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レスター・デヴォーを訪ねて



偉大なフラメンコ・ギタリスト、パコ・デ・ルシアがメキシコで亡くなった。私は4年ほど前、パコのギターを作成していたレスター・デヴォーに会った事がある。パコ追悼の意味も込めて、以前、SNSに書いた訪問記に手を加えたものを以下に掲載する。

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ギ ター製作者レスター・デヴォーは、パコ・デ・ルシア、ヴィセンテ・アミーゴ、サビーカスなどの巨匠達のギターを手がけていることで知られて いる。我が国では最近まで沖仁が彼のギターを愛用している(2014年記:現在は使用していない)。ニス塗り以外は全部一人でハンドメイドで作 るという。

そのレスターにフラメンコギターを注文したのが2006年だった。手型をスキャンして送り、デザインなどを決めて待つ事3年半(今はもっと長く かかる)、2010年の初頭にそれが出来た、ということだったので、仕事でアメリカを訪れた際、ドライヴがてら拾っていくことにした。

ロスの北、Nipomoという小さな町に彼の家と工房がある。 カスタマーがわざわざギターを取りにくることは稀らしい。そのせいか、大変フレンドリーに出迎えてくれた。彼のギターを信頼してやまなかったパコ・デ・ル シアも工房まで来たことはないという。早速、パコのギターをつくるようになった経緯を訊ねると、「きっかけは、パコの友人が私のギターを持っていたんだと 思う。86年頃、ジョン・マクラフリンと組んだ後くらいだったかな。私から彼に会いに行った。私のギターを気にいってくれたのは良かったが、「なんでもい いから値段を言いなさい。それで契約」と言ってきた。正直、こちらとしてはパコに弾いてもらうだけで光栄だったから、どういう値段を言えばいいかわからな かった。適当な値段を言ったらそれで話がまとまった」。

 「困ったのがその7年後。いきなりパコから、「ギターを30日以内に作ってくれ」と連絡が来たんだ。こちらとしては、パコからのオファーを逃すなんて考え られないから、必死の思いで三本のギターを作った。ニスもまだ生乾き状態で持って行った。しかも、そのうちの一本は、私が手がけたギターでも最悪のギター だった。恥ずかしくて出せないようなシロモノだったが、数を合わせるためだけに持っていった。驚いたことに、パコは試奏の後、その出来の悪いギターを選ん だんだ」

「しばらく立って、パコがビデオでそのギターを弾いているのを見た。音の変わりように驚愕したね。パコは私には聴こえないものを聴いていて、生乾きのギ ターのポテンシャルを見抜いていたんだ。今も一本、彼のために作っているよ。ニス塗りに出していて、この部屋には無いんだけど」。

 「その出来事はギター作りに影響を及ぼした?」と訊ねると、「もちろん!」との返事。沖仁について訊ねると、「彼は素晴しい。ナイスガイのようだ。でも個 人的に会ったことはない。どこかから私のギターを中古で手に入れたんだと思う。彼は定期的にCDを送って来てくれるし、日本での私のパブリシティにも貢献 している。彼の演奏は大好きだよ。でも、彼の名はなんて発音すればいいんだい?そのまま?Jinというのは何かの短縮じゃないのかい?」。レスターの部屋 の譜面台の上には沖仁のコンサートのパンフレットが載せられていた。

 今までで一番ハッピーだった出来事を訊ねると、「パコからオファーを貰った時かな。サビーカスの時も大きかったけど........。やはり、パコが私のギターで「ソレア」を弾いているのをビデオで見たときだ。あの時は本当に嬉しかった」。

「じゃあ、君のギターを見ようか」と別室へ。美しい黄金色のネグロ・モデルがケースの中に鎮座。ほどほどの重量感で手に馴染み、いいギターである事が持つだけでわかる。弾いてみると タイトでキレがいいけど、ビクともしない強さもある。カスタムメイドなので凄く弾きやすい。レスターに、「ちょっと弾いてみせて」と渡すと、目に見 えて狼狽。「実は私はあまり弾けないんだ.....」との意外な返事。「まあそう言わずに」と勧めると、「参った....」と言いながら不器用そうに弾き 始めた。「うひゃー、こんなに緊張することはないよ」とつぶやきながら、フラメンコのコードでアルペジオをいくつか。彼のつくったギターの音色を聴いた人 は世界中に沢山いるだろうが、本人の演奏を聴いた人はそう多くないかもしれない。

レスターが扱う木材は数種類。業者から仕入れるものだけでなく、自分の庭で育てている木材もある。Spanish cypressがそれで、スペインの友人から種を輸入して庭に撒いている。庭にある木を一本一本周りながら、丁寧に説明してもらった。一介の素人カスタ マーにやたらと親切なのは、Nipomoという土地が僻地すぎることもあるのかもしれない。

ギターによく使われた材料に、Brazilian Rosewood(ハカランダ)がある(右)。美しい音を出すとされているが、希少種であるために、日本では輸入禁止になっている。一本1万ドル近くする 値段の問題もあったが、もし将来、日本に戻った場合の面倒を避けるために、私のギターにはEast Indian Rosewoodを選択した。レスターがハカランダの話をし始めたので、その輸入禁止の話をすると、「あー、それについては悪夢のような経験をしたよ。日 本のカスタマーのために、ハカランダを使ったギターを作ってあげた。それが成田空港の税関でストップになったんだ。カスタマーの選択はただ1つ、ギターを 諦めることだけだった。さもなくば、7年の刑を食らうからね」

「私は手を尽くして、自分のお金500ドルでそのハカランダのギターを送り返してもらうことに成功した。そのギターはどうなったかって?アメリカ人に二万ドルで売ったよ」と大笑い。

レスターは独学でギター制作を勉強したという。先生は本のみ。それにも関わらず、最初のギターの出来は「not so bad」だったそうである。当初は一年に2-3本しか作れなかったが、今では年に24本のギターを1人で制作し、パコやビセンテを始めとする多くの名ギタ リストにギターを供給する。彼の注文リストは一杯だ。今までに作ったギターは400本。それぞれのギターで一定のスタンダードを維持することに専念してい るのか、あるいは新しい試みも行うのか訊いてみた。

「カスタマーのギターで実験はやらない。やるのは私が使うギターだけだよ。今つくっているパコのギターには新しい試みも取り入れているが、君のギターでは今までの水準を維持することに務めた」。

10年前に作ったギターと今作っているギターの音の違いは?

「一概には言えない。ギターは演奏家の手の中で発展するんだ。木は生きているから。私が昔作ったギターも、パコ達の手を経て驚愕するような音になってい る。彼らは物凄く沢山弾くからね。ここに私自身のために93年に作ったギターがあるけど、私はあまり弾かないから、音は作った時の音そのままだよ。もちろ ん、それはそれでいい音はするけどね」。

じゃあ、大切なのは大きい音を出して沢山弾くこと?

「単に大きい音じゃ駄目だろう。「適切」に弾くことだろうね。それがいい音を育てる」。

レスターの話は面白く、いつまでも聞いていたかったが、夜の飛行機に遅れるといけない。暇を告げて次の目的地、サンタ・バーバラへ向かった。
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この後、レスターとはパコ逝去の報をきいてから一度連絡を取った。パコが最後に制作していたアルバムの話も教えてもらったが、パコの急死でいつ出るか、あるいは出るかどうかもわからないという。

(3.9.2014)

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