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「音楽における神童の心理学-The Psychology of a music prodigy」by G. Revesz
「音楽の神童の心理学」。オリジナルのドイツ語版は1916年に出版された。これは、英語版の初版本 (1925)で、しかも1974年7月19日付けのニレジハージ本人のサインが入った稀少本(筆者蔵)。 |
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ニレジハージ少年の驚くべき聴音能力の一例。彼は、ピアノで弾かれた1と2のコードを1度聴き、その全ての音を正確に指摘した。3のコードについては、2度聴き、13音のうち、10の音を正しく指摘し、3音のみを抜かした。
実際の音を聴くとこうなる。 |
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ニレジハージという人物はつくづくユニークな一生を送った人である。活動のピークであるべき壮年期の記録がそっくり抜け落ちている一方、少年時代から青
年期、および、老年期の言動、演奏批評などが、ここまでメディアに克明に記録された芸術家は少ないに違いない。新聞記事だけではない。少年期の彼を
分析した一冊の専門書さえ書かれているのである。
これは、Geza Reveszという研究者が、既に神童ピアニストとしてヨーロッパ中に名が
知られていた、7歳、10歳のニレジハージ少年を対象にした研究書である。題名からも分かるように、本一冊が、天才少年ニレジハージの行動、音感テスト、
記憶テストなどで埋められている。ドイツ語版は、ニレジハージが13歳の時の1916年に出版された。幼少時のニレジハージ少年が生き生きと描写されてお
り、学術的価値の高さだけでなく、読みものとして面白い本である。
筆者が所持しているのは、1925年に発刊された英語の初版本で、1974年、復活後のニレジハージ本人の署名がある。著作権も切れているし、かといってこういった専門書は翻訳もされないものなので、図を引用しつつ、詳しく紹介していきたいと思う。
偏る頭脳---左3枚のパネルは、彼が7歳から11歳の時に描いた、人、机、椅子、動物の
「絵」である。特に、帽子をかぶった人物と机の描かれた真ん中のパネルだが、これが果たして、11歳の絵として真っ当なものと言えるだろうか。線の稚拙さ
はもとより、立体的な視点が全くなく、まるで3-4歳児が書いたような絵である。 右は、同じ11歳の時に作曲された作品の一部で、複雑な和声を持つだけで
なく、メランコリックな感情に溢れている。このコントラスト一つとってみても、彼が異常児だったことがわかる。彼はどんな精神世界にいたのだろう? |
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ニレジハージの幼年期について、この本に(1-9)の事が記載されている。
1) 1歳になる前に歌い出す。
2) 2歳の時、歌いかけられると、それを正確な音程で繰り返した。
3) 会話能力の遅延。3歳まで話すことができなかった。絶対音感は既に備わっており、歌を聴くと、それをピアノで正確に再現した。自分でメロディを作り始めた。
4) 4歳で、耳で聴いた全ての音符をピアノで正確に再現することができ、即興も行った。本格的な作曲を始めた。
5) 5歳で、ハンガリー音楽アカデミーの教授達の前で自作を演奏。6歳でアカデミーに入学。この時までに、舟歌、葬送行進曲、結婚行進曲などを作っていた。作品数点が出版された。
6) 絶対音感の中でも、もっとも完全な絶対音感、「complete absolute
pitch」を持っている類い稀な例だった。これは、超高域から超低音域に渡る絶対音感で、狭い音域に限定される絶対音感を「regional
absolute
pitch」と言う。ほとんどの絶対音感保持者はregionalなもののみである。7歳の時に行なった音感テストの結果、ニレジハージの
complete absolute pitchのレベルは、過去の文献に記録が見当たらないほどの高さであった。彼の音感の正確さは、彼が機器で再現した音程の周波
数測定によっても裏付けられた。それによれば、5Hz以下の誤差で、A=448Hzに基づいた音感だったという(現在の国際基準はA=440Hzである
が、この時代はA=440Hzに統一されていなかった。現在も東欧の基準ピッチは高めである)。Reveszはなんともうかつにも、少年ニレジハージが使用して
いたピアノのピッチを計測していなかったのだが、おそらく、A=448Hzだったのだろう。
7)
同じく7歳。両手でランダムなピアノコードを鳴らした時、全ての音をききわけた。間違えた場合も、オクターブの違いだけだった。これは音を7つ,8つと増
やしても正確性は同じだった。複雑なコードを聴いた場合は、音を抜かすことがあったり、オクターヴ違いはあっても、2度聴けば間違った音を指摘することは
なかった。Reveszによれば、これほどの高い能力は、大人も含めて以前の記録にはみあたらないという。
8)高い思考能力をもっていた。少なくとも、そのように装うことができるほど早熟た子供だった。以下はニレジハージが、7歳の時、庭を歩きながらReveszに語った言葉である(筆者訳)。
「グ
リーグは単調で明確な筆致を持つ作曲家だよ。陰鬱な感情を表現したんだけど、これは北方の影響だね。彼はいくつか素晴らしい曲を素晴らしいハーモ
ニーでつくった。それは稀にしか起きなかったけどね。彼は、全ての楽曲では感情を描けなかったようだね。はっきり言えば彼の音楽は単調で、感情に欠けて
るよ。」
「しかし本当のところ、あの単調な筆致の曲は、シューマンの曲とおなじくらい豊かに彩られた感情が表現されているのかもしれないな。北方では、僕たちの属している世界とは違う自然の調
和があるに違いない。もちろん、音楽というものは、北方だろうが、アルゼンチンだろうが、僕たちの世界と同じであるのは確かだよ。でも(異なった)自然
の雰囲気は、北方の人間達には違う影響を与えているかもしれない。僕たちの感情は彼らのそれとはちがう、¥ということなんだ。でも、そうだからと言っ
て、彼らが僕らと違う、ということを言おうとしているんじゃないよ。彼らは僕らと同じく人間であり、おなじ組織を持っているよ。でも、音楽は彼らにとっ
て違う感情を呼び起こすかもしれない。だから彼らはグリーグの音楽は単調だと言わないのに、僕らは単調だと感じてしまうんだ。」
9)非の打ち所のないようなニレジハージ少年にも欠点があった。絵である。彼の絵は丸と線だけで対象が描かれており、立体的な視点が感じられない。これ
は上手、下手というレベルではなく、もはや幼稚と形容すべきものである。ニレジハージが大人になっても靴ヒモが結べなかったとか、ネクタイが結べなかった
とかいう話があって、それは彼になされた歪んだ神童教育の結果と考えられている。しかし、もしかしたら、立体的にものを把握する能力が先天的に未発達だっ
たため、という可能性も否定できない。
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