ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの息子、フランツ・クサヴァー・モーツァルトの義父(コンスタンツェの再婚相手)、ゲオルグ・ニクラウス・ フォン・ニッセンが1828年に書いた伝記には、1820年頃に描かれたという一枚の作者不明の水彩画が掲載されている。この画はしばしばヴォルフガング の 耳として紹介されるが、実際は息子フランツ・クサヴァーの耳を描いたものだ。左図にはフランツ・クサヴァーの筆跡で「Mein Ohr=私の耳」とあり、右図には「ein gewohnliches ohr=普通の耳」とある。さらにMeinが線で消され、その横にニッセンの筆跡で「モーツァルトの」と書かれている。伝記の本文に、この耳はフランツ・ クサヴァーの父親、つまりヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトから遺伝したことが明記されている(1)。
この耳の形成異常は現在、「モーツァルト耳」として学会で知られている。「モーツァルト耳」の特徴は以下だ。通常よりも円形あるいは四角い耳、対耳 輪の突出、耳上 部の扁平化、耳たぶの形成異常や欠失などである(2)。
2017年の報告(3)によれば、現在まで国際論文のモーツァルト耳の報告は4例のみだという。同報告において、「耳の形成外科の患者576例中3 例」にモーツァ ルト耳が観察された、とある(0.5%)。1986年の写真を用いた調査(2)において、形成手術を受ける予定の患者888例の中にモーツァルト耳が13例見つ かってい る(1.4%)。ただ、あくまでこれは形成異常を持つ患者を母数集団にした場合なので、一般人を母数集団にすればこれよりもはるかに低い割合となるだろう。続け て行われた調査 では、バーミンガムの耳鼻咽喉科を訪れた患者1185例、ロンドンの耳鼻咽喉科を訪れた1092例を調べたところ、それぞれ1例のモーツァルト耳が観察され た (2)。形成異常の患者を母数集団としない場合、病院での集計における有病率は概ね0.1%以下である。
こういった数値は重要だ。というのは、コンスタンツェは、「レクイエム」を完成した作曲家フランツ・クサヴァー・ジェスマイヤーと愛人関係にあったと いう噂があり、その唯一の根拠は不義の結果できた子 供にジェスマイ ヤーと同じ名をつけたから、というものだからだ。だが上記の調査結果からわかるモーツァルト耳の出現頻度の低さから、以下のことが明 確に示唆できる。つまり、モーツァルト家に二代続けてこの形成異常が起きたメカニズムは遺伝によるものであり、よってヴォルフガングとフランツ・クサ ヴァーは遺伝的な父子関係にある、ということである。ジェスマイヤーがヴォルフガングと同じ耳の持ち主だった、という可能性 も全く ゼロではないが、これは確率的にはほぼあり得ない。コンスタンツェに「モーツァルト耳」への執着があって、この耳の持ち主を1000人以上の人々から探し出し て愛して子をなす、という変わった性癖でもあれば別だが。
ニッセンによる伝記の記述から、ヴォ ルフガングがいわゆるモーツァルト耳の持ち主だったことはほぼ疑いがない。だが、それを肖像画で確認することは可能だろうか。実際のモーツァルトをモデル に描かれた肖像画とされるものは数 枚現存しているものの、顔の向きや髪の毛で左耳が隠されているものが多い。1789年にDoris Stockによって実際にヴォルフガングをモデルとして描かれたプロフィールでは左耳の一部が見えるが、左耳がモーツァルト耳かどうかまではわからない。 本人が耳 の形を気にしてあえて隠した可能性がある。
1. Wolff (2012) Mozart at the Gateway to His Fortune: Serving the
Emperor, 1788-1791. W. W. Norton & Company
2. Paton, et al (1986) Looking for Mozart ears. Br Med J (Clin Res
Ed). 293(6562): 1622–1624.
3. Telich-Tarriba, et al (2017) Mozart Ear Deformity: A Rare
Diagnosis in the Ear Reconstruction Clinic. J Craniofac Surg.