サイト更新情報

fugue.usは、幻のアーティスト達、忘れられた作品、隠されたエピソードなどに光をあてていく事を目的とした非営利サイトです(営利事業は英国の レーベルSonetto Classicsによって行われています)。

内容は著作権 によって保護されています。



3.19.2017


昨晩はロンドン・マスタークラスで指揮を担当したベン・ザンダー指揮フィルハーモニアの第九の演奏会があった。速い速い速い!仰天させられた。インプレッションはこちら



3.2.2017


録音史上最大の捏造として有名なジョイス・ハットー事件から10年が経った。

2000年頃から発売されたジョイス・ハットー名義のCDが英国の音楽業界で大変な話題を呼び、グラモフォン誌などが彼女についての特集を組み始めた。英 国を代表する批評家のブライス・モリソンや、フィリップスの「20世紀の偉大なピアニストシリーズ」を手がけたプロデューサーのトム・ディーコンなどが口を極めてハットーの 録音を絶賛、ハットーは一躍、「英国史上もっとも偉大なピアニスト」として認識されるようになった。

ところが、これが全てまがいものだったのである。きっかけは、とあるファンがipodでハットーのCD由来のトラックを聴こうとしたところ、ラズロ・シモンという未知の ピアニストの名がデータベースにヒットしてきたのだ。彼は批評家のジェド・ディスラーに連絡、ジェドが調査したところ、ハットーの録音とシモンの録音は全く同 一であることがわかった。それだけでなく、ハットーの名で発売された数十の録音が全て他のピアニストの録音をそのまま使用したり、あるいはデジタル処理で 速度調整を行うなどして手を加えられていたことがわかったのである。闘病中だったハットー本人はおそらくこの捏造に感知しておらず(2006年に死 去)、やったのはプロデューサーであった彼女の夫であると広く信じられている。

恥ずかしいのが当時の業界人たちだ。例えば、ブライス・モリソンはブロンフマンを常々貶していたのにもかかわらず、ハットー名義のブロンフマンの録音を絶賛している。トム・ディーコンは日本人ピアニストYuki Matsuzawaによるエチュード集にはほとんど人種差別的ともとれる極めて侮蔑的なコメントを投げつけたが、全く同一録音のハットー名義のCDには熱に浮かされたような言葉で大絶賛している。彼らは被害者であると同時に加害者なのだ。

二人についてはあまり愉快でない思い出がある。

ニレジハージの「黒鍵」エチュードの録音を紹介した際、元の録音のピッチが半音低かったため、FBにピッチ未修正版と修正版を掲載した。録音というのはピッチを上方修正すると、当然ながら再生 速度も上がる。ところが藪から棒に、「バカ!速度を変えずにピッチを上げる方法を知らんのか?」と、書き込んできたのがトム・ディーコンだった。最初、冗談で書いてい る のだと思ったのだが周囲の人間に念のために確認すると、彼の発言は英国式ジョークでもなんでもなく、ただの無礼なのだという。また、彼はトンデモ発言をすることで有名らし く、昨今は著名なネット荒らしとして様々なサイトから出禁を食らっているのだそうだ。実際、放っておいたら「バカはお前の方だ」と応答した別の書き手と大喧嘩をし、勝手に悪態をついて出て行った。彼のナンセンスな書き込みは本人 の名誉にならないだけのシロモノなので、そのままずっと残すことにしている。

ブライスについては、2015年に企画したシーヤン・ウォンのリサイタルに彼を招待したことがある。休憩時、老婦人と立ち話していた彼に歩み寄って自己紹 介し、オーガナイザーとして演奏の感想を訊ねた。すると、彼はなぜか憤然として、「ノー!ワシはコメントはしない。ずーっとな!」と私を怒鳴りつけるようにして立 ち去ってしまった(会話を聞いていた老婦人はびっくりした顔で「極端ねえ!」と私に言ったのだが、ずっとあとになってその老婦人が実はノーマ・フィッシャー だったことがわかる)。その時は、ブライスの言葉も変だと思ったし、彼の反応も極端でわけがわからなかった。

今になって気づいたのだが、もしかしたらブラ イスは私が「What did you think?」と訊いた時、「What」を「Hatto」と聞き間違えたのではないだろうか。そうであれば、なぜブライスがあれほど極端な反応をしたかの説明がつく。自身の評価を下げた「Hatto」の響きに条件反射的に過剰反応してしまったのかもしれない。

こういう経緯はあったが、ブライスに特に悪感情は抱いていない。言説に中身がない
ディーコンと異なり、批評家としての彼の力量や経歴は尊敬しているし、何よりアンジェロ・ヴィラーニのダンテ・アルバム に五つ星をくれたので。いつか、あの反応の理由を訊く機会もあるだろう。

この話をFacebookで書いていたら、知人で英語版Fugue.usの読者であるAが、「私がハットーの夫を説得してハットーの録音を売り込むように 言った。そしてたまたま、親しい友人がグラモフォン誌の編集者となったので、私がハットーを取り上げるように強く説得したんだ」「もっと気をつけるべきだった」と書き込んでき た。さらに書くと、捏造を最初に見抜いたジェド・ディスラーは私とTwitterでフォローしあっており、かつてはFBのニレジハージフォーラムにも参加していた。何気にハットー 事件に関わった人が周囲にいる。探せばもっと出てくるだろう。ロンドンは本当に狭い。




2.28.2017

Facebook等で既に紹介したが、CDが早々と17日に到着し、関係者や資金提供者に向けての発送も完了した。日本代理店JPTにも送り、中国の業者 にも週末に送る予定。4月8日、日本を含めた全世界同時発売もありうる。

数日前にそういったCDがぼちぼち到着し始めたようで、少しずつ感想が私のところに寄せられている。今のところ評判はとても良い。デンマークで演奏論に関する講義を行っている音楽家・研究者がいる。彼が自身の講義でCDのブラームスのソナタの第二楽章をかけたらしい。教室は驚きで水 を打ったように静まり返ったそうだ。

個人的にも、カ バーデザインから写真の選定、リマスタリング、レイアウトに至るまで、自分の意図が細部まで100%徹底できた初めてのCD。後で思い入れが出てくるかもしれない。

以下はCDのプロモ映像。







2.12.2017

Sonetto Classicsとアルバム制作の話し合いをしているピアニストがギリシャのコンクールで優勝した。

出た以上、優勝しないよりはした方が良いし、彼ほどの技術の持ち主ならどのコンクールでも優勝する可能 性があるから驚きはない。だが、現実問題としてコンクールが登竜門である時代は既に終 わっていて、この優勝がどれだけ彼のキャリアアップになるかは微妙だ。例えばリーズ国際コンクール。かつてはルプーを輩出した、世界でも五指、少なくとも 十指に入るステイタスの高いコンクールだ。しかし、直近の優勝者、前回の優勝者の名を誰が覚えているだろうか。もっと言うと、80年代以降のリーズの優勝 者は名声の上では小粒だし、90年代以降となると優勝者で名を成したピアニストがいない。もはやコンクールが出世の手段として機能していないのである。

その理由はいくつかあるが、まず、コンクールが技術偏重の審査システムを取っていることだ。加えて、審査委員の大半から支持されやすい、「可もなく不可も ない」 最大公約数的なピアニストが勝ちやすい採点システムになっている。グールド、リヒテル、ホロヴィッツは現代のどのコンクールでも予選落ちする 可能性がある。

第二に、コンクール自体の数があまりに多すぎることが挙げられる。現在、リストの名を冠したコンクールでさえ世界に少なくとも5つある。「リスト・コン クール優勝者」と言われて も、こちらにはコンクールの主催された場所がパルマなのかワイマールなのか、ブダペストなのかアメリカなのかユトレヒトなのかわからない。しかも毎年のよ うに「リスト・コンクール」の優勝者が生 産されていくわけで、受け手としては有り難みがなくなる。ヴァン・クライバーン・コンクールの優勝者のスルタノフでさえ、優勝して数年後にはオファーが無 くなってコンクールをハシゴする生活に戻っていった。

第三の理由はコンクールの質の低下だ。昨年、ブゾーニ国際コンクールのスキャンダルがあった。著名なピアノのコンクールとは別団体による指揮コンクールの ことだが(これ自体、混乱に拍車をかけている)、1位無し、2位無しで3位以下にのみ賞金が支払われた。ところがコンクール直後、1位と2位の賞金を、審 査委員数 名に授与する内容のメモが流出したのである。主催者は「ただのジョーク」と弁明したが、流出したビデオ映像にあったコンクールの運営の様子は実に素人臭い も ので、メモの真偽を別にしても、それがまともなコンクールの体をなしていないものであることは明らかだった。

第四は 不正。以前も書いたが、かねてからチャイコフスキー国際コンクールでは不正が囁かれてきた。アンジェロ・ヴィラーニがエントリーした1990年のコンクー ルで は、韓国人ピアニストのHae-Jung Kimの親族が審査委員全員に1000ドルを贈ると同時に、モスクワ音楽院にもハンブルグ・スタインウェイを贈呈した。審査委員のうち二人がお金を突き返 したこと で、贈賄がコンクール中に発覚し、Kimは審査委員の総意で三次ラウンドには進めていない。また、これとは別にドレンスキー門下のとあるロシア人を勝たせ るように、 とある筋から猛烈な圧力がかけられていたという噂もある(コンクールはヴィルソラーゼ門下のベレゾフスキーが優勝)。1998年にも、優勝したマツーエフ の 演奏よりも3位に入ったフレディ・ケンプの演奏の方が明らかに優れていた、という非難が地元のメディアから聴衆から起こり、結果的に世界中のメディアか らチャイコフスキー・コンクールに疑いの目が向けられる結果となった。コンクール側は批判を受けて改革を行ってはいるが、ロシアン・スクールばかりが勝つ 傾向はなか なか変わってこない。

昨今では周囲の目も厳しくなっている。小さいコンクールはともかく、大きなコンクールでは審査委員席に座っている師匠が弟子に露骨に高い点を与えることが 出来なくなってはいる。だが、抜け穴もある。

一昨年か昨年に行われた、「非常に有名なコンクール」に参加したピアニストからコンクール直後に聞いた話だ。これはあまりに生々しいし、巨匠ピアニストが 関わっ ているので、細部は不正確にぼかしておく。知人はコンクールに参加したロシア人ピアニストと仲良くなった。その彼が言うには、審査委員のロシア人Yが彼の とこ ろにやってきて、「xxコンクールでは私の弟子がお前の師匠のWに勝たせてもらった。だから、今回は君に勝たせるよ」と耳打ちしてきたのだという。実際に はそのロシア人ピアニストは本番で大きなミスをしてしまい、優勝はならなかった。だが、普通に弾いていたらこの取引があったから優勝していただろう、との 話だ。YもWも実名のイニシャルとは関係がないが、非常に有名なピアニスト、教師たちである。

オリンピックのドーピングと同じで、皆が皆不正をやっているわけではない。コンクール優勝者 を腐すつもりもない。真面目にやってい る組織や審査委員も多い。だが、こういった背景があのシステムにはありうる、ということは皆知っておいた方がいいと思う。もっと言うと、アーティストはで きればコンクールに頼らずに自己発信してほしいと思う。ツールは昔よりもあるのだから。



1.30.2017

若くして激賞されながらも、その後消えたり、伸び悩んだピアニストが数多くいる。というより、年齢とともに良い形で成長していくピアニストの方がはるかに 少ないかもしれない。消えないにしても、「若い頃が良かった」と思えるピアニストは山ほどいる。だいぶ前の話になるが、かつて国際的なスターとして鳴らし たXもそうだった。Xは私の友人達と近しく、アンジェロも彼のコンサートに何度も行っていた。「素晴らしかった。あの年齢で一種の儚さというか、内省的で ポエティックなピアノを弾いていた」。

だが、Xはちやほやされて天狗になった。実際に別のソースからも、傲慢、との噂を聞いたことがある。スターになった後は、世話になった人々をおろそかに扱 い、私の友人達の助言にも耳を傾けなくなった。それとともに演奏も変わっていき、人気も下降していった。アンジェロ曰く、「心で弾かなくなっていた。変 わったことをやろうとして奇妙なアクセントを入れたりし始めた。例えば、グールドが出来るんなら自分も出来るんじゃないか、ってね。音楽を突き詰める作業 を端折って、安易な考えで弾くようになった」。Xと親しい友人が、彼の演奏の問題点を指摘したところ、その友人はその場でXに絶縁されたという。「個性」 を出そうとしておかしな演奏をし、賞賛を受けすぎて自信過剰になり、耳の痛いことを言う人を排除する。私自身もあるピアニストとの関わりの中で経験したこ とがある。

サイエンスの現場では率直な意見交換は当たり前だし、厳しい意見も個人的攻撃と取らない。そのように育ってきたので、私はピアニストに感想を求められた時 には思ったことを言うようにしていた。だが、絶対的な事実に立脚するサイエンスでうまく行くやり方が、絶対的な価値基準が曖昧な芸術でうまく行くとは限ら ない。「正直な意見を教えてくれ」とピアニストに頼まれても本心を言わずに適当に褒めておけ、と業界に詳しい人物からそう言われたことがある。

だが、 安易な絶賛やブームは、よほど自身を客観視できる演奏家で限り、才能を潰してしまう。例えば、バービカンセンターでのトリフォノフのリサイタルのレビューの 中に、「彼の名は今後何十年も、何世紀も記憶されるだろう」という絶賛の言葉があった。トリフォノフは悪いピアニストではないが、「何世紀も記憶に残るだ ろう」は、音楽のことを知らない人の言葉だ。こういう不適切で大袈裟な評価は批評家が単に歴史に名を残したいがための独善や自己宣伝でしかない。若手を持 ち上げ、勘違いをさせて潰し、次の若手にはしる、というサイクルは大概にしないといけない。自戒も含めて。

1.22.2017

リマスタリングが終了。もともとの音がリアルで情報量の多いものだったので、やることはそれほど無いと思っていたのだが、やってみたらそれなりにあった。 ワウ・フラッターを除去しようとしたのだが、ソフトがまだ完璧ではなく、ニレジハージのペダル解放の強烈なフォルテッシモを回転数異常と認識してピッチを 変えてしまうのである。これは不協和音成分のためだと思う。設定を変える(感度を下げる)ことで良い結果を得た。

オリジナルのテープには右チャネルにノイズが入っていたため、アンドルーがノイズ成分を取り出して除去を行った。また、ショパンのマズルカとブラームスの 間奏曲の2トラックに左チャネルに鑑賞に適さないほどの強烈な音揺れが入っていたため、右チャネルの音を左チャネルにダブしてモノラルとし、それからステ レオ部分との差を少なくする方向でアンドルーと相談しながら音を調整した。その前後のトラックにも若干の音揺れが残っているが、強度ではなかったため、モ ノラルにはせず、ステレオのままにおいた。最終的には満足のいく仕上がりになった。



1.21.2017

ダニル・トリフォノフを聴いた。音は綺麗だが.....。感想はこちら


1.12.2017

アルバ ムタイトル、表紙デザインが決定。こちら。フォントなどの微調整はプリントに回すまで続く予定。

Nyiregyházi Liveというタイトルに関しては、「クラシックらしくない。ストーンズのアルバムみたいだ」とケヴィン・バザーナに言われた(彼は "Nyiregyházi in concert”が良いと思っていた)が、私の意図はあえて非クラシック的にすることにあって、デザインやタイトルに60年代のジャズミュージシャンのラ イ ブ・アルバムが持っていた空気を反映させたいと思っていた。破天荒さと精神性を併せ持つ晩年のニレジハージの生演奏は、「イン・コンサート」という行儀の 良いイメージより、生々しくて活発なニュアンスのある「ライ ブ」とするほうが相応しいと思う。コルトレーンのアルバムがそうだったように。最終的にはケヴィンも納得してくれた。

明日からリマスタリングに入る。一日仕事を休んでワウ・フラッターの除去に集中するつもり。


1.6.2017

2年ほど前にホロコーストの犠牲者400万人の記録を集めたデータベースのことを書いた(2・4.2014)。ヨーロッパの図書館や役所などにある公文書 や収容所記録を集めて作られたデータベースで、2年前、ニレジハージの弟アルフレッドの名が見つかった、とケヴィン・バザーナが私に報告してきたのだっ た。その時は母親の名前は見つかっていなかったのだが、先日、ふとデータベースに戻ってサーチしてみたところ、母マリア・ニレジハージの名前が見つかっ た。ニレジハージを名誉のために利用し、おそらく性的にも虐待し、ニレジハージに「(殺したことを)ヒットラーに感謝したい」とまで言わしめた母親であ る。この記録で、ニレジハージの「母親はホロコーストで死んだ」という記憶が裏付けられたことになる。

http://yvng.yadvashem.org/index.html?language=en&s_lastName=Nyiregyhazi&s_firstName=&s_place=

2年前、同時に指揮者カレル・アンチェルのことも書いた。彼はホロコーストの生き残りで、妻と息子をアウシュヴィッツで殺されている。2年前は一歳半の息 子ヤンの殺害記録しかなかったが、先日調べたところ、アンチェルの妻ヴァレリー(10・16・1944アウシュヴィッツへ移送。ヤンと同日)の記録と共 に、父レオポルド(10・28・1944アウシュヴィッツへ移送)の記録もあった。レオポルドと同じ日に移送されたイダ・アンチェローヴァという女性の名 があるが、これはアンチェルの母親だろうか。いずれにせよ全員が殺された、とある。個人的には、「戦場のピアニスト」や「縞模様のパジャマの少年」のよう な、一定の聴衆に阿ってリアリティに欠けてしまう結果となった映画よりも、こういった無慈悲な数字からなるデータベースの方がホロコーストの悲惨さが胸に 来る。

http://yvng.yadvashem.org/index.html?language=en&s_lastName=Nyiregyhazi&s_firstName=&s_place=

ちなみに、アンチェルが生き延びたのは単なる偶然だった。アンチェルによれば、ガス室の前に並ばされた際、隣にたっていた作曲家のパヴェル・ハースが喘息 持ちで咳き込んだのである。それを見た「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレがハースとアンチェルを入れ替えた。ハースはそのままガス室に送られ、アンチェルは 生き延びたのだという。

友人が身代わりのような形で殺され、しかも息子を含む家族全員をガス室で殺されたのである。アンチェルは戦後、偉大な指揮者として活躍することとなるが、 どのような気持ちで残りの人生を生きたのだろう。



1.2.2017

日本より帰国。

日本に残していたアーカイブの一部を整理し、英国に発送した。いくつかの発見があった。
1)6作品の自筆譜原稿があった。おそらく全作品の自筆譜が高崎に寄贈されたのではないかと思われるが、私の手元にあるのは6作品以外は全てコピーのみで ある。アーカイブの書類にも自筆譜は「堀越学園に所属」とあるので、法的な所有権が移った以上、本来はソネットのアーカイブに含まれているべきものではな かったかと思う。

2)1938年のニレジハージの全身の写真。これはまだ見たことがなかった。CD冊子に収録する。
3)木之下晃氏撮影の写真が20点ほど。ここから一枚、世にまだ出ていないものをCD冊子に収録する。
4)「ドリアン・グレイの肖像」を始めとする2000作品のコピー。マイクロフィルムに収められていたものも含まれている。
5)ニレジハージによる手紙のオリジナル数点
6)会話を収録したテープやテンプル・チャーチにおける「月光」ソナタの録音などはなかった。
7)高崎の関係者による膨大な数の写真とネガ。幡野氏の写真のプリントも大量に見つかった。
8)高崎で制作された非売品の楽譜、冊子など。高崎短大は20作品ほど出版する努力はしていたらしく、音楽の友社と共同で印刷版の楽譜を制作していた形跡 がある。数作品のゲラ刷り、前書きなどを確認した。彼らは著作権は自筆譜を持つ堀越学園に属すると考えていたようだが、もちろん、著作権は自筆譜ではな く、作家(とその相続者)に帰属する。現段階では、故ドリス夫人の委託を受けてニレジハージの遺産を正式に管轄するオランダの国際ニレジハージ財団にあ る。そのことが後でわかったために、制作作業が中断されたのかもしれないと想像する。

ドリス夫人が旧高崎短大に著作権を移管しなかった理由は詳しくは知らない。ただ、ドリス夫人側に高崎短大の「日本人達」への強い不信感があり、オランダの 財団設立への動きにもつながったと財団の会長から聞いている。ただし、これは日本人への偏見ではなく、会長は「いずれ、別の"良い日本人"の手によって アーカイブは解放されるだろう」と、意気消沈するドリス夫人に言っていたのだそうだ。いずれにせよ、こういった経緯があったため、二団体が共同作業をする ことはなかったようだ。

2000作品の扱いについてだが、私が全ページをスキャンしてオンライン化するのは実質的に不可能だろう。私が出来るのは最初のページの写真をとり、それ をオンラインに載せ、リクエストがあった際に全ページを有料サービスでスキャン・メールすることだと思う。それでも作業が大変だ。いずれにせよ、現段階で はまだ無理なので、どうするかはおいおい考えていきたい。

(3)についてだが、これは著作権が発生するためにオンライン化できない(既にfugue.usでアップロードしたものについては掲載時に幡野氏の許可を 得ているが、そこからYoutubeなどに無断で次々と使われていったため、もう同じことはやりたくない。公開はせず、使用料を払ってCD冊子などで少し ずつ使っていこうと思う。

(8)については、プロジェクトの資金調達、例えば、クラウドファンディングのキャンペーンのリワードとして使っていくつもり。

CD冊子の方は最初の版が完成したところ。24ページという分厚いものになった。英語はMichael Glover、日本語は横山仁子さんと木下淳さんに校正をやってもらった。ワードからイラストレーターに移した段階でエラーが沢山出たので、それをこれか らケヴィン・バザーナと少しずつ直していく。まだタイトルで合意が出来ていない。私は60年代ジャズアルバム風のタイトル・体裁にしたいのだが、関係者の 間の投票で決めようと思う。

音源については、「ダンテ・アルバム」で一緒に働いたエンジニアのアンドリューに分析を依頼したところ、若干のフラッターがあるのでデジタル修正をしてお いたほうがいいとのこと。アンドリューはクラシックアルバムの経験は「ダンテ」だけだが、技術や耳は信頼しているし、仕事が一緒にやりやすい。私の手でフ ラッター修正を行ってからアンドリューが残りをやる、という方向でリマスタリングを進めることにした。フラッター修正のソフトの使用料が5日間で200ド ルもするので、これを機会に手持ちの音源を全てフラッター修正するつもり。