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モーツアルトの公式




木の年輪幅は外的要因に影響されるため、その幅を調べるだけで、年輪が刻まれた時期の自然災害、天候、気温などがわかると言う。

Tomoyuki Sawado (Sonetto Classics)

芸術作品というのは、往々にしてそれを生み出した芸術家の状態をそのまま反映することがある。いわば、芸術作品は、彼らの「年輪」である。ということは、逆に、作品の方を詳細に調べることで、芸術家の精神構造、性格、経済状態等を知ることができる筈である。

最も単純なアプローチとしては、作品数と年齢の相関関係を調べることである。例えば、作品番号と年齢をプロットし、その直線(人によっては曲線)の形を見 るのだ。相関関係が良ければ、近似式も作れるかもしれない。もちろん、作品には大作もあるし、作品番号が作曲年を反映していない場合もある。質を見るべ き、という意見もあるかもしれない。ただ、やってみると、いろいろなものが見えてくるものだ。




モーツアルトのケース

モーツアルトについては、わざわざグラフをプロットするまでもなく、既に近似式が出されている。モーツアルトは幼児の頃から作曲を始め、35歳で死去するまで、生涯に600曲を超える作品を書いた。彼の年齢と作品番号の間には、緊密な比例関係があると言われている。

年齢=Kv number/25+10

この式が、モーツアルトの年齢とケッヘル番号の関係を表したものである。ケッヘル番号自体、修正されたものが増えてきているし、若年時にはこの公式があてはまらない。だが、10代以降の多くの作品にこの式が適用できる。以下は一例である。

_______
作品(年齢)
近似式=計算上の年齢

Concert for Flute and Harp (22歳)
Kv299/25+10=21.96

Die Entfugrung aus dem Serail (25-26 歳)
Kv384/25+10=25.36

Figaro (29 歳)
Kv486/25+10=29.44

Prague (30 歳)
Kv504/25+10=30.16

Don Giovanni (31 歳)
Kv527/25+10=31.08

Clarinet Quintet (33 歳)
Kv581/25+10=33.24

Requiem (35 歳)
Kv626/25+10=35.04

こ の単純な公式が成り立つのは、最晩年に至るまで、モーツアルトが年に25作品、つまり2週間に1作という凄まじいペースで作品を生み出していたからであ る。これは大変なことで、その中にはオペラ、ミサ曲、交響曲といった大作が数多く含まれるのである。プライヴェートでも、失恋、父親の死、大司教コロレー ドとの闘争、最晩年の病気等、順風満帆からはほど遠い状況だった。そういった外的要因に影響されることなく、天才は機械のように一定のペースで(しかもハ イレベルの)作品を生み出すことができた。


ベートーヴェンのケース



ベートーヴェンの作品番号(X軸)と年齢(Y軸)の関係

ベートーヴェンの場合はどうなるだろうか。作品番号1-135と年齢との関係を単純に打ち込んだグラフは左のようになる。近似式を無理につくれば、次のようになる。

年齢 = 0.2x作品番号 + 24

左の直線がそれに相当する。グラフを一見してわかるように、この近似式と、実際の作品のプロットとの相関関係はあまり良くない。彼の場合、作曲ペースに はっきりと波がある。一説では、彼は胎児の時期に梅毒に感染していたと言う。躁鬱だったシューマンのようにベートーヴェンにも躁鬱病の気があったかもしれ ない。少なくとも、ベートーヴェンはモーツアルトと異なり、外的・内的要因に影響されやすかった。例えば、聴覚障害で遺書を書いた32歳前後は、その後の 一種の開き直りで作曲に没頭し、非常に多くの作品を残している。そのため、グラフの傾きがゼロに近くなっている。そして、失恋があったという37歳頃まで は、グラフの傾きが急になる。つまり、作品の数が減るのである(ただ、「運命」等を生み出した「傑作の森」はこの時期だ)。その後、40歳にかけて、急激 に作品数が回復する。そして、二度目の失恋からくる鬱状態があったとされる41歳前後は、作曲がまばらになる。その後、大作を手がけ始めることもあって、 ペースは51歳まで回復しない。そのため、晩年の作品と年齢の関係は、上の公式から大きく逸脱してしまう。以下を見れば、それが明らかだ。

_______
作品(年齢)
近似式=計算上の年齢

英雄 (35歳)
0.198xOp55+24=34.5

運命(36歳)
0.198xOp67+24=36.9

ハンマークラヴィーア(49歳)

0.198x106+24=44.6

第32番ソナタ(52歳)
0.198xOp111+24=45.6

ミサ・ソレムニス(52歳)

0.198xOp123+24=48.0

第九交響曲(54歳)
0.198xOp127+24=48.7

近 似式があてはまるのは、30-40歳の間だけだろう。晩年は6-7年もの誤差がでている。果たして、「情念の人」ベートーヴェンにあてはまる式など存在す るのだろうか?多少、マシな式を設定することはできる。それを使ってみると、計算値は以下のようになる。この式を仮にf(x)と呼んでおく。xは作品番号 である。

_______
作品(年齢)
近似式=計算上の年齢

英雄 (35歳)
f(x)=32.4

運命(36歳=計算値)
f(x)=35.4

ハンマークラヴィーア(49歳)
f(x)=46.0

第32番ソナタ(52歳)
f(x)=47.0

ミサ・ソレムニス(52歳)
f(x)=48.8

第九交響曲(54歳)
f(x)=50.3

若 年時の誤差は大きくなってしまったが、晩年の誤差は4-5年になった。彼の生涯を代表する式としては、前のものよりも多少マシ、と言えるだろう。しかし、 この式は使えない...................以下を見ていただければおわかりになるだろう。この複雑さこそが、いかにもベートーヴェンらし い、といえるかもしれない。

f(x)= -1.709869E-16*x^10 + 1.151733E-13*x^9 + -3.281255E-11*x^8 + 5.142555E-9*x^7 + -4.827686E-7*x^6 + 2.769590E-5*x^5 + -9.496893E-4*x^4 + 1.829894E-2*x^3 + -1.810154E-1*x^2 + 1.048427E+0*x + 2.373633E+1

(x=作品番号)



シューマンのケース

シューマンの作品番号(X軸)と年齢(Y軸)の関係

ベートーヴェン以上にペースが不安定なのが、シューマンの曲線である。 彼は、20歳頃に感染した梅毒が脳にまわり、46歳で死去しているのだが、一見して、二つの点に気づかされる。一つは、カーヴの傾きが後年になるほどなだ らかになっていることだ。これは、質の低下はともかく、最後の数年間は非常な多作家だったことを示している(ただ、最後の2年間のみは作品番号のつくもの は存在しない)。もう一つは、階段のようなカーヴの形である。30歳以降のシューマンは、精神錯乱の症状にたびたび悩まされた。梅毒というのは、数年単位 で症状が出る時期と、小康状態を行き来する病気で、最終的には脳をやられて廃人になる。シューマンのグラフのいびつさにもそれが見えるようで、痛ましささ え感じさせる。

例えば、30歳頃は、クララとの結婚生活もあって、幸福の絶頂だった。同時に、この時期は創作のピークでもあり、立て続けに作品を書いているのがわかる。 ところが、少しずつ作品が減り始め、33-34歳の頃には作品がほとんど出ていない。この時期は、シューマンがドレスデンで、梅毒から来る精神異常--- 躁鬱病に悩まされた頃と一致する。その後も作曲数が伸びないのは、長男の死の影響があったことに原因がある。40歳頃にデュッセルドルフに移り、この頃、 梅毒の小康期に入ったこともあって心身が回復しており、「ライン」等を含む数多くの作品を書いているが、「レクイエム」のように、現在、まったく顧みられ ない作品も少なくない。この状態は数年続くが、44歳頃から精神状態は最悪になり、遂にライン川に投身自殺を計る。その2年後、不幸な作曲家は、クララの 腕の中で、混乱した状態のままに世を去るのである。シューマンは最後の1-2年も曲を残している筈だが、気づかぬうちに自分の若い頃の作品を再度「作曲」 することもあり、妻のクララが破棄した作品も少なくないと言われている。近似式は直線であるよりは、実は曲線であらわされるべきで、それは以下のようにな る。

f(x) = 1.271130E-6*x^3 + -1.321596E-3*x^2 + 2.966140E-1*x + 2.153781E+1

(x=作品番号)




シベリウスのケース


シベリウスの作品番号(X軸)と年齢(Y軸)の関係


シューマンやベートーヴェンと異なり、ほぼ生涯に渡って美しい直線を描くのが、シベリウスである。シベリウスは周知のように、最後の30年間はほとんど何 も曲を書いていないのだが、それ以前は、コンスタントに年3作品の割合で作曲しており、とりわけ40歳代前半からの直線は美しい。この数年前から、シベリ ウスはアイノラに住み始め、美しい自然の中で作曲し始めているのである。ただ、直線を乱す時期がないわけではない。例えば、46歳と53歳の時には、作品 を一つしか書いていない。前者の原因は喉頭がんを宣告されたこと、後者の原因は、前年12月のフィンランド独立から派生した市民戦争の混乱の影響と無縁で はない。直線の近似式は以下のように非常に単純で、40歳を超えてからは、モーツアルト並みに優れた相関関係を示す。

年齢 = 0.3x(作品番号)+ 27



_______
作品(年齢)
近似式=計算上の年齢

第2交響曲(36)
0.3*43+27=39.55

弦楽四重奏「親愛なる声」(43-44歳)

0.3*56+27=43.5

樹の組曲(49歳)
0.3*75+27=49.3歳

劇音楽「テンペスト」(60-61歳)

0.3*109+27=59.6

ショスタコーヴィッチのケース

ショスタコーヴィッチの作品番号(X軸)と年齢(Y軸)の関係



ドミトリ・ショスタコーヴィッチは、共産 主義ソヴィエトにおいて、体制と反体制の間を揺れ動いた。生前、作品を通じて共産主義革命を賞賛しつづけたかに見えた作曲家は、死後西側で発表された 「ヴォルコフの証言」において、体制に抑圧され、自らの意図を隠さざるをえなかった悲劇の人として描かれた。だが、「ヴォルコフの証言」は偽書であるとも 言われており、現在でも、ショスタコーヴィッチがどこまで体制に迎合してきたのかについては謎である。

彼の作品番号のついた全307作品をプロットするとグラフのようになる。番号が140番台までしかないのは、彼の作品番号は140a、140b、という表 記のものが多いためだ。その点ではこのプロットはきちんと年齢と作品数を表しているとは言えないのだが、すべての作曲家を同じ条件で公平に扱うため、この まま議論を進めることにする。

彼は幼少時より、モーツアルト型の神童だったといわれている。実際、グラフで見られるように、年齢と作品番号の関係は、異常なまでに美しい直線となること がわかる。直線の傾きが多少なりとも急になる(作品のペースが落ちる)のはたった二カ所で、彼が心臓病で入院した60歳前後と、死病にとりつかれた70歳 直前だけだ。近しい人の証言によれば、ショスタコーヴィッチは神経質、潔癖性、強迫観念的に几帳面な性格だったという。郵便局が動いているかをたしかめる ために、定期的に自分宛の手紙をだしたという話さえある。この直線の正確さからもその几帳面さが見えるようだ。また、彼が、スターリンの死(47歳)のよ うな、政治的な要因にあまり影響されていないのにも注目される。この直線だけでは、ヴォルコフの主張する、「ショスタコーヴィッチの苦悩」の印を読み取る のは難しい。

年齢= 0.36x(作品番号)+ 15.1

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