サイト更新情報

fugue.usは、幻のアーティスト達、忘れられた作品、隠されたエピソードなどに光をあてていく事を目的とした非営利サイトです(営利事業は英国の レーベルSonetto Classicsによって行われています)。

内容は著作権 によって保護されています。


7.15.2017

Sonetto Classicsの公式ページにニレジハージ・アーカイブのページを加えた。以下が和訳。
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Sonetto Classicsは ハンガリーの作曲家兼ピアニストのアーヴィン・ニレジハージに関する世界最大のアーカイブを保有している。アーカイブの主要部はニレジハージ家より派生し ており、さらに旧高崎芸術短期大学のアーカイブと組み合わされている。澤渡朋之の個人コレクション及びニレジハージの親友であったリカルド・エルナンデス から澤渡に送られたマスターテープもアーカイブの一部とみなすことができる。

ニレジハージの個人アーカイブは彼の死後1990年代に
旧高崎芸術短期大学に寄贈された。だが、アーカイブの内容はその後大衆に明かされることがなかった。ケヴィン・バザーナと澤渡は共同して旧高崎芸術短期大学にアーカイブの公開を幾度と無く呼びかけたが失敗に終わった。

2012年に
旧高崎芸術短期大学は経営困難に陥り閉鎖され、アーカイブは債権者によって差し押さえられた。アーカイブの所有権の移管を巡る交渉が2013年に始まり、Sonetto Classicsが2016年にアーカイブの所有権を獲得した。

膨大なコレクションはニレジハージの個人アーカイブと
旧高崎芸術短期大学プ ロデュースの未発表の素材が含まれている。100を超えるリール・テープ(多くのマスターテープを含む)、ドキュメンタリーフィルム、2000を超える楽 曲の楽譜、数百の写真、手紙、冊子、直筆譜などである。アーカイブ由来の素材を用いたソネットの最初のプロジェクト、ニレジハージ・ライブ、vol. 1: センチュリー・クラブ・オブ・カリフォルニア, 1972は彼の30回目の命日である2017年4月8日にリリースとなった。

Sonetto Classicsはケヴィン・バザーナ、およびニレジハージ家を代表するオランダの国際ニレジハージ財団のパートナーである。

Sonetto Classicsはアーカイブ由来の素材をリリースするための援助を歓迎しています。我々のニレジハージ・プロジェクトに寄付をされたい方は、info@sonettocoassics.comまでご一報を。寄付の返礼としてアーカイブの一部をシェアいたします。





7.9.2017

すっかり忘れていたのだが、fugue.usを立ち上げて2017年2月で10周年が経過した。

fugue.usはもともと、「忘れられた演奏家や作品」を共通テーマとするサイトとして開始した。fugue.usという名前には「同じテーマで大きく発展していくサイト」、という意味も込められている。
きっかけは2004年にニレジハージのカーネギーホール・デビューの広告を購入したこと。そこからケヴィン・バザーナとの出会いが始まり、このサイトの設立に繋がった。

実 際、個人レベルでは大きな発展を遂げていると思う。このサイトから生まれた人的ネットワークを通じて春秋社に企画を持ち込み、2010年の「失われた天才」の 出版が生まれている。2009年から、やはりサイトの読者を通じてロンドンでのネットワークが大きく広がっていった。アンジェロ・ヴィラーニと出会っ たのもこの頃である。ヴィラーニ自身豊富なネットワークの持ち主で、彼や彼の友人、そのまた友人を通じてロンドンの重要人物達と知己を深めていった。2015年には自身のレーベルであるSonetto Classicsを立ち上げた。2016年には2004年から追ってきた高崎のニレジハージ・アーカイヴも入手。今後数年間の活動の骨格も固まっている。

このサイトがなければ、私は今でも音楽好きの一幹細胞研究者としてどこかの大学か研究所にいたと思う。今はロンドン大学の研究チームをたたんで、メディカ ル・ライティングの仕事をしつつ、音楽プロデュース業に携わり、映像制作、写真、デザインなどにも関わっている。私の人生を変えたサイトと言える。


FTPサーバー経由でhtmlファイルをアップロードする必要があるため、通常のブログと違って余計な手間がかかる。そのこともあって、最近は手軽に更新できるツイッターFBの方に書き込むことが多い。ヴィラーニサイトやSonetto Classicsのサイトの維持もあり、更新頻度は減っている。しかしこのサイトは私には一番大切なプラットフォームであり続けている。常に一番重要なこと、字数を尽く して語りたいことはSNSではなく、ここに書くようにしている。私が死んだらサーバーとの契約が切れた段階で内容は全て消されるだろうが、生きている限りはこのまま続けていくだろう。今後ともよろしくお願いいたします。




6.4.2017

アンジェロ・ヴィラーニ・プレイズ・ダンテ・インフェルノ」のコンセプトの着想・発展について書いてみようと思う。

アルバム・コンセプトは、アルバムのクレジットにもあるように、私が数年前に考えた。きっかけは2013年暮れだと思うが、アンジェロの誕生日の際にワイ ン・バーで、「フランクのアルバムを作りたいのでプロデューサーをしてくれ」と依頼してきたことだった。その時まだロンドン大の科学者だった私にプロ デュースの依頼が来たのは、私がフランクの音楽に明るく、他で入手できない珍しい楽譜を持っている、という理由だった。当時、アンジェロはアルバムをモチベーションを保つ意 味で作りたいと思っていて、アルバムを市販するところまでは具体的には考えていなかっ たと思う。

実際にフランク・アルバムの楽曲の選定は行い、彼も数ヶ月編曲・練習に取り組んだ。だが、その後、フランク作品集よりもアンジェロの特徴を生か したユニークなプログラムの方が良いのではないか、と考えるようになった。そこで、「ダンテ・ソナタ」と彼が2012年にBBCで弾いた「トリスタンとイゾルデの回想(コンサート・パラフレーズ)」を組合せ、生誕750周年を迎えようとするダンテ・アリギエーリの傑作である「神曲」のコンセプト・アルバムをつくろう、と思いたった。ただ、彼が一時期本気で引退を決意したこともあり、そこから彼 がアルバム制作に合意するまでは1-2年かかった。

当初の私のアイデアでは、「神曲」地獄編をテーマとし、ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」からクレオパトラのアリア一曲、パーセルのディドーの嘆き、
トリスタンとイゾルデのためのパラフレーズ、リストのダンテ・ソナタ、フォン・ビューローのダンテ・ソネット、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」、というものだった。「フランチェスカ」はクリンドヴォルトの編曲版を渡し、ヘンデルパーセルに関してはピアノ・ヴォーカル・スコアなどを渡した。

ところが、「バロックは自分のスタイルに合わない」とアンジェロがヘンデルに興味を示さず、パーセルについても同様の冷淡な反応。ただ、パーセルについては「大衆にとってのアルバムへの入り 口として必要だから、これだけは考えてみてくれ」としつこく説得した。あのメロディが大衆にアピールする例として、ジェフ・バックリーの歌った録音も送った。彼は 私のリクエストに応えて、セッションの1月ほど前に、「こんなもんでいいだろ?」と弾いて聴かせてくれた。当初気乗りもせず、編曲も「トリスタン」の片手 間仕事だったが、彼は今ではすっかり気に入ってしまい、録音以降の公開演奏ではパーセルを抜かしたことは一度もない。

「フランチェスカ」は「大好きな曲。やってみたい」と当初から俄然興味を示していたが、アンジェロがいざ編曲にとりかかると大きな困難に直面した。クリン トヴォルトの編曲にも不満。なかなか進展しないので、彼の重荷を減らすためにプログラムから外すこととした。この作品、音 楽的にもテーマ的にも「ダンテ・ソナタ」と重なるため、外してもコンセプト的にも大きな影響がないと考えた。代わりにヴェルギリウスに関係するリストの 「Sunt Lacrimae」を入れることにした。

「ダンテ・ソネット」はビューロー&リストによる楽譜があった。だが、ヴィラーニは中間部のブリッジを書き変えたい、とセッションの直前になって言い始めた。 「ビューローの展開は平凡だ。もっといいやり方がある」。一方で和声が新しくなりすぎてはいけないため、かなり悩んでいたが、最終的には新しいメロディ と和声を持つ新ブリッジが出来上がった。和声展開には私のアイデアも少し入っている。

私は当初、アルバムにはアンジェロが作った「
トリスタンとイゾルデの回想(コンサート・パラフレーズを 入れるつもりだった。非常に優れた編曲・演奏であり、アンジェロのピアニストとしての力量を発揮できる曲だったからだ。だが、アンジェロは第二幕の二重唱を中心とした全く新しい編曲をアルバムのために作りたがった。理由は「「トリスタンとイゾルデの回想(コンサート・パラフレーズ第二幕の愛の二重唱のつもりで書いたのに、皆、第三幕の「愛の死」の編曲だと思っている」というものだった。実際、私にも「愛の死」に聴こえたのだが、本人はそのことが不本意だったらしい。

私は新編曲は折にふれてチェックさせてもらい、いくつかコメントはしたものの、編 曲自体には関わっていないし、曲の構成も100%アンジェロのアイデア。ただ、題名「トリスタン・ファンタジー」は私のアイデアで、これはダンテのイン フェルノで言及されるのがトリスタンのみということと、私が「トリスタンとイゾルデ」の真の主人公はトリスタン、と常々思っていたことによる。

「ダンテ・ソナタ」は彼がもっとも苦労したトラックだった。既にレパートリーに入っていたので苦労しないだろうと思っていたが、当時彼は長期のブランク、右手の不 調、録音への精神的プレッシャーが重なり、なかなか仕上がってこなかった。3日前で8割程度の出来だったと思う。私が彼に頼んだのは、遅いテンポで大き な振りでやってほしい、ということ。2011年のライブ録音よりも「もっとカブキ風にやってくれ」とも言った。アンジェロはセッションに入ってからも苦労していたし、一緒 に働いたエンジニアも焦れていたが、最終的にはうまくいった。彼が自身への怒りのあまりに手袋を外し、感情を叩きつけるように弾いた7番目と、続く8番目のトラックが骨 格となった。



5.30.2017


レコード芸術誌6月号月評にニレジハージのCD評が出ている。二人の評者とも準推薦。演奏内容の特異性から特選は無いだろうと思っていたので、ほぼ予想通り。録音は「爛熟期のアナログ録音」「リアリティ満点」と高い評価。

読売新聞18日付け夕刊、サウンズbox欄でも評が出ていたらしい。「19世紀のロマン派ピアニズムの香り」とのコメント。



5.27.2017

昨晩、パヴェル・コレスニコフのコンサートがウィグモアであった。インプレションはこちら。




5.19.2017

二ヶ月ぶりに英国に戻ってきた。アパートに着いたらオランダの国際ニレジハージ財団のマティアス・スミット氏と、ニレジハージの親友だったリカルド・ヘルナンデス氏より手紙が届いていた。ヘルナンデス氏はニレジハージのセンチュリー・クラブのリサイタルの主宰者でもある。

いずれもCDリリースのお礼で、スミット氏は「ソネットのリリース、全ての箇所が最高のスタンダードにある!」と書き、ジャケット、ノート、デザインなど について賛辞をくれた。ヘルナンデス氏の方は、自身がかつて関わったリサイタルのCD化ということで、まさか今こういう形でリリースされるとは、という驚 きと感慨があったようだ。手書きの筆致から興奮と感動が伝わってきた。数週間前にはニレジハージを再び見出したグレゴール・ベンコーからもCDについて賛 辞のメールが来ている(彼は一緒に送ったアンジェロのダンテ・アルバムにも感銘を受けたらしい)。

ニレジハージと一緒に働いた人々が喜んでくれたこと、評価してくれたことはとても重要だ。菅原文太氏、ドリス夫人、アントニオーリ氏のように聴かせたい人 で亡くなってしまった人もいるけれど。スミット氏も「アーヴィンも、彼を知る全て人が喜ぶだろうと確信している」と書いてくれた。

日本を去る前に、JK artsの木下淳氏に誘われてディヌ・リパッティに関する研究で知られるマーク・エインリーと新宿で会った。マークの本職は風水のコンサルタントで、日本 には年に二度ほど来ている。彼とは数年前にロンドンで一回会ってから、定期的にリパッティやアンジェロのことでメッセージのやり取りをしている。 Sonettoの二枚のアルバムはいずれも、彼のフェイスブックページで紹介してもらっているし、彼は以前からアンジェロを高く評価している。

マークが発見したリパッティの録音を二つ聴かせてもらった。詳細は書かないが、この録音はマーストン・レーベルから来年出るはずなので、じきに細部は明ら かになるだろう。その中に録音レパートリーに無い曲が二つあって、そのうち一つはリパッティのイメージを変えるような意欲的な表現だ。「次、何か見つけた らマーストンじゃなくてSonetto Classicsに回してくれ」ーー「ああ、マーストンより君は仕事が速いからね」。冗談まじりのやりとりだが、表 情を見るかぎりでは脈はありそうだ。

後半から、いつもお世話になっている横山ファミリーのお二人が合流し、そこからは風水のお話で夜が更けた。




5.15.2017

(拡散ください)

ロンドン・マスタークラスは英国を代表するピアニストであるノーマ・フィッシャー(王立音楽大学教授)が主催する若手演奏家のための音楽サマーコースで、 パヴェル・コレスニコフ、アンナ・フェドロヴァなど、数多くの若手スターを輩出したマスタークラスとして知られています。

今年は7月16−23日にマンチェスターで開催されます。ベンジャミン・ザンダー、ジョルジ・パウクといった録音でおなじみの巨匠演奏家が数人の受講生達 をしっかり指導します。私は昨年、ドキュメンタリーの撮影を行い、コースのレベルの高さに印象付けられました。また、マスタークラスを通じて世界中から集 まってくる多くの若手演奏家達と知り合いになることができました。

2016年のマスタークラスの様子が以下にあります。
https://www.youtube.com/watch?v=HJL5Xh9HWGY

現在、ヴァイオリンのクラス(講師ジョルジ・パウク)とチェロのクラス(講師ハンナ・ロバーツ)にまだ空きがあります。もし興味のある方、下記よりご応募ください。締め切りは5・20です。
http://www.londonmasterclasses.com



4.25.2017

CDの感想が少しずつ届いている。

予想したとおり反応が二手にわかれている。「25年でこれほど楽しんだCDも無い」という反応もあれば、「どこが良いか全く理解できない。ショッキング」 という反応もある。きちんと向き合った上の感想であれば、私はネガティブな反応も尊重するし、実際に理解もできる。私自身がそこを通ってきたから。

以前(7.29.2016)もここに書いたことがあるが、私自身はニレジハージの演奏とシンクロする方が少ない。私は彼の崇拝者の一人ではない。ニレジハージにシンクロしているのは アンジェロ・ヴィラーニである。私に関しては、正直、ニレジハージの録音の8-9割方は無理だし、多すぎるミスタッチやデフォルメについていけない。彼は私と は違う惑星の住人だ。そしてアンジェロは二つの違う惑星の間に浮遊している。

ただし、残りの1-2割の録音で、ニレジハージはこちらの音楽観を根底から覆すような衝撃を与えることがある。リストの「二つの伝説」やハンガリアン狂詩曲、ドビュッシーの「塔」、そし てブラームスの第三ソナタの第二楽章がその例だ。この「晴天の霹靂」があるが故に、ニレジハージは私にとって看過できないピアニストになっているし、表現主 義、ロマン派ピアニズムの研究対象として興味の尽きないピアニストなのである。そして彼が真摯な、本当の意味での芸術家であったことについては、いささか の疑いも持っていない。彼の芸術については既にサイト内に書いた

実は晩年のニレジハージについて最も優れた文章を残しているのが、ピアニストのアントン・クェルティかもしれない。彼は2007年3月7日のGlobe Mail紙に以下の文を寄稿している。一部はこのサイトで紹介している。

「彼の芸術を判断するのは容易でない。というのも、残された録音は彼の最後の歲月 になされたものだからだ。そういったもののいくつかは、ほとんどのピアニストであれば演奏を拒否するようなひどい調律のピアノを使ったホームコンサートか らの実況録音だ。演奏も王立学院の試験を通らないものである。間違った音ばかりで、ミスなしに小節がすぎることさえほとんどない。楽譜を全く尊重せず、オ クターブは付け加えられ、和声は変えられ、ある箇所は繰り返される一方で別の箇所は省略され、テンポは唐突に変更される。ほとんど全ての和音は「パデレフ スキ化」されており、両手が一致することさえない。もちろん、再テイクはない。一度弾いただけで彼は満足してしまうのである。

しかしながら.....議論の余地なくここには何かがある。壮大な音楽的信念と焼 け付くような表現意欲だ。もし人が森を見、そして朽ち果てた樹々を無視できるのであれば、彼らは持続するフレーズ、霊感に満ちた旋律の形成、 そして戦慄を伴うイメージを励起させる、圧倒されるような響きを持つ音楽に引き込まれざるを得なくなるだろう」


必要にして十分、簡潔かつ見事な筆致でニレジハージの晩年様式を語っている。これに付け加えることは何もないと思う。

4.23.2017

フルトヴェングラー録音の音質比較や新盤のレビューなどで知られている加藤幸宏氏のHPでニレジハージのアルバムが紹介されている。

5月中旬まで東京にある某レンタル・オフィスの一室で働いている。オフィスのあるフロアで四六時中クラシック音楽がBGMとしてかかっている。音楽がかか ること自体は構わないのだけれど、数時間を一セットとして一日に何度も同じセットがリピートし、しかもこの一カ月、全く変化がないのである。シューマンの ピアノ協奏曲や謝肉祭、K550、ベートーヴェンの第三協奏曲、ヘンデルのハレルヤ、クロイツェル・ソナタなどが一日何度もリピートする。何十回も同じ録 音を聴かされると、演奏 のピッチの甘さとか、どうしてK550のここでゲネラル・パウゼが入るの、などと細かいところまで気になってきて仕事に集中できない。どうやら、クリスマ スの時期以外は、全く同じ曲のセットが延々とリピートされるという。音楽をBGMとして聴くことができない人間にとっては拷問に近い。

先週、さすがにレンタル・オフィス所属の秘書さんと話した。難しいことを頼んだのではなく、「たまには曲を変えてくれないか」と言っ ただけ。当初は「チェーンで都内全域で使われている音楽なのでちょっと....」との返事だったが、重ねて、いかに同じ曲を聴き続けることが苦痛であるか、を強調してお願いしたところ要望が通り、私のいるビルだけは彼ら手持 ちのCDに変えてくれるとのこと。ピアノかオーケストラであればSonettoのCDでも良いとのことなので、来週からアンジェロ・ヴィラーニやニレジ ハージの録音がフロアに流れるかもしれない。とは言え、自分のつくったCDだろうがなかろうが、何度も繰り返して聴きたくない、という点は変わらない。もちろん、「ダンテ・ソナタ」のような強烈な曲は抜くつもり。



4.14.2017

「ニレジハージ・ライヴ, vol. 1: センチュリー・クラブ・カリフォルニア、1972」、タワレコ新宿店、渋谷店に店頭在庫が入っているらしい。



4.8.2017

さて、今日はニレジハージの30回目の命日、つまり「ニレジハージ・ライヴ, vol. 1: センチュリー・クラブ・カリフォルニア、1972」の全世界同時発売日である。日本はアマゾン、hmv,タワレコ等、そして各国Amazonから入手でき るが、日本・中国以外のリスナーへは基本的に英国amazonを推奨。中国大陸のリスナーはこちらから入手できる。

購入先の詳しいリストはこちら。



4.7.2017

父が昨晩永眠した。85歳。

私がニレジハージに出会うきっかけを作ったのは父である。10歳になるかならないかの頃だと思うが、父がNyiregyhazi Plays Liszt (Desmar)を持っていて、それを何かの折に聴いた。白黒の顔もはっきりしないジャケットに神秘的な印象を持った。

当時の父の説明によればそのアルバムは「”ニアレジハージ”というピアニスト」によるもので、「若い頃はカーネギーホールの大スターだった」のにも関わら ず、落ちぶれて70歳になるまで地下鉄の駅で寝る暮らしをしていた、という話だった。「頭がちょっとおかしい」「変人」と言っていたと思う。たまたまカ セットテープによって数十年ぶりの演奏会が録音され、それがレコードになったとの説明も受けた。父の説明は今から思えば若干不正確だったが、その異様な話 と、リストの「
二つの伝説」の「波間」の怒涛のような演奏、それ以上に車の走る音が記録されている劣悪な録音に子供心に強い興味を持った。「波間」を何度もかけて聴いた し、あのアルバムでは「波間」しか聴かなかったかもしれない。その後、ブレンデルの日向ぼっこのように呑気な「波間」の演奏を聴く機会があり、いかにニレジハージの解釈が異常かつ特別なものであるかがわかった。

まだ小学生だったが、既にクラシック音楽は幅広く聴いていた。フランツ・リストという作曲家を「派手なだけで中身がない」と生意気にも小馬鹿にしていたところがあっ た。だが、ニレジハージのリスト演奏にはどの演奏家からも聴けないような悪魔的な迫力と深みがあって、私の中のリストへの視点を改めさせるに十分なものがあっ た。

時が流れ、2004年頃から、バザーナのニレジハージ・プロジェクト「Lost Genius」に深く関わるようになっていった。父はサイエンティストであったこともあり、私が本職のサイエンスで結果を出している事に喜びを見出してい たため、父とニレジハージについて話すことは一度もなかった。もしかしたら、私がニレジハージ・プロジェクトをやっていたこともあまりよく認識していな かった かもしれない。そのうちに父の認知症状が始まり、ますますニレジハージについて説明する機会を失した。お互い口数が少ないこともあったし、もともと会 話の豊富な親子ではなかった。

2015年にサイエンスから足を洗い、Sonetto Classics レーベルをロンドンで開始した。ニレジハージのアルバム制作をする計画が持ち上がったのが2015年の秋頃。その時から、Desmar盤の「二つの伝説」 の元となったオールド・ファースト・チャーチの演奏会を収めたアルバムを作って父に捧げようと考えていたが、高崎のアーカイブの入手で予定が変わってセンチュリー・クラ ブ・リサイタルのアルバムが最初になった。父の認知症状の急激な進行もあって、何はともあれその三部作第一作目を父に捧げることにした。

「Nyiregyházi Live, Vol. 1: The Century Club of California, 1972」のCD冊子の最後のページにある、Eikichiというのは父の名である。CDが完成したのが2月中旬で、送ったCDが日本に到着したのは3月上旬。母の話では、もはや父の認知能力は献辞の意味を理解 できる状態ではなくなってい たようだが、母が父にCDをかけ献辞があることの説明はしたようだ。亡くなる前にブラームスの第三ソナタの第二楽章を聴かせようと思っていたのだが、自宅でその準備を している間に病院で息をひきとった。

私にとって、このアルバムは二重の意味で追悼盤となった。ニレジハージと父と。ニレジハージの命日である明日8日に、父の亡骸に聴かせようと思っている。



3.31.2017

現在東京に滞在中。5月中旬までこちらにいる予定。

ニレジハージ・ライヴ Vol. 1: センチュリー・クラブ・オブ・カリフォルニア」日本盤がHMV.co.jp, Amazon, タワレコ山野楽器などのオンライン・サイトから予約可能になっている。
リリース日4/8は彼の命日である。

繰り返すが、Wikipediaにある命日の情報は誤りなので注意。

この二枚組CDについては何度も述べているけれども、ショップの宣伝等の参考になれば、ともう一度ポイントを纏めておこうと思う。


3.19.2017


昨晩はロンドン・マスタークラスで指揮を担当したベン・ザンダー指揮フィルハーモニアの第九の演奏会があった。速い速い速い!仰天させられた。インプレッションはこちら



3.2.2017


録音史上最大の捏造として有名なジョイス・ハットー事件から10年が経った。

2000年頃から発売されたジョイス・ハットー名義のCDが英国の音楽業界で大変な話題を呼び、グラモフォン誌などが彼女についての特集を組み始めた。英 国を代表する批評家のブライス・モリソンや、フィリップスの「20世紀の偉大なピアニストシリーズ」を手がけたプロデューサーのトム・ディーコンなどが口を極めてハットーの 録音を絶賛、ハットーは一躍、「英国史上もっとも偉大なピアニスト」として認識されるようになった。

ところが、これが全てまがいものだったのである。きっかけは、とあるファンがipodでハットーのCD由来のトラックを聴こうとしたところ、ラズロ・シモンという未知の ピアニストの名がデータベースにヒットしてきたのだ。彼は批評家のジェド・ディスラーに連絡、ジェドが調査したところ、ハットーの録音とシモンの録音は全く同 一であることがわかった。それだけでなく、ハットーの名で発売された数十の録音が全て他のピアニストの録音をそのまま使用したり、あるいはデジタル処理で 速度調整を行うなどして手を加えられていたことがわかったのである。闘病中だったハットー本人はおそらくこの捏造に感知しておらず(2006年に死 去)、やったのはプロデューサーであった彼女の夫であると広く信じられている。

恥ずかしいのが当時の業界人たちだ。例えば、ブライス・モリソンはブロンフマンを常々貶していたのにもかかわらず、ハットー名義のブロンフマンの録音を絶賛している。トム・ディーコンは日本人ピアニストYuki Matsuzawaによるエチュード集にはほとんど人種差別的ともとれる極めて侮蔑的なコメントを投げつけたが、全く同一録音のハットー名義のCDには熱に浮かされたような言葉で大絶賛している。彼らは被害者であると同時に加害者なのだ。

二人についてはあまり愉快でない思い出がある。

ニレジハージの「黒鍵」エチュードの録音を紹介した際、元の録音のピッチが半音低かったため、FBにピッチ未修正版と修正版を掲載した。録音というのはピッチを上方修正すると、当然ながら再生 速度も上がる。ところが藪から棒に、「バカ!速度を変えずにピッチを上げる方法を知らんのか?」と、書き込んできたのがトム・ディーコンだった。最初、冗談で書いてい る のだと思ったのだが周囲の人間に念のために確認すると、彼の発言は英国式ジョークでもなんでもなく、ただの無礼なのだという。また、彼はトンデモ発言をすることで有名らし く、昨今は著名なネット荒らしとして様々なサイトから出禁を食らっているのだそうだ。実際、放っておいたら「バカはお前の方だ」と応答した別の書き手と大喧嘩をし、勝手に悪態をついて出て行った。彼のナンセンスな書き込みは本人 の名誉にならないだけのシロモノなので、そのままずっと残すことにしている。

ブライスについては、2015年に企画したシーヤン・ウォンのリサイタルに彼を招待したことがある。休憩時、老婦人と立ち話していた彼に歩み寄って自己紹 介し、オーガナイザーとして演奏の感想を訊ねた。すると、彼はなぜか憤然として、「ノー!ワシはコメントはしない。ずーっとな!」と私を怒鳴りつけるようにして立 ち去ってしまった(会話を聞いていた老婦人はびっくりした顔で「極端ねえ!」と私に言ったのだが、ずっとあとになってその老婦人が実はノーマ・フィッシャー だったことがわかる)。その時は、ブライスの言葉も変だと思ったし、彼の反応も極端でわけがわからなかった。

今になって気づいたのだが、もしかしたらブラ イスは私が「What did you think?」と訊いた時、「What」を「Hatto」と聞き間違えたのではないだろうか。そうであれば、なぜブライスがあれほど極端な反応をしたかの説明がつく。自身の評価を下げた「Hatto」の響きに条件反射的に過剰反応してしまったのかもしれない。

こういう経緯はあったが、ブライスに特に悪感情は抱いていない。言説に中身がない
ディーコンと異なり、批評家としての彼の力量や経歴は尊敬しているし、何よりアンジェロ・ヴィラーニのダンテ・アルバム に五つ星をくれたので。いつか、あの反応の理由を訊く機会もあるだろう。

この話をFacebookで書いていたら、知人で英語版Fugue.usの読者であるAが、「私がハットーの夫を説得してハットーの録音を売り込むように 言った。そしてたまたま、親しい友人がグラモフォン誌の編集者となったので、私がハットーを取り上げるように強く説得したんだ」「もっと気をつけるべきだった」と書き込んでき た。さらに書くと、捏造を最初に見抜いたジェド・ディスラーは私とTwitterでフォローしあっており、かつてはFBのニレジハージフォーラムにも参加していた。何気にハットー 事件に関わった人が周囲にいる。探せばもっと出てくるだろう。ロンドンは本当に狭い。




2.28.2017

Facebook等で既に紹介したが、CDが早々と17日に到着し、関係者や資金提供者に向けての発送も完了した。日本代理店JPTにも送り、中国の業者 にも週末に送る予定。4月8日、日本を含めた全世界同時発売もありうる。

数日前にそういったCDがぼちぼち到着し始めたようで、少しずつ感想が私のところに寄せられている。今のところ評判はとても良い。デンマークで演奏論に関する講義を行っている音楽家・研究者がいる。彼が自身の講義でCDのブラームスのソナタの第二楽章をかけたらしい。教室は驚きで水 を打ったように静まり返ったそうだ。

個人的にも、カ バーデザインから写真の選定、リマスタリング、レイアウトに至るまで、自分の意図が細部まで100%徹底できた初めてのCD。後で思い入れが出てくるかもしれない。

以下はCDのプロモ映像。







2.12.2017

Sonetto Classicsとアルバム制作の話し合いをしているピアニストがギリシャのコンクールで優勝した。

出た以上、優勝しないよりはした方が良いし、彼ほどの技術の持ち主ならどのコンクールでも優勝する可能 性があるから驚きはない。だが、現実問題としてコンクールが登竜門である時代は既に終 わっていて、この優勝がどれだけ彼のキャリアアップになるかは微妙だ。例えばリーズ国際コンクール。かつてはルプーを輩出した、世界でも五指、少なくとも 十指に入るステイタスの高いコンクールだ。しかし、直近の優勝者、前回の優勝者の名を誰が覚えているだろうか。もっと言うと、80年代以降のリーズの優勝 者は名声の上では小粒だし、90年代以降となると優勝者で名を成したピアニストがいない。もはやコンクールが出世の手段として機能していないのである。

その理由はいくつかあるが、まず、コンクールが技術偏重の審査システムを取っていることだ。加えて、審査委員の大半から支持されやすい、「可もなく不可も ない」 最大公約数的なピアニストが勝ちやすい採点システムになっている。グールド、リヒテル、ホロヴィッツは現代のどのコンクールでも予選落ちする 可能性がある。

第二に、コンクール自体の数があまりに多すぎることが挙げられる。現在、リストの名を冠したコンクールでさえ世界に少なくとも5つある。「リスト・コン クール優勝者」と言われて も、こちらにはコンクールの主催された場所がパルマなのかワイマールなのか、ブダペストなのかアメリカなのかユトレヒトなのかわからない。しかも毎年のよ うに「リスト・コンクール」の優勝者が生 産されていくわけで、受け手としては有り難みがなくなる。ヴァン・クライバーン・コンクールの優勝者のスルタノフでさえ、優勝して数年後にはオファーが無 くなってコンクールをハシゴする生活に戻っていった。

第三の理由はコンクールの質の低下だ。昨年、ブゾーニ国際コンクールのスキャンダルがあった。著名なピアノのコンクールとは別団体による指揮コンクールの ことだが(これ自体、混乱に拍車をかけている)、1位無し、2位無しで3位以下にのみ賞金が支払われた。ところがコンクール直後、1位と2位の賞金を、審 査委員数 名に授与する内容のメモが流出したのである。主催者は「ただのジョーク」と弁明したが、流出したビデオ映像にあったコンクールの運営の様子は実に素人臭い も ので、メモの真偽を別にしても、それがまともなコンクールの体をなしていないものであることは明らかだった。

第四は 不正。以前も書いたが、かねてからチャイコフスキー国際コンクールでは不正が囁かれてきた。アンジェロ・ヴィラーニがエントリーした1990年のコンクー ルで は、韓国人ピアニストのHae-Jung Kimの親族が審査委員全員に1000ドルを贈ると同時に、モスクワ音楽院にもハンブルグ・スタインウェイを贈呈した。審査委員のうち二人がお金を突き返 したこと で、贈賄がコンクール中に発覚し、Kimは審査委員の総意で三次ラウンドには進めていない。また、これとは別にドレンスキー門下のとあるロシア人を勝たせ るように、 とある筋から猛烈な圧力がかけられていたという噂もある(コンクールはヴィルソラーゼ門下のベレゾフスキーが優勝)。1998年にも、優勝したマツーエフ の 演奏よりも3位に入ったフレディ・ケンプの演奏の方が明らかに優れていた、という非難が地元のメディアから聴衆から起こり、結果的に世界中のメディアか らチャイコフスキー・コンクールに疑いの目が向けられる結果となった。コンクール側は批判を受けて改革を行ってはいるが、ロシアン・スクールばかりが勝つ 傾向はなか なか変わってこない。

昨今では周囲の目も厳しくなっている。小さいコンクールはともかく、大きなコンクールでは審査委員席に座っている師匠が弟子に露骨に高い点を与えることが 出来なくなってはいる。だが、抜け穴もある。

一昨年か昨年に行われた、「非常に有名なコンクール」に参加したピアニストからコンクール直後に聞いた話だ。これはあまりに生々しいし、巨匠ピアニストが 関わっ ているので、細部は不正確にぼかしておく。知人はコンクールに参加したロシア人ピアニストと仲良くなった。その彼が言うには、審査委員のロシア人Yが彼の とこ ろにやってきて、「xxコンクールでは私の弟子がお前の師匠のWに勝たせてもらった。だから、今回は君に勝たせるよ」と耳打ちしてきたのだという。実際に はそのロシア人ピアニストは本番で大きなミスをしてしまい、優勝はならなかった。だが、普通に弾いていたらこの取引があったから優勝していただろう、との 話だ。YもWも実名のイニシャルとは関係がないが、非常に有名なピアニスト、教師たちである。

オリンピックのドーピングと同じで、皆が皆不正をやっているわけではない。コンクール優勝者 を腐すつもりもない。真面目にやってい る組織や審査委員も多い。だが、こういった背景があのシステムにはありうる、ということは皆知っておいた方がいいと思う。もっと言うと、アーティストはで きればコンクールに頼らずに自己発信してほしいと思う。ツールは昔よりもあるのだから。



1.30.2017

若くして激賞されながらも、その後消えたり、伸び悩んだピアニストが数多くいる。というより、年齢とともに良い形で成長していくピアニストの方がはるかに 少ないかもしれない。消えないにしても、「若い頃が良かった」と思えるピアニストは山ほどいる。だいぶ前の話になるが、かつて国際的なスターとして鳴らし たXもそうだった。Xは私の友人達と近しく、アンジェロも彼のコンサートに何度も行っていた。「素晴らしかった。あの年齢で一種の儚さというか、内省的で ポエティックなピアノを弾いていた」。

だが、Xはちやほやされて天狗になった。実際に別のソースからも、傲慢、との噂を聞いたことがある。スターになった後は、世話になった人々をおろそかに扱 い、私の友人達の助言にも耳を傾けなくなった。それとともに演奏も変わっていき、人気も下降していった。アンジェロ曰く、「心で弾かなくなっていた。変 わったことをやろうとして奇妙なアクセントを入れたりし始めた。例えば、グールドが出来るんなら自分も出来るんじゃないか、ってね。音楽を突き詰める作業 を端折って、安易な考えで弾くようになった」。Xと親しい友人が、彼の演奏の問題点を指摘したところ、その友人はその場でXに絶縁されたという。「個性」 を出そうとしておかしな演奏をし、賞賛を受けすぎて自信過剰になり、耳の痛いことを言う人を排除する。私自身もあるピアニストとの関わりの中で経験したこ とがある。

サイエンスの現場では率直な意見交換は当たり前だし、厳しい意見も個人的攻撃と取らない。そのように育ってきたので、私はピアニストに感想を求められた時 には思ったことを言うようにしていた。だが、絶対的な事実に立脚するサイエンスでうまく行くやり方が、絶対的な価値基準が曖昧な芸術でうまく行くとは限ら ない。「正直な意見を教えてくれ」とピアニストに頼まれても本心を言わずに適当に褒めておけ、と業界に詳しい人物からそう言われたことがある。

だが、 安易な絶賛やブームは、よほど自身を客観視できる演奏家で限り、才能を潰してしまう。例えば、バービカンセンターでのトリフォノフのリサイタルのレビューの 中に、「彼の名は今後何十年も、何世紀も記憶されるだろう」という絶賛の言葉があった。トリフォノフは悪いピアニストではないが、「何世紀も記憶に残るだ ろう」は、音楽のことを知らない人の言葉だ。こういう不適切で大袈裟な評価は批評家が単に歴史に名を残したいがための独善や自己宣伝でしかない。若手を持 ち上げ、勘違いをさせて潰し、次の若手にはしる、というサイクルは大概にしないといけない。自戒も含めて。

1.22.2017

リマスタリングが終了。もともとの音がリアルで情報量の多いものだったので、やることはそれほど無いと思っていたのだが、やってみたらそれなりにあった。 ワウ・フラッターを除去しようとしたのだが、ソフトがまだ完璧ではなく、ニレジハージのペダル解放の強烈なフォルテッシモを回転数異常と認識してピッチを 変えてしまうのである。これは不協和音成分のためだと思う。設定を変える(感度を下げる)ことで良い結果を得た。

オリジナルのテープには右チャネルにノイズが入っていたため、アンドルーがノイズ成分を取り出して除去を行った。また、ショパンのマズルカとブラームスの 間奏曲の2トラックに左チャネルに鑑賞に適さないほどの強烈な音揺れが入っていたため、右チャネルの音を左チャネルにダブしてモノラルとし、それからステ レオ部分との差を少なくする方向でアンドルーと相談しながら音を調整した。その前後のトラックにも若干の音揺れが残っているが、強度ではなかったため、モ ノラルにはせず、ステレオのままにおいた。最終的には満足のいく仕上がりになった。



1.21.2017

ダニル・トリフォノフを聴いた。音は綺麗だが.....。感想はこちら


1.12.2017

アルバ ムタイトル、表紙デザインが決定。こちら。フォントなどの微調整はプリントに回すまで続く予定。

Nyiregyházi Liveというタイトルに関しては、「クラシックらしくない。ストーンズのアルバムみたいだ」とケヴィン・バザーナに言われた(彼は "Nyiregyházi in concert”が良いと思っていた)が、私の意図はあえて非クラシック的にすることにあって、デザインやタイトルに60年代のジャズミュージシャンのラ イ ブ・アルバムが持っていた空気を反映させたいと思っていた。破天荒さと精神性を併せ持つ晩年のニレジハージの生演奏は、「イン・コンサート」という行儀の 良いイメージより、生々しくて活発なニュアンスのある「ライ ブ」とするほうが相応しいと思う。コルトレーンのアルバムがそうだったように。最終的にはケヴィンも納得してくれた。

明日からリマスタリングに入る。一日仕事を休んでワウ・フラッターの除去に集中するつもり。


1.6.2017

2年ほど前にホロコーストの犠牲者400万人の記録を集めたデータベースのことを書いた(2・4.2014)。ヨーロッパの図書館や役所などにある公文書 や収容所記録を集めて作られたデータベースで、2年前、ニレジハージの弟アルフレッドの名が見つかった、とケヴィン・バザーナが私に報告してきたのだっ た。その時は母親の名前は見つかっていなかったのだが、先日、ふとデータベースに戻ってサーチしてみたところ、母マリア・ニレジハージの名前が見つかっ た。ニレジハージを名誉のために利用し、おそらく性的にも虐待し、ニレジハージに「(殺したことを)ヒットラーに感謝したい」とまで言わしめた母親であ る。この記録で、ニレジハージの「母親はホロコーストで死んだ」という記憶が裏付けられたことになる。

http://yvng.yadvashem.org/index.html?language=en&s_lastName=Nyiregyhazi&s_firstName=&s_place=

2年前、同時に指揮者カレル・アンチェルのことも書いた。彼はホロコーストの生き残りで、妻と息子をアウシュヴィッツで殺されている。2年前は一歳半の息 子ヤンの殺害記録しかなかったが、先日調べたところ、アンチェルの妻ヴァレリー(10・16・1944アウシュヴィッツへ移送。ヤンと同日)の記録と共 に、父レオポルド(10・28・1944アウシュヴィッツへ移送)の記録もあった。レオポルドと同じ日に移送されたイダ・アンチェローヴァという女性の名 があるが、これはアンチェルの母親だろうか。いずれにせよ全員が殺された、とある。個人的には、「戦場のピアニスト」や「縞模様のパジャマの少年」のよう な、一定の聴衆に阿ってリアリティに欠けてしまう結果となった映画よりも、こういった無慈悲な数字からなるデータベースの方がホロコーストの悲惨さが胸に 来る。

http://yvng.yadvashem.org/index.html?language=en&s_lastName=Nyiregyhazi&s_firstName=&s_place=

ちなみに、アンチェルが生き延びたのは単なる偶然だった。アンチェルによれば、ガス室の前に並ばされた際、隣にたっていた作曲家のパヴェル・ハースが喘息 持ちで咳き込んだのである。それを見た「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレがハースとアンチェルを入れ替えた。ハースはそのままガス室に送られ、アンチェルは 生き延びたのだという。

友人が身代わりのような形で殺され、しかも息子を含む家族全員をガス室で殺されたのである。アンチェルは戦後、偉大な指揮者として活躍することとなるが、 どのような気持ちで残りの人生を生きたのだろう。



1.2.2017

日本より帰国。

日本に残していたアーカイブの一部を整理し、英国に発送した。いくつかの発見があった。
1)6作品の自筆譜原稿があった。おそらく全作品の自筆譜が高崎に寄贈されたのではないかと思われるが、私の手元にあるのは6作品以外は全てコピーのみで ある。アーカイブの書類にも自筆譜は「堀越学園に所属」とあるので、法的な所有権が移った以上、本来はソネットのアーカイブに含まれているべきものではな かったかと思う。

2)1938年のニレジハージの全身の写真。これはまだ見たことがなかった。CD冊子に収録する。
3)木之下晃氏撮影の写真が20点ほど。ここから一枚、世にまだ出ていないものをCD冊子に収録する。
4)「ドリアン・グレイの肖像」を始めとする2000作品のコピー。マイクロフィルムに収められていたものも含まれている。
5)ニレジハージによる手紙のオリジナル数点
6)会話を収録したテープやテンプル・チャーチにおける「月光」ソナタの録音などはなかった。
7)高崎の関係者による膨大な数の写真とネガ。幡野氏の写真のプリントも大量に見つかった。
8)高崎で制作された非売品の楽譜、冊子など。高崎短大は20作品ほど出版する努力はしていたらしく、音楽の友社と共同で印刷版の楽譜を制作していた形跡 がある。数作品のゲラ刷り、前書きなどを確認した。彼らは著作権は自筆譜を持つ堀越学園に属すると考えていたようだが、もちろん、著作権は自筆譜ではな く、作家(とその相続者)に帰属する。現段階では、故ドリス夫人の委託を受けてニレジハージの遺産を正式に管轄するオランダの国際ニレジハージ財団にあ る。そのことが後でわかったために、制作作業が中断されたのかもしれないと想像する。

ドリス夫人が旧高崎短大に著作権を移管しなかった理由は詳しくは知らない。ただ、ドリス夫人側に高崎短大の「日本人達」への強い不信感があり、オランダの 財団設立への動きにもつながったと財団の会長から聞いている。ただし、これは日本人への偏見ではなく、会長は「いずれ、別の"良い日本人"の手によって アーカイブは解放されるだろう」と、意気消沈するドリス夫人に言っていたのだそうだ。いずれにせよ、こういった経緯があったため、二団体が共同作業をする ことはなかったようだ。

2000作品の扱いについてだが、私が全ページをスキャンしてオンライン化するのは実質的に不可能だろう。私が出来るのは最初のページの写真をとり、それ をオンラインに載せ、リクエストがあった際に全ページを有料サービスでスキャン・メールすることだと思う。それでも作業が大変だ。いずれにせよ、現段階で はまだ無理なので、どうするかはおいおい考えていきたい。

(3)についてだが、これは著作権が発生するためにオンライン化できない(既にfugue.usでアップロードしたものについては掲載時に幡野氏の許可を 得ているが、そこからYoutubeなどに無断で次々と使われていったため、もう同じことはやりたくない。公開はせず、使用料を払ってCD冊子などで少し ずつ使っていこうと思う。

(8)については、プロジェクトの資金調達、例えば、クラウドファンディングのキャンペーンのリワードとして使っていくつもり。

CD冊子の方は最初の版が完成したところ。24ページという分厚いものになった。英語はMichael Glover、日本語は横山仁子さんと木下淳さんに校正をやってもらった。ワードからイラストレーターに移した段階でエラーが沢山出たので、それをこれか らケヴィン・バザーナと少しずつ直していく。まだタイトルで合意が出来ていない。私は60年代ジャズアルバム風のタイトル・体裁にしたいのだが、関係者の 間の投票で決めようと思う。

音源については、「ダンテ・アルバム」で一緒に働いたエンジニアのアンドリューに分析を依頼したところ、若干のフラッターがあるのでデジタル修正をしてお いたほうがいいとのこと。アンドリューはクラシックアルバムの経験は「ダンテ」だけだが、技術や耳は信頼しているし、仕事が一緒にやりやすい。私の手でフ ラッター修正を行ってからアンドリューが残りをやる、という方向でリマスタリングを進めることにした。フラッター修正のソフトの使用料が5日間で200ド ルもするので、これを機会に手持ちの音源を全てフラッター修正するつもり。