更新情報            
Go back to Intermezzo


オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史 (1)

ノン・ビブラート奏法によるマーラーの衝撃
2003 年、英国の著名な指揮者であるロジャー・ノリントンは、バッハやモーツアルトのみならず、ベルリオーズやマーラーらロマン主義の作曲家の演奏にも、弦楽セ クションにおいてノン・ビブラート奏法を適用すべきと主張(1)、実際に、ノン・ビブラート奏法で通したマーラーの第九交響曲の録音を発表し、国際的に大 きな議論を巻き起こした。彼が特に指摘しているのが、すべてのフレーズでビブラートを用いる「弦楽セクションにおける恒常的なビブラート」の使用の是非に ついてである。

ノリントンの主張をまとめると以下のようになる (1)。
 
1. ベルリオーズ、シューマン、ブラームス、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、シェーンベルグ、ベルグの時代にはただ一種のサウンドだけがあった。暖かく、表現豊かでビブラート無しの純粋なトーンである。

2. 当時、弦楽奏法にビブラートは存在したものの、ソロにおける演奏においてのみ使われていた。オーケストラにおける弦楽セクションの恒常的なビブラートは20年代の初期まで導入されず、それもエンターテインメント好きのフランスで始まった。

3. イギリス人が20年代後半にそれを取り入れた。 

4. ドイツやアメリカの有力オーケストラは30年代までビブラートを取り入れていない。ベルリン・フィルは1935年以降。ウィーン・フィルは1940年代である。 

5. 故に、これからはオーケストラからビブラートを取り除き、ロマン派の作品でもクリアでピュアなサウンドを指向すべきである。 

ノリントンの説には異論も多く、音源などの具体的な証拠と合致しない点もある。マーラーを始めとする後期ロマン派の音楽と、ノン・ビブラート奏法が合うか という問題もある。この問題については、アメリカの評論家であるDavid Hurwitzが反ノリントンの立場から二つの論文(2)(3)を書いている。Hurwitzの分析は膨大な文献と証言に基づいて書かれているが、やや強 引で感情的な論が目立つ。疑問なのは、音源について「録音が悪くて判断材料にならない」との理由で、一切考察の対象に入れていないことである。さらに、彼 は映像資料については全く触れていない。よって、このページでは、ノリントンの主張を、Hurwitzの主張と対比させつつ、映像、音源、文献を用い、多 角的な視点から客観的に検証することを目指したい。


ビブラートの発達

楽器のビブラート奏法がどのように発展してきたかについては諸説あるだろうが、基本は声を模すところから派生してきたものと考えられる。歌においては、ビ ブラートに似た手法は、草の根レベルでは非常に古い時代から使われていた。例えば、酒場などで歌を歌った場合、狭い範囲の周波数の歌声は騒音に簡単にかき 消されてしまう。倍音を多く含む声を出したり(例:モンゴルのホーミー、フラメンコのカンテ)か、音の周波数を広くすることで、雑音にかき消されずに音を 響かせることができる。後者がビブラートである。

楽器も同様で、ジプシーヴァイオリンが酒場などで使われるのは、あの奏法が倍音を増やし、周波数の振り幅を増やすからである。様々な周波数が交差し、互い に干渉しあうオーケストラ演奏においても同じことが言える。これに関しては、David Hurwitzは2012年の論文において、ヴァンサン・ダンディのパリ音楽院における講義ノートを例に取り上げている(3)。そのノートによれば、チェ ロ・セクションからヴァイオリン・セクションを分離させるために、ビブラートが有効である事が示唆されていたという(4)。これに加えて、19世紀末頃か ら、コンサートホールも大きくなりはじめ、音をより遠くに響かせる必要が生じたこともビブラートの普及を促進した(5)。ノースカロライナ大学のMark Katzによれば、20世紀前半にレコード録音が始まったことも無視できないという。彼によれば、録音における臨場感の欠陥を補うために、ビブラート奏法 がさらに使われるようになったというのだ (6)。

ロマン主義の勃興とビブラートの間にも密接な関連がある。ロマン主義以前の中世の音楽、古典音楽においても、長く引き延ばしたフレーズを彩る装飾音やメリ スマが汎用されており、音の周波数を変える下地はできあがっていた。ヴァイオリンのビブラートは19世紀以前から存在していており、レオポルド・モーツア ルトが文句を言っていた程汎用されていたようだが、時代が進むにつれ。旋律は人間の情念との関係性を深めるようになり、感情表現の有効な手段としてビブ ラートが用いられるようになった。ビブラートを意味する<>のマークは、シューマンの楽曲に登場し、以降、ヨアヒム、エルガー、そしてマー ラーらが使用していたという (3)。


ノンビブラート・奏法によるマーラー演奏の是非

ノリントンがノン・ビブラート奏法の根拠としてあげるのが、1938年にブルーノ・ワルターとウィーン・フィルによって録音された、マーラーの交響曲第九 番の録音である。ここでは、当時ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたアーノルド・ロゼーの影響もあって、全編にわたりノン・ビブラート奏法 が使われている(と、ノリントンは主張する)。



アーノルド・ロゼーはマーラーとも親しく、1881年から1938年までウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていた。彼はビブラートの使用に批判 的で、残された録音においても控えめなヴィブラートしか確認できない。ウィーン・フィルのチェアを務めたオットー・シュトラッサーは、1922年に行われ た自身の入団オーディションの出来事を次のように回顧する (7)。

私 が始めてオーディションに行った時、監督のシャルク、カペルマイスター ライヒエンバーガー、コンサートマスターであるアーノルド・ロゼーらによってなる 委員会だった。ロゼーは優れた芸術家だったが、大変伝統主義的だったので、だいぶ前から汎用されるようになっていたビブラートをあまり好んでおらず、時々 使うのみであった。だから、難しいパッセージの後に、ロゼは私にローエングリンとエルザが教会に入るカンティレーナを弾くように命じ、私がビブラートを 使って心情を吐露するように弾き始めた時、ロゼーと意見を同じくするシャルクは私を遮ってこういった。「嘶くのはやめたまえ」(p20)。

James Barhamによれば、マーラー自身、ビブラートを高く評価しておらず、クリーンなバロック風の音を好んでいたという (8)。彼は親しい友人のヴィオラ奏者、ナタリー・バウアー=レヒナーに、ビブラートを指して「実態も形もないドロドロの液体」と語っている。マーラーが ビブラートを好んでいなかった根拠としてあがるのが、第五交響曲のアダージェットにある「ビブラート」の指定だ。逆に言えば、この箇所以外はビブラートを 用いずに演奏せよ、と解釈できる、とノリントンは指摘する。

これには異論がある。David Hurwitzは、ニューヨークフィルでマーラーの元でヴァイオリンを弾いていたHerbert Borodkinの証言を指摘し、マーラーは「今日の指揮者よりもはるかに多くのビブラート」を要求し、歌うように要求していたという (3)。このマーラーの姿勢を間接的に支持する資料として、マーラーによる交響曲第5番のピアノロール録音がある。


もちろん、この録音ではオーケストラのビブラートの有無を知ることはできないのだが、テンポや歌いまわしには濃厚な19世紀的ロマンチシズムがあふれてい る。この歌をビブラート無しに奏した演奏があったとすれば、それはかなり不自然なものになるだろう。マーラー作品のオーケストレーションのやり方から見て も、彼が見通しの良いサウンドを志向していたのはほぼ間違いないのだが、その一方で完全にビブラートを取り去ってしまうことが正しいかどうかについては、 強い疑問が残る。実際のところ、ノリントンがノン・ビブラート奏法を正当化する根拠としてあげているワルターのマーラーの第九交響曲の録音においても、ノ ン・ビブラート奏法とは明確に異なる、豊かで甘さを伴うソノリティが時折弦セクションから聴こえるのである。

次ページ

1. MUSIC; Time to Rid Orchestras of the Shakes, Roger Norrington, NY TIMES, 2003
2. Roger Norrington's Stupid Mahler Ninth, David Hurwitz, Classictoday
3. So Klingt Wien’: Conductors, Orchestras, and Vibrato in the Nineteenth and Early Twentieth Centuries, David Hurwitz
4. Cours de composition musicale (Paris, 1901/2), Vincent D’Indy
5. "A new history of violin playing" by Z. Silvel
6. Capturing Sound: How Technology Has Changed Music” (2004), by Mark Katz
7. Otto Strasser (1974) Und dgfur wird man noch bezahlt. Mein leben mil den Wiener Ph
iharmonikern, Vienna
8. Perspetives on Gustav Mahler, Jeremy Barham
9. Richard Specht, Das Wiener Operntheater von Dingelstedt bis Schalk und Strauss: Erinnerung aus 50 Jahren (Vienna, 1919), 82.





更新情報            
Go back to Intermezzo