叙情表現に光るものがある一方、全体的にデモーニッシュな箇所で
力が入りす
ぎている。劇的な演奏ではあるので、好む人はいると思う。
ディ
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非常に遅いテンポで始まる。理知的で分析
的。技術レベルは高い。異様な空気だが、フレーズなどは予めデザインされており、その異様さが人工的なものから来るのがわかる。Grandiosoは長大
なクレッシェンドで雄大。点描的な手法は面白いが、遅すぎて緊張感が途切れている箇所もある。125小節dolce con
graziaは打って変わって耽美的。所々の急激なテンポ変化に必然性が感じられず、演奏家があまり共感を抱いていない印象を抱かせる。331小節アンダ
ンテソステ
ヌートも遅く引き延ばされたテンポで弾いているが、ロマンチックではない。一転してフガートは快速で始まる。テンポが激しく変化するため、機械的な印象は
無いが、感情の動きのようなものはやはり感じられない。テンポ、タッチ、強弱の変化があまりに恣意的で不自然。こうでなければならない、という説得力に欠
ける。
ディ
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D: John Browning (1984/9, DELOS):ジョン・ブラウニング
ベース音や内声部の強調。冒頭の下降三連符
に細
かいクレッシェンドをつけたり、アルペジオを上から下に弾いたり、レチタティーヴォの和音をppで開始するなど、楽譜に無い変更を加えており、人と違った
事をやろうという姿勢が伺える。技術的には質が高いものの、ところどころ、オクターブの音が飛ぶところでタメる癖があり、それが若干、キレの悪い印象を与
えている。アンダンテ・ソステヌートは個性的なルバートが支配するが、ここはロマンが美しい。過ぎ去った過去を振り返るようなノスタルジックな味わいがあ
る。和音の中の特定の音だけを強調することがあり、その是非はともかく、ずいぶんと変わった響きに聴こえる箇所がある。フーガも細かい表情をつけ
つつ進行し、唐突なffが登場したりする。そういった変更は常に成功としているとは限らない。面白い演奏ではあるが。
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D: Francois-Rene
Duchable (1984, Erato): フランソワールネ・デュシャーブル
速めのテンポでリズミカルに始まる。情念の発露や内面の爆発というよりは流麗さ、華麗さを前面に押し出した演奏。Grandiosoもルバートもかけずに
至ってストレート。テンポ設定やフレージングは適切なのだが、弾き方が軽いせいか、あまり全体の構成や前後のつながりを考慮されず、その箇所での感覚的な
美しさ、という観点からのみ弾かれている印象がある。レチタティーヴォ(306小節)で、D-♭E-D-C-DをD-♭E-D-#C-Dと誤って弾いてい
る。技術的にはハイレベルで、快速テンポの中でも、オクターブの機動性、フガートの安定感、快速パッセージのキレ、どれも素晴らしい。ただ、音色
や奏法の変化はほとんど無く、彫りの深さや感情表現の多彩さに欠ける。363小節から音楽が壮大になる箇所では、普通、ピアニストはわき上がる感興ととも
に、ルバートをかけて付点の動きを強調するのだが、ここではそのままストレートに歌っている。こういった弾き方を聴くと、もしかしたら、あまり曲に共感し
ていないのかもしれない。
ディ
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表 現主義の対極にある、モダンな感覚の演奏。そして技術、フレージング、音色、どれも素晴らしい。全編にわたってアーティキュレーションが見事にデザインさ れていて、技術的にも音楽的にも非の打ち所がない。細部まで徹底的に磨き上げられている。全編にみなぎる力感と、程よいスピード感、叙情表現における清冽 な表情と珠玉のような音色。フガートは中庸のテンポで始まるが、羽毛のようなリズムがベースにあるため、遅い感じがない。心地良い安定感を保ちつつ、曲が クライマックスへと向かう。若干クリーン過ぎる印象はあるかもしれないが、ディスコグラフィの中でも屈指の完成度を持つだけでなく、オーソドックスなアプ ローチから言っても、この曲の規範の一つとな る名演。一つ付け加えると、リファレンスレーベルによるクリアで残響豊かな録音も素晴らしい。
ディス コグラフィ・リストに戻るD: John Ogdon (1987L, Briliant Classics):ジョン・オグドン
遅いテンポで弛緩している。
Allegro
energicoからは速めのテンポだが、コントロールが十分ではなく、細部がきちんと弾けていない。リズムの鋭さにもかける。Grandiosoは粘っ
ており、大きさが出ており、この箇所からは演奏の説得力が出てくる。Cantando
Espressivoは速めのテンポで開放的に歌っているのがユニーク。技術的にはかなりこころもとなく、205小節のAllegro
Energico come
primaのオクターブの上昇音階はテンポがもたれているし、指回りが不明瞭になる箇所が多い。アンダンテソステヌートの後半での感興の高まりがよく反映
されており、テンポが激しく動くものの、この箇所においては説得力がある。フガートは中庸のテンポ。若干混濁する箇所があるのと、やはり細いパッセージが
きちんと弾けていない。555小節からは深いペダルの中で洪水のようなソノリティを作っており、これは効果的。やはり、技術は痛々しく、クライマックスで
はフレーズが弾けずに崩壊してしまっている。
ディ
ス
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D: Elisso Vlirsaladze (1987/10/22L):エリソ・ヴィルサラーゼ
表現主義への強い意欲は感じられるが、ペダ ル、音量やフレーズのコントロールが十分出なく、若干締まりの無い印象。105小節Grandiosoへの盛り上げ方も性急で、ピアニストの忍耐の無さみ たいなもの を出してしまっている。153小節Cantando Espressiveの箇所では美しく歌っている。続くAlergo energicoもダンパーペダルを深く踏んでおり、やはり締まりに欠ける。スピード感は素晴らしいし、思い切りの良さは感じられるのだが。331小節ア ンダンテソ ステヌートは開放的に歌っていて美しい。フガート以降は、やはりペダルの問題がある。常に踏んでいるため、音が濁り、キレが悪くなってしまっている。 179小節など、独特の色彩感に感心する箇所もないではないが、全体的には欠点の方に耳がいく演奏。
全編を通じて強烈なルバートをかけている
が、あまり音楽的な必然性は感じられず、どちらかというと単に指がもつれたように聴こえる。鋭いリズムが全て丸くされ、拍節感は曖昧になっている。音が飛
ぶ箇所、タッチが変わる際などで必ず「タメ」が入るのだが、それが音楽的なものというよりは技術的なものからくるため、一種のマンネリとして聴こえる。フ
ガートでは突然スピードをあげるが、意味不明のゼリーのようなタッチ。緊張感とキレにかけるのみならず、内面から溢れ出るものをあまり感じさせない緩い演
奏。
ディス
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C: Maurizio Pollini (1988/5, DG):マウリッツイオ・ポリーニ
劇的緊張感に満ちた開始部。中庸の速さ、
そしてインテンポで進行する。この曲の多面性に踏み込んでおらず、同じようなタッチで全編を弾いているのが特徴。音楽の恰幅は大きく、余裕のあるテンポで
フレーズに十分なスペースを与えているものの、そのテンポを音色や表現の多彩さで埋めるという事はしておらず、いたってストレート。打鍵は大変力強く、恰
幅も良く、ピアノが物理的に「良く鳴っている」印象がある。125小節dolce con
graziaからは若干ぶっきらぼうで、ピアノの音は美しいものの、感情の動きは感じられない。一方で、がっちりと構築されたフレームの中で安定して音楽
が流れる安心感はある。331小節アンダンテ・ソステヌートもぶっきらぼうで、甘さがない。良い意味でも悪い意味でも、男性的でモダンな演奏。フガートは
乾いた音で
ゆっくりと始まり、グールド風に展開し、徐々に力強さを獲得する。不調が多かったポリーニの80年代以降の録音の中では成功している。
ディ
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C:
Mikhail Pletnev (1989, DG):
ミハイル・プレトニョフ
遅いテンポだが鋭角的。美しいがロマンは無い。無感情で無機質、正確無比で乾いたタッチから繰り出される音楽は、ある意味、ポゴレリッチよりもグールド
的。叙情的な箇所でも溺れることがなく、点描的な手法を崩さない。全体で見るとかなり変わった演奏ではあるのだが、532小節のトリルの箇所を除いて流れ
の中で唐突であったり、不自然であったりすることはあまりなく、やっている事には筋が通ってはいる。ただ、曲への共感は見えず、白けたような視点が受け付
けない人も多いだろう。
ディ
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C:
Arnoldo Cohen (1989/7, IMP):
アーノルド・コーエン
明快なタッチでキレのよいテクニック。細身の金属的な音色。ペダルは控えめ。テンポは速い。Grandiosoへの盛り上げ方は乾い
たタッチでおこなって
いる。引き締まっている。Cantando
Espressivoも適度なルバートで清潔感のある歌いぶり。感覚的な美しさもあり、タッチは細部まで磨き上げられている。野島やブレンデルと同じ路線
の、モダンで理知的な演奏だが、わき上がる感興も感じられる。スピード感もあり、オクターブの速い動きも小気味よい。アンダンテ・ソステヌートは抑えめの
ルバートで清澄だが、後半はかなりの弾き崩しがある。フガートは中庸のテンポで、時計のリズムのように無機的に開始するが、すぐにテンポがあがり、音楽も
熱気を増す。デモーニッシュではないし、スケールは大きくない。だが、現代的な先鋭さを感じさせる秀演。
A:
Radu Lupu (1990/5/8L,
Private): ラドゥ・ルプー
スケールが大きく、ゆったりとしたテンポで始まる。どういう理由か不明だが、他の誰とも異なる和音の響きが聴かれる。音の混ぜ合わせ方が官能的。
Allegro
Energicoには非常に粘りのある弾き方をしており、不協和音の感じがよく出ている。テンポとしては遅いのだが、私が聴いた中でも最もデモーニッシュ
で劇的な展開を見せている。Grandiosoもスケールが巨大で茫洋としているが、緊張感が保たれている。Allegro Energico
come
primaは非常に劇的で、重戦車のようなたたずまいの中、轟音のようなfと清らかなpが交錯する。印象としては、録音状態も含めて、ニレジハージの「波
間」に近い。アンダンテ・ソステヌートも珠玉のような音色で始まり、素晴らしいソノリティでたからかに、そしてスケール大きく歌い上げている。感動
的という点では、ディスコグラフィでも一、二を争う。フガートは中庸のテンポで始まる。細かなニュアンスをつけており、歌心を感じさせる。その後の展開も
轟
音のようなフォルテとともに壮大。様々なタッチを駆使しつつ、巨大なクライマックスを使っている。ミスタッチは多いのだが、録音が遠いこともあり、ほとん
ど気にならない。
追記)残念ながらプライベート録音であるため、一般には入手できない。だが、素晴らしい演奏なので、将来、どこかのレーベルから出る可能性も見越して挙げ
ておく。
ディ
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C: Jenő Jandó (1990, Naxos): イエネ・ヤンドー
リズムを刻みつつ、若干遅めのテンポで折り 目正しく始まる。明快で屹立した音。105小節Grandiosoの力感に不足はない。理知的なアプローチで、テンポ、フレージングはあらかじめ設定され ているよう に聴こえるが、完全に醒めた演奏というわけではなく、控えめながらノスタルジーを感じさせる箇所もある。特に何かが突出しているわけではないのだが、高潔 で、知情意のバランスがとれており、音楽に無理がない。フガートは中庸のテンポで始まる。良く聴くと細部まで細かいニュアンスがついている。全体的にピア ニストの知性と繊細な感性を感じさせる良い演奏。
D: Dezső Ránki (1990, Harmonia Mundi):デジュー・ラーンキ
正攻法。デモーニッシュではないが、安定し
た技術で隅々まで丁寧に弾かれており、完成度が高い。耳につくのはリズムの正確さ。時計のように正確なリズム感覚があるようだ。たっぷりとした音。フレー
ズも自然なアーチの中でなされている。331小節アンダンテ・ソステヌートはソフトペダルを用いた柔らかい音色で美しく演奏されている。ただ、ロマン
ティックかとい
うとそうでもなく、感情移入は感じられず、美しさが感覚美的なものに留まっているような気がする。フガートもルバートはあるが、基本は正確なリズムで弾か
れている一方、タッチにエッジが無く、音の強靭さや感情のコミットメントを感じさせず、生気のない印象を受ける。美しいが醒め過ぎ。
ディ
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D: Krystian Zimerman (1991, DG):クリスティアン・ツイメルマン
しっかり準備された事が伺える演奏。この演
奏のメカニックな完成度の高さは、カツアリスを別にすれば最上級で、キレも迫力も素晴らしい。モダンな感覚に裏打ちされた演奏で、情に溺れない、覚醒した
意識が伺える。楽譜の指示に基本忠実で、アゴーギク、デュナーミクを非常に細かく設定してお
り、様々なルバートを行っているのだが、それらがあくまで「デザイン」に留まっており、それが表現としての緊張感、力強さにつながっていないことがある。
例えば、
130小節や132小節のフレーズに指定されたスタッカート。このスタッカートに従わないピアニストは多いが、ツイメルマンはきちんと従う。だが、直前の
125小節dolce con
graziaでの感情移入とppが不十分なため、このスタッカートが野島稔のように必然性をもって響いていない。このように中途半端に指示通り弾く
のであれば、むしろ指示に従わないやり方の方が「正しく」聴こえる。363小節からの流れも、なぜこんなに無感情に色あせて聴こえるのだろう。この音楽に
はもっと高揚感も憂愁の影もあるはずなのだが、ピアニストは楽譜
の指示にとらわれているのか、あるいは表出力、内面の問題か、音符を正確に弾くことに腐心しているだけに聴こえる。フガート以降も素晴らしいメカニック。
しかし、そこに感情の興奮はなく、奔流のよ
うな音の流れがあるだけ。様式美としての完成度は非常に高いのだが、聴いていて心がゆさぶられることが無い。
ディ
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D:
Enrico Pace (1992, Private):エンリコ・パーチェ
キレの良い演奏。インテンポで細部まで丁寧に弾いている。教科書的で、楽譜をそのまま音にした印象。表現も技術も過不足なく、あるべきところに音がある。
良い演奏だが、それ以上の強い印象はない。
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遅めのテンポの
中、軽いタッチと強烈でエッジのきいたフォルテを交錯させる。金属的で若干耳障りの
する、無機質な音と機械的な奏法。中間部の叙情的な箇所は遅いテンポで弾いてはいるが、どこか醒めており、手法も点描風。流麗さはなく、音楽が停滞する印
象がある。技術的にはハイレベルで、細部まで考えられて弾いているようだが、曲への共感はあまり感じられない。フガートも遅く、点描風のタッチ。一方、場
所によってはリゲティ作品のようなおもむきもあり、面白いと言えば面白い。10人くらい聴いた後に聴い
たほうが良い演奏。
ディ
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A: Andre Laplante (1995, ANALEKTA):アンドレ・ラプランテ
素
晴らしい安定感と推進力。重心が重く、フレーズはブラームスのようにたっぷりとしており、急がず、クレッシェンドもなだらかなカーブを描いて上昇。迫力と
風格がある。一つ一つの音のポテンシャルも高く、常に緊張感が保たれている。105小節Grandiosoも雄大。125小節dolce con
graziaではテンポをぐっと落とす。長大な呼吸のもと、緊張感を途切らさないフレーズ処理が巧み。全てが円環のように繋がっている。タッチと表現のメ
リハリがついているのだが、唐突になる事がなく、統一感がある。どこも突き抜けず、軽くも重くもなりすぎず、円柱のバランスを持って音楽が進行。その
一方で決して退屈になっておらず、表現が細部まで良く練られている。決して派手ではないが、よく聴くと繊細かつ雄大、非の打ち所の無い巨匠的名演。
ディ
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C: Sergio Fiorentino
(1997/10, APR): セルジオ・フィオレンティーノ
重厚で豊麗なピアノの音が良く捉えられた録音が好ましい。遅めのテンポで弾かれており、強い緊張感を持続しながら進行する。音楽の恰幅はゆったりと大き
く、小細工をしない巨匠的な余裕がある。音楽のフレームはきっちりしているものの、決して技巧派ではなく、細かなミスタッチがたまに聴かれる。
Gandiosoは壮大。125小節のdorce con graziaはメランコリックで、Cantando
espressivoはロマンティックに歌っている。楽譜の指定には忠実ではなく、例えば171小節からは和音をアルペッジョ風に19世紀的に崩して弾い
ているのが効果的で、この古めかしいアルペッジョ奏法はそこかしこに登場。197小節にも楽譜にない重低音を加えている。205小節のAllegro
Energico Come
primaからも急がず、重戦車のような重厚な音でクライマックスへ導く。デモーニッシュではないし、決してスピード感はないのだが、フレージングの緊張
感が保たれているため、だれている感じがしない。アンダンテ・ソステヌートは暖かく、落ちついた世界だが、363小節から雄大に盛り上がる。フガートも遅
い。その後の難所では、若干技術的な粗さを見せるものの、重厚で安定感のある世界は変わらない。ただ、694-95小節の右手は、記憶違いからか全く違う
和音を弾いてしまっているのが気になる。
劇的な箇所では雄大かつ力強く、叙情的な箇所ではまるでピアニストがピアノと対話しているかのよう。確信を持ってこの遅いテンポを保っているのがわかる。
独自の魅力を放つ巨匠的秀演。後半の細部の傷が無ければBかAになるところだった。
ディ
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E: Ronald Smith (1997, APR):ロナルド・スミス
あまり緊張感の感じられない冒頭。
Allegro
energicoからは乾いたタッチで弾いているが、リズムの硬直が見られる。フレーズの緊張を保つことに失敗しており、覇気にも欠け、ピアニストの老
いっぷりを想像せざるを得ない。叙情的な箇所は悪くないのだが、それでもところどころで根気の失せたようなフレーズ処理が聴かれる。聴くのが辛くなる演
奏。
ディ
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C: Stephen Hough (1999/11,
Hyperion):スティーヴン・ハフ
キレのあるタッチ、比較的ゆったりとした呼吸で始まる。乾いた音色で細部まで明快に弾いている。タッチのキレは十分にあるのだが、リズム処理に関しては丁
寧で穏健。クライマックスでは多層的に音を重ねて行く。125小節のDolce con graziaやCantando
espressivoではテンポをぐっと落とし、音と音の空間を広げている。ロマンチシズムとは違う、点描法的な手法から生み出される独特の静謐感とモダ
ンな空気。演奏家の覚醒した意識、知性を強く感じさせる演奏で、タッチや音の出し方に工夫がある。その後の展開は遅いテンポのままだが、フレーズの力感、
技術ともに申し分ない。フガートの演奏もかなり変わっていて、遅いテンポで分析的に弾いている。熱狂とは無縁の世界で、構築性と感覚美が前面に出ている。
ディ
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きわめてエキセントリック。独特の鋭く乾い
た音で、まるで拳で叩き付けるように弾いている。ライヴという事を差し引いても、技術的に粗いところがある。即興性が高く、音楽が極端から極端に走り、そ
れが常に必然性を持っているとは限らない。まるで、同一レベルのフォルテッシモと、同一レベルのピアニッシモしかないような演奏だ。彼が拳を強く叩き付け
れば叩き付けるほど、音が飽和し、音楽が単調になっていく。曲のデモーニッシュな一面を捉えてはいるので、この演奏を未熟とかとかいう言葉で片付けるべき
ではないと思う。だが、聴いていてひどく疲れ、しまいには止めたくなるような演奏。
ディ
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非常に鋭い打鍵。異常に金属的で耳障りな音
は綺麗とは言いがたい。リズムやタッチは自在で、楽譜から著しく逸脱している。楽譜に無いオクターヴ、チョッピーなタッチ、アクセントなどが次々に登場す
る。叙情的な箇所は感情豊かに歌われている。スタジオ録音である一方、ライヴの空気がある演奏で、一気呵成の迫力がある。解釈にも即興性が強く、そのせい
か細部の処理には粗い箇所がある。Allegro Energico come
primaのスピード感と迫力はなかなか。331小節アンダンテ・ソステヌート。装飾的な音型における急激なテンポ変化は恣意的で無理がある。一方で壮大
になるとこ
ろは左手の打鍵のタイミングをずらしつつ、大変スケール大きく歌っていて感動的。フガートはやはり金属的で乾いた音色。最初の部分と同様、さまざまな改変
を行っている。表現主義に基づく試みなので、それなりの成功を収めているが、場所によっては弾き飛ばされているように聴こえる箇所もある。
美点としては、強烈な表現主義的手法が自己顕示に陥らずに、一定の説得力を持って響いていること。弱点としては、細部の粗さと、ピアノの音が汚いことだろ
う。ざらついたダイヤの原石のような魅力を持つピアニストの録音ではある。
ディ
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C:
Arnaldo Cohen (2003,
BIS):アーノルド・コーエン
音にキレがあり、輝かしい。技術的にも優れている。比較的ストレートに弾いており、あまり粘ってはいないが、フレーズの緊張感はよく保たれている。曖昧さ
の無い、クリアな弾き方をしている。125小節dorce con
graziaからもすっきりとしたロマンティシズム。強弱、奏法のメリハリは大きくつけていない。全体的な統一感はある。アンダンテ・ソステヌートもあく
まで清澄。フガートは中庸のテンポで羽毛のようなリズムが心地よい。全体的に、デモーニッシュではないが、知情意のバランスがとれており、流麗で高貴さを
感じさせる演奏。
ディ
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明快でスタイリッシュ、ピアニスティックな
演奏。冒頭から気合の入った一撃。提示部はスポーティな快感にあふれているが、若干急ぎすぎているところもある。とは言え、劇的緊張感は見事で、表現意欲
が感じられる。雄大な箇所の歌いまわしのうまさに音楽性の高さがあらわれている。小細工をしない良い演奏だが、ピアノの音は単調で憂愁の影は薄く、良い意
味でも悪い意味でも若さを感じさせる演奏。フガートからは快速テンポで素晴らしい迫力。
ディ
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D: David Fray (2006, ATMA):デヴィッド・フレイ
穏健路線。おそらくここで新しい試みを行っ
たおうとしたのだろう。全曲を柔らかい音で抑えた音量で弾く、というアプローチをとっている。理知的な演奏で、細部まで丁寧に弾かれている。ただ、音色は
変えておらず、メリハリはついていない。正確でゆったりした演奏は心地が良いが、若干緩んだ空気が漂う。標題音楽の要素はなく、どちらかというと古典音楽
のおもむきがある。フガートも生気がない。
ディ
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E: Polina Leschenko (2007, Avanti Classic):ポリーナ・レスチェンコ
過激なまでに弾き崩されていて、その崩し方
に音楽的な必然性が全く感じられない。叙情的な箇所の表情はなかなか美しく、柔らかな音を聴くと、彼女のショパンを聴いてみたいという気にさせられる一
方、すぐに狙い過ぎのルバートの登場がその考えを打ち消し、意味不明なスタッカートで笑い出したくなる。この曲をあまりに弾きすぎて、退屈して違うことを
やりたくなったのかもしれないが、若さ故の自己顕示ばかりを強く感じてしまう。フガート以降は特にひどく、音楽が低俗なものになってしまった。技術を持っ
ているのに残念。何年も経った後、これを出した本人が聴き直して後悔するのではないだろうか。ディスコグラフィの中で最悪の演奏の一つ。
ディ
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C: Yuja Wang (2008/7/29L, Medici TV):ユジャ・ワン
主部。急ぎすぎないテンポが良い。壮大に始
まり、少しずつテンポをあげて行く。プレストでは右手を叩きつけず、左手に重心を置いており、それがうねりを生んでいる。個々のセクションを貫く大きな
アーチを感じる。フレージングも自然で、音楽の力学に沿っている。音色が多彩。Allegro
energicoは急がずに丁寧に弾いている。アンダンテ・ソステヌート(331小節)もフレーズの処理が適切で、スケールの大きさが印象的。フガートも
細やかなニュアンスをつけつつ、素晴らしいリズムで開始。細部まで良く練られた演奏だが、プレスティッシモの直前で大きなミスがあり、その後、動揺したの
か、音楽がそれまでの素晴らしいコントロールを失って粗くなってしまったのが惜しい。いわゆるデモーニッシュな迫力で圧倒する演奏ではないし、強烈な個性
という点では物足りないが、全体を俯瞰しつつ、適切な表現を行って行く巧みさは、過去の名匠にひけをとらない。
ディ
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E: Garrick Ohlsson (2009, Naxos):ギャリック・オールソン
低音域のたっ
ぷりした恰幅のよい弾きぶり。ところどころで恣意的な弾き崩しが感情とは無関係に登場する。それが唐突で必然性がないだけに気になる。柔らかい美音は魅力
的。だが、ピアノの巧いビバリーヒルズの金持ちが余興で弾いているかのような、切迫感の無さ、気取りのようなものが全編を支配している。音楽を突き詰めて
いった痕跡が全く感じられない。
ディ
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D: Yuja Wang (2009, DG) ユジャ・ワン(非ブラインド・リスニング)
たっぷりとしたフレーズで始まるが、若干キレが悪く重さがある。メリハリも不十分で、なかなかエンジンが暖まらない車を運転しているかのようだ。隅々まできちんと弾けているし、叙情的な箇所は美しく、スケールの大きさもある。普
段の彼女であれば、優れたリズム感覚の中で、フレーズのタメをしっかり作ることで音楽の緊張感を高めていくのに、ここではそういったフレーズの構築が見ら
れない。そのためいつもの緊迫感が存在せず、安全運転で弾いているように聴こえる。スタジオ録音は彼女に合わないのかもしれない。
ディス
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D:
Hélène Grimaud (2010/9L,
DG):エレーヌ・グリモー
オーソドックスなアプローチで、古典音楽にように聴こえる。音色の変化やダイナミックレンジの大きさに乏しく、一定の明るい音で淡々と弾いてい
る。それだけに安定感や全体の統一感
はあると言えるかもしれない。ペダルも多く、若干優柔不断な印象。技術的には安定しており、細部まで丁寧に弾いているのだがそれ以上のものがない。感情
の動きのようなものがほとんど感じられず、表現が表面的なものに留まっているような感じがする。フガートも至って日常的。劇的な箇所や叙情的な箇所でも、
フ
レーズの中にあるべき緊張感が今ひとつで、それが技量の安定感にも関わらず、全体として平凡な、行儀が良いだけの印象に繋がっている。どれもほどほどのと
こ
ろで手堅く、こじんまりとしたところにおさまっている
という印象。表出力の問題というよりは、問題はもっと深いレベル、つまり演奏者の内面にあるような気がする。
ディス
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速めのテンポ。スポーティで流麗な演奏では
あるが、同時にリズムの骨格の弱さが気になる。鋭いエッジのきいた音。細かなニュアンスをつけており、表現主義への意欲を感じる。125小節dolce
con
graziaからもかなり強いルバートをつけて歌っている。ただ、情念の発露があるわけではないので、デモーニッシュな雰囲気は希薄。音色の変化はあまり
つけていないが、アンダンテ・ソステヌート(331小節)は柔らかい音で魅力的。420小節あたりのひそやかな夜の空気感がよい。フガートも安定。ライヴ
ならではのミスは散見される。難所では技術的な理由でフレーズが設計されている感があり、そのため、場所によっては背骨のヤワな印象もある。良く考慮され
た演奏というよりは、良い意味でも悪い意味でも、即興的にその場で弾かれたような印象を与える。196小節の右手の二番目の音符をGではなくG#で弾いて
いる。
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E: Khatia Buniatishvili
(2011, Medici TV): カティア・ブニアティシヴィリ
非常に速いテンポで始まる。暴力的で極端なアクセントと効果を狙いすぎた奏法。表現が極端から極端へと走り、あざとささえ感じさせる。153小節
cantando
espressivoの弱音は魅惑的で、歌い方も美しい。叙情表現は筋が通っているのだが、劇的表現がせわしない。セクションとセクションのつなぎのテン
ポ設定やフレージングが自然でないため、唐突に感じる。もう少しじっくりと歌っていれば、つなげていれば、という箇所も少なくない。
E: Danil Trifonov (2013/1/10L):ダリル・トリフォノフ
美音は印象にのこるが、それ以外は技術的に
も音楽的にも恐ろしく普通で消極的。オーソドックスなアプローチで、いろいろな事が普通に出来ているのだが、それ以上のものがない。意思の強さや感興の高
まりが感じられず、出てくるフレーズを漫然と処理しているだけに聴こえてしまうのはなぜだろう。音楽を大きなアーチの中でビルドアップし、緊張感を保ちつ
つクライマックスを作って行く、という基本的な構築能力に問題があるような気がする。あるいは曲への共感不足か。アンダンテ・ソステヌート(331小節)
は美しい弱音だが、やはり細部は甘い。力強いフレーズあるべきところでも、旋律の緊張感が保てず、するりと力が抜けてしまう箇所がある。フガートもどこか
優柔不断で、どういう方向で弾こうというのかわからない。もっと踏み込みが欲しい。全体的に、リズムが微妙に甘く、それが力強さや緊張感への不満になって
いるように感じた。ライブならではミスがあるのは仕方ないとして、テクニックのレベルは高いとは言えない。一例を挙げると、右手のトリルが左手の影響を受
けて粗くなる箇所がある。
ディ
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私個人は、今のところデ・ラローチャの
ものを100を越える録音の最上位に置いている。だが、他人に薦める場合、その人が何を求めるかによって変わってくる。
初めて聴くのであれば、デ・ラローチャ、アラウ(1970
年版)、野島。
オーソドックスで音楽的、技術的に優れており、バランスの良さが素晴らしい。ラプラント、ベルマン(1975年版)、スロボジャニクもスタンダードになりうる演奏。
この曲について、外面的、中身が無い、といった間違ったイメージを持っている人には、1965年カーネギーホールでのリヒテルのライブ盤が良い。曲の持つ情念とエネルギーの凄
さに圧倒されることだろう。技術的な欠陥はあるものの、ソフロニツキーの
描くメフィスト的世界も印象に残る。
ただ、どちらも音質は良くない。
19世紀的なロマンチシズムを聴きたい人には、レヴィ、ホロヴィッツが一般
的。ただ、個人的な好みでは、彼らの演奏は若干グロテスクに過ぎる印象がある(ホロヴィッツの78年のライヴ録音は説得力があるが、プライベート録音のみ)。意外な選択としてクライバーンも一聴を薦め
たい。ニレジハージの録音が紛失したままなのが残念。
ピアノという楽器の限界を知りたい人、真の意味での超絶技巧の演奏が聴きたい向きにはカツァリスのライブ録音になる。ややあざといところも
あるが、ヴィルトオジティで他の全ての録音を圧倒している。ワ
イセンベルグやツイメルマンの技巧も印象に残るが、
前者は記憶違いからか間違っ
た音を弾いていることがあるのと、後者は音楽的には面白みがいまひとつ無い。
しっとりとした叙情の美しさ、音楽の豊かさ
に浸りたいのであれば、ラプラントだろうか。ベルマンの75年盤も良
い。ダスカリの繊細さも忘れがたい。
前衛的な感覚の演奏を求めている人には、プレトニョフの新盤かヴァサーリ。どちらも点描法的なアプローチで弾いているだけでなく、覚醒し
た意識が感じられる。前衛的というほどではないが、ハフも
モダンな感性が光る良い演奏。
過去の歴史的録音に興味がある人には、グリンベルグとバレル。音は悪いが、表現主義が主体だった時代の自在なフレージング
の妙を聴くべきである。一方、若手の中ではユジャ・ワンのライブ録音における構成
力が印象に残った。
8. 謝辞、参考文献
謝辞
かつてInternational Piano Quarterly(IPQ) の編集顧問で、ディスコグラフィの編纂にも携わったMichael
Gloverより、一部の録音資料と、ディスコグラフィ資料の提供を受けた。改めてこの場を借りてお礼を言いたい。