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オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史 (3)
ドイツ、アメリカのオーケストラのビブラート
ノリントンは、「ドイツとアメリカのオーケストラは1930年代になるまでビブラートを採用していない」としている(1)。
映像では1932年の段階で、ビブラートが確認できる。例えば、フリッツ・ブッシュが1932年にドイツのザクセン(ドレスデン)州立管弦楽団を振った映像では、弦楽セクション、特にチェリストの左手ははっきりとビブラートの動きをしている。
エーリッヒ・クライバーが1932年にベルリン国立歌劇場管弦楽団を振った映像(下)にも、弦楽セクションのビブラートがはっきり捉えられている。
同様に、1932年、マックス・フォン・シリングスが振ったベルリン国立歌劇場管弦楽団の映像においても、ソロのみなず、バックのチェロ・セクションでビブラートの使用が確認できる。
以上の映像記録は「ドイツにおいては、1930年代以降にビブラートが使われ始めた」というノリントン説と矛盾しない。それでは、ドイツにおける1930
年代以前のビブラート使用はどうだったかというと、残念ながらドイツのオーケストラに関しては、1920年代の映像が無いのである。そのため、音源、およ
び証言をたどる他ない。ノン・ビブラート奏法の非常の有名な例としては、アルトゥール・ニキシュが1913年に録音したベルリン・フィルとの「運命」の録
音がある。ここでは、ビブラート奏法はほとんど確認できない。
しかし、ニキシュが常にビブラートを使わずに演奏させていたわけではないようだ。作曲家のNicolas
Nabokovの証言によると、1920年代初頭のニキシュとベルリンフィルのとあるコンサートにおいて、「(モーツアルトにおいて)薄く鋭角だったトー
ンは、チャイコフスキーでは丸くなり、プーシキンの言う喜びと一種のロシアーユダヤ的な肉感性に満ちていた。そして、弦楽のビブラートの背後には、正確な
イントネーションがあった」 とある(3)。
ニ
キシュの後を継いだフルトヴェングラーは、密度の高い音作りを目指しており、当然ながらビブラートについても肯定的だった。David
Hurwitzによれば、フルトヴェングラーが1908年に作曲した作品にビブラートの指定が登場するという
(2)。彼とベルリン・フィルの最初の録音は、1926年の「魔弾の射手」序曲だが、ここでは録音の質の問題から、弦楽セクションでビブラートが使われて
いるかどうかは判断できない。ただし、豊麗で密度の高い弦セクションの音は、録音技術の進歩を考えたとしても、1913年のニキシュの録音のひなびた響き
とは質的に異なっているようには聴こえる。
1927年、ジーグフリード・ワーグナー指揮バイロイト祝祭管弦楽団によって録音された「パルジファル」の聖金曜日の音楽においては、かなりはっきりとビ
ブラートが捉えられている。バイロイト祝祭管弦楽団は、ドイツ国内の有力オーケストラのメンバーから構成されている混成部隊。その観点で言えば、ここの音
が、当時のドイツの平均的なサウンドを表していると言っても過言ではないだろう。
1927年、カール・ムック指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によって録音された「トリスタンとイゾルデ」前奏曲。ビブラートが弦セクションにかかっており、現代の豊麗なオーケストラの響きと変わらないのが確認できる。
重要なものとして、最古のオーケストラ映像の一つとして、ヘンリー・ハドレーが1926年にニューヨーク・フィルを振った映像が残っている。おそらく、ノ
リントンはこの映像の存在を知らなかったのだろう。弦楽奏者のビブラートがはっきり確認できる。「アメリカでは1930年までビブラートは導入されていな
い」とする彼の説を覆す強力な証拠だ。
終わりに
以上の資料を見る限り、少なくとも、ドイツとアメリカのオーケストラに関しては、「ビブラートは1930年代まで登場しない」とするノリントンの主張が事
実誤認、あるいは誇張であったことがわかる。一方、ウィーン・フィルについては、現在に比べてごく控えめなビブラートが使われていたらしい、という点で、
ノリントンは事実の一部を捉えている。ただ、当時のウィーン・フィルが完全にノン・ビブラートで演奏していたかのような主張は正確ではない。それは、
1938年のワルターのマーラーの第九を含む音源、証言からも明らかだ。歌う箇所はビブラートを用い、透明な響きが必要な箇所では控え目になった。ある意
味当然のことである。
ノ
リントンが推進する、ノン・ビブラート奏法を奏者に徹底させるマーラーというのは、ワルターとウィーン・フィルのナチュラルなスタイルとは本質的に異なっ
たものだ。とは言え、ノン・ビブラート奏法をマーラーの作品で使うこと自体に問題があるわけではない。現代ピアノでバッハを弾くことができるのであれば、
ピリオド奏法でマーラーやベルクを弾いて何ら悪いことはないのだ。まして、ノン・ビブラートの透明で美しい響きは、どのような曲でも一定の説得力を持つ。
音楽的整合性と歴史的整合性は切り離して考えるべきである。
ただし、ノリントンがピリオド楽器を使うプロの音楽家でありながら、客観的立場である筈の研究者として振る舞い、不十分な情報に基づいて「かつて、ただ一
種類のサウンドのみあった」という不正確な情報を提供したことについては、いささか問題があったと言わねばならない。映像資料と言う決定的なデータが少な
いことをいい事に、自らに都合の良い歴史解釈を行った感が否めないのだ。1926年に撮影されたハドレー指揮のニューヨーク・フィルの映像は、データに裏
打ちされていないノリントン説の問題を浮き彫りにしている。
彼 は、世界的な影響力があるニューヨークタイムスやガーディアンを選び、センセーショナルな論文を発表、ロマン派における自己の演奏スタイルを巨大メディア を使って正当化した。しかし、彼が本当に音楽性だけで勝負してきたアーティストであったのであれば、自己正当化も、事実の誇張も必要なかった筈だ。マー ラーをピリオド奏法でやってみたかった、と正直に言えばいいだけの話である。しかし、ノリントンはそのようなタイプのアーティストでは無く、歴史的整合性 と音楽的整合性の間に矛盾があってはならない、あるいは前者が後者に優先する、と考える一派の出身だった。モダン楽器を用いた現代の演奏スタイルへを批判 し、そのアンチテーゼとして活動してきた一派だ。だからこそ、音楽性以上に、自己の演奏スタイルの「歴史的正統性」とやらが絶対的に必要なのである。マー ラーにおいても例外ではなく、自らの直感に従うのではなく、何らかの歴史的裏付けが欲しくなった。つまるところ、ノリントンがあのような極端な事を言った 背景には、音楽とは無関係な、一種の個人的、かつ政治的な事情があったということだ。
追記)
その後、さらに映像資料を調査していった結果、1933年のザルツブルグ音楽祭におけるブルーノ・ワルター指揮のウィーンフィル、1935年の映画「Letzte Liebe (恋は終わりぬ)のウィーン・フィルの映像でビブラートの使用が確認できた(英語版参照)。特に後者にはアーノルド・ロゼーが映り込んでおり、ビブラートを考える上で貴重な資料を提供してくれている。
9.14.2014: Melo Classicがクレメンス・クラウス指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団の1933年の映像をアップロードした。この映像を見るかぎり、恒常的ビブラートは使われていたようだ。ウィーン国立歌劇場管弦楽団はウィーン・フィルの母体である。
前ページ
1. MUSIC; Time to Rid Orchestras of the Shakes, Roger Norrington, NY TIMES, 2003
2. Roger Norrington's Stupid Mahler Ninth, David Hurwitz, Classictoday
3. So Klingt Wien’: Conductors, Orchestras, and Vibrato in the Nineteenth and Early Twentieth Centuries, David Hurwitz
4. Cours de composition musicale (Paris, 1901/2), Vincent D’Indy
5. "A new history of violin playing" by Z. Silvel
6. Capturing Sound: How Technology Has Changed Music” (2004), by Mark Katz
7. Otto Strasser (1974) Und dgfur wird man noch bezahlt. Mein leben mil den Wiener Ph
iharmonikern, Vienna
8. Perspetives on Gustav Mahler, Jeremy Barham
9. Richard Specht, Das Wiener Operntheater von Dingelstedt bis Schalk
und Strauss: Erinnerung aus 50 Jahren (Vienna, 1919), 82.
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