サ イト更新情報
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10.30.2024

10月26日-10月30日にかけてイタリアに行っていた。備忘録も兼ねてインプレッションを残しておくことにする。

最初はヴィチェンツァ・オペラ・フェスティバルの10/27公演。世界遺産のオリンピコ劇場で、イヴァン・フィッシャーのオペラ・カンパニーによる「ナクソス島とのアリアドネ」だった。


オリンピコ劇場は非常に小さな劇場
。席が設定されたエリアは300席もなかったかもしれない。こ の劇場は、奥に向かう3本の道に沿って立つ建物が舞台上に再現されており、豪奢な内装とともに、他にはないギリシャ的な美しさを持っている。最初はこの特 殊な舞台を利用するのかと思っていたのだが、実際は違った(使わなかったのは、おそらく内部の建物の保存のためだろう)。全ての事 件はピット内、あるいはピットのすぐ上に作られた細い仮設舞台で起こった。舞台装置も学芸会で使われるような簡素なものがピット内に置かれ、バッカスは玩 具の ような船のハリボテを腰に巻いて登場した。映画やドラマで見るところの中世や古代ローマのアルカイックな喜劇を見るかのようであった。


チープと言える舞台装置の中、歌手達は積極的に走り回り、オケの団員や指揮者のフィッシャーにちょっかいを出し、服や帽子を着せて回った。オケの団員 も立ち上がって踊り、演技し、フィッシャーも歌手からスティックを受け取ったかと思うとそれで指揮を始めたり、突然苦悶の表情で倒れて寝転びながら指揮を始めたりし た。歌手だけでなく、指揮者や奏者達もオペラの世界の中に取り込まれていた。オペラの物語の世界と実際の公演という現実との境界を曖昧にする手法は、 (見たことはないが)ザルツブルク音楽祭でのディーター・ドルンの「アリアドネ」の演出を想起させるものだ。このやり方が違和感なくできるのも、「アリア ドネ」のプロットそのものが舞台と楽屋裏という二重の世界を内包しているからだろう。

この公演では、さらに作品に大胆な改変を加えていた。そもそも、「アリアドネ」という作品は、「町人喜劇」という別作品の劇中劇として構想され、後に「オペラ」部分と、 楽屋裏を描いた「序幕」と組み合わされて現在の形になった。同時に、「町人喜劇」は管弦楽のための組曲として書き直された。この公演では、「町人喜劇」の組曲とアリアドネの 「序幕」を差し替えて、前者をツェルビネッタやハレルキンらが、「オペラ」の部分の舞台装置をセットアップしながら奔走する、という物語とした。歌手が奏者 や指揮者に積極的にちょっかいを出していたのは、主にこの黙劇の部分である。

黙劇が終わると、序幕に入らずにメインの「オペラ」が始まった。この「オペラ」の部分でも、現実とオペラの世界は交錯し、例えばヴィオラ奏者がバッカスの髪飾りについていた葡萄を摘んで食べたりしていた。

「町人喜劇」組曲を黙劇にして「アリアドネ」と組み合わせたのは良いアイデアだと思う。この組曲は「アリアドネ」とも音楽的な関連性があり、同じ旋律も出 てくる。ツェルビネッタやハレルキンを劇場裏方としてここで暴れさせることで、若干シリアスに終わりすぎた感がある現行の「アリアドネ」の「オペラ」部 分の比重が軽くなり、軽い楽屋話の性格がより強くなる。

だからこそ、「序幕」をカットしてしまったのは残念だった。「序幕」はシュトラウスとホーフマンスタールの傑作であるだけでなく、「アリアドネ」を「アリ アドネ」たらしめている中核の部分だからだ。黙劇→「序幕」
「オペラ」の構成で演奏することは十分可能だったし、それによって、改版の「アリアドネ」の世界を壊すことなく、しかも初版の要素をも取り入れつつ、作品の魅力を余すところなく提示することができたのではないかと思う。黙劇のプロットは若干変える必要はあるだろうが。

演奏については何も文句をつけることがない。それどころか、今までこれほど圧倒され、感動したことはなかったかもしれない。以前、フィッシャーの「魔笛」で、 彼のオペラ指揮者としての能力に驚かされたことがある。この夜も多彩なパレットと引き締まった音で全体をまとめ上げていた。最後のクライマッ クスで小さな劇場に轟いた圧倒的な響きの美しさは忘れないと思う。


歌手も素晴らしかった。小さい劇場だったために歌手や奏者との距離が違いことで印象が良くなったこともあるが、個々のレベルも文句なく高かった。特に印象 的だったのが、バッカスのアンドリュー・ステイプルズで、舞台裏で歌い始めた時から、その強靭で豊かな声量に驚かされた。ジェス・トーマスを彷彿とさせる声 だったが、トーマスの歌にある中音域のクセがなく、下から上まで素直に伸びる力強い声だった。アリアドネのマギーも豊麗な歌声。ツェルビネッタのエルバート は、若干声が薄いところはあったものの、音楽性、演技力、容姿、全てにおいては理想的なツェルビネッタ。黙劇ではバレリーナのように軽やかにステッ プを踏み、皆を魅了していた。

聞き終わって最後に心に残ったのは、「やはりシュトラウスは天才」という思いだった。改変があったとしてもよい公演だったということだ。

イヴァン・フィッシャーは毎年このオリンピコ劇場でヴィチェンツァ・オペラフェスティバルを主催している。手作りの舞台だが、歌手の質はメジャー・オペラハウスに引 けを取らないどころか、上回っていたし、何よりも小劇場ならではのアットホームな雰囲気の魅力は捨てがたい。来年から3年間はモーツァルトのオペラが予定されている。いずれ「無口な女」をやってほしいものだ。

次にミラノに移動し、
スカラ座の「薔薇の騎士」の10/29公演を聴いた。指揮はキリル・ペトレンコ、演出は故ハリー・クプファー。ストヤノヴァのマルシャリ ン、グロイスベックのオックス、リンゼイのオクタヴィアン、ドヴィエルのゾフィーである。


「薔薇」への思い入れが「アリアドネ」ほど私にないこともあり、こちらは期待以上でも期待以下でもなかった。ペトレンコの指揮はソリッドなもので、特別に 驚かされるようなことは起こらなかった一方で、全曲を通じての演奏の基準は非常に高いものであった。オケの音は抑えられており、その音は一度たりとも歌手 の声を覆い尽くすことはなかった。歌手のセリフは常に明快に聞き取れたが、このことは シュトラウスでは重要である。第二幕や第三幕の複雑なアンサンブルの箇所でも統率がとれており、現実との妥協の中で最善の選択をしつつ、全体を見事にまと め上げていた。その一方で、音のキレ、響きのパレットの豊かさといった点において、極限まで突き詰められたものを提供してきた、とは感じなかった。ペ トレンコは
、例えばカルロスのような天才的な閃きをもつ指揮者というより、優秀なカペルマイスター、と形容する方が私にはしっくりくる。
 
マルシャリンのストヤノヴァの声は、高いレジスターになるとスラブ系特有のクセが入ることがあって、
最初は若 干の違和感があった。彼女の唱法はこの役には若干重い気がしたものの、こちらが慣れたこともあって尻上がりに印象が良くなっていったように思う。リンゼイのオクタヴィアンは歴代の名オクタ ヴィアン達にもひけをとらない出来。ドヴィエルは声が軽く、 高音が上ずる癖はあったが、役柄には完璧に合致した美しいゾフィーだった。グロイスベックは、「田舎のハンサムなドン・ファン」というシュトラウスのイメージに合 致する オックスで、粗野ではあるが決して怪物的ではなく、おそらく若い頃にはそれなりの色男であったであろう貴族を好演していた。主役の中では彼が一番印象に 残った。故クプファーの演出は背景に ウィーン(?)のモノクロ風の写真を使ったもので、昨今のドイツでよくある演出とは異なり、こちらの鑑賞の邪魔になったり混乱させたりするようなことは一 切やらず、視覚的にも美しい舞台で好感が持てた。このプロダクションを聴きにきたのも、演出がクプファーということで、まず目を瞑らずに聴けるだろう、という予測がつい たから。



9.29.2024

二レジハージには数十年に渡って書いた「ドリアン・グレイの肖像」という大作がある。もともとはオーケストラのための作品として着想されたものが、ピアノ 作品として完成した。彼が深い思い入れを持っていたオスカー・ワイルドの同名作に基づいており、自身が最高傑作とみなしていた作品だ。バザーナの「失われ た天才」が書かれた当時、自筆譜は見つかっていなかったため、とてつもない大作であるという以外には曲の全貌はわからなかった。

数年前アーカイブを整理していたところ、この作品の楽譜のコピーが二部出てきた。一部は欠落があったが、もう一部は完全コピーで、



9.27.2024

復帰後の二レジハージは計9回のフルサイズのリサイタルを行った。彼のキャリアで録音が残っている演奏会もこれら9つ。このうち、1980年の高崎公演は2日間 の公演のハイライトが「平和の使徒たち」のタイトルでLPが東芝から限定リリースされた。さらに最初の3つについては、Sonetto ClassicsがNyiregyházi Liveの名でCDをリリースしてきた。CD未発売は残り6公演となるが、5番目の1978年の
Antonioli邸でのリサイタルのみオリジナル・テープが見つかっていない。あ とはソネットのアーカイブにある。

1) Solo concert at the Century Club, CA, 12/17/1972: Nyiregyházi Live Vol. 1 (Sonetto Classics)*

2) Solo concert at the Old First Church, CA, 5/6/1973: Nyiregyházi Live Vol. 3
(Sonetto Classics) *

3) Solo concert at Forest Hill Club House, CA, 5/24/1973: Nyiregyházi Live Vol. 2 (Sonetto Classics)

4) Solo concert at Ronald F. Antonioli's house, CA, 7/29/1973*

5) Solo concert at Ronald F. Antonioli's house, CA, 4/30/1978

6) Solo concert at TACC, Takasaki, 5/31/1980:平和の使徒たち (Toshiba)*

7) Solo concert at TACC, Takasaki, 6/1/1980:
平和の使徒たち (Toshiba)*

8) Solo concert, Takasaki, 1/10/1982*

9) Solo concert, Tokyo, 1/21/1982*

*Sonetto has the original tape


この他、フルサイズの演奏会ではないが、1975年3月25日にAMICAの会合でリストのバラード第2番を弾いている。これが録音されたという情報はな い。さらに1982年1月19日 にホテル・ニューオータニで行われた誕生記念パーティで「伝説」の二曲目を弾いており、これは録音がソネットのアーカイブに残っている。1982年1月 22日には二レジハージはドキュメンタリー撮影のために東京バプティスト教会を訪れ、そこでベートーヴェン第7の「アダージョ」と「神々の黄 昏」の「ジークフリートの葬送行進曲」のメドレー、「トリスタンとイゾルデ」より「愛の死」を録音した。これもソネットのアーカイブにある。さらに彼の最後の録音 として、 リカルド・エルナンデス邸で弾いたリスト作品二曲があり、これはエルナンデスより託されたオリジナル・テープを用いてNyiregyhazi Live Vol. 2に収録した。

次に出すことになるのは4番目の1973年のAntonioli邸のリサイタル録音になると思う。これに関しては権利関係がややこしくないので。ただ、シューベルトのイ短調ソナタが収録されていないことが確定したので、モチベーションは若干さがり気味。

9.26.2024

ちょっと残念な話を一つ。

ニレジハージは、1973/7/29に復帰後第4回目の演奏会を友人のR. Antonioliの邸宅で行った。この時の主催者発行のプログラムと、彼が残した自筆プログラムによると、後半にシューベルトのイ短調ソナタ Opus 42が組まれて
いた。




この演奏会の録音はCD-Rの形で長らくマニアの間で出回っていた。ただ、このシューベルトのソナタの録音だけは確認されておらず、一つの大きな謎になっていた。

数年前、ニレジハージの盟友で支援 者、この演奏会の録音を行った故リカルド・エルナンデスが、演奏会のオリジナル・リール・テープを
私に託してきた。まだこのテープの内容を再生して確認していないの だが、テープを収めた箱の中にメモが入っていた。そこにはやはりシューベルトのソナタに関する記述は無かったのだが、それでも、もしかしたらオリジナルのテープには収録されているかも、という淡い期待をもっていた。


さきほど、当日の演奏会を聴いたAMICAのメンバーによる演奏会の報告を 見つけた。それによると、当日になってニレジハージが、(シューベルトのソナタから)「さすらい人幻想曲」にプログラムを変えたらしい。このプログラム変更はケヴィン・バザー ナも把握していなかった。二レジハージに関する長年の謎が一つ解けたのは良かったが、彼がイ短調ソナタを弾かなかったこと、よってその録音は存在しない、ということ がこれで確定した。残念なことだ。



9.14.2024

音楽誌の年間購読料ディスカウントの話題。

かつてClassical Recordings Quarterly (CRQ) という季刊誌があった。International Piano Quarterlyと同様の、コア層向けの非常に中身の濃い音楽誌だったのだが、2015年に廃刊となった。その後、CRQに寄稿していた評論家のJoe Mooreが2022年に創刊したのがLiner Notes Magazine (https://liner-notes-magazine.com/) で、位置付けとしてはCRQの後継
誌を目指しているオンライン誌。

Liner Notes MagazineとCRQには若干の性格の違いもある。後者がレコード批評を中心としていた一方、前者が音楽家だけではなく、レコードや音楽業界の周辺、 例えばプロデューサー、写真家、エンジニアのような人々や、デザイン、アーカイブといった事象にも焦点を当てている。2022年春号 (issue 2)には私のインタビューが掲載されていて、これはオンラインで無料で読める (https://liner-notes-magazine.com/articles/label-spotlight-sonetto-classics/)。そのほか、マーク・エインリー、トニー・フォークナー、ノーマ・フィッシャー、ウォード・マーストンといった人々が登場していて、これからは日本人や日本の団体も登場すると思う。Joeに数名、数団体を取りあげるよう具体的に名前をあげて助言しているので。

年間購読料は20ドル。ただしコード(SC20)を使うと、最初の1年間は16ドルとなり、2年目は通常の20ドルに戻る。デフォルトは自動更新。

ちなみに、私と同じく、Joeはジャケ写にも強い関心があって、過去LPのジャケ写が数多く掲載されている。それらをボーっと眺めるだけでも楽しい。年間16ドルならタダみたいなもの。試しにどうぞ。




5.27.2024


先日、SonettoのCDのカスタマーの一人である佐竹優輝さんがプロモートする、フォルテピアノの川口成彦さんの演奏会がマドリードであった。友人で、マドリー ド在住のソプラノのEstibaliz Martynも誘って出席。演奏はこちらのフォルテピアノに対する偏見を大きく変えるもので、
楽器から驚くほど多彩な音色が聴こえてきた。速めのテンポ、クリーンで感情を抑えた博物館用の音楽、という印象がある古楽演奏と異なり、むしろロマンティックで情感溢れる演奏。後で好きなピアニストを訊ると、「アラウ」とのことで納得。古楽界隈に多く棲息する教条主義的で原理主義的な連中は受けつけないかもしれないが、重要なのは音楽性だ。私は気に入ったし、Estibalizも涙が出たとのこと。

演奏会後は、Estibaliz、ロンドンの音楽仲間のYさん、ドルトムン ト・オペラ副MDの小林資典さんも含めて楽しいひとときを過ごした。私のポリシーは宮崎駿監督と同じく、自分の半径数メートルで仕事をする、というもの で、実際、今までもずっとそうやってきた(一つには単に面倒臭がりなのだが)。今回できた繋がりからもいくつかの新プロジェクトが生まれる見込みもでてき た。

川口さん曰く、将来ロンドンで弾きたいとのことだったので、ノーマ・フィッシャーに繋げることを約束。実際、昨日、楽器の下見のために英国にやってきた川口さんをノーマに紹介 し、彼女の人脈を使わせてもらえることになった。そういえば、ノーマが何度も私と川口さんの容貌が兄弟のように似ている、と繰り返していた。年齢もだいぶ違う し、そんなに似ていないと思うのだが。彼の方が表情が柔和だし、人当たりもいい。

あと、ノーマにはBBC Vol. 4の制作に入るつもり、と告げた。まずはBBCからブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番の録音を取り寄せる必要がある。手元にエアチェックのテープはあ るのだが、できれば放送局音源が望ましくて、数年前から発掘をお願いしているところ。このブゾーニはノーマの傑作で、以前もノーマに頼まれてタスミン・リ トルに録音を送ったことがある。絶賛の反応だった。これとサン・サーンスのピアノ五重奏曲、ベートーヴェンのソナタ三曲を組み合わせようと思っている。


4.3.2024

先月31日をもって日本を飛び出してから25周年を迎えた。この間、仕事でもプライベートでもいろいろな出来事があったが、ここではニレジハージをトピックの中心に据えて振り返ってみる。

私は1999年4月1日より、米国サン・ディエゴのソーク研究所に1年間所属した。初めての米国生活だったことに加えて、当時のボスがクレージーだったこ ともあって、最初の1年は音楽の事を考える余裕などなかった。2000年春にシアトルのフレッド・ハッチンソン癌研究所に異動し、良い環境の元で余裕も出てきて、ちょっとした演奏活動も行うようになった。最初にニレジハージに関 わり始めたのがこのシアトル時代である。

私にとって2003年という年は仕事においては豊穣の年で、論文が5報も出た上、米国血液学会(ASH)と白血病・リンフォーマ学会(LLS)という、
二つの米 国 の組織からスカラ―賞を同時に貰った。一方で、仕事での幸運とバランスをとるかのようにプライベートでは不幸、不運続きだった。まず、4月に長 年闘病 していた大学時代の同級生がリンパ腫で亡くなった。卒業後も時々メールを交換する間柄で、その年初に帰国していたのにも関わらず、「まあ、今回はいいか」と病床の彼女の見舞いに行かなかった。それを知った本 人はメールで「ばかやろー」と怒ってきたのだが、それが死の1-2週間前だった。この時に受けたショックが影響したのか、直後にシアトルで大きな自転車事故を起こして頭を強打し、救 急車で運 ばれた。さらにその数週間後には山中で落馬、肘を完全脱臼してまたもや救急搬送。病院から戻ってきたところで祖母の訃報が届いた。目の周りには痣があり、吊った右手は丸太のように腫脹していたが、あちこち痛む体をおして帰国し、葬式に出席した。その頃は毎月のように悪い出来事が起きていたため、飛行機が無事に日本に着いた時は意外に思ったものだ。

大袈裟にとられるかもしれないが、当時はその年を生きて乗り切れる自信がなかった。そこで、金をこのまま遺しても仕方ない、積極的に金を使ってしまおう、 と決めた。考えたのが音楽関連のアンティークの購入である。音楽ならば、贋作に惑わされることなく、真に価値あるものだけを買えるだろうと考えた。 調べてみると、作曲家の自筆譜などのメモラビリアには掘り出し物 がまだ沢山眠っているように見えた。その時にふと頭をよぎったのが、子供の頃に父のLPで聴いたニレジハージの事である。彼は一時期、楽界を著しく賑わせたが、2003年ま でにはほぼ完全 に忘れ去られていて、よほど熱心なクラシック音楽好きでも名を知らないような存在だった。だが近い将来、その状況もまた変わるのではないかと思ったのである。

最初に購入したのが、1920年のカーネギーホールのデビュー公演の
ポスターだっ た。購入記録を見て私に連絡してきたのが、カナダ在住の音楽学者であるケヴィン・バザーナである。当時、彼はニレジハージの最初の伝記、後にLost Geniusと呼ばれることになる作品を執筆中とのことだった。そ こから毎日のようにバザーナとメールのやり取りが始まり、Lost Geniusプロジェクトや、彼の過去の研究対象のグレン・グールドについて意見を交わすようになっ た。

その後は既に書いてきた通りである。一枚のポスターが、バザーナの伝記のための取材、fugue.usの開設、Lost Genius邦訳版 「失われた天才」の企画、英国移住を経てSonetto Classics設立、高崎アーカイブの取得、CDニレジハージ・ライブ・シリーズのリリースへと私を導いていくような形になった。さらに一連のニレジハージ関連の活動が名刺となって、内外の研究者、批評家、出版社、音楽家との繋がりができ、彼らと一緒に仕事もするようになった。そんな中でプロデュースした一枚が、2020年のハンガリー・リスト協会国際グランプリ・ディスクに選出。まるで「わらしべ長者」の物語の ようにも見 えるが、違うのはお金が貯まらずにひたすら出ていったという点である。ただ自分の世界は確実に広がった。

あの時、もしニレジハージのポスターを買っていなければ、この25年は、私にとって少々退屈なものになっていたのでは、と思う。とはいえ、はたして後世にずっ と残るような仕事が音楽の分野で出来たか、というと正直疑問なところはある。長い目で見て残るのは、せいぜい高崎のアーカイブを廃棄から救ったことになるかもし れない。それも次世代へと繋いでいかないと意味がないので、アーカイブの行末についてはこれからきちんと考えていきたい。

追記:2022年のLiner Notes Magazineの英語インタビューの全文が無料で読めるようになった。こちらではソネットの歴史、ニレジハージ、ノ―マ・フィッシャーとの関わりを中心に話している。
https://liner-notes-magazine.com/articles/label-spotlight-sonetto-classics/



1.10.2024

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

老舗のレビューサイト、加藤幸弘さんのClassical CD Information & Reviewsでは度々
Sonettoのアルバムを取り上げていただいている。2023年のベストCD + 番外編の一枚にNyiregyházi Live Vol. 3が選出されている。

昨年から今年にかけて体調を崩してしまい、確実なことは言えないのだが、今年はノーマ・フィッシャーの4枚目のアルバムの制作に入りたいと考えている。その他、ニレジハージ作品の出版プロジェクトも進行中で、これも今年中に形にできればと思っている。

藤田恵司氏のルービンシュタイン本が昨年アルファベータ社より出た。ほんの少しだけだが、執筆時に調査をお手伝いしている。