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テナー達の死因ーハイCもほどほどに


岩城宏之だったと思うが、ファゴット奏者はのんびり屋が多い、と書いていたような気がする。偉大なチェリストにハゲが多いという印象もあるのだが、気のせ いだろうか。これは、ロストロポーヴィチ、カザルス、シュタルケル、ビルスマ、フォイアーマン、現在進行形のマの印象から来ているのだと思うが、オーケス トラの全体写真を見ても、向かって右側がなんとなく明るいことが多いような気がする。むりやり理屈をこじつければ、男性ホルモンの多い人間がチェロを弾き たがるのかもしれないし、逆に、弾くのが理不尽なほど難しいため、ストレスのあまりに毛が抜けてしまうのかもしれない。同様に、演奏が難しい楽器の一つで あるホルンセクションにハゲが多いのもこれで説明がつく。

もちろん、上は全部冗談である。

一方、歌手に関しては、テナーは知性に欠け、ソプラノは我がまま、というステレオタイプが世間にある。もちろん、これも偏見なのだが、たまに破天荒なのが テナーやソプラノにいるのは事実で、キャスリーン・バトル、アンジェラ・ゲオルギュー、ロベルト・アラーニャのぶっ飛び具合は相当なものらしい。バトルに 至っては、その言動、行動のために、メトロポリタン歌劇場から解雇されている。

キャ スリーン・バトルの行跡に関しては、彼女を解雇したメトロポリタン歌劇場の総支配人、ジョー・ヴォルペが「The toughest show on earth」に詳しく書いている。彼によれば、バトルは、「最悪の意味でのディーヴァ」だという。曰く、メイク係を罵る、プリマの部屋に勝手に入り込んで 荒らす、共演者をセクハラ扱いする、皆が自分を見ているとわめく、リハーサルに出てこない、などなど。バトルと共演した歌手がストレスから睡眠不足に陥 り、睡眠薬を服用し始めるにいたり、ヴォルペはバトル解雇を決断、メトロポリタン歌劇場から追放した。ヴォルペは、本の中で「彼女には助けがいる」と書い ているが、この言葉はアメリカでは、「病院にいった方がいい」というのと似たニュアンスがある。

ヴォルペは、ソプラノとテナーの我が儘に関して、「高音を出すということで脳がひどく圧迫されるのに違いない」と書いている。メトの彼の前任者であるルド ルフ・ビングは、「神が高音をもつ人間を創造された時、脳をより小さく作られたのである」と、失礼なことをヴォルペに言っていたという。念のために書いて おくが、テナーやソプラノにも知性と人間性を兼ね備えた人は沢山いる。プラシド・ドミンゴがその代表だし、ニルソンはいつも機嫌が良く、皆から好かれてい た。極端にお馬鹿で我が儘なのがソプラノかテナーの中にたまにいるだけで、ソプラノやテナー=我が儘なわけではない。ただ、彼らは主役をはることが多いだ けに、自己主張は強くなるだろうし、また、歌唱上のリスクから来るストレスから、多少、舞台裏の行動が傍若無人になりやすい、ということはあるのかもしれ ない。

ストレスという観点でみれば、ソプラノよりもテナーの体に多くの負担がかかると思われるフシがある。以下に病死した名テナー達の死因と没年を纏めてみた。

Fritz Wunderlich (September 26, 1930 - September 17, 1966), Accident, 35
Mario Lanza (31 January 1921 - 7 October 1959) pulmonary embolism, heart attack, 38
山路芳久 (1950-1988), heart attack, 38
Enrico Caruso (February 25, 1873 - August 2, 1921) pleurisy, 48
Jussi Bjorling (5 February 1911 - 9 September 1960) , heart attack, 49
Gerhard Stolze (October 1, 1926, Dessau - March 11, 1979), 53
Torsten Ralf (1901 - 1954), 53
Francesco Tamagno (1850 - 1905), heart attack, 55
Jerry Hadley (June 16, 1952 - July 18, 2007) , suicide, 55
Richard Tauber (1891 - 1948) lung cancer, 57

Wolfgang Windgassen (June 26, 1914 - September 8, 1974), heart attack, 60
John McCormack (14 June 1884 - 16 September 1945), pneumonia, 61
James McCracken (December 16, 1926 - April 29, 1988), complications from a stroke, 61
Richard Tucker (August 28, 1913 - January 8, 1975) heart attack, 62
Ludwig Suthaus (December 12, 1906 - September 7, 1971), 65
Franco Bonisolli (May 25, 1937 - Oct. 30, 2003), heart attack, 66
Jess Thomas (August 4, 1927- October 11, 1993), heart attack, 66
Mario del Monaco (July 27, 1915 - October 16, 1982) heart attack, 67
Beniamino Gigli (March 20, 1890 - November 30, 1957), 67, heart attack
Carlo Cossutta (May 8 1932-22 January 2000 ) liver cancer, 68

Rudolf Schock (September 4, 1915 - November 13, 1986), heart failure 71
Alfredo Kraus Trujillo (24 September 1927 - 10 September 1999), 72
Leo Slezak (August 18, 1873 - June 1, 1946), heart attack, 73
Max Lorenz ( May 10, 1901 - January 11, 1975), 74
Sir Peter Neville Luard Pears (born June 22, 1910 - April 3, 1986), 76
Tito Schipa (1888 - 16 December 1965), heart attack, 77

James King (May 22, 1925 - November 20, 2005), 80, heart attack
Franco Corelli (8 April 1921 - 29 October 2003) Stroke, 82
Ferruccio Tagliavini (1913 - 1995), 82
Lauritz Melchior (born March 20, 1890 - died March 18, 1973), 83
Giovanni Martinelli (22 October 1885 - 2 February 1969), 84
Ramon Vinay (August 31, 1911 - January 4, 1996), 85
Ernst Haefliger(Davos July 6, 1919 - 17 March 2007), heart failure, 87


こうして見ると、明らかに若死の傾向がある。病死した31人のテナーのうち、30-60代の逝去が18人。全体の60%にも登る。一番多いのは、60代の 10人で、次いで70代の逝去が6人、80代の逝去が7人と続く。もっとも若年で亡くなっているのが、36歳の誕生日直前に転落死したヴンダーリッヒ、マ リオ・ランツアと、山路芳久の38歳。30代以前で著名になる歌手はほとんどいないから、彼らは名が売れて間もなく亡くなった例に属する。反対に長命なの が、表ではラモン・ヴィナイとヘフリガーだ。ピアニストの統計はとっていないが、たぶん、70歳代の逝去が一番多くなるだろう。若くしての病死はリパッ ティ、グールド、レナールくらいしかすぐには思い浮かばない。

も う一つ興味深いのは、テナー歌手の心臓発作の割合の高さである。ざっと調べた中で、病死した歌手の中で、死因がすぐわかったのが21人。そのうち、実に 70%の15人が心臓疾患で亡くなっている。また、表に死因を記載していないSir Peter Neville Luard Pears、これはかいつまんで言えばピーター・ピアーズのことだが、彼も心臓を10年ほどわずらっており、それが死の遠因になっていた。直接の死因に なっていない例を探すと、もっと多くなるかもしれない。

オペラ歌唱というのは一種の無酸素運動だから、必然的に心臓への負担が高くなるのだろうが、それにしてもこの割合は高い。ソプラノ歌手ではこれほどの高い 頻度の心臓病は出てこないだろうし、彼女らの方が長命なのは明らかである。特に、リリコ・スピントやドラマティック・ソプラノほど長生きするような印象が ある。40年代から活躍していたライニング、リザネク、テバルディ、ニルソンやヴァルナイも最近まで存命だったし、ボルク、デラ・カーザも存命である。

それでは、なぜ、テナーの心臓に負担がかかるのだろうか。

テナーに多いアンコ型体型が高コレステロールに関連している可能性もあるが、全員がそれに当てはまる訳ではないし、カバリエやヴァルナイのようにデップリ したソプラノ達が長生きする理由の説明がつかない。むしろ、地声で全て歌わねばならないテナーは、裏声で歌うソプラノのそれよりも体力を酷使する、という のが、一番ありそうな答えである。まず、地声は高音からして大変だ。オペラのクライマックスで登場するハイCや、ハイBフラットが出せるソプラノとテナー の絶対数を比べてみればよい。ハイCが客前で出せるテナーとなると超一流でもなかなかおらず、自分から進んで歌っていたのはボニゾッリくらいである(その 彼も心臓病で亡くなっている)。一方、コロラトゥーラ・ソプラノの存在からも分かるように、女声にとってハイCというのは限界音でもなんでもない。 「トゥーランドット」はソプラノの負担ばかりが議論されるが、第二幕のアリアで、トゥーランドットと一緒に、男声の限界音とも言えるハイCを引っ張らねば ならないカラフの方がよほど大変なのである。

もう一つ、男性と女性の声の周波数特性の問題がある。オーケストラの音は、500Hzでもっとも音が強く、3000Hz以上の音はあまり強くない。また、 人間の耳は、3000-4000Hzでもっとも敏感とされる。つまり、3000Hz周辺の音域というのは、歌手にとっての一番の狙い目なのである。もとも と女性の声は基音が高い(-1500Hz)ため、ただでさえオーケストラの音を超えて響きやすい。その上、その傾向は声に含まれる倍音(基音の周波数の整 数倍)によっても増強される(1)から、容易にこの音域に到達できる上、さらなる高周波数を出すことが可能だ。また、下に述べるように、プロのソプラノは resonance tuningという特殊な手法を使い、声の大きさ自体を技術的に増強させている。こういった特性と技術のため、ソプラノ歌手は、体力をそれほど使わずと も、厚いオーケストラの壁を超えて、声を劇場全体に響かせることが可能なのである。ヴォルペは、キャスリーン・バトルは、その非力さにも関わらず、メトロ ポリタン歌劇場の隅々まで声を響き渡らせる技術を持っていた、と回顧している。

テ ナーの場合、基音が女声よりもはるかに低いため、声道を共鳴させ、倍音を強調して響かせてるのだが、それでもなかなか3000Hzという周波数には届くも のではない。古いレコーディングの「清きアイーダ」のハイBフラットを調べた研究では、多くのテナーは3倍音の1400Hzの音をもっともよく響かせてい た(2)。女声の基音の周波数である。このため、男声がオーケストラを超えて響くためには、絶対的な声量の助けがいるのである。まとめると、ソプラノが比 較的少ない労力で声を劇場に響かせることが出来るのに比べ、テナーは、強靭な筋肉と肺活量を総動員し、絶対的な声量をあげる事で、オーケストラの壁から抜 け出す周波数にある倍音の量を増やす、というわけだ。心臓に悪い筈である。

ソ プラノもいいことばかりではない。言語不明瞭、という問題がつきまとう。これはアッパー・レジスター=裏声の話だが、典型的なのがカーティア・リッチャレ ルリで、素晴らしい共鳴音を持っている反面、イタリア人でも彼女が何を言っているのか理解できないと思う。彼女の場合、発音への意識の薄さの問題もある が、一般論として、母音というものがそもそも、300-2000Hz周辺の情報を多くもつために、ソプラノの基音と競合してしまう、ということがある (3)。また、女性の声は、声道と共鳴する音が限られているため、そのまま何もせずに裏声で歌うと、ある音は声道で共鳴し、別の音は共鳴せず、という不揃 いな音となる。訓練を受けたソプラノはそういった問題を調整するために、resonance tuningというテクニックを使い、全ての音でまんべんなく音が共鳴できるように声道の形を変え(実際には口の形、アゴの位置を変える)、共鳴音と声帯 から出てくる振動音のピッチを一致させ、音を増強させている。ところが、人間が話す時は声道を変える共鳴音と、声帯から出てくる振動音を複雑に組み合わせ ながら発語しているため、ソプラノのように共鳴音と声帯の振動音のピッチの周波数を一致させてしまうと、言葉がわからなくなってしまうのである(4)。

しかし、聴衆というものは、言葉の分からないソプラノよりも、高音をトチるテナーを憎むものだ。かくして、ますますテナーの心臓は酷使されていく、というわけである。多少の我が儘くらい、高音をトチったくらい、大目にみてあげましょう。

1) http://www.sciam.com/askexpert_question.cfm?articleId=3F915980-E7F2-99DF-3F064F3D0A0A66EA
2) Schutte HK, Folia Phoniatr Logop. 2005
3) http://www.phys.unsw.edu.au/jw/soprane.html
4) Elodie Joliveau, et.al, 2004, Nature


9/1/2007

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