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フランク交響詩「贖罪」(Redemption)


「フ ランクの第二期に属するもっとも重要かつ、集大成的な作品は、疑いもなく「贖罪」である。ブローによる、どちらかというと平凡な詩にも関わらず、主題は偉 大さに欠けることなく、形而上学的かつ、精神的な贖罪を具現化している。最初の贖罪はキリスト誕生によって始まり、二番目の贖罪は祈り手の力によって、新 しい世代によって勝ち取られる。このコンセプトは、フランクの考えーー熱意と暖かさをもって開陳したいという意思ーーと合致するものであった」。
ーヴァンサン・ダンディ




「贖罪」という作品

「贖罪」は、フランク第二期の終わりにあたる1871年から翌72年にかけて作曲された(第二版は1874年に完成)。ブローの詩、合唱、独唱、オーケ ストラ、および語りによって進行するオラトリオ的な作品であるが、フランクは「交響詩」と呼んでいる。作曲された時期はまだ彼がワーグナーの「トリス タンとイゾルデ」を聴く前であり、後に彼のトレードマークとなった頻繁な転調、無限旋律はあまり表に出て来ていない。

初演の不評にも関わらず、フランクは「贖罪」に揺るぎない自信を持ち続けていたらしい。晩年、フランクは生徒の一人に向かって、「贖罪」を知っているかね?」と 質問したという。「グノーのですか?」と答えた生徒に、フランクはこう答えている。「私のだよ。楽譜を見てみなさい。私の作の方が君が今言ったものよりいいの がわかるよ」。

実際、「贖罪」はやや大げさに過ぎる箇所はあるが、随所に美しさと劇性を秘めた秀作であり、その密度の濃いスコアは練達の大作曲家の手でなければ生み 出しえないような完成度の高さを誇っている。このページでは、フランクの当初の意図にそった失われた第一版(1871年版)を再現して行きたい。


「贖罪」第一版と第二版


第二版が素晴らしい合唱と、現在、ほとんどのコンサートレパートリーに入っている間奏曲を提供する一方で、フランクだけしかできないような新しい手法によって全体が設定されているという点で、第一版は第二版よりも明確に優れていると断言できる。」 
ーヴァンサン・ダンディ

第二版の概要

二つの版の多くは共通しているので、第二版全曲の概要から説明した方がわかりやすい。導入部は ベルリオーズの「幻想交響曲」を思わせる上昇音型ではじまるが、徐々にフランクらしい精神性に満ちた静謐な美しさを示し始める。続く合唱はウェー バー、ワーグナーの初中期といった、ドイツ・ロマン派のオペラや、ヴェルディ中・後期作品のオペラによく似ている。美しい天使の合唱に続いて大天使がメゾに よって歌われ、合唱とともにキリストの誕生が宣言される。この箇所は感動的だ。第一部はやや大げさで力みかえってはいるが華やかに終わる。間奏曲 に続き、やはりドイツ・ロマン派的な合唱がキリスト生誕後の苦しみを歌う。続くメゾ独唱「Le Flot Se Leve」は、バッハの「マタイ」に登場する歌の近代版と見ることもできるだろう。フランク晩年の作品に見られる、ほのぐらさと宗教的感情に溢れており、 際立って印象に残る楽曲となっている。最後の合唱において、冒頭の旋律が彼のヴァイオリン・ソナタの第四楽章のように快活に始まる。この楽想も魅力的 だ。最後は贖罪が達成されたことを示すかのように劇的に転調し、華やかに終わる。なお、現在コンサートなどで演奏される"交響詩「贖罪」"という 15分程度のオーケストラ作品は、この第二版の間奏曲部分「Morceau symphonique」のことである。


第一版において、当初、フランクはこの二度の贖罪の観念を音として具現化させるため、調性を非常に注意深くデザインし、曲の進行に従って調性の輝かし さを段階的に上昇するようにした(ダンディ)。まずA majorによるほの暗い導入部を経て、A minorという暗い調性から始まる。第一部の進行とともに、E、そしてA majorに発展する。そして第一部の最後においてはF#majorという輝かしさまで達するのである。幸福な時代から現代のニヒリズムへの没落を示す間奏曲SymphonieによってAminorに戻り、第二部で再びF#minor、さらに祈り の力によって受ける贖罪とともにB majorへと上昇していく。

調性からみると、フランクの考えでは第一部のキリストによる贖罪を頂点とし、第二部の人間による贖罪をそれに準ずるものとしていたのが理解できる。これ は調性に伴う音の色彩感といったものを観念的なものへと融合させただけでなく、それによって聴衆の共感覚に訴えようと試みた最初の例ではないだろうか (シャープの数が単純にそのまま音としての輝かしさにつながるかどうかについては議論はあるだろう)。ロシアにいたアレクサンドル・スクリャービンが 音による色彩感覚を提唱した20世紀ははるかまだ先の話である。この点で「贖罪」第一版は音楽史でもユニークな地位を与えられるべき作品なのである。


贖 罪第一版(1871-72)では、まず第一部でキリストの生誕に伴う最初の贖罪に伴って楽曲の調が段階的に上昇する。キリスト生誕による第一の贖罪 で、調の輝かしさは頂点のF#majorに達する。そして信仰の失われた現代を描く間奏曲「Symphonie」で調が当初の調Aminorに戻ってい く。これは現代の人類が、贖罪を受ける前の罪ある状態に戻ったことを示している。第二部に入り、人類が祈りの力によって再び贖罪を受ける。それにともない調 の輝きが再び増して行く。


しかしこの革新的な試みこそが、「贖罪」第一版の初演の大失敗の大きな原因となってしまった。シャープが6つというF#majorの譜読みが難しくな りすぎたのだ。また、第一部と第二部におかれた間奏曲Symphonieも問題を起こした。この曲はキリスト生誕の歓喜を象徴するF#majorの 調性を変化させ、再び人間の苦闘へと舞い戻る第二部開始のA minorへと移行させる役割を果たしている。しかし、これも初演ではオーケストラより演奏を拒否され、初演のプログラムから外されることとな る。技術的に演奏不可能、と判断されたのである。

初演の大失敗の経緯から改版に至るまで

第一版の初演については、初演に関わった弟子のヴァンサン・ダンディによるフランク伝「Cesar Franck」に経過が詳しい。それによれば、初演失敗の原因は様々な要因が複合的に働いたことにあった。聴衆が曲の様式になじみがなかったこと、パー ト譜の印刷が劣悪だったため、合唱団とオーケストラが練習不足でスコアを終えなかったこと、彼らの技量が曲の要求に答えきれなかったこと、指揮者のコロン ヌが未熟だったこと、当時フランクは無名で、演奏者の尊敬を勝ち得なかったことなどである。そのような状態であったために本番はまともに演奏が進む代物 ではなく、文字通り悲惨なありさまだった。客は曲の中途で席を立ち始め、曲が終わる頃には50人も残っていなかったそうである。それでも当時の批評は、 「突出するものではないが、高いレベルの仕事」という、今から見ても妥当なものだったが、結局のところこの作品は無視される運命だった。初演を終えたフ ランクが帰宅した時、明らかにその顔が青ざめ動揺していたという。それでも初演の失敗を予見して家にとどまっていた妻に向かい、フランクは「一つ確実に言 えるのは、曲は美しいということだ」と言ったという。しかしダンディを始めとする弟子達の反応はもっと現実的なものだった。失敗の全ての原因は、楽曲の問題、 特にF# majorという解読も演奏も困難な調性にあるとしたのである。彼らは、移調も含めた曲の大幅な改訂を師に執拗に進言した。しかし「贖罪」に自信を 持っていたフランクは、「普段の慈愛を捨てて」その進言をはねつけ、改訂の可能性に言及することさえ禁じた。しかしついに一年後、愛弟子らの忍耐強い説 得に応じ、フランクはこの作品の大幅な改訂を行った。これが最終版である第二版である。

ダンディによるフランク伝によれば、第一版から第二版に変わった際の全体の改訂箇所は、細かな音符の変更を除いて以下の3つに要約することができる。

a) 移調。第一版第一部の最終部のF#majorを、第二版ではE majorへと移調した。これにより演奏は容易になった。しかし調性の輝かしさは減じ、「贖罪」を実体験することができるというフランクの当初の意図は薄められてしまった。
b) 第一版ではSymphonieとなっていた間奏曲が、第二版では全く別の間奏曲Morceau symphoniqueに置き換えられた。この間奏曲ではキリストの生誕の喜びのみが描かれており、第一版間奏曲のように暗い時代の到来が告げられて いない。そのためDmajorの調で統一されている。
c)それを補うために、第二版においてDminorの第9曲 「Oh Sommmes-nuos」が加筆された。




現 在流布している贖罪第二版(1874)の構成。技術的な問題を回避するため第一部の後半が二度低く移調され、キリスト生誕に伴う第一の贖罪を頂点とする という調性変化のコンセプトが失われた。続く第二版間奏曲は単一の調で、第一版の間奏曲ほど全体の中で有機的な意味を持ってはいない。続く第二部冒頭部 にDminの合唱が導入されている。フランクは当初、「この曲ではシャープのみをつかう」と言っていたが、やむを得ず第二版で唯一のフラットキーが導入 されている。当初のフランクのもくろみは完全に崩れたのである。


改訂された第二版の初演は1875 年に行われた。フランクの大幅な妥協にも関わらず、これも失敗に終わった。おそらく移調で全てうまく行くと思っていた弟子達にとっては衝撃だったであろ う。実際、後になってダンディは師を説得して改訂をさせたことにについて、「彼が第一版で綿密に設計していた全体の構成を壊させてしまった」と悔恨と 懺悔の言葉を述べている。このように、改訂の経緯を見れば1871-2年第一版こそがフランクの当初の意図を忠実に反映した版であると結論づけても誤 りではあるまい。ちなみに、この第二版の「贖罪」が成功を見るには1896年、作曲者の死後6年をまたねばならない。その時の評価は、「グノーの「贖罪」 よりも優れたもの」というものだったという。一方、類い稀な革新性を秘めた第一版はほとんど満足に演奏されないまま、歴史から永久に姿を消すことにな る。



幻となった「贖罪」第一版

そ の訳は、第二版を作曲する際、フランクがHartmann社より第一版のオーケストラ総譜を全て買い戻し、破棄を行ってしまったからである。改版を決意し た以上、旧版の楽譜を残すことはいたずらに混乱を招くと考えたのだ。しかし、第一版の音符が完全に地上から消えたわけでなく、短期間発行されたピアノ・ ヴォーカルスコア(Hartmann社)が稀少コピーとしていくつか現存している。また、20世紀初頭にも別の会社から出版された記録がある。これらピア ノヴォーカルスコアでは、序奏と間奏曲部分は4手のために編曲されたものが掲載されている。間奏曲のオーケストラ版の出版楽譜は現存していないが、自筆原 稿がフランス国立図書館に63ページの断片として保管されているという(Vallas p144)。これが演奏された記録はない。



「贖罪」第一版初版ピアノ・ヴォーカルスコア表紙。ジュール・マスネへの献辞「我が友マスネへ......セザール・フランク」とフランク直筆の献辞がペンで書き込まれている(筆者蔵)

作曲家の書棚には貴重なものが残っていることがある。フランクは第一版 執筆時にピアノ・ヴォーカルスコアをジュール・マスネ(タイースの瞑想曲)に寄贈している。それが現在、完全な形で筆者の手元にある。ちなみに、 第一版のピアノヴォーカル・スコアはリストとブラームスにも贈られている。ダンディのフランク伝によれば、リストは 楽譜を贈られて喜んだそうだが、ブラームスは「その楽譜を手に取ることもなく、うんざりしたように眺めていた」という。



「贖罪」関連の年表
1871 「贖罪」作曲に着手
1872 11.7, 「贖罪」(第一版)完成
1873 4.10, オデオン座における初演失敗。初演の顔ぶれは以下。
Soprano: Mme. de Caters
The speaker: Mounet-Sully
The choir of the Societe Bourgault-Ducoudray and the Orchestre du Concert National
Conducted by Edouard Colonne
この年、第一版のピアノ・ヴォーカルスコアをブラームス、リスト、マスネ(?)らへ贈る。第二版作曲着手。
1874 「贖罪」第二版出版。
1875 Ventadour座にて3.16 初演。
Soprano: Mme. Fursch-Madier,
The speaker: Mounet-Sully
the Societe Chorale
Conducted by Cesar Franck
1882 グノー作曲のオラトリオ「贖罪」出版、初演
1890 フランク死去
1896 「贖罪」第二版再演。好評をうる。


録音


当たり前だが第一版の録音はない。第二版の間奏曲部分だけは、トスカ ニーニ盤、クリュイタンス盤、バレンボイム盤などの録音があり、よくコンサートでも交響詩「贖罪」という不正確な名で演奏される。「贖罪」第二版全曲版で 現在、比較的容易に入手可能なのは、プラッソン指揮のEMI盤である。独唱は力のある人で、ややオペラティックに過ぎるものの正確なテクニックで情感豊 かに歌っている。録音も優れており、全体としてはこのCDは第二版を知るためには十分なレベルであるだろう。しかし、厳しく眺めると、指揮者とオーケス トラはフランクのスコアをこなしきれているとは言えない。とくに、金管楽器が平板な音を出すのが気になる。プラッソンは、本当に曲に共感しているのだろう か。たしかに叙情的な表現に優れており、そういった箇所は情感豊かに曲を歌わせているが、快活な箇所でアンサンブルをまとめきれていない。また、表現が 単調でせかせかする瞬間がある。その半面で、細部の磨き方が十分でないため、フレーズが重苦しくまとわりつき、居心地の悪い響きとなってしまっている。最 大の問題は合唱で、表情は豊かなのだが、ピッチが不正確である。特に最終場面では女声部が限度を越えるほどにピッチがぶら下がっている。同じ問題は、プ ラッソンの指揮したデュリュフレのレクイエム(EMI)でも起きており、こういったことを放置するプラッソンの音感には大きな疑問符がつけられても仕方あ るまい。将来、より良い演奏がこれにとって変わることが期待さ れる。


(2018.1.18追記)

ジャン・フルネ指揮
オランダ放送フィル&合唱団
Ge Neutel(ソプラノ)
2007年にQ discから出たフルネの8枚組セットに「贖罪」第二版全曲盤が収められている。録音は1976年。非常に優れた内容で、音楽的な面において、あらゆる点 で上記プラッソン盤を凌駕する。素晴らしいのが細部までおろそかにしないフルネの指揮。正確なリズムに裏打ちされたもので、カッチリとした造形とともにク リアな響きをオーケストラからひきだしている。合唱のレベルも高い。独唱のGe Neutelはボーイ・ソプラノを思わせる透明な声で、美しくうたいあげている。この演奏のCD化でやっと「贖罪」(第二版)の真価を聴くことが出来るよ うになった。


To: フランクの「贖罪」-2

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