サイト更新情報

8/31/07

Nyiregyháziの名前の正確な発音です。喋っているのはニレジハージ本人で、1978年のラジオ番組で、「あなたの名前は正確にはどう発音するのですか?」と訊ねられた際の答えです。


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8/30/07

「RFK暗殺」

ニレジハージと関係なくなりつつあるのですが、もう少し、この話を続けます。JFK暗殺もRFK暗殺も、この一年でいろいろなことが明らかになりました。キーワードは、David Sanchez Moralesです。

1968年の夏、JFKの弟、RFK(ロバート(ボビー)・ケネディ)は、ベトナム反戦と人種融和をうたい、大統領候補を目指し、上院議員として民主党の 指名選挙に出馬していました。若い頃のRFKは、ギャングや政敵達から、「Ruthless=冷血漢」「バッド・ボビー」と恐れられ、時に兄のJFKから 敬遠される程のマキャベリストだったのですが、ケネディ政権で司法長官に就任した2年目頃から、社会的弱者達に目を向け始め、政権の公民権法の大きな原動 力となります。そして崇拝していた兄JFKを失った後に激しく苦悩する姿、内外の人種問題に没頭する姿が貧困層の共感を呼び、黒人層、メキシコ系、特に貧 しい子供達の間で、「リンカーン以来」とも言われるほどの熱狂的な支持を受けていました。彼がロスのアンバサダー・ホテルで
暗殺されたのは、大票田カリフォルニア州の予備選での大勝利の祝勝会でのことで、指名獲得へと弾みをつけたその矢先のことでした。

後頭部を銃撃されたRFK
(1968年)

公式記録では、RFKはサーハン・サーハンというパレスチナ人の単独犯行で殺されたことになっています。サーハン・サーハンは40年後の現在もまだ収監さ れており、無実を訴えています。捜査を担当したLAPDが現場の写真を「ミスで」全て廃棄してしまったため、暗殺の瞬間を捉えた映像、写真は存在していま せん。ただ、目撃証言、解剖結果、弾道解析、最近発見された録音の解析から、サーハン・サーハンではない、第二の人物がRFKの後頭部を打ち抜いたことが ほぼ確実視されており、とある研究では、RFKのすぐ背後にいたガードマンが主犯とされています。



J真犯人?諜報部員デヴィッド・モラレス

ところで、先にあげたハワー ド・ハントが死の直前にあげたJFK暗殺犯の中に、フランク・スタージェスとともに、David Sanchez MoralesというCIAメンバーの名前があります。彼も、ハントやスタージェストと同様、ビッグス湾事件に関わっていた一人です。興味深いことに、こ のMorales、JFKの弟、RFKの暗殺が行われたその瞬間、現場のアンバサダー・ホテルにもいたことが、ごく最近の研究で明らかになっています。以 下の英BBCの番組で、映画製作者のShane O'Sullivanという人物が、暗殺が行われたアンバサダーホテルで撮影された映像中にMoralesの姿が捉えられていると指摘しています。かつて の同僚がMoralesであると確認しています。

http://youtube.com/watch?v=PkkUJp2pi3Q&mode=related&search=
http://youtube.com/watch?v=QMOeE4qn_V4&mode=related&search=

もっとも、これについては反論もなされています(クリック)。 Washington postのJeff Morleyと、ケネディ研究者のDavid Talbotが追跡調査を行い、多くのCIAメンバーやMoralesの親友達(情報ソースとしては怪しいのですが)に映像をチェックしてもらったとこ ろ、フィルムに捉えられた人物はMoralesではない、という感想が多かったとのこと。実際、私も上の映像は不鮮明で、その人物がMoralesかどう かを言うのはちょっと難しいと思いました。

しかし、同時に、David Talbotは、MoralesがRFKの暗殺現場にいたことについては同意しています。Talbot自身、Moralesの元弁護士と友人にインタ ビューしており、それぞれ、Morales自身の言葉の引用として、「ダラスとロスの暗殺現場におり、暗殺に関与した」、「CIAがJFKを暗殺した」と いう証言を取っています(上の映像でも、Moralesの元弁護士が、「俺たちはあの糞野郎と、ロスであのチビの糞野郎を始末してやったよな」という Moralesの言葉を紹介しています)。つまり、JFK暗殺に関するハントの証言の一部が、別ソースで裏付けられただけでなく、その同じ人物がRFKの 暗殺に関与しているらしいのです。興味深い事に、Maralesは、JFK、RFK暗殺を再調査していた米議会のチャーチ委員会に召還される前後に、原因 不明の病気で突然死しています。

ところで、Talbotは、ハワード・ハントほどの歴史的人物の証言がNew York TimesやWashington Postなどの大手メディアによって無視されたことについて、「いつも繰り返されて来たこと」と深い失望の念を表していました。実際、JFK暗殺とRFK 暗殺報道については、米大手メディアも「見ざる、言わざる、聞かざる」ですし、ひどい時には証拠の捏造までやってきましたから、いまさら彼らに期待しても 仕方ないと思います。大手メディアでは、ハントの証言は、Los Angeles Timesだけが報道していました。偶然ながら、この新聞社だけは、私も好意的に考えていました。系列のNew York Timesは、反権力をうたいつつ、全然だめですけどね。むしろ、BBCやGardianなどの英国メディアの方が熱心です。

問題は、Moralesの背後に誰がいたのか.....RFK暗殺は、
CIAメンバー数人による、ビッグズ湾事件の個人的復讐、という可能性はあります。ただ、ハワード・ハントのテープやメモ(クリック) を信ずれば、Moralesとジョンソン大統領の間には、JFK暗殺を通じたつながりがあります。そして、ジョンソン大統領は、あらゆる意味でRFKの政 敵でしたし、お互い、憎悪に近い感情を持っていました。また、もしRFKが順調に指名を勝ち取って大統領になれば、いくら人間的になったとは言え、かつて は「冷酷きわまりない」と恐れられた前司法長官、その強大な大統領権限で、兄の暗殺の黒幕を徹底調査することは見えていたでしょう。

数年前に発表されたEvan ThomasによるRFKの伝記によれば、ジョンソン大統領は銃撃のニュースを聞いた瞬間、「俺は知りたいんだ。彼は死んだのか?もう死んだのか?」と叫んだ、とあります。

この言葉の解釈については読み手の方にお任せした方がいいでしょうね。

追記)ジョンソン副大統領の愛人だった女性のインタビューが以下から見れます。

http://video.google.com/videoplay?docid=-1163813082962939914

彼女によれば、ジョンソン副大統領は、JFK暗殺の前日、大統領とのミーティングが終わった後、彼女に「明日以降、あの糞野郎は俺に恥をかかせることはな いだろう。俺には手を出せない。確実だ。」と話し、激昂した様子で、「アイリッシュ・マフィア」「糞野郎」と繰り返していたそうです。ミーティングで何が 話されたかは不明ですが、JFKはテキサスに行く直前、ジョンソンを再選キャンペーンでの副大統領候補から外し、ノースカロライナの州知事と入れ替える事 を検討していたという証言があります。その理由としては、ジョンソンが過去数件の殺人事件に関与した疑いがもたれていることをJFKが知ったからではない か、と言われています。


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8/29/07

「ニレジハージとJFK暗殺」

Lost Geniusによれば、ニレジハージはケネディ大統領暗殺事件に強い興味を持っていたそうです。「リー・ハーヴェイ・オズワルドは無実で、右翼による陰謀 の犠牲になった」、という理論を、1967年12月のとある新聞の読書欄に発表したことがあるそうです。署名は、身辺の安全を気にしたのか、「X」です。 ちなみに、ニューオリンズの検事、ジム・ギャリソンのケネディ暗殺犯に関する調査内容がマスコミに登場したのは、同じ年の2月でした。ニレジハージはかな り早い時期から、オズワルド無罪説を唱えていたことになります。

私は、JFKとRFKのケネディ兄弟については人一倍興味を持っています。そういうこともあって、二人の暗殺については、いろいろな本を読みました。私が JFK暗殺の公式見解である単独犯行説に強い疑問を持ち始めたきっかけは、有名な、「ライフルを持って立つオズワルド(クリック)」 の写真を見た時です。この写真、ライフルとコミュニスト系の新聞を持ったオズワルドが陽光の中でポーズを取っているわけですが、この構図からして、わざと らしさを感じさせます。しかも、このオズワルド、顔と体の線が全然マッチしていません。この写真を見慣れている人でも、反転させてみれば(クリック)、 このミスマッチが明確に感じられる筈です。いわゆる「専門家」は本物と判断したようですが、これは合成、しかも下手な合成です(逮捕直後のオズワルド自身 も、写真を見た瞬間、「これは合成だ。絶対に証明してみせる」、と叫んだと言われています)。こういった捏造写真が存在するということだけでも、オズワル ドの単独犯行説の線は疑わしくなります。弟のRFKも、公式にはともかく、プライヴェートではオズワルド単独犯行説を信じていない、とテッド・ソレンセン に話しており、後に述べるジョンソン大統領も、引退後に、「オズワルド以外の犯人がいる。自分は単独犯行説を信じたことはない」、と、リオ・ジャノス・ ジョンソンというジャーナリストに語っています。そして、70年代、上院、下院でJFK暗殺が審議され、陰謀の可能性が明記されました。

ところが、今のアメリカの知識階級の中には、保守だけでなく、相当なリベラルでもオズワルド単独犯行説を信じている人が沢山います。渡米直後、アメリカ人 の友人に「オズワルドの単独犯行説はありえない。やったのは軍と情報部だろう」という話をした時には、「馬鹿馬鹿しい」と大笑いされました。こちらが、 「ウォーレン委員会報告書を読んだのか」と訊くと、「読んでいない。だが、大手メディアではオズワルドの単独犯行で説明がつく、と言っている。「魔法の弾 丸」もありうるってね。」、との話。他の事ではきちんとした判断ができる男だけに、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。確かに、ABCなどの大 手メディアも、オズワルドの単独犯行を強調する番組を作成しています。オズワルドの単独犯行説を否定した映画「JFK」が発表された時は、CNN等の大手 メディアから猛烈なバッシングを食らいました。

Watergate事件で失脚したニクソン大統領が、後継のフォード大統領によって恩赦を受けた時、保守だけでなく、多くのリベラルがその判断を支持し、 今でも賞賛していることを思い出してみれば、なんとなく、アメリカ人独特の心理構造が分かるのではないかと思います。偉大なる国、世界の規範たる国である アメリカの大統領を牢屋にいれることなど決してあってはならないし、まして、大統領がクーデターで殺されたなどということは決してあってはならない、とい うことでしょう。この面では、上院、下院、メディアがJFK暗殺やRFK暗殺を追求した70年代よりも保守化しているように思います。

数ヶ月前、Rolling stone誌に、JFK暗殺関連で興味深い記事が載りました。エヴェレット・ハワード・ハントという人物に関する記事です。ハントは、史上もっとも有名な CIAエージェントの1人で、60年代に、カストロ暗殺未遂や、ビッグズ湾事件を始めとする、多くの秘密作戦に関わりました。CIA退官後、ニクソン大統 領直属の秘密機関である、「鉛管工グループ」を組織、Watergateビル侵入を始めとする、民主党に対する数々の妨害行為を指示し、起訴されて有罪、 収監されています。ハントは、上司のニクソン大統領を恐喝したことでも知られています。この過程は、映画「大統領の陰謀」や、オリヴァー・ストーンの映画 「ニクソン」などに克明に記されていました。このハント、昔から、JFK暗殺に関わったのではないか、という噂が絶えませんでした。実際、70年代の中頃 に、JFK暗殺容疑者の1人として、米上院の委員会に召還されています(証拠不十分で立件されず)。容疑を受けた理由の一つとして、暗殺当日、現場でダラ ス警察に身柄を一時拘束され、写真撮影された3人のうちの1人に顔がよく似ていたのです。後に、息子は写真の人物はハント本人であると言っています。同じ 写真には、後に鉛管工グループのメンバーとして逮捕されたフランク・スタージェスらしい人物も写っています。そういったこともあって、ハントはケネディ暗 殺の裏側を知り、それをネタにホワイトハウスを恐喝していた可能性が取りざたされてきました。映画「JFK」に主演したケヴィン・コスナーも、映画作成中 にハントに何度もアプローチしていたようですが、ハントは決してJFK暗殺について話そうとしませんでした。

このハワード・ハント、JFK暗殺の潜在的関係者としては珍しく長命で、今年の1月に亡くなりました(JFK暗殺関連では、非常に多くの容疑者、目撃者、 証言者が、自殺、殺害、事故死などで落命しています)。興味深いことに、その死の直前、JFK暗殺に関するテープ(クリック)とメモを息子に残したようなのです(クリック)。 それらによれば、「当時副大統領のリンドン・ジョンソンが、フランク・スタージェスらを始めとするCIAメンバーに暗殺へのゴー・サインを出した」、との こと。これには少し驚きました。ジョンソンは、かつてJFKに大統領指名で破れた屈辱感を持ち続けていた上、JFKを崇拝していた弟のRFKを憎悪してい た、と言われてます。JFK暗殺で大統領に昇格できたことだけを考えても、JFK暗殺の動機は十分な上、オズワルド単独犯行説にお墨付きを与えたウォーレ ン委員会を組織したということで、ジョンソン黒幕説は以前にも何度か登場したことがあります。その代表的なものが、THE MEN WHO KILLED KENNEDYという、米HISTORY CHANNEL制作のドキュメンタリーです。しかし、DVDとして発売されたものについては、ジョンソン夫人とカーター前大統領の抗議を受け、ジョンソン 黒幕説の箇所は編集され、カットされてしまいました。You tubeでカットされた箇所を見ることはできます。

とは言え、私はジョンソンはJFK暗殺を事前に知っていたかもしれないが、中心的な黒幕ではないと思っていました。「大統領になりたいから」、という暗殺 の動機はあまりに明快で子供じみていますし、第一級の政治家であるジョンソンが、まさかそういうことをするとは考えていませんでした。ジョンソンは、ベト ナム戦争をエスカレートさせたこともあって巷の評価こそ最低ですが、国内の事績だけみれば、歴代大統領の中でも最大に近い業績をあげています。「貧困との 戦い」というスローガンのもと、市民権法案や、医療保険法案など、数々の重要なリベラル法案を通しています。彼ほどの卓越した政治力、強力な支持基盤があ れば、クーデターをもくろまずとも、大統領の椅子はケネディ後に望めたのではないかと思うのです。同時に、彼は何をしでかすか分からない面もあって、大統 領になる前のジョンソンにはいろいろとキナ臭い話もありました。

ハワード・ハントの証言はどこまで信用できるのでしょうか。いずれにせよ、数々の秘密作戦に関わって来たハントほどの大物の証言にも関わらず、大手メディ アでは、「よくある陰謀論」「老人の繰り言」としてまともに取り上げられてないようです。時の副大統領が上司の大統領を暗殺するなど、アメリカでは「絶対 にありえない」、ことなんでしょう。この心理的な検閲がある限り、将来、JFK暗殺の真相が明らかにされる可能性は限りなく低いのではないでしょうか。

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8/27/08


釣り船からの風景

アラスカより帰ってきまし た。場所はSewardというアンカレッジから2時間程離れた港町から、船で外洋に出て一時間。氷河がすぐ側に見える場所での釣りでした。レーダーで魚群 を追いながらの釣りです。釣果は、初日はゼロだったものの、二日目は悪くなかったです。私個人は5-6kgの銀ザケ2匹と、カサゴ、オヒョウ(カレイ)を 一匹ずつ。友人達の釣れた魚を合わせると、銀ザケだけで7-8匹、山ほどのカサゴと、なかなかの成果でした。港に帰ってみると、1m50cmくらいのオ ヒョウが上がっていて、大木に取り付いたセミのように、漁師がそれをさばいていました。

狩りの後は料理です。オヒョウはショウガとネギで清蒸にし、残りをレモン風味のムニエルにしました。銀ザケは刺身用に一晩冷蔵庫で寝かせ、翌日、釣れたて のオヒョウと一緒にスシネタに(刺身に限って言えば、サケは釣れたては固いばかりで旨くありません。逆にオヒョウは釣れたての方が旨いです)。残りのサケ は醤油・みりん・酒に漬けて照り焼きか、西京味噌と粕で漬けて最終日の夕食へ。さらに、醤油、寿司酢、ショウガ、ネギ、オリーヴオイル、ラー油をタラバガ ニと合わせたサラダ。メスのサケは腹子を取り出して、2/3をバラバラにし、濃い食塩水に漬けてシャワールームで一晩干し。残りの腹子は塩水でばらし、よ く洗ってから醤油と酒のアルコールを飛ばしたものに一晩漬けて、手巻き寿司のネタに。
3日間、こうやって皆で海の幸をたっぷり味わいました。

Kevin Bazzanaによれば、Lost GeniusのUS版が今日、発売になります。Amazon.comから購入できます。また、Music and ArtsのCDも聴いたそうで、いい感じだそうです。こちらは予定通り、9月末の発売です。

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8/21/07

先日、地元シアトルのTV局のプロデューサーと話す機会がありました。ニレジハージの話をしたら、興味をそそられたようです。サイトを見てから同僚と検討 したいとのこと。ニュース内のトピックで取り上げてみたい、というようなことを言っていました。Kevinはカナダとは言え、シアトルのTV局がカバーで きる範囲に住んでいますので、インタビューもやりやすいんじゃないかと思います。どうなるでしょうかね。

Nyiregyháziの「二つの伝説」、および未発表ライヴ音源を集めた、Music and ArtsのCDは予定通り9月に発売です。そのうち、Music and Artsのサイトからアナウンスがあると思いますので、こちらでも情報をアップデートします。また、ニレジハージがコロンビアやIPAに残した音源につい てですが、権利のゴタゴタをクリアし、発売にこぎ着けようという努力がなされています。話を聴く限りではハードルはそれほど高くないと思いますので、期待 しましょう。アウトトラックも含めると、CDが数枚作れる筈です。

明日から4日間、船とキャビンを丸2日借り切って、アラスカのSewardでサケ釣りです。実は釣りそのものよりも、その後のイクラ作りの方が目的です。 2年前に行った時は、20kgの腹子をアラスカの友人宅に持ち帰り、ガレージでばらしてロシア風に塩漬け、それと和風に醤油漬け。それから半年間、家で毎 日のようにイクラ丼を食べていました。節制しないと痛風になるかもしれません。今回は切り身の西京味噌漬もトライするつもりです。

更新情報)ニレジハージ1982年の東京公演の広告をアップロードしました(クリック)。

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8/16/07

Gramphone誌の重鎮の一人だった批評家のAlan Blythが亡くなりました(http://www.gramophone.co.uk/)。彼はベームのシュトラウスのオペラの録音が大好きだったんで すけど、偶然ながらそのベームと同じ日に亡くなったんですね。

更新情報)ブラームスの第三ソナタの最終楽章を「晩年の未発表録音」のコーナーにアップロードしました(クリック)。

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8/15/07

Kevinが、Library Journal掲載の書評を送ってきました。英語版から全文が読めます。推薦されている一一方、ニレジハージのセクシュアリティについて書き過ぎ、とあり ます。たしか、英グラモフォンも好評価を与えつつ、そういうコメントを書いていました。私も最初読んだ時にそう思いましたけど、ニレジハージの人生がそう いう人生だったのだから仕方ないんじゃないかとも思います。

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8/12/07

「忘れられた録音---1」

fugue.usのテーマが忘れられた演奏家や作品、ということで、ここで一枚忘れられた盤をご紹介します。

この「トスカ」の録音(B0004584-02)は、先頃亡くなったチェリストのロストロポーヴィチがフランス国立管弦楽団を指揮し、主役は夫人のガリー ナ・ヴィシネフスカヤが歌っています。「トスカ」と言えば、10人のうち、8-9人までが、カラス、ゴッビ、ディ・ステファノの黄金コンビが共演した、 ヴィットール・デ・サバータ盤をあげるでしょう。私もそれに別段、異論を唱えるものではありません。このロストロポーヴィッチ盤は、普通に考えれば、他に 10枚程あげられた末に無視されるか、せいぜいゲテ物扱いされて終わる代物です。実際、長らく廃盤の扱いも受けていました。ところが、聴いてみるとどうし てどうして、内容の濃い演奏で、すっかり感心してしまいました。

最大の聴きものは、カヴァラドッシのフランコ・ボニゾッリです。この歌手は、20世紀のオペラ界でも屈指の才能を持ちながら、メジャーレーベルに録音をほ とんど残すことなくキャリアを終えました。例外は、この万年廃盤だった「トスカ」と、カラヤン晩年の失敗作の一つ、と言われるEMIの「トロヴァトーレ」 のマンリーコ役くらいです。この人は能天気と言うか、相当に「テナー馬鹿」のところがあって、慎重さ、思慮深さとは無縁の、まさしくマンリーコ的人物だっ たようです。たとえば、オペラのリハーサル中、意見の対立したカラヤンに向けてサーベルを投げつけ、唖然とする周囲をよそに、そのままステージから出てい く、という大事件を起こしたこともありました。彼の全盛期が、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという大スター達と活動時期が重なってしまった不運も ありますが、その気性が起こした派手な降板事件が、その後の録音キャリアに大きく影響したのは間違いありません。日本には、その数年後にカップッチルリ、 ギャウロフ、バルツア、ヤノヴィッツらと共に来日し、その輝かしい高音を聴かせています。

ボニゾッリはいわゆるリリコ・スピントで、同じスピントであるドミンゴと同様、ロッシーニからオテロまでこなす器用さを持っていました。声質はディ・ステ ファノに近く、それにコレルリのような粘りのあるフレージング、デル・モナコの声の暗さ、カレーラスのような情熱、そして、なによりもパヴァロッティ顔負 けの高音を誇っていました。背も高く、舞台映えもしました。研鑽を積めば史上最高の歌手になれた筈なのですが、なぜかそうはなりませんでした。彼も、その 桁外れの才能に溺れていた節があります。表現に知性が欠けることもしばしば、力みかえって中低域が共鳴不足に陥ったり、なによりも自己陶酔に陥って、フ レーズを引っ張りすぎる癖がありました。

それにつけても惜しいのは、あの素晴らしい声とフレージングの才能(http://www.youtube.com/watch?v=KDC6q75Icbo&mode=related&search=) が、70年代のメジャーレーベルから無視されてしまったことです。もし、彼に、ドミンゴの半分の努力と分別があれば、70年-80年代のイタリア・オペラ 界は、ボニゾッリの意のままだったでしょう。この「トスカ」でも、その美しく、ヒロイックな声を存分に堪能させてくれます。レコードで聴ける最良のカヴァ ラドッシの一つと言っても過言ではありません。

この「トスカ」は、大歌手ヴィシネフスカヤのキャリアの終わり頃に録音されたもので、本人は「トスカ」を録音することをためらっていたと言う話です。確か に、50を迎えて、やや衰えを見せはじめていたヴィシネフスカヤの声にはトスカの音域はやや高すぎ、そのスラヴ系特有のビブラートを持つ中域はトスカにミ スマッチなところがありました。この録音でも、声は潤いに欠け、高音は叫びに近い声になっています。しかし、その表現力については、さすが旧ソ連最高のプ リマドンナ、と言わざるをえません。役への没入度は、あのカラスさえ超えるものがあります。第二幕のスカルピアとの対決では、まさに情念の塊と化してお り、凄まじい迫力があります。一転して、「歌に生き」では、抑えた声でしっとりと聴かせてくれており、表現の幅の広さを感じさせます。ある人が、「ヴィシ ネフスカヤは歌手ではない。シャーマン(=巫女)だ」と英文のレビューに書いていましたが、それがわかるような気がします。

マヌグエラのスカルピアは、ゴッビのような憎々しさを前面に出すのではなく、明るめの美しい声で丁寧に歌っています。気品漂う歌は、スカルピアが貴族であることを思い出させてくれます。存在感こそ二人に譲ってはいますが、第一級の優れた歌唱です。

ロストロポーヴィチの指揮は、スケールの大きなもの。普通のイタリア人指揮者のキレの良いカンタービレとは全く違っていて、ここぞと言うところではチャイ コフスキーのようにたっぷり粘ります。ただ、奏法、音色自体は意外にさっぱりしていて、バーンスタインがよくやるような押し付けがましさがありません。色 彩感と感覚的な美しさが前面に出ています。劇場の雰囲気もあります。私はロストロポーヴィチがこれほど見事なオペラ演奏をするとは予想もしていませんでし た。

この内容で13ドルなら、たっぷりお釣りが来ます。

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8/8/2007

急遽、本業で専門と外れた分野のプロジェクトの立案書を書かねばならなくなり、先週から資料読みに没頭しています。これから数週間かけて書く計画書(英 語)の出来次第で将来が決まるので、寝ても覚めても、食事の時も、そのことばかり考えています。このサイトはいい気分転換になるので、更新は続けます。で も、しばらく、サイトに書く分量は減ってしまうかもしれません。

更新情報)ブラームスのソナタ第三番、第三楽章と第四楽章を「晩年の未発表録音」のコーナーにアップロードしました(クリック)。
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8/7/2007

「リヒテル雑感」

先週、8月1日は、スヴャトスラフ・リヒテルの命日です。10周年でした。生まれて初めて自分の小遣いで買ったレコードが、DGから出ていたリヒテルのライヴ録音集でした。10歳の時です。

ある時、音楽に非常に詳しいアメリカ人が、「自分にはよくわからない演奏家が一人いる。リヒテルだ」と言ってきたことがあります。確かに、リヒテルには茫 洋とした所があって、ある程度聴き込んだ音楽愛好家よりも、ビギナーと超一流の音楽家から、より高く評価されているような気がします。実際、その技巧一つ とっても簡単に説明できるものではありません。確かに、在世中は、リヒテルは超絶技巧の持ち主の代表のように言われていましたし、オクターヴの雄大なパッ セージなどを弾かせると、そのタッチの強靭さ、堅牢さは卓越していました。しかし、彼のタッチは、その全盛期においても、アカデミックな意味での完璧さと は異質で、アーティキュレーションも特別洗練されているとはいえず、一種の軽やかさと滑らかさにかけていました。ラフマニノフは素晴らしくても、モーツア ルトなどを弾かせると、時に象の綱渡り、といったおもむきがありました。特に晩年は、左手の運指に問題を抱えるようにもなっていました。こういった欠点 は、ある程度成人してからピアノを本格的に学んだ、という経歴と無縁ではなかったでしょう。その一方で、リヒテルの不思議さは、腕っこきのヴィルトオーゾ さえ尻込みするような難曲を、唖然とするような見事さで弾ききることが出来たことでした。

彼が特別なピアニストだった一つの理由は、むしろ、その、並外れたリズム感と、妥協を排除する精神だったように思います。リヒテルは、通常のピアニストな らば躊躇するような箇所でもリズム、推進力をキープし、ペダルでごまかす事無く弾き通しました。両手が数オクターヴ上の音に跳躍する時でも、音を探す一瞬 の間がなく、最短距離、最短時間で次の鍵盤に力強く到達しています。そのため、時に大きく音を外したりしたのですが、彼は、妥協して安全な道を取るより は、音楽的に「正しい」と思う方法を取る方を常に選びました。それが、リヒテルの演奏に強靭な土台とキレを与え、絶大な説得力をもたらしていました。

シュワルツコップ、グールド、ミケランジェリ、ルービンシュタイン、フィッシャー・ディースカウ........リヒテルのことを讃嘆し、尊敬した大音楽 家は数知れません。彼がリサイタルを開くと、前の席はプロの音楽家達で埋まったと言われています。ミケランジェリ同様、音楽家のための音楽家でした。しか も、リヒテルが、他のアーティストから讃嘆されたのは、そのピアノの技術の高さからだけではありませんでした。シュワルツコップは、フルトヴェングラーの 偉大さについて訊ねられた時、リヒテルを引き合いに出し、「二人とも、作曲家の精神に近づき、作曲家と直接、意思疎通できた存在」と言っています。グール ドも、「素晴らしいピアニスト、自分のアイドル」「作曲家と聴衆をつなぐ、偉大な表現者」とリヒテルを語っていたことがあります。ただ、現在残された録音 を聴くと、その真価がしっかりと記録されたものが、録音の数に比して少ないように思われます。もちろん、これは、彼の演奏のむらの大きさだけでなく、録音 状態の問題もあります。私の知人が、「リヒテルの事がよくわからない」と言っていたのは、リヒテルのスタンダードな名盤以外のレコードの当たり外れの多さ にも原因があるようです。

グールドも、その晩年、「あれほどの偉大なピアニストでありながら、その才能を反映しない録音ばかり出す」とこぼし、共通の友人であるブルーノ・モンサン ジョンを通じて、リヒテルに自身のプロデュースでレコード制作を働きかけた、というエピソードがありました(リヒテルはアメリカ行きは嫌だと拒否)。


Beethoven Andante, Chopin Walzer, Debussy Estampes, Suite Bergamasque
Sviatslav Richter


しかし、もしグールドが上のCDを聴いていれば、きっと彼も納得したに違いありません。これは、1977年、ザルツブルグで行われたライヴ録音を、リヒテ ルの死後、OrfeoがCD化したものです。リヒテルの叙情的、瞑想的な面を美しく記録したもので、全編にわたり、リヒテルの慈しむような、そして自然な 音楽つくりに魅了されます。これ以降、リヒテルは解釈の面で、極端に内省の度合いを深めていくのですが、ここに既にその萌芽があります。崇高なまでの高み にひきあげられたドビュッシー、ベートーヴェンの美しさ。ピアノも木の音がします。定位のはっきりした録音も見事で、臨場感があります。


リ ヒテルと言えば、モンサンジョンの映画、「エニグマ」が有名です。これが出た当時、リヒテルの実像は文字通り「謎」に包まれていたので、あのリヒテルがカ ラー映像で喋っている、というだけで十分ショッキングでした。同名の本も大変面白い本です。巻末にリヒテルの日記、ノートが添付されています。このノー ト、日記的性格を持つものだけに、同僚の音楽家に対する辛辣な評が多く書かれています。これを見ると、リヒテルが無条件で賛嘆していた音楽家は、フルト ヴェングラー、マリア・カラス、カルロス・クライバーでした。特に、クライバーについては、熱狂的ファンと言ってもいい感情を持っていたようです。ただ、 EMIに残されたドヴォルザークのピアノ協奏曲の録音はクライバーと呼吸が合わず、ひどく失望した結果に終わったようで、ノートに何度もそのことが書いて ありました。その他、リパッティ、グールド、ガブリーロフを高く評価していました。カラヤンには好悪入り交じった評価。ミケランジェリについては、「技術 は完璧だが音楽がない」、ホロヴィッツについては、「奇妙だ......」というコメントを残しています。ポゴレリッチについては、「完全にプロコフィエ フを誤解。ひどいペダル使い---自分のやっていることを理解していない-------変な奴だ」。アシュケナージには、「表現=ゼロ。彼は異星人か?」 と手厳しい言葉です。実に面白いので一読をおすすめします。日本語訳も出ています。

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8/4/2007

1973, R. Antonioli 邸での録音、リストの「ワレンシュタットの湖で----Aulac De Wallenstadt」を「晩年の未発表録音」のコーナーにアップロードしました(クリック)。