サイト更新情報

3/31/07

風邪でここ数日ダウンしています。今年はこれで二度目です。それは別として、4月は帰国等が入ることもあり、更新頻度は少し遅くなります。ご了承ください。

更新情報)別に私の体調と関係づけているわけではないのですが、資料室に、二日酔い気味のニレジハージの写真をアップしました(クリック)。

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3/29/07

Nyiregyhaziの名前は頭痛の種です。まず、サイト名にこれほどふさわしくない名前はありません。Nyiregyhaziという奇怪なスペルを覚えることのできる人が一体どれだけいるでしょう。彼の名前をサイト名に使うことだけは避けようと思っていました。

第二に、彼の姓名はどう発音すべきなのでしょうか。私はずっとアーヴィン・ニアレジハージなのだと記憶していたのですが、80年代の資料を見ると「エルヴィン・ニレジハージ」という名前が定着しています。これは、1970年代後半に、毎日新聞がこの名前で彼の復活を記事で伝え、それがマスコミやニレジハージ協会によって引き継がれたからです。しかし、カナダ、ドイツのインタビューテープを聴くと、「アーヴィン・ニアレジハージ」あるいは「アーヴィーン・ニヤレジハージ」と言っています。

-------それでは正しい表記は?

少なくとも、ラスト・ネームについては、正確な発音がわかっています。1978年に、Mike Starrという人物が、ラジオ番組で彼に直接訊ねています。彼の答えは、明確に私には「ニーャレジハーズィ」、あるいは「ニーレジハーズィ」と聴こえました。ズィは、ズイではなく、ジのような一音節です。

ならば、少なくともニーレジハージとすべきなのでしょう。しかし、このサイトでは、日本での歴史的な「実績」も鑑みて、ラストネームはニレジハージのままにしてあります。ファースト・ネームだけはアーヴィンにしました。どの音源ソースをきいても、アーヴィン、あるいはェアーヴィンと聴こえるので。同様に、「音楽神童の精神分析」を書いたReveszの名前は、レベジ、という表記が多くあります。しかし、テープでのニレジハージは「レヴェーッシュ」とレを巻き舌にし、ヴェにアクセントを置いていました。

ちなみに、アメリカのメディアによれば、我らがイチローの名前は、「イィーチロー・スズゥーキィ」と、イとズにアクセントを置いて発音するのが「正しい」とのこと。こちらにいるといろいろ勉強になります。

更新情報)資料室に幡野好正さん撮影の1982年のニレジハージの写真をアップロードしました。(クリック

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3/28/07

サイト開始後、一月がたちました。

Rosita RenardのことをKevin Bazzanaに教えたところ、初耳だったようで大変興味を示していました。いろいろと手持ちの資料を調べたようで、面白いことがわかりました。In Search of Alberto Guerreroという本に彼女の名前が何度か登場するそうです。このGuerrero=ゲレーロは、チリのピアニストで、グレン・グールドの唯一の教師と言われている人物です (http://www.walkingtune.com/guerrero.html)。興味深い事に、彼女は、1915年頃にゲレーロに教わっていたらしい、とのこと。まさかグールドとつながるとは思いませんでした。ゲレーロは変人の弟子を二人持っていたことになります。

ついでなので、ゲレーロやニレジハージの師匠だったラモンドの録音も後日アップしましょうか。

更新情報)資料室に幡野好正さん撮影の1982年のニレジハージの写真をアップロードしました。(クリック
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3/27/7

Rosita Renard-----女性版ニレジハージ


Rosita Renardという美貌のピアニストをご存知でしょうか?

1894年に生まれ、1949年に亡くなっています。彼女はリストの弟子だったMartin Krauseに学び、1920年代初頭にアメリカ、そしてヨーロッパで大変な成功をおさめました。1920年には、ニューヨーク・フィルとの共演も成功させています。ところが、その後、キャリアは失速を始め、30歳の中頃からコンサート活動を一切やめてしまいます。彼女は、自身が脚光を浴びることを大変嫌がっていただけでなく、喝采されることにさえ恐れていたそうです。どうも、この、ほとんど病的に謙虚で引っ込み思案な性格が引退の原因だったようです。

1930年からは、まるで人目を避けるかのように、電気も通わぬチリの田舎の小屋に住み、地元の生徒に教えるようになりました。そのシャイで優しい性格もあり、生徒からは大変慕われたそうです。長い間そういう状態が続いたものの、周囲の説得で、ヨーロッパなどで少しずつコンサート活動を再開するようになっていきます。1945年、ナチとの争いから南米に活動拠点を移していた大指揮者、エーリッヒ・クライバーの目に止まります。巨匠お気に入りのソリストとなった彼女は、クライバーと共に南米各国で演奏活動を行うようになりました。再び名声を高めた彼女は、1949年にカーネギホールに登場し、大変な成功をおさめました。ヨーロッパへのツアーも決まり、彼女はその準備のためにチリに戻ります。ところが、そこで奇病である「眠り病」と診断され、そのまま亡くなってしまうのです。カーネギーホールでのコンサート大成功のわずか4カ月後でした。

そのカーネギーホールのコンサートをおさめた、Rosita Renard at Carnegie HallというCDがVAIから出ています(ちなみに、CD版プロデュースはニレジハージを再発見したグレゴール・ベンコー)。スケールの大きさこそありませんが、表現意欲にあふれたユニークな演奏を聴くことができます。時折、アルゲリッチ的な激しさも見せつつ、内省的な解釈もきかせています。BachやMozartには聴き惚れさせる要素さえあります。ショパンも個性豊かな演奏で、例えば、マズルカOp59-3は、ホロヴィッツのようにデモーニッシュな表情を出すのではなく、まるで妖精が踊るような表現を聴かせています。それでいて作為的なものを感じさせず、音楽が自然に息づいています。

ただ、技術はそれなりに達者ではありますが、装飾音は荒削りですし、エチュードなどではミスタッチも多く、和音も透明度を欠くように感じました。これは、リパッティとレパートリーが重なっているだけに、つい彼の録音と比較してしまうんですね。ですが、リズム感の良さと、素直な音楽性は、そういった欠点を帳消しにするものを提供してくれると思います。

以下に、カーネギーホールで弾かれたパルティータの前奏曲をアップロードしておきます。(Rosita Renard Bach


いいピアニストです。

更新情報)資料室にニレジハージが?番目の奥さん、Genevieveと写っている写真をアップしました。1937年に撮影されたものです。
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3/26/7


読者のKさんという方から、「ニレジハージの手」で述べた項目について以下の情報を頂きました。

左は、ルービンシュタインの指の形状がわかる写真です。小指と人差し指が同じ長さです。折り曲げた左手は、4指の先がほとんど一直線になっています。Kさんによれば、「巨大な掌は広く厚く、それに加えて指が長かったため、12度を掴むことも可能」(ショーンバーグ)だったとのことです。

リパッティの指の写真については以下のリンクを教えていただきました。

http://members.fortunecity.com/hyperionedmn/lipatti.html

写真を見た瞬間、長いな、と思ったのですが、ピアノに手を置いてみたら、9度がやっとの私でも、なんとか同じ形をつくることができました。第三関節が長く、蜘蛛のような形状をしているものの、特別に大きい手ではなかったようですね。ちなみに、私が一番尊敬するピアニストとなると、ミケランジェリやグールド以上に、このリパッティになるかもしれません。彼の装飾音の美しさ、レガートの滑らかさ、高い所から低いところに水が流れて行くような自然さ.......本当に難しいことをいとも簡単にやってしまうだけでなく、聴衆にもその難しさを全く意識させない稀有の天才でした。彼が一曲だけ残した、ショパンのノクターンの録音を聴いたのは10代の前半ですが、その時の衝撃は今でもはっきり覚えています。何度も聴き直し、フレージング、装飾音、アクセントに何が起きているか理解し、なんとかそれを真似しようとしたものです。

Kさん曰く、レシェティツキー派やロシアン・スクールでは以下のように認識されていたとのこと。
「手が厚く、指の短いタイプでは、温かみと深みのある音を出し、
手が薄く、指が長いタイプでは、輝きがある金属的な音を出す」

手が小さく特注ピアノまで作らせたというホフマンは前者の典型ですし、蜘蛛指を持つポゴレリッチなどは後者の典型です。生演奏でポゴレリッチの音を聴いた時、まるでヤスリでこすったような金属的な音がしていたのが印象的でした。DGの「前奏曲集」等のレコードでも同じ音がしています。

手の大きさを考える時、演奏家よりも面白いのが作曲家です。曲をつま弾いてみると、だいたい、作曲者がどれくらいの手の大きさの持ち主だったかわかるものです。私の印象では、シューベルトの手が予想外に大きく、リスト、ブラームス、ラフマニノフ、それからフランクの4人は非常に大きいという感じですね。実際、シューベルト以外については証言が残っています。一方、ショパンの手は小さかったということを読んだ記憶があります。確かに、オクターヴが楽に届けば、理屈の上では弾ける曲ばかりではないでしょうか。

意外なところでは、スクリャービンの手も小さかったそうです。彼の場合、曲に10度、11度が普通に出てくるのですが、実際のところ、それらの和音はアルペジオでもカバーできるようになっているんですね。それでも、曲の主要な旋律はオクターヴ以上に滅多にならないので、たぶん、彼の手は、せいぜいオクターヴが届く程度だったのではないかと想像しています。

この、アルペジオから発展していったのが、スクリャービンが汎用したクロス・リズムだったのかもしれません。実際に、手の小さい人間が彼のエチュード等を弾くと、10度や11度でアルペジオを頻繁に使うことになります。左手と右手が自然にクロス・リズム風になってしまうんですね。もし、スクリャービンの手があと3cm大きければ、彼はあれほど面白い作曲家にはならなかったかもしれませんね。

更新情報)
1) ニレジハージは8歳の時、バッキンガム宮殿でイギリス王室と貴族のために演奏を行っています。宮殿の外でとられた写真(
Nyiregyhazi at the Buckingham palce (1911))を資料室にアップロードしました。
2) Kevin 曰く、「1930年代に撮影された」という、まるで映画俳優のようなニレジハージの写真(
Nyiregyhazi around 1920-30)をアップロードしました。顔の感じでは、まだ1920年代ではないかと思うのですが........
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3/23/07

Kevinが、ニレジハージの1929年の映画のフッテージを入手できそうだと知らせてきました。ショパン、メンデルスゾーンなどを演奏しているそうです。音質、長さ等の詳細はまだ不明。入手次第、こちらでも音声を紹介していきたいと思います。

更新情報)
「晩年のニレジハージの公式録音」に、「Nyiregyhazi plays Tchaikovsky/Grieg/Bortkiewicz/Blanchet」のレビューをアップデートしました。今回はちょっと厳しいことを書いているかもしれません。


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3/22/07

ニレジハージの手

幡野好正さん撮影のニレジハージの写真を「資料室」「晩鐘」のページにアップロードしました。伝記にも使われている素晴らしい写真です。この写真に明らかなように、ニレジハージはピアノにかなり体を近づけ、まるで上から抑えつけるようにしてピアノを弾きます。手が高くあがることはほとんどありません。あの巨大な音量は、抑えつける時の運動量の大きさから出ています。映像で指を確認すると、よくある「卵を握るような指の形」ではなく、第一、第二関節ともに伸びているのが特徴です。ただ、ホロヴィッツのように、指を伸ばし、手全体を平たくするのではなく、第三関節から90度ほど曲がっています。親指と他の指がコの字型を広げたような形になるわけです。指とピアノのキーの角度は45度程度を保ち、しっかりと腕の力を鍵盤に伝えています。彼の指の長さは異常で、蜘蛛の脚のような指はポゴレリッチを思わせるものがありました。特に、親指が長く、親指を除いた四指の長さの間には差がそれほどないのも特徴的です。私の小指などは薬指の第一関節よりも短いのですが、彼の場合、最晩年にドリス夫人によって撮影された手のクローズアップを見ると、小指が薬指の爪の下のラインまで伸びていました。厚い和音でも、あの余裕のあるフレーズがうまれるわけですね。

バレンボイムによれば、ルービンシュタインの四指は非常にバランスがとれており、長さがほとんど同じだったのだそうです。彼のレガートがあれほど美しいのも、均一な長さを持つ指の特徴があったのだろう、という話です。もし、肉体と音楽性の間には密接な関係があるのなら、比類なく美しいフレージングとレガートを聴かせたディヌ・リパッティの四指もきっと長さがそろっていたにちがいありません。彼の場合、写真もあまりないので確認がしようもありませんが、どこかに証言が残っていないものでしょうか。

Kevin Bazzanaに送ってもらった資料、無事に送り返されたようです。良かった.......これから、それらの写真をM&Aに送るのだそうです。

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3/21

(更新情報)

「ニレジハージの演奏ファイル」に、「晩年のニレジハージの公式録音」を加えました。ただ、音源ファイルは著作権の関係で載せることがまだできません。しばらくはレビューだけになります。内容はすこしずつ書き加えていきます。


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3/20/7
Sayers氏 よりメッセージ

ピアニストのMichael Sayers氏からメッセージが届いていました。「サイト、とても楽しんだ。素晴らしい写真の数々.......」とのことです。彼はニレジハージの優れたサイトを何年も前から運営しています(http://www.michaelsayers.com/ervinnyiregyhazi.html)。それだけでなく、いろいろなところでニレジハージの作品を演奏しているようです。伝記の協力者の一人にも名前が入っていました。

更新情報)
ピアノロール録音、Leschetizky: “Etude heroique”をアップロードしました。

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3/19/7






オーストリア生まれ、カナダ在住のピアニスト、アントン・クェルティ(Anton Kuerti)による書評が出ました。

http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/LAC.20070317.BKGENI17/TPStory/TPEntertainment/Theatre/

このクェルティ、日本での知名度はゼロに近く、数少ないネットでの評価も高くありません。しかし、大変な実力を持つピアニストです。

2年ほど前になりますが、Kevinに何かの折で、ハンマークラヴィーア・ソナタ等の晩年のベートーヴェンの作品について、「世の中で神格化されすぎていると思う」と書いたことがあります。いろいろとやりあった後、彼は私に十数枚のCDを送ってきました。その中に、このクェルティが70年代に吹き込んだソナタ全集からの演奏がありました。

一通り聴いてみて、その音楽性に感心しました。安定したテクニック、知性、卓越したバランス感覚が見事に融合していました。彼は決して音楽に無理な力を加えることをやらず、むしろ精緻にフレーズや強弱をコントロールし、大変分析的なアプローチをとっています。晩年のベートーヴェンの音楽に特有の、(私から見ると)一種の座りの悪さをうまく消化していました。全てを黄金律の中に調和させることができる才能があるようです。もっとも印象に残ったのは、フレージング処理のうまさです。たとえば、28番の第二楽章は、シューマネスクな不安定さがあって、空中分解する危険性がいつもつきまといます。これをクェルティは、卓越したリズム感覚とフレージング処理で、曲に一種の安定感さえ与えています。第4楽章も座りの悪い音楽で、私にとっては性急なフレーズの羅列のように聴こえてしまう演奏が多いものです。しかし、クェルティは遅めのテンポで、フレーズの一つ一つを大切にし、曲の構造を明らかにしながら見事に纏めていました。その一方で、よくギレリスあたりがやるように、音を「置き」にいっているように聴こえないのは、フレージングを自然に処理する天性の才能があるのでしょう。こう書くと、客観主義的な演奏と思われるかもしれません。確かに覚醒してはいますが、決して機械的な演奏ではなく、どの曲にも血の通った暖かさと自然な息づかいを感じさせます。なにより、彼が時折みせる詩的な味わいは、なかなか他では聴くことのできないものです。
ただ、どれもこれも感心したというわけではありません。上のような特性のいくつかを逆に言うと、頽廃的な死の臭いが感じられない、ということにもなります。安全運転を優先するせいで、時として、音楽のスピードや勢いは犠牲にされています。評価されないとしたら、この面かもしれません。実際、例えば、第32番では、厳しさ、鋭さよりもバランスが優先されすぎており、音楽にあるべき矛盾さえもがオブラートに包まれてしまった印象がありました。その反面、第28番や第30番では、彼のポエティックな味わいが、曲に独自の魅力を与えていました。

いずれにしても、これほど、隅々までバランスのとれたベートーヴェンを弾くことの出来る人はなかなかいないと思います。もっと聴かれるべきピアニストだと思っています。彼は最近、ソナタ全集を再録音していますが、それは未聴です。より自由で主観的になったという話ですが。

そのクェルティが、この本の書評を書くとは想像もしていませんでした。かつての神童であり、そしてニレジハージと全く正反対の音楽性を持つクェルティが、この本をどう読んだか興味深いものがあります。


更新情報)
1) 資料室にあるプログラムの解像度をあげました。細かい文字まで読めると思います。
2) 幡野さんの写真を一枚、fugue.us/ervinのページにアップロードしました。
3) 英語版にwhat's newセクションを作りました。
4) 資料室を少し模様替えしました。
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3/16/7

昨夜、Kevin Bazzanaから、献辞とサインが入った伝記が届きました。私が今まで持っていたのは、最終稿に近いものの原稿ファイルだけでした。本を見たのはこれが初めてで、いろいろな情報が加わったり、訂正されたりしています。ざっと見ましたが、第一級の資料でありながら、それを読者に「重さ」として感じさせない面白い読み物に仕上がっていると思います。あらためてKevinの力量を見る思いがしました。日本語版の予定はまだありません。最低でも後1-2年は出ないと思いますので、興味を持たれた方は、がんばってオリジナルを読んでいただければ、と思います。

私の名前も数ページに登場しています。本編の後の資料+謝辞のページで、一段落を割いて私の貢献にまとめて触れてくれていました(p364)。次のページで、fugue.usについても、国際ニレジハージ財団のページと並べて位置づけてくれています。

いろいろなことを思い出しつつ、楽しみながら読んでいくつもりです。ただ、日本の章には私の得た情報や英訳がそこら中に入り込んでいるので、楽しむよりも責任を感じてしまうでしょう。原稿の段階でさえ読むたびに緊張しました。自分が仕事で発表する文はこんなに緊張したことないのに.......。

更新情報)
1) 少年時代の作品の楽譜を「資料室」にアップロードしました。
2) 「資料室」を、伝記の構成に添った形にしました。ページ等の情報も入れるなど、伝記との関連を強めていきたいと思います。
3) 英語版(クリック)に、「Nyiregyhazi and Japan」のセクションをつくりました(クリック)。「ニレジハージかく語りき」の英語版と、幡野さんの写真を一枚アップロードしています。
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3/15/7

ニレジハージは浮浪者だったか

私たちは、ニレジハージ=浮浪者のような身なりのピアニスト、というイメージを持ってしまいがちです。1920-30年代の間の短期間、そういう生活を送っていた時期があったのは事実のようです(本人の言葉によれば、「1925年の数日間」)。同時に、ニレジハージについては、物事が誇張されたり、根拠のない作り話が氾濫しまうことが多い事も留意しておく必要があります(某事典サイトにある、復帰のいきさつに関する記述などその典型です)。

晩年の彼は、薄汚いみなりをしていたどころか、できる限りのお洒落をしていました。復帰前後から死の直前に撮られた数十枚の写真が手元にあります。そのどれを見ても、髪をなでつけ、ストライプのネクタイ、白いハンカチをポケットにいれ、ダークスーツで決めているものばかりです。数枚、ジャンバーを羽織っている写真がありますが、それでもネクタイは締めています。プライヴェートを写した写真も変わりません。

映像でも、悪い足を杖でかばいつつも、ヨーロッパの老貴族のように、背筋をしっかりのばして毅然と街を歩いています。確かに貧窮、放浪、酒と女に溺れた人生を送ってはいましたが、かつて欧米の上流階級を賑わせた時の誇りを忘れたわけではありませんでした。

更新情報)
「資料室」と「数奇な生涯」の「没後の流れ」に、ニレジハージの墓の写真をアップロードしました。

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3/14/7

更新情報

1) Kevin Bazzanaに、このサイトのために何か書いてみないか、と訊ねたところ、2ページほどの文章を送ってきてくれましたので、それ用のページを作りました(クリック)。まだ伝記を書き出して間もない頃に作成された関係者用の本の抄録がもとになっていますので、後半生にいくに従って記述が簡単になりますが、もちろん伝記本編ではそんなことはありません。今回、伝記の題名変更など、いくつかの手が加わっています。ざっと訳したものを「はじめに~」のセクションからリンクされています。オリジナルの英語の文章(クリック)は英語版の方にアップロードしました。内容は当然ながら、私がつくった伝記の抜粋「数奇な生涯」と似ています。

1)資料室、および、上記Kevinのメッセージセクションに 幡野さん撮影の写真を一枚アップロードしています。

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3/13/7

Mr.Xの写真

更新情報)
今日のメニューは珍品です。

Mr.Xについての記述を憶えておられるでしょうか(「数奇な生涯」の「崩壊」を参照)。1946年、極度に神経質になっていたニレジハージは、プロモーターとの協定で、マスクを被り、「Mr.X」という変名でコンサートに出演しました。ただ、客には正体バレバレだったそうです。その時の写真が残っていました。おそらくコンサート前後にプロモーション目的で撮られ、何らかの理由で使われなかったのではないでしょうか。Kevinにも写真のバックグラウンドがよくわからないとのこと。「友人が撮ったのかもしれない」とも言ってました。

更新情報
資料室と「崩壊」の章(クリック)にMr.Xの写真をアップロードしました。

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3/12/7

サイト情報など

1982年来日時のニレジハージを撮影された幡野好正さんの写真を、サイトのいろいろな所に今週から少しずつアップロードしていきます。素晴らしい写真ばかりです。手元には20枚ほどありますが、アップロードするのは半分程度になると思います。著作権は幡野さんに帰属しますので、転載、複製についてはご注意ください。伝記に使われた写真だけでなく、使われていないものもアップロードできれば、と思っています(まだ伝記が届いていないので、正直、どの写真が使われたかわかりません)。

ところで、アクセス解析によれば、アメリカからの訪問客が日本の訪問客の二倍の割合でいらっしゃるみたいです。英語サイトはページ数も少なく、生涯や芸術の説明もありません。しかも、日英共通のアーカイヴ以外、全然更新していないのに............やはり、結局は資料が勝負、ということなんでしょうね。嬉しいことですが、かけた手間とアクセス数が比例しないというのもちょっと複雑です。

更新情報)
1) 資料室に幡野さん撮影のニレジハージの写真をアップロードしました。1982年のものです。
2) 日本における発言をまとめた、「ニレジハージかく語りき」(クリック)のページを、「ピアニスト、ニレジハージに関する考察」の中にもうけました。今回資料室にアップロードした写真を使っています。





3/9/7

「天は二物を与えた」

ニレジハージは長身だった上、若い頃は、ハリウッド映画俳優のような秀麗な容貌をしていました。ディナーテーブルの会話では、幼少時に交流があった英国王女やプッチーニらの想い出話がごく自然に出たでしょうし、ひとたびピアノの前に座れば、「リストの再来」という物凄いピアノで人々を痺れさせることもできました。それでいて、ネクタイも自分で結べないという、母性本能をくすぐる要素までそろっていました。女性達が放っておく筈がありません。また、彼も若かったため、自己抑制が全くききませんでした。老若男女、独身人妻を問わず、欲望の赴くままに官能世界へと溺れていったようです。

更新情報

1) 「資料室」(クリック)に、1923年に撮影された、ニレジハージの立っている写真をアップしました。まるでファッション・モデルのようです。これを見ると、彼は一時期、バイセクシャルだったというのもなんとなくわかります。

2) 10日程前、Yahoo!に登録願を出しました。先ほど、一両日中にカテゴリに登録されるとの連絡を頂きました。


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ピアノロール録音について

3/8/7


このページにアップロードしたピアノロール録音は、全て、Kenneth C. Caswell氏というテキサスのピアノロール収集家の方が、Kevin Bazzanaのために再生/録音したものを使っています。マゼッパの録音は、以前、CDやLPで発売されていたので、聴いたことがある方が結構おられるようですが(British label Argo, (Argo DA 43, 1966) the American label, Newport Classic (NC 6002, 1986)、それらはこの録音と別ソースです。Caswell版は新しいだけあって、音はより鮮明です
。他のいくつかの曲の録音は、国を問わず、ニレジハージに詳しい方でも、聴かれたことはないかもしれませんね。

私が賛嘆してやまないのが、グレインジャー編曲版チャイコフスキーの「花のワルツ」です。テンポは速いのにも関わらず、個々のメロディの歌い回しがなんとも言えず粋です。この味は、今のピアニストが真似しようと思っても、ちょっと無理ではないでしょうか。どのフレーズをとっても、それらが技術的観点からではなく、純粋に音楽的に処理されています。そのため、急激なテンポ変化が起こっても、音楽が崩れるどころか、ぴったりとツボにはまる感じがします。

そして、この華やかさ!全体としてむしろ速めのテンポが取られているのにも関わらず、優雅さは少しも失われていません。かつてのヨーロッパ貴族の舞踏会というのは、こんな、どこか無邪気さと華やかさの混じった雰囲気があったのだろうと想像させてくれます。私にとってニレジハージの演奏は、ロマン派、というよりは、漢字の「浪漫派」の文字をあてはめたくなることの方が多いのですが、「花のワルツ」や、ノスタルジックなグラナドスはその典型です。こういうのを聴くたびに、彼の早すぎる隠遁を惜しまずにはいられません。

更新情報
資料室(クリック)と、ニレジハージの生涯の「制覇」のセクションに、1920年、ニューヨークエリス島で撮影された、アメリカの地におりたったばかりのニレジハージの写真をアップしました。さあ、やったるぞ、という気概に満ちた顔にも見えますね。
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3/7/7

ニレジハージ出演の映画について

「はじめに〜」にも述べておりますが、私のサイトはデータベースを目的としない、個人サイトです。詳しい情報は、包括的になる予定の製作中の財団サイトや、伝記の中に全部書かれているはずです。そのため、このサイトでは、録音年月日、レコード番号入りの「録音一覧表」のようなことは書いていませんし、全ての音源やプログラムを網羅的にアップロードすることもしないと思います.........ちょっと大変ですしね。私の主観で良いと思った素材だけをご紹介していくことが多いと思いますが、どうかご理解いただければ、と思います。

ただ、一つだけ、映画出演を巡って、情報の錯綜があるかもしれませんので、今のうちに少し整理しておきます。

スラム期のニレジハージ出演の映画は以下になります。「A Song to Remember」と、「Song of Love」のサウンドトラックは別人が弾いています。演奏が聴ける中では、1947年のThe Beast with Five Fingersのサウンドトラックのアップロードがまだです。この映画では、バッハのシャコンヌの編曲版をニレジハージが弾いています。


The Lost Zeppelin, 1929 (出演、サウンドトラック)
The Soul of a Monster, 1944 (出演、サウンドトラック)
A Song to Remember, 1944, (映像のみでサウンドトラックはJose Iturbi)
Song of Love, 1947 (手のみ。サウンドトラックはA. Rubinstein).
The Beast with Five Fingers, 1947 (手とサウンドトラック).

更新情報

1) 「Intermezzo」の「モーツアルトの公式」に、「ショスタコーヴィッチのケース」を書き加えました。直線から彼の性格が見えるようです。
2) 1937年LAのプログラムを加えました。


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3/6/7

今週、Kevinから、オランダ・ニレジハージ財団の資料が一箱届く予定です。送付されてくる資料の中には、写真家の幡野好正さんという方が撮影された、来日中のニレジハージの写真も多く含まれます。これらの写真の使用については、一昨年の暮れに伝記での使用許可を頂くことができました。このサイトの使用についても、今年に入ってから、幡野さんからの許可を頂いております。ただ、ネガが幡野さんの手元にも存在しないということですので、送られてくる貴重なプリントを財団、私、Kevin、出版社で使い回す感じになります。その他の資料についても、M&A社に転送、9月発売のCDに使用されるものがあるとのことで、ナーヴァスになっています。

更新情報)ニレジハージ演奏ファイル/青年期のピアノロール録音に、シンディング「前奏曲」の録音を加えました。1921年の4月-5月の間に録音されたものです。



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3/5/7

1) 
ニレジハージ演奏ファイル/「スラム期のニレジハージの演奏」Soul of a monsterの音声を、入力方法を改善するとともに、イコライザー処理しました。比較のため、イコライザー処理前のヴァージョンも残してあります。多少なりとも聴きやすくなったとおもうのですが、いかがでしょうか。

2) 「資料室」に、1923 NY、1924CAのプログラムを加えました。

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3/3/7

サイトをめぐるあれこれ

ピアノ音楽名盤選(http://ameblo.jp/pianophilia/)の作者の方から、サイトのフィードバックも含めた数通のメールを頂いております。ピアノ音楽について造詣が深く、ニレジハージについても強い思い入れを持っておられます。また、多くのニレジハージの録音資料も持っておられるらしく、頂いたリストを一瞥したところでは、私のアーカイヴにない録音もいくつかあるようです。こういう方とつながりが出来るのがネットの強みですね。将来、いくつかの資料を当サイトでご紹介できれば、と考えております。

ネットの強みを実感したところで質問です。ニレジハージの来日関連の情報は日程単位でほとんどそろっているのですけれど、一つだけ確証がないまま、伝記が発刊になりました。ニレジハージが1982年に来日した際、1月22日から29日のうちのどれかで、東京バプティスト教会において、ピアノ・コンサートを開いたという記録があります。この情報がありません。どなたか、当日のコンサートに出席された方はいらっしゃいますか?また、プログラム等、詳しい情報をもっておられる方はいらっしゃいますか? 残された録音資料から、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」を弾いたのではないかという推測をしているものの、確証がありません。教会にも問い合わせましたが、記録は残っていないようです。

更新情報

1) 「資料室」に、1941年のニレジハージのコンサートプログラムをアップロードしました。1930年から1972年の間のニレジハージの顔写真はほとんど残っておりません。その意味で貴重です。

2) 「スラム期のニレジハージの演奏」のSoul of a Monsterの写真を、多少ですが、解像度の高いものに差し替えました。録音の質も少しあげられるかもしれません。手持ちのDVDの映像が載せられないかと試行錯誤しています。

3) 「資料室」にある、初期の白黒プログラムの解像度があまり良くありません。サイズとの兼ね合いもあるので小さくしたのですが、もう少し読み易い大きさにできると思います。来週から一つずつ修正していきます。

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3/2/7

数人の方からフィードバックを頂きました。ありがとうございます。ニレジハージの古い録音に感銘を受けた、というメールも複数頂きました。それにお答えし、来週、ピアノロール録音をもう2つ、アップロードします。最近の録音については、実は、アップロード用のページを既につくってあります。後はオランダの財団からの連絡待ちです。財団の会長としては、まず自分たちのサイトを作成してから許可、という希望のようです。せめて、Desmarの「二つの伝説」だけでもアップロードしたいのですが........Kevinはページの趣旨から見て、アップロードしても米連邦法には抵触しない可能性が高い(私のサーバーはアメリカにあります)、と言うのですけれども、やはり権利保持者からの使用許可は頂いておくべきと思っていますので、もうしばらくお待ちください。

ところで、掲示板をつくれば、アクセス数もあがりますし、情報交換の助けになるとは思うのですが、他の方のサイトを見ると、皆さん、荒らしやポルノサイトの書き込みの対応に大変苦労されているようです。荒らしでないにしても、どうしても匿名は発言が無礼になりがちですし.......と、いうことで、今のところ掲示板をつくるつもりは全くありません。もし、有益な情報があれば、メールでお寄せください。興味深いものはこのページでご紹介していきたいと思います。

「資料室」(クリック)にニレジハージのポスターをアップロードしました。まだあどけない顔をしていることと、髪の長さから見て、1921年頃に作られたものだと思います。


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3/1/7

作曲家達を数式から眺める


木の年輪の幅というのは、それが刻まれた時代の気候などを反映すると言われています。同じように、芸術家の作品数というのも、時代の空気や芸術家の精神状態を反映することがあります。作品数と年齢の関係をグラフにし、その関係を表す近似式を求めると、ちょっと面白い事が見えてきます。Intermezzo (クリック)の「モーツアルトの公式」で、モーツアルト、ベートーヴェン、シューマン、シベリウスらの「年輪」を議論しています。他の作曲家達も少しずつ加えていくつもりです。

更新情報
「モーツアルトの公式」を「Intermezzo」に加えました。
「資料室」に、1938年のニレジハージのコンサートプログラムを加えました。また、「音楽の神童の精神分析」の一部をpdf版でアップロードしました。

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2/28/7

サイトについて〜「The Sonority of Silence」と「Intermezzo」

ここで他のセクションについても簡単に...............。Fugue.usには一応、共通テーマらしきものがありまして、「歴史に埋もれた」人物・作品・物語、というものです。

「The Sonority of Silence」というセクションでは、大作曲家の直筆原稿や、初稿をソフトウェアで音源化します。既に発表されている作品を音源化するのではなく、未発表の作品をweb上で「世界初演」しよう、という試みです。現在、アップロードされているセザール・フランクの交響詩「贖罪」の第一版間奏曲は、初演時に演奏されないまま、事実上、破棄されました。レコードや演奏会で聴くことの出来る「贖罪」という15分ほどのオーケストラ作品は、第二版、しかも間奏曲部分でしかありません。初版の「贖罪」全曲は、実は音楽史でも稀に見るようなユニークな試みが行われていました。なぜそのような作品が失われたのか----------改版には複雑な経緯がありますので、詳しくは、「贖罪第一版と第二版(クリック)」をご覧ください。音源化に使った楽譜は、フランクがジュール・マスネに贈呈した、第一版ピアノ・ヴォーカルスコアの実物です。この第一版間奏曲が音として、公の場で鳴ったのは初めてではないでしょうか?フランクは、私が昔から興味を持っていることもあり、生涯についての詳細な情報を載せています。時間の無い方は、「5.第一版間奏曲「Symphonieの再現「クリック)」だけご覧になってください。次はラヴェル作品の予定です。ニレジハージのページが落ち着いてから取りかかるつもりです。

「Intermezzo」のセクションは、資料を用いつつ、歴史に埋もれた話を掘り起こそう、というものです。
以前、私がとある筋から入手したレスピーギの手紙について、NYTのArchiveとNYフィルの事務局を通じて、いろいろと調査を行ったことがありました。一つの資料から、芋づる式にいろいろな事がわかるもので、そういった事をご紹介できれば、と思います。ページでは、トスカニーニが「ローマの祭」を書かせた、というような印象を与えているかもしれませんが、実のところ、そこまでの確信はありません。というのも、妻エルザの本、「Fifty years of a life in music 1905-1955(Studies of the History and Interpretation of Music Vol 42)」の133ページにこういう記述があるからです。

In Paris we often met with Toscanini, who was directing some of the concert. In one of those meetings he said that he had seen the score of Festa Romane at the house of Ricordi in Milan and that he was enthusiastic about it. He announced to us that he would be performing it in New York on February 1.

つまり、トスカニーニが「ローマの祭り」のスコアを見たのは、リコルディ社のゲラか、印刷版が初めて、ということになります。二人が「ローマの祭り」について、作曲段階から緊密に連絡を取り合っていたという証拠はありません。仮に、トスカニーニが「ローマの松」アメリカ初演後に依頼した作品が、最終的に「ローマの祭り」になったとしても、レスピーギの手紙にあるトスカニーニの言葉は、せいぜい、レスピーギにきっかけを与えた程度のものだったのではないかと思います。

(更新情報)

フランク「生涯」のページに、フランクのセクションで使用した参考文献を加えました
ニレジハージ資料室に、1936年10月の演奏会プログラムを加えました。
Top ページにカウンターを設置しました。


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2/27/7

サイトの正式なスタートです


本日、Kevinのニレジハージの伝記が発売になります。それに合わせて、このニレジハージ・ページのトップページから、「テスト版」の文字を消去しました。
ニレジハージ資料室(クリック)を作成しました。1910-20年代の演奏会ポスターとプログラムをアップロードしています。近日中に、ニレジハージ晩年の写真をアップロードしたいと思います。

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2/26/7

音楽家にかかる重圧~パコ・デ・ルシアの発言から

http://www.esflamenco.com/scripts/news/ennews.asp?frmIdPagina=651


"When I am asked if I love the guitar I answer that in fact I hate it. What began as a devotion has turned into an obligation and an enormous responsibility"
「ギターを愛しているかと言われれば、実際のところ、憎んでいると答える。崇拝として始まったものは、義務と大きな責任となっていった」

パコ・デ・ルシアと言えば、一本のギターを通じてフラメンコ音楽を変革しつづけてきた天才音楽家です。卓越したリズム感と作曲能力、1秒間に16の音を鳴らすという超人的なフィンガー・テクニック。それらは、ギタートリオやフラメンコの活動を通じて、世界中のギター愛好家やギタリストに認識されています。一方で、何事にも保守的なクラシック音楽界においては、彼のことはほとんどまともに扱われていないのが実情です(アルゼンチン・タンゴのアストル・ピアソラも生前はそうでした)。しかし、私見では、彼はここ30年で、最も重要な作曲家&演奏家の一人です。彼は、土俗的なスペインの民族音楽フラメンコを、独自の手法で洗練させ、そして世界中の聴衆に受け入れさせました。彼が発表してきた音楽を聴いても、特に70年代後半以降の作品の精密さ、巧緻さは驚嘆すべきレベルにあります。西洋クラシック音楽の直接的な影響をほとんど受けることなく、従来のフラメンコ音楽の語法と少しのジャズのイディオムを組み合わせ、磨き上げることでそれが達成されたのです。本当に驚くべきことです。

彼は現在、北米をツアー中で、私も1月下旬にシアトルを出て、カナダのトロントまでコンサートを聴きに行きました。「革命児」と言われた彼も60歳です。上のインタビューで、本人も「若い頃よりも技術は落ちている」と話していました。実際、最新録音などを聴くと、緊張感と鋭さの塊のようだった70-80年代の演奏に比べ、良い意味でも悪い意味でも、音楽がリラックスし、バランスと格調の高さが優先されているような印象があります。しかし、ライヴのパコはまだまだ元気で、トロントでは、若手ナンバーワンとも言われているニーニョ・ホセレに格の違いをみせつけていました。その後、パコはNYに行ってカーネギーホールでも弾き、観衆を熱狂させています。上の発言は、そのNY公演の際に行われたインタビューで飛び出たものです。彼が、ギターについて「hate=憎悪」という最大限の強い表現を使った、という事実は、ピアノさえ触ろうとしなかったニレジハージの沈黙と同じように、私にいろいろなことを考えさせました。

パコは、実は、ギターそのものではなく、自らのギター演奏が作り出した音楽ビジネスや、ギター演奏にまつわる責任を話しているのかもしれません。少し前のことになりますが、「パコ・デ・ルシア」のサイン入りラベルの貼られたギターが、パコの与り知らぬところで「パコ・デ・ルシア監修」として高価に売られ、パコを憤慨させたことがありました。かつて、コンビを組んでいた、カンタオールのカマロン・デ・イスラ作品の版権を巡るトラブルで、カマロンの家族やマスコミに攻撃されたこともありました。ビジネスだけではありません。パコのギターが鳴るということは、それは単に一本のギターが鳴るということだけでは済まなくなっています。パコの新しい録音が出るたびに、フラメンコ界全体がその方向を向き、世界中のギター雑誌やサイトにそのTab譜が載ってしまうのです。その上、どんなに数多くの「パコ・デ・ルシアの後継者」が出現しようとも、パコが旗頭にたってフラメンコの新しい世界を開拓していくことを皆が期待しています。パコにしてみれば、周囲からがんじがらめに束縛されているような中で演奏する状態が、ここ何十年も続いてきたのではないでしょうか。そういった思いが、思わず「憎悪」という強い表現になったのではないかと想像しています。その言葉をきいたファンの一人としては、もう休んで気楽にしてほしい、まだ引退してほしくない、という二つの相反する気持ちを持っています。

ところで、京都賞、高松宮世界文化賞という賞があります。二つとも、権威のある文化賞として認識されはじめています。ただ、選出された受賞者の中には、「老いてそれなりの名声はあるが、分野を代表して受賞するほどだろうか」、と思いたくなるような名前もいくつか見受けられます。その一方で、マイルス、パコ、ピアソラのように、音楽史に名を残すに違いない革新者達の名前が受賞者リストに見当たらず、こう言っては何ですが、やや選考のピントがズレているように思えてなりません(ただ、世界文化賞のラヴィ・シャンカール選出はストライクだったと思います)。一年ほど前、パコを考慮していただくよう、京都賞事務局にメールを送ったことがあります。事務は選考には関与していないので、というそっけない返事だけでした。世界文化賞にいたっては、メールアドレスを見つけることもできませんでした。しかし、どちらも日本全体を代表する文化賞なのですから、多少は一般の意見を取り入れていただいても良さそうなものです。こちらはパコよりも、賞の方を心配しているのですから......。

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2/23/07

Youtubeのニレジハージの映像

ニレジハージが出演した映像をDVD形式で持ってはいるのですが、それをファイルに変換する方法をよく知りません。また、ファイルサイズの大きい映像のアップロードには少し消極的なこともあり、このページには音声と写真だけをアップロードしています。そう思っていたら、Youtubeに「Lost Zeppelin」でピアノを弾くニレジハージの映像がポストされていました。

http://www.youtube.com/watch?v=bNTU6Ogoudw

音声の一部は、このページのディスコグラフィで聴く事ができます。この映画は1920年代後半に撮影されておりますので、ニレジハージがスラム生活に入って間もない頃ということになります。もっとも古い「動く」ニレジハージの映像ということになります。ハンガリアン狂詩曲もやや長めに入っているものの、演奏の大部分は台詞の後ろに押しやられています。


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2/22/07

Music & Artsより発売予定のCD

数ヶ月後に発売が予定されているニレジハージのCD (Music & Arts label (CD-1202))についてですが、これは、ニレジハージが残した1970年代と80年代の数時間分のライヴ録音、プライヴェート録音から、状態のよいもの、演奏の優れたものを抜き出したもので、国際ニレジハージ財団とKevinが監修しています。Kevinは、彼が「グレン・グールド演奏術」で行ったように、こういった音源を伝記に添付したがっていたのですが、出版社の立場としては高い本は出したがらないものです。本が売れませんからね。当初、このサイトでカバーするという案だったのですけれど、結局、こういう形で音源が世に出ることになりました。良かったと思います。ただ、他の会社の名前をずっときいていたので、M&Aとは少し意外でした。私も選曲の助言を少しだけさせてもらいましたが、最終的に反映されるかどうかはわかりません。最終的なトラックリストが決定され次第、このページにアップデートします。

最終リストに近いものは手元にあります。含まれる予定のトラックのほとんどは未発表のライヴ録音です。ただ、一部、発表済みの音源が含まれます。そのうちの二つは、DesmarLPからの「二つの伝説」で、これがCD化されるのはうれしい限りです。

ところで、英語版を見たKevinから、Mr.の複数形はMessrsだよ、と指摘メールが入っていました。知らなかった.....。周囲のアメリカ人達に訊いたら、どうも、フランス語由来の格調ある言い方のようで、知らない連中も結構いました。

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2/21/07

サイトについて ~"Ervin Nyiregyhazi's life and art"

fugue.us全体のテーマは、忘れられた音楽家、作品、歴史を、一次・二次資料を用いつつ掘り起こす、というものです。メイン・コンテンツは、アーヴィン・ニレジハージのページ"Ervin Nyiregyhazi's life and art"、フランクらの未発表作品の音源化を集めた"The Sonority of Silence"、手紙等の資料から失われた音楽史に迫る”Intermezzo"の3つ、ということになります。いずれも、私のアーカイヴにあるオリジナル資料を多く使うことで、独自性を出したいと思っています。

ニレジハージのセクションについては、伝記の最終校正の期限である2006年秋までにトップページのアドレス名だけを決め、それから手持ちの資料や文章を組み合わせたサイトの作成に入りました。その間、音源、手紙、楽譜等の資料の権利関係をクリアするために、オランダの国際ニレジハージ財団との連絡を取り付けました。ただ、私と、Kevinと、財団とのトライアングルを作ることは作れているんですが、財団と私の間の連絡が今ひとつスムーズにいかないんですね。これは純粋に技術的な問題で、財団のトップのMattheus Smits氏が、e-mailアドレスを持っていないんです。で、Mattheusとは旧式に手紙でやりとりしているんですが、彼が多忙なこともあって、数ヶ月に一度程度の連絡しかとれません。幸い、Mattheusは私のサイトに好意的のようですし、KevinとMattheusは近しい仲なので、Kevinを介して財団と連絡を緊密にやろうとしているところです。ただ、しばらくは、権利関係が発生する最近の音源を載せるのはちょっと難しそうです。膨大な量の未発表録音があるんですが........。ま、それは近い将来のお楽しみ、ということで。

伝記に掲載されていますので、ニレジハージのページの英語版も作ってあります。現在は日本語版の簡易版程度の内容ですが、将来的には、英語版独自の内容を盛り込んでいきたいと考えています。
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2/20/07

サイト運営者と伝記「Lost Genius」

2/5に、Kevin Bazzanaより、本の発売、およびM&A社からの二枚組CDの発売がYahoo USAのニュースフォーラムにアナウンスされました(以下の英文参照)。また、カナダでの本の発売まで1週間を切りました。それを受け、私の方も今日より、ニレジハージや、ニレジハージ関連サイト、およびfugue.usについての情報をアップしていきます。


断続的ではありますが、私のこの伝記プロジェクトへの関与は3年にわたります(さきほど数えてみたら、Kevinとは、非ニレジハージ関連も含め、この3年間で数十枚のCD、350通のメールをやりとりしていました)。そういった中で得た情報や、未発表音源などの資料を有効活用する場として、このサイトを作りました。まだ現段階でアップロードしたものの数倍の量の資料が手元にあります。これから、権利関係をクリアしつつ、少しずつ、そういったものを「資料室」などに加えていくつもりです。

蛇足ですが、私の伝記への関与はボランティアです。これまでの調査にかかった実費の申し出もすべて辞退しております。また、自分が手伝った伝記が売れることはうれしいことではありますが、伝記やニレジハージのCDが売れたからといって、私が経済的な利益を受けるわけではないことをお断りしておきます。


(Kevinによるアナウンス)
This note is directed to anyone interested in the Hungarian-American pianist and composer Ervin Nyiregyhazi (1903-1987). I am writing to announce the forthcoming appearance of a book and a CD release devoted to Nyiregyhazi.
The book is a biography by me, "Lost Genius: The Story of a Forgotten Musical Maverick" (383 pages, ISBN 978-0-7710-1100-9, $36.99 in Canada). The publisher is McClelland & Stewart, in Toronto (www.mcclelland.com), and the official release date is February 27, though the book has already been printed and is being offered for pre-order at Amazon.ca (and .com) and the like. Publishers/distributors outside Canada have not yet been finalized, but until that time, I believe, anyone in the U.S. or elsewhere who wants the book can order it directly it from the publisher or online. "Lost Genius" is the first biography of Nyiregyhazi, and is the product of 10 years of research.
The CD release is a two-disc set on the Music & Arts label (CD-1202), tentatively titled "Ervin Nyiregyhazi in Performance: Live Recordings, 1972-1982". It will feature performances from Nyiregyhazi's public and private recitals in San Francisco and Novato, California (1972-73, 1978), and from his public recitals in Japan (1980, 1982); a bonus track offers the five-minute recording of a piano-orchestra work by an American composer that Nyiregyh?zi made in 1936 for the Federal Music Project (the only surviving studio recording of him playing in his prime).
The other repertoire will include about an hours worth of Liszt (including the legendary 1973 performances of the 2 "Legendes"); Scriabin’s Sonata No. 4; a Chopin group; two Schubert songs; pieces by Debussy, Brahms, Tchaikovsky, and Grieg; and Nyiregyhazi's solo version of the whole slow movement of Rachmaninov's C-minor concerto. This 2-CD set, produced with the cooperation of the International Ervin Nyiregyhazi Foundation (which represents his estate), will be available by September 1 at the latest; see the Music & Arts website (www.musicandarts.com) in the coming months for more details.
Anyone interested in knowing more about either of these projects, or about Nyiregyhazi generally, is welcome to contact me directly. Many thanks for your attention.

KEVIN BAZZANA
Brentwood Bay, B.C., Canada
kevinbazzana( at )shaw.ca