アーティスト、ニレジハージを語る
君はさすらい人のように弾いたね。
-------ジャコモ・プッチーニ, 作曲家、1912年 (1)
天才!
-------フランツ・レハール、作曲家、1912年 (1)
ニレジハージかい?彼は鍵盤でなんでもできてしまうよ。
-------エルンスト・フォン・ドホナーニ, 作曲家/指揮者/教師、1910年代初頭 (1)
(ニレジハージ少年がとあるパッセージをこなした瞬間、思わず)
「ブラーヴォ!」
-------モーリッツ・ローゼンタール、ピアニスト(リストの高弟)、1915年 (1)
リスト以来、私はこんな演奏を耳にしたことがない。
--------フレデリック・ラモンド、ピアニスト(リストの高弟)、1916年 (1)
(ニレジハージ少年のロ短調ソナタを聴いて)
君の遅いテンポはまさにリスト本人が採用していたものだよ。
--------フレデリック・ラモンド、ピアニスト(リストの高弟)、1916年頃 (1)
(ニレジハージ少年のブダペストのオーケストラ演奏会のデビュー公演を聴いて)
君は本当に大したことをやってのけたな。
-------エルンスト・フォン・ドホナーニ, 作曲家/指揮者/教師、1916年 (1)
リスト以来最大のピアノの才能。
--------マルティン・クラウセ、リストの高弟でクラウディオ・アラウの師、1917年 (1)
(リストの協奏曲のリハーサル時、ゆったりと弾き始めたニレジハージに驚き)
そんなに遅くかね?(ニレジハージ少年 「はい!」)
-------アルトゥール・ニキシュ、指揮者、1918年 (1)
(15歳のニレジハージによるリストの「波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ」を聴いて)
もう自分は二度とこの作品を弾くことはあるまい。
-------ヨゼフ・レヴィーン、ピアニスト、1918年頃 (1)
自分にはこの少年の演奏がいいとか悪いとか決めることができない。
-------セルゲイ・ラフマニノフ、作曲家/ピアニスト、1920年、カーネギーホールにて (1)
彼は(テクニックで)ホロヴィッツを恥じいらせた。
--------アダム・キャロル、指揮者/ピアニストでAMPICOのテクニシャン、1920年代?(1)
確実に言えることは、このシーズンで聴くことのできた、ニレジハージ氏によるバッハ=リストの幻想曲とフーガの冒頭の演奏以上に、ピアノ演奏というものが巨大で圧倒的だったことはなかった、ということだ。
-------ディームズ・タイラー、作曲家、1923年 (1)
(演奏を終えたニレジハージに)
あなたは私の知る中でも最高の天才性に満ちている。
------アーノルド・シェーンベルク、作曲家、1935年 (1)
Hunecker
(当時、アメリカ最高の評論家の1人)いわく、「リストの生まれ変わり」。それはどうやら正しかったらしい。リストが、ニレジハージほど素晴らしいと仮定
しての話だがね。.....彼がピアノから引き出す響きは空前絶後のものだよ。少なくとも、私はあんな響きは聴いたことがない。
------アーノルド・シェーンベルク、作曲家、クレンペラーへの手紙、1935 (1)
(Desmar盤を聴いて)
幻想的だ。
-------ギャリック・オールソン、ピアニスト、1974年 (1)
(Desmar盤を聴いて)
これほど完全かつ見事に弾かれたものはいまだかつて聴いたことがない。
-------ジュローム・ローズ、ピアニスト、1974年 (1)
(Masterworksのリスト集について)
馬鹿げた代物。
-------アール・ワイルド、ピアニスト、1978年 (1)
(Masterworksのリスト集について)
アマチュア、ジョークだね。
-------ヴラディーミル・アシュケナージ、ピアニスト、1978年 (1)
(Masterworksのリスト集について)
彼は50年間練習せず、そしてするべきだったように聴こえる。
-------アビー・サイモン、ピアニスト、1978年 (1)
40
年経った今でも、(ベートーヴェンの第32番ソナタ)第一楽章の巨大な演奏、ピアノに端座したニレジハージの巨大な力を覚えている。そして、滑らかな皮膚
に浮き出た青い血管を持つ、白くほっそりした手から繰り出された、哲学的な美しさに満ちた第二楽章を覚えている...........(自らに霊感を与え
た)稀有の存在は、登場した順番に、ニレジハージ、ホロヴィッツ、カベル、そしてカラスだ。ニレジハージが最初だった。彼の与えた印象はあまりに偉大だっ
たために、40年たった今でも、身の内に戦慄が残っているほどだ。
------レイモンド・ルーウェンサール、ピアニスト、1978年 (1)
最初に彼を聴いたのは15歳の頃だ。彼はその頃すでに私が育ったハリウッドにいた。まだ彼の神童時代からそう経っていなかったから、まだ全盛期のものがか
なり残っていた。彼の演奏は何度も聴いたが、最初に聴いた時のプログラムはベートーヴェンのOp.
111のソナタで始まった。それはいまだに私の人生の偉大な記憶の一つとして残っている….。私は彼の演奏をたくさん聴いた。お金があればもっと聴くこ
とが出来たのに。私は彼のチャイコフスキーの協奏曲を聴いたし、他のリサイタルもいくつか聴いた。彼の演奏は完全に記憶しているよ。当時の私に大変な感銘
を与えたからね。彼には30年以上会わなかったが、今年の冬にニューヨークで彼に会った。彼は私がプログラムの細部まで記憶していることに驚いていたね。
ハリウッドでは私は彼のことを個人的に知っていて、よく会いに行っては言葉を交わしたものだった。残念ながら自分が願うほどは彼には会えなかったが…我々
には共通の友人がいてね。彼(ニレジハージ)は大変シャイな人物で、当時も出歩くようなことはなかったからそう頻繁には逢えなかった。だが、私はいつも彼
とその才能に大きな感銘を受けていたんだ。私は彼は正真正銘の天才だと思っている。それに疑いはない。今の彼
の演奏は、当然ながら30年は演奏していなかった偉大な天才の名残りだ。50年演奏していなかった、とかいうのは間違いで、私がハリウッドで育った頃には彼は
沢山演奏していたし、練習もしていた。他の人ほどではなかったにしても練習も準備もしていて、そういった演奏は見事だった。もちろん、当時の彼はまだ巨大
なテクニックを持っていた。彼ほどの才能の持ち主でも長い期間には衰えてしまう。大きな悲劇だよ。歴史上、他に比較が思いつかないような本当に偉大な才能
の名残りなんだ。
……「ダ・ヴィンチの"最後の晩餐"のようだ。絵の残骸だが世界で最も偉大な絵の残骸」。ある意味、私がニレジハージのリストの後年の録音に感じるのはこれだ。私は発売前のフォード財団の録音をたくさん聴いた。とてつもなく感動した。そこで人は巨大な音楽的個性を見る
ことができる。加えて彼は非常に興味深い人物で、いろんな点で大変知的で、彼と話すのは面白いんだ。彼がニューヨークに住んでいたらな….。実際に彼が
ニューヨークに戻ってくるという会話もしたけど、そうなったら彼にもっと会えるのに、と思う。魅力的な人物だからね。彼の今のレコードからは彼のことを完
全に判断することはできないよ。すでに言ったように、完全な絵の不完全なバージョンだからね…。廃墟の中にあるけれど、素晴らしいものが表出されていて、それは現在
他の誰からも聴けないものだ。
すでに話したように、初期の彼はスタンダードなレパートリーも手がけていた一方で、常に他の誰も弾
かないような変わったものに興味を持っていた。例えばピアノでブルックナーの第九交響曲をハリウッドのコンサートで弾いたりね。私はそのコンサートは聴かな
かったけれど、プログラムは持っていた。別の時には「エレクトラ」の最終シーンを弾いたりした。彼はいつも一風変わったものに興味を持っていて、それ
は他の人にはできなかったことだ。当時の彼はスタンダード・レパートリーを手がけていたが、今はもうそれを恐れるようになった。人々が、生涯を通じて弾き続け
ているルービンシュタインやホロヴィッツを判断するような感じで自分を判断してしまう、と考えたからだ。いくらホロヴィッツが12年弾いていなかった、とは言っても、彼は
練習していたし、悲劇的なことに極貧の中に長年過ごしたニレジハージとは全く異なった状況で暮らしていた。だから、彼は自分がブラームスのソナタや、そういったもので
人々から判断されることを嫌がったんだ。彼は人々が自分のことを理解できるとは彼は思っていないし、実際、ほとんどの人は理解しようとしないからね。でも少なくとも私は、人々が昨今リリースされてきた彼のテープや録音をもつことができるのはとても嬉しいんだ。というのも、それらは正真正銘の天才の記録だからね。
------レイモンド・ルーウェンサール、ピアニスト、1978年 (10)
(フォード財団のテープを試聴後、興奮して)
ニレジハージは真のリストの音を持っているわ。
-------アリシア・デ・ラローチャ、ピアニスト、1970年代後半 (9)(注)
(上のラローチャの興奮に苛立って)
我々の中にもリストを弾くのがいるんだぞ!
-------クリフォード・カーゾン、ピアニスト、1970年代後半 (9)
(ホテルオークラでの演奏会を聴いた後)
頭おかしいんじゃないか。
-------武満徹、作曲家、1982年 (1)
(レコーディング・エンジニアに「ニレジハージスタイルで弾いてくれ」と余興で頼まれて)
グールド「(笑)彼のスタイルは研究したことがないよ!」
エンジニア「彼のレコードをいくつか送ろう」
グールド「(笑)ノー、ノー。もう持っているよ。だから研究していないのさ!」
-------グレン・グールド、ピアニスト、1982年 (6)
..............表
現も完全に主観的である。彼は作品を弾いているのではない。その作品を道具にして、自分の音楽、自分の感情を語りかけてゆくのだ。そこにはもはやニレジ
ハージしか存在しない。指がもう思うように動かないこともあるのか、テンポは非常に遅くリズムも徹底的に崩される。ffの音色は決して綺麗とは言えない
が、それにしても左手の強打はうなりを発するほどもの凄く、右手の清らかなピアノが対比される。表現力は抜群である。僕としては無条件に彼の演奏を謳歌するも
のではないが、スケールの小さい機械主義に陥った現代、ニレジハージが騒がれるのも十分うなずけるのである。すっきり弾かれたグリーグなど無比の美しさで
あった。
-------宇野功芳、評論家/指揮者、1982年 (2)
アー
ヴィン・ニレジハージは有名なハンガリーのピアニストで、一時はパデレフスキーの比類なきライヴァルだった。大変な経歴の持ち主でもあった。彼は素晴しい
ピアニストだったが、非常に変わった男でもあったよ。彼は特にリストを弾いた時、非常に重厚なタッチで弾いていたために指から出血するほどだった。覚えて
いるのは、初めて私と演奏した時のことだ。ステージを降りて彼に挨拶した。彼は指に絆創膏を撒いていたものだから、「一体全体どうしたんだ
い?」と訊いてみた。すると彼が言うには、「ああ、指から出血した時に鍵盤が滑らないように守っているんだ」。彼は一時本当に有名だったね。彼がリスト
の協奏曲を弾くたびに、ホールは満杯になったものだよ。だいぶ後になって、彼は再発見された。私はたぶんニレジハージの録音をいくつか持っているよ。彼は
自分が何をやっているかわかっていたし、我々も素晴しくうまくやっていた。
-------ジェームズ・サンプル, 指揮者/作曲家、1992年(7)
彼
はとても変な奴だった。神童で、気違いじみていて、そして素晴しい天才だった。
1920年代か30年代、ブダペストで彼を聴いた。彼はリストの「Totentanz」を弾いた。易しい小品じゃない。はっきり覚えているのは、変奏曲の
一つにもの凄く速いフォルテッシモのパッセージがあるんだが.......自分たちは違う指をつかってなんとかやるような箇所だ。しかし、彼はまるでアス
ファルトを掘るかのように、杭を打ち込むみたいに一本指で演奏した。信じられないようなパワーとエネルギーでね。それはもの凄いものだったよ。
-------ジョルジュ・シャンドール、ピアニスト、2000年代(5)
ニ
レジハージの芸術を判断するのは簡単ではない。なぜなら、残っている録音は彼の最後の年月になされたものばかりだから
だ。................もし人が森を見、そして朽ち果てた樹々を無視できるのであれば、彼らは持続するフレーズ、霊感に満ちた旋律の形成、
そして戦慄を伴うイメージを励起させる、圧倒されるような響きを持つ音楽に引き込まれざるを得なくなるだろう。
-------アントン・クェルティ、ピアニスト、2007年(3)
(Desmar盤について)
このアルバム「ニレジハージ・プレイズ・リスト」には比類なきタイミングと音色が記録されていて、それで彼は私のフェイヴァリットになった。このアルバムを私にくれたネイサン・リーも彼のことが大好きだ。私はニレジハージみたいに弾けるようになりたいんだ。
-------ユンチャン・イム、ピアニスト、2022 (8)
参考文献
(1) Lost genius, Kevin Bazzana
(2) 音楽の友、1982年3月号
(3) Toronto Globe and Mail, 3/17/7
(5) http://www.pianoworld.com/ubb/cgi-bin/ultimatebb.cgi?ubb=get_topic;f=12;t=000092;p=0
(6) ブラームス「ラプソディ、バラード集」セッションのテープより、1982年
(7) fugue usに寄せられたKevin Bazzanaの寄稿文
(8) https://youtu.be/u16FeK2PKrU
(9) Gregor Benko, Gramophone. 1994(March);p11.
注)ベンコーによる別手記によると、ラローチャの発言は、「あの人物のリスト演奏は信じられないー彼は真のリストのためのピアノの音を持っているわ」 というもので、大変興奮した様子だったらしい。
10) Raymond Lewenthal, Interviewed by Donald Milandi on Sep 21, 1978
(https://www.youtube.com/watch?v=iAeacwKSziE&ab_channel)
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