(C) Yoshimasa Hatano

晩年期のニレジハージの録音(1972~)


ニレジハージの生涯で、もっとも豊富な録音記録が残っているのが、この時期である。彼は生前に、グレゴール・ベンコーのプロデュースでコロンビア/Masterworksと2枚、Desmarと1枚のLPを録音し、高崎短大プロデュースで、東芝と1セットのLPを作成した。死後に、グレゴール・ベンコーのプロデュースで、VAIより、コロンビアのアウトテイクを集めたCD(オペラの編曲集)が発売されている。これに加え、Music and Artsから、オランダ・ニレジハージ財団とKevin Bazzanaの監修で、晩年の未発表録音の一部が発売される予定である。

Nyiregyhazi Plays Liszt (Desmar, IPA111)

Nyiregyhazi Plays Liszt (Desmar)
1. En reve (nocturne), 2. Ballade No.2 in B minor, 3. Sunt lacrymae Rerum, 4. Abschied, 5. Legend No.1, 6. Legend No.2

ニレジハージが復活ののろしをあげた盤、というだけでなく、実際に内容面でも筆頭に挙げられるべき盤である。1973/5/6、サンフランシスコ、Old first churchにおけるコンサートで、彼の演奏が聴衆により、無断でカセットテープに記録された (当日のプログラムp1, p2)。その録音を耳にしたIPAという組織の会長(当時副会長)グレゴール・ベンコーは驚嘆し、ニレジハージを探し出し、スタジオ録音が実現した。1974年のスタジオセッションと、発見のきっかけとなったライヴ録音の一部が合わせられ、1977年に発売されたのがこのレコードである。

このレコードには、ニレジハージの魅力が凝集している。演奏活動再開から間もないこの時期は、彼の技術の衰えから来る問題がそれほど前面に出てきておらず、彼の巨大なリスト演奏をストレートに味わうことができる。また、気力も充実していたのだろうか、後年のよりも表現のバランスが取れているだけでなく、表現の集中度も高い。私にとっては、低く評価されがちな、フランツ・リストという作曲家の深淵を感じさせてくれたレコードでもある。

A面は1974年のスタジオセッションからのものである。最初のEn-Reve-Nocturneでは、彼の瑞々しいピアノと叙情的な表現が魅力的である。「バラード第二番」では、雄大なスケール、美しい音色、大時代的でイマジネイティヴな奏法、どれも素晴らしい。左手が「波間」のように怒濤のように鳴り響いているのが印象的。後半、ややコントロールを失う箇所があるものの、全体としては圧倒的な演奏となっている。「Sunt Lacrymae Rerum」も、高崎で録音されたものよりも客観的で抑制がきいている。かといって緊張感が減退したわけではなく、こちらの方が凝集しているだけに、表現としての力はより強く感じられる。A面最後のAbschiedがまたすばらしい。まるで晩年のブラームスかヤナーチャクのように懐かしく響く感動的な曲を、ニレジハージが慈しむように演奏している。
B面の、「二つの伝説」は、晩年のニレジハージを世界的に有名にしたライヴ音源である。彼は若い頃から「二つの伝説」を得意としていた。ニレジハージ10代の頃、この曲の彼の生演奏を聴いたとある職業ピアニストは、あまりのショックのために、二度とこの曲を演奏するまいと誓った、というエピソードがあるほどだ。この録音は、会場の外を走る車の音が聴こえてくるような劣悪なものだが、ニレジハージの演奏の特質は明らかである。
最初の曲、「小鳥と話すアッシジの聖フランシス」では、ニレジハージは多彩な音色のパレットを用いて、繊細かつ雄大な表現を行っている。冒頭の粒だちの良いトリル、巨大な中間部を経て、後半に進むに従って音楽は超絶性を増していく。
続く「波間を渡るパオロの聖フランシス」は、記録されたニレジハージの録音群の頂点に位置する演奏と言ってもいいだろう。重厚で壮大な和音に始まり、大波が打ち寄せるような左手のフレーズ、巨大なダイナミクス、どれもこの曲の常識的解釈を超えている。シェーンベルグの言う、「彼は彼のやり方で形式を確立する」という言葉を実感させてくれる演奏だ。この曲のこの演奏を超えるものがあるとすれば、彼の若い頃の録音がどこかに残っていた場合だけだろう。だが、それがあったとて、ミスタッチが無くなる程度で全体的な印象はあまり変わらないのではないだろうか。9年後、来日時にホテルニューオータニでこの「波間」を弾いているが、残念ながら技術的な衰えが顕著で、音楽がほとんど崩壊してしまっていた。その意味で、ニレジハージ全盛期の凄まじさを十分想像させてくれるこの録音は貴重である。

M&Aから発売されるCDに「二つの伝説」が収められる予定だが、それでもこのLP盤の価値が減ずるわけではない。権利上の問題からCDの復刻の見通しがたたない現在、入手しやすいLPを求めるのは悪い選択ではない。また、東京文化会館の音楽資料室でも試聴可能。


「Nyiregyhazi plays Tchaikovsky/Grieg/Bortkiewicz/Blanchet」


GRIEG: SIE TANZT, OP.57 No.5
DER HIRTENKNABE, OP. 54, No. 1
WALTZ IN A MINOR, OP. 12, No. 2
HEIMVARTS, OP. 62, No. 6
TCHAIKOVSKY: WARUM? OP. 6 No. 5
BLANCHET: AU JARDIN DU VIEUX SERAIL

TCHAIKOVSKY: WALTZ IN A-FLAT MAJOR
ROMANCE IN F MINOR, OP.5
BORTKIEWICZ: TRAVEL PICTURES: POLAND (MAZURKA), VENETIAN GONDOLA SONG, IN SPAIN33,


1978年、Desmar盤の好評から活動資金を得たベンコーとニレジハージは二枚のLPをコロンビアで作成した。それが、「Nyiregyhazi Plays Liszt (Masterworks)」「Nyiregyhazi plays Tchaikovsky/Grieg/Bortkiexicz/Blanchet」である。

1977年のDesmar盤は優れた出来だったが、この「Nyiregyhazi plays Tchaikovsky/Grieg/Bortkiewicz/Blanchet」では、コントロールを失ったかのようなフォルテッシモや、テクニックの衰えから来るリズムの崩れ、といった晩年のニレジハージの欠点が前面に出てしまっており、曲によってはややグロテスクな印象さえ与える。例えば、グリークの「Sie Tanzt 」、「Heimwaltz」、Bortkiewiczの「Spain」のデフォルメは多くの聴き手を困惑させるだろう。

その一方で、彼の美点が出ている演奏もいくつかある。その一つがグリーグのDer Hirtenknabe Op54.1だ。中間部でペダルを開放気味にして、硬質な音を、互いに共鳴させあうように鳴らしている。ニレジハージは、未発表ライヴ(M&Aより発売予定)のスクリャービンの「第四ソナタ」冒頭でも同様の奏法を行っていたが、こういうステンドグラスを見るかのような不思議な響きを現代のピアニストから聴くことはほとんどない。また、グリーグの「Waltz A minor」では、主声部を豊かに演奏しつつ、副声部とずらすことによって、立体感を与えている。Blanchetは、50年前に録音された彼のピアノロール録音と同じ解釈だ。やや異形ではあるが、オーケストラのように豊麗な響きを持つ演奏である。

B面は、チャイコフスキーのワルツの嫋々たる演奏が印象的で、彼の好演の一つと言えるだろう。多彩な音色を駆使しているせいか、ゴージャスな印象さえ与える。「ロマンス」も時代のかかった演奏で、まるでピアノロールを聴いているかのような錯覚に陥るのだが、残念ながらその陶酔は長く続かない。またしても中間部は、ペダルを解放し、拳でひっぱたくようなタッチとなってしまっている。次のBortkiewiczの「Travel picture」の第一曲「ポーランドにて」では、ホロヴィッツのような乾いたタッチと、嫋々たるタッチを組み合わせており、それらが実に効果的。第二曲「ヴェネツイアのゴンドラの歌」も幽玄の世界を描いて印象的だ。この二曲は良いのだが、第三曲「スペイン」で、フォルテッシモの抑制が利かず、リズムまでが崩れてしまっている。

この盤や「Nyiregyhazi at the Opera」などで聴かれる、晩年のニレジハージのフォルテッシモの野放図さをどう捉えるべきだろうか。私個人としては、いわゆる表現主義と言うよりは、一種のマンネリズムから強奏されているように感じられる。確かに豪放ではあるが、曲調にあっていないせいか、一種の空虚さを感じさせずにはおかないし、同じフォルテッシモでも全盛期であれば違う鳴り方をした筈である。一方、晩年の演奏でも、リスト演奏ではそういった事を感じさせることが少ないのは、ニレジハージの作曲者や作品への共感の度合いの差ではないだろうか。

「Nyiregyhazi plays Liszt」

[ SIDE 1 ]
01. Hungarian Rhapsody No.3
02. Mosonyi's Funeral Procession
[ SIDE 2 ]
01. Weihnachtsbaum
02. Nuages Gris
[ SIDE 3 ]
01. Hamlet
02. Miserere After Palestrina
[ SIDE 4 ]
01. March Of The Three Holy Kings From Christus
02. Aux Cypres De La Villa D'este, No.2

1978年発売のこのレコードは、米ステレオ・レビュー誌で「今年の一枚」に選ばれただけでなく、内容の暗さ、重さをよそにビルボードのクラシックチャートの第三位という売り上げを残した(それだけ当時の彼は時の人だったということだ)。上のもう一枚のMaterworks盤よりも前に発売されているため、順番としてはこちらが第二作目にあたる。グリーグでは困惑させた強引な手法も、リストでは不思議に説得力を持って響く。重い和音、厚いペダル、濃厚で沈鬱な表情、強靭なフォルテと美しいピアノの対比.......どの曲もほとんど同じワグネリアン的なスタイルがとられているので、ここでは3曲についてのみ述べる。

冒頭の「Hungarian Rhapsody No.3」は、VAIから発売されたCD「Liszt: 19 Hungarian Rhapsodies Played by 19 Great Pianists 」でも聴くことができる。ニレジハージの名を知らない若い世代の聴き手を驚かせたようだが、実際、大変な演奏である。独特の粘りのあるリズムと凄まじい重低音で、圧倒的な感銘を与える。VAI盤は、リヒテルら26人の大ピアニストの演奏を用いて「ハンガリアン狂詩曲」全曲を収録した企画盤だったが、ニレジハージのこの演奏は大ピアニストの演奏中でもひときわ異彩を放っていた。

陰鬱に始まるHamletも、全曲に渡って、強烈な情念の放射を感じさせる。5分あたりからはカオス状態になるものの、表現の方向性が明確な上、彼の集中度も高いため、グリーグなどでニレジハージが見せるフォルテッシモのような違和感を感じさせることがあまりない。7分、9分を過ぎたあたりに突然表れる水晶のように透明なピアノの音も美しい。後半部のスケールも雄大で、まるで「神々の黄昏」のような世界が広がっている。

Abendglocken (Weihnachtsbaum)では、彼の瑞々しいタッチと、フレージング処理の巧さが印象的である。瞑想的で慈しむような表情が素晴らしい。ところで、この曲の冒頭で描かれている鐘の音だが、どこかアルヴォ・ペルト作品に頻出するミニマル・ミュージックを思わせるものがある。この部分一つとってもリストの天才は明らかだと思うのだが、いくら駄作が多いからといって、世間はあまりに彼を過小評価していないだろうか?

全体的に、この数年前のDesmar盤に比べて、ミスタッチ、リズムの崩れが進行している印象があるのは否めない。実際、この盤から彼のテクニックの問題が指摘され始めており、アシュケナージやアール・ワイルド、といったピアニスト達は辛辣な評価を下している。しかし、技術的な問題をある程度覚悟して聴けば、聴き手は、ニレジハージが、リストの内面に迫ることのできた、稀有のピアニストだったことに気づくことだろう。ここには、もう一枚のMasterworks盤に見られたような、曲と演奏者の距離を感じさせることがない。聴衆はニレジハージを通じて、リストの深淵をかいま見ることになる。しかし、このレコードは、コマーシャリズムというものを意識せずに作られている。ドストエフスキーの小説のような重量感を感じさせるこのアルバムは、入門者にはちょっと重すぎ、若干退屈さえ覚えさせるかもしれない。

(今後のレビュー予定)

「Nyiregyhazi at the Opera 」(VAI)
「平和の使途たち」(東芝)
「Liszt: 19 Hungarian Rhapsodies Played by 19 Great Pianists 」(VAI)

(発売予定)
「Ervin Nyiregyhazi in Performance: Live Recordings, 1972-1982」(Music and Arts)