アンジェロ・ヴィラーニ・アット・BBC


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私の次の「in tune」のゲスト。オーストラリアから来た神童で、彼は権威あるチャイコフスキーコンクール(ピアニストにとってのエベレスト)に参加を許されるほどの腕前だった。年は1990年。しかし、
彼は結局その時は演奏を行うことが出来なかったが、25年後たった今、彼はようやく準備が出来た。

パーソナリティ(以下P): アンジェロ、よくきてくれたね。凄くドラマティックな話に聞こえるんだけど、でも、実際君に起きた事はとんでもなくドラマティックだよね。

ヴィラーニ(以下V): そう。そういう風に話すとドラマティックに聞こえるんだけれど、たぶん、大きなイベントに備えて練習している時に、つい怪我をしてしまうことはスポーツのアスリートなんかにはよくあることなんだ。

P: でも、君の場合は、怪我がチャイコフスキーコンクールの前夜に発覚したんだろう?

V: そう。

P:君は演奏できなかったんだろう?

V:その通りだ。一時ラウンドが始まる直前に参加辞退せざるを得なかった。彼らは…...モスクワの委員会は私に親切で、私をボリショイの病院におくって X線やスキャンなどをうけさせてくれ、一時ラウンドに間に合うような治療を施そうとしてくれた。彼らは私を一番最後に置いてくれて、私は1週間半の猶予を与えら れた。

P:でも駄目だったんだね。

V: 駄目だった。残念ながら。

P: 何だったんだい?神経痛?簡単に解決できそうな問題に思えるんだけど…..

V: そうだ。何が原因で起きたか言うのは難しい。もしかしたら重い学校のバッグを持った事かもしれないし….私は10代の頃、空手を嗜んでいたから、激しい動きをした時に….

P: アンジェロ、言っていいかい?空手とピアニスト演奏というのはいい組み合わせには思えないよ。

V:そうだ。残念ながらその時はそう思っていなかった。

P: もうやっていない事を願うよ。ピアノの事を心配するね。

V: いや、空手や合気道を本当にやりたいんだが、残念だがもう出来ない......。

P: さて、その(怪我の)事は明らかに君の心や魂や気持ちの中にずっとひっかかっていたと思うんだけど。

V: そう…最初は…….アスリートの怪我のように、半年も治療を受ければ治癒すると思っていた。しかし……半年がいつのまにか約20年にもなってしまった….ちょっと長くかかったね。

P: 君は控えめに言っているよ。君は明らかに信じがたいほどの信念の持ち主だ。怪我は結局どうなった?

V: トイッケナムにすばらしいオステオパシーのスペシャリストがいて、状況はずっと良くなった。それから中国の技法を使う別の
スペシャリストにも8年ほどかかった。彼は多くの沈着した石灰化した傷組織を取り除いてくれた。それが助けになったようだ。

P: OK。精神的にはどうだった?昔の君の水準を取り戻そうとする感覚はどんなものだった?

V: 実際のところ、私は演奏はしていたんだ。レスリー博士(レスリー・ハワード:ハイペリオンにリスト全集を録音したピアニスト。リスト協会会長)はリスト協会の年会で演奏するように招いてくれた。私は15-20分程度なら弾けたので、指に負担にならない リストの後期作品を弾いていた。何年も、そういう小さな集まりで弾いていた。それが私をドアの入り口に立たせてくれた。だがもっと大変だったのは葛藤、たぶん心理的 な葛藤ーステージにあがって聴衆のために弾く、というものだ。それは難しいものだった.........。

P: いや、よくがんばったよ。今日は来てくれてありがとう。

V:こちらこそ、招いてくれてありがとう。

P: 今日はとても「易しい」曲を弾いてくれるようだね(笑)。一種のリストのワーグナー作品の編曲だけど、君は何か付け加えたんだろう?

AV: そうだね、私はこのワーグナー作品ではいろいろな要素を組み合わせてみた。ピアノヴォーカルスコアを書き、ハンス・フォンビューローのス コアの助けを得てね。もちろん、彼は初演の指揮をした。それから、モシュコフスキーらいろいろな人の「愛の死」の編曲を使った。結局、彼らのはあまり使わなかった。精神的にはリストの「愛 の死」が一番近くなったと感じた。そこで、リストのものを少し使って、第二幕の「愛の二重唱」を主要な材料として、私のパラフレーズを作った。

P: それでは「トリスタンとイゾルデ」…….(曲の紹介)



(パラフレーズの演奏)



P: おかえり!アンジェロ・ヴィラーニの演奏によるトリスタンのパラフレーズの演奏の世界初演奏。すばらしいね。よくやったよ。君はとても確信を持っていた。

V: 正直に言うけど、この曲は私から多くをはき出させるよ。

P: 面白いと思ったんだけど、君は白い手袋をはめているね。助けになるのかい?

V: そう。これは実際、私の問題の右手の感覚を保護するためなんだ。左手はバランスのためにはめている。マイケル・ジャクソンのように見てくれではめているのではなくて、実際に助けになるんだよ。

P: 凄いね。感覚が鈍くなったりしないのかい?

V: なるよ。だが、訓練で克服した。綱渡り芸人と似ている。もし正しくリラックスできれば、バランスや鍵盤の動きを感じ取れる。もし正しい方法で正しい感覚を持って弾かなければ、たちまち問題を生じる。

P: ……すばらしいね。思うんだが、君はチャイコフスキー・コンクールに手紙を書くべきだよ。「見てくれ、私の問題は全部解決した。賞をくれよ」(笑)。

V: それはいいかもね(笑)。

P: 君が参加するはずだった1990年のコンクールは、他には誰が参加していたんだい?覚えているかい?

V: そうだね、ボリス・ベレゾフスキーだね……...彼が優勝した。他にも何人もいいピアニストがいたよ.....。

P: 君がカムバックしてきて、人々はニコライ・デミジェンコが君について熱狂的な賛辞を寄せたのを聞いたよね。

V: ああ、彼は親切だったよ…….。

P: いや、人間は親切なんかじゃないさ。思ったことを言うものだし、思ってないことは言わないよ。本当に感心しなかったら、賛辞も得られないものだよ。待ってくれ、私はしゃべりすぎてるね。次の音楽についてちょっと話したいな。これから君はアルカンを弾くんだね。

V: そう。

P: エキセントリックな人物だよね。ショパンの同時代人だ。

V: その通り。

P: たしか、彼は衣装棚の下敷きになって死んだ。もちろん、そんな事と彼がこの曲を作曲した時の精神状態は無関係だと思うけど。

V: そうだね。この曲はバルカロールといって、とてもすばらしい曲だよ。この曲はアルカンの他の協奏曲やソロに比べると、はるかに易しい。もっと叙情的な曲で、4分もかからない。リズミカルにゆれる舟歌のリズムを持っている。

P: すばらしい。眼がくらむようなトリスタンの後に、君は優しくピアノで語りたいと言う訳だね(笑)。それでは、スタジオのアンジェロ・ヴィラーニでシャルル・バランタン・アルカン、ト短調のバルカローレ。



(演奏)



P: ありがとうアンジェロ。本当に。アンジェロ・ヴィラーニでシャルル・バランタン・アルカン、ト短調のバルカローレ。君は最後はショパンを弾くんだね。君は二人を比べているのかい?二人は同時期にパリにいたよね。

V: 全くその通り。彼らは非常に近しい存在だった。最近私は発見したんだが、アルカンが1850年代以降演奏をやめてしまった一つの理由は、ショパンの死だっ たようだ。彼は本当にショパンを愛していたんだ。彼はちょっとした鬱状態になって、隠遁し、25年もの間弾くのをやめてしまった。

P: フム。だから君は彼に魅了されているんだね。君は隠遁していたわけじゃないけど(笑)。

V: していないよ(笑)。しかし、彼らは非常にいい友人だったし、尊敬しあっていた。また、とても良く似てもいた。どちらの作曲家の作品も、歌のような性格を持っていた。

P: 君は国際的な舞台への復帰を考える時間はあったわけだけど、君は復帰するということはいつも思っていたのかい?

V: いや。暗い時期には、「もう二度とピアノは弾けない」と思ったこともあった。だが......「自分が好きなこと、出来ることをやろう」と思ってやってきた。だからここにいるんだよ。

P: 君は我々すべてにとって輝ける灯だよ。来てくれてすばらしいよ。水曜日に
St. John's Smith Squareでコンサートがあるんだね。

V: そう。同僚や友人がいうには、ウェッブサイトに問題があって、オンラインのチケット購入に少し問題があるみたいだ。

P: ホールに直接くるように。

V: そう。ボックスオフィスで買うか、あるいは電話してほしい。

P: 古臭い方法だね。

V: そう。まったくその通り。

P: 覚えているかい?昔は電話を使っていたんだよね。もう使われない。どうだい、近代的な方法が使えない時は、古くさい方法へ戻る。鳩や羊皮紙は使っちゃだめだよ。アンジェロ、ニュースに行く前に、最後にピアノでショパンのノクターンを弾いてほしい。


(演奏)


P: 本当にありがとう、アンジェロ......。君なら言うだろうが、音楽に語らせるままにしよう。ショパンのノクターン。St. John's Smith Squareでワーグナー、アルカン、ショパンのコンサートを水曜日に行う...........。


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