サイト更新情報


4/30/07

「失われた録音達」

記録がありそうでない、というものがあります。グスタフ・マーラーの指揮映像がその一つで、カリフォルニアの大学で膨大な音楽映像ライブラリーを構築しているBに、数年前、このことを尋ねたことがあります。彼の返事は、「世界中の人間が探している。レナード・バーンスタインが映像を見たことがあると主張していたが、自分は信じていない。」とのこと。同じように、フランツ・リストのピアノ録音も、誰しも聴いてみたいもの。エジソンの蓄音機は1877年に商品化されていますから、1885年没のリストは、論理的にはあり得たわけです。実際、エジソンはブラームス演奏の「ハンガリアン舞曲第一番」を1889年に録音しています(http://www-ccrma.stanford.edu/~brg/ex5.wav)。ごちゃごちゃで良くわからない代物ですが。

ニレジハージの全盛期の録音は、マイクで拾われたものがほとんどありません。しかし、上の例よりは希望がもてます。映画の断片録音がまだあるはずですし(まだサイトにアップロードしていない1929年の映画のテープには、リスト、メンデルスゾーンや、ショパンの「黒鍵のエチュード」等の断片が収められているそうです)。また、ニレジハージは1930年代に、Federal music projectで数多くのコンサートをこなしており、そういったもののあるものは一般に放送されています。Kevin Bazzanaの伝記によれば、ニレジハージの最後の妻ドリスのノートには、「リストのE-flat-major 協奏曲とその他の録音」と書かれているそうで、どこかに放送録音が残っている可能性もあります。また、ニレジハージの記憶でも、いくつかの録音の存在が示唆されています。1938年に、彼が親しく付き合っていた女優のグロリア・スワンソンのために、リストの「Les Jeux d'eau a la villa d'este」を収めたアセテート盤を作成した、とのこと。これは残念ながら逸失しています。また、1940年代に、Ernie Byssheという女性に、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」、ショパンの「第2ソナタ」を録音したテープを買い取ってもらったことがあるそうです。また、1960年代には、Elsei Swanという女性のために、リストのピアノソナタ、シューベルトのカーニヴァル、グリーグのノクターンを録音しています。これらのテープも現在、見つかっておりません。

後に述べることがあると思いますが、ニレジハージの記憶力は精密きわまりないものですから、上の録音が行われたことは間違いないでしょう。こういったテープが発見されれば、ピアノ録音史でも注目すべき発見となる内容となるに違いありません。

更新情報)
幡野好正さん撮影の1982年来日時のニレジハージの写真をアップロードしました。(写真#10 クリック)。この時は、串木野からやってきた女の子がニレジハージのために自作を演奏しています。その子と話している時の写真です。ニレジハージの褒め言葉に彼女が感動のために泣き崩れたということもあって、この時のことは新聞で大きく報道されました。写真はもう一枚あります。

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4/27/07

Tronto Starに書評が出ました。
http://www.thestar.com/article/202513

Quill and Quireと、Gramophone誌にも書評が出る筈で、ゲラ刷りを貰いました。もうGramophoneは出てるかもしれません。

更新情報)
ニレジハージは生涯に10度の結婚をしています。式の当日に初めて会った相手と結婚してしまうなど、結婚願望が強かった割には慎重さに欠けていたこともあって、彼の結婚の多くは成功したとは言えませんでした。ただ、9度目、それから最後のドリス夫人とは、比較的幸福だったようです。資料室にドリス夫人がプライヴェートで撮影した最晩年のニレジハージの写真を一枚アップロードしました(クリック)。珍しく普段着のニレジハージが写っています。痩せ方から見て、最後の2-3年の間に撮影されたものと見えます。

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4/26/07

ニレジハージの手 part2」

更新情報)

以前、ニレジハージの手の話を書きましたが、その写真を資料室にアップロードしました。これらの写真は夫人のドリスさんが彼の最晩年に撮影したもので、おそらく彼女が執筆しようとしていた伝記のために撮影されたのではないかと考えられます。親指が長く、全体にスラリとしています。12度は届いたそうです。

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4/25/07
「Lost Geniusドイツ語版」

ニレジハージの伝記、「Lost genius」のドイツ語版の題が決まったようです。カバー写真が送られてきました。そこにはでかでかとあったのは、

"Pianist X"

............ 笑ってしまいました。しかも、Xはご丁寧に赤文字です。かなりうさんくさげなタイトルではありますが(念のために、出版社はヨーロッパ最大手の楽譜出版社の一つです)、本を売るという意味ではいいタイトルかもしれません。そのまま映画のタイトルにも使えそうです。ボンド映画か何かと勘違いされるかもしれませんが。

更新情報)
ニレジハージのパスポート写真を5枚、「資料室」にアップロードしました。年代はよくわかりません。#1は、おそらく1959年に撮られたものです。これだけ本で使用されています。#3は口元が歪んでおり、彼が晩年、本人の知らぬうちに軽い卒中に見舞われていたのではないかと思われます(伝記にも記述があります)。#5は、おそらく死の数ヶ月前に撮影されたもので、癌との闘病のためにショッキングなほどにやせているのがわかります。非常に稀なことにネクタイもしていないようで、もはやお洒落をする精神的余裕さえ無かったのかもしれません。彼は6フィート(182-3センチ)の身長があったそうですが、1986年までには120ポンド(54キロ)程度にまで体重が減っていました。アップロードすべきかちょっと迷ったのですけれど、貴重な歴史的資料なので...........。


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4/24/07

M&Aのトラック暫定版


昨日、築地で寿司をたらふく食べた後、アメリカに戻りました。しかし、成田-Unitedの組み合わせは、チェックインに物凄く時間がかかります。前回は2時間以上、今回は1時間でした。しかも、5シートの真ん中に座らされてしまいました。すっかり貨物列車の豚になった気分でした。

日本では、ニレジハージに強い思い入れを持たれ、資料収集もされているKさん、Tさん、評論家のMさん、放送業界におられるNさん、ジャーナリストのSさん達と会食する機会がありました。資料を頂いたり、情報交換を行うことができました。皆さん、いろいろな形でピアノ音楽や音楽業界に関わっておられます。こういったネットワークというものを大切にしたいと思います。

上にあげたのは、M&Aから発売予定のCDのトラックです。Kevinの許可をとって掲載します。ちなみに、世界初公開です。
最終トラックリストは完全に決定したわけではありませんが、最終版はこれとほとんど同じになるでしょう。Kevinからトラックにのせる曲の案をきかれた際、私としては上のトラックリストでほとんど文句はなかったのですけれど、三つだけコメントしました。冒頭は何があろうと、このまま「二つの伝説」であること、一つは、上のトラックリストの1973年のPagodesの代わりに、録音状態がはるかに良い1980年の高崎のPagodesの演奏を入れること。それから、1978年のファウスト交響曲の第二楽章の演奏を入れる、ということです。Kevinの返事は、

「ファウストはいいけど、長過ぎて難しい。Pagodesについては、1973年の演奏の方がテクニック面で若干状態が良く、マスターテープまで行けばそれほど音は悪くない。ここは1973年版にしておきたい」

と言うことでした。ただ、甲乙つけがたいのは間違いないので、1973年版と1980年版のどちらがいいかはM&Aのプロデューサーに決めさせよう、と言っていました。M&Aからの最終決定案はまだ来ていません。変更があり次第、またアップデートします。

以前、ニレジハージを招聘した関川氏から、「他で使用しない」という約束のもと、1982年の東京公演の録音のテープを貸していただいており、それをKevinに渡しております。上のCDには、それら関川テープからのものは含まれておりません。実際、関川氏から頂いたテープに、上に登場するトラックは入っておりませんでした。CDには財団にもともとあった録音ソースが使われたときいており、権利上は問題がないとのことです。

のちほど、発売前に個々のトラックについてのレビューを書くと思いますが、一つだけ書くと、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は本当に感動的な演奏です。お楽しみに。

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4/12/07

「没後20周年特別企画」

4/8は、ニレジハージの没後20周年にあたります。明日から10日ほど、日本と中国に行きますので、しばらくアップロードできません。没後30周年記念もありますので、すこし多めにアップロードしておきます。本当は彼の映像をアップロードしたかったのですけれど、ちょっと間に合いませんでした。

更新情報
1)「ニレジハージ演奏ファイル」~「晩年のニレジハージの公式録音」に、Masterworks版の「Nyiregyhazi plays Liszt」のレビューを載せました(クリック)。

2) 資料室に、ニレジハージの葬式の式次第を載せました。
3) 資料室にNyiregyhaziが晩年の住処としていた、ロスのClark Hotelの写真をのせました(クリック)。これは、ホテルが出している絵はがきです。意外にこぎれいと思われるかもしれませんけれど、だいたいこういうのは、写真は実物を反映していないことが多いです。見合い写真みたいなものです。
4) 資料室に、幡野好正さん撮影のニレジハージの写真を載せました(クリック)。
5) 資料室にニレジハージ54歳の時の写真を載せました。この時期の写真は貴重です。私の手元には、他にパスポートの写真があるのみです(クリック)。
6) 資料室にニレジハージの二番目の奥さんのXandraの写真を載せました(クリック)。

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4/10/07

「ニレジハージのカナダTVドキュメンタリー」

1978年、カナダで、Reluctant prodigyという題名のTVドキュメンタリーが制作されています。ニレジハージの復活で湧いた頃だけあって、アメリカ的な誇大なセンセーショナリズムはないものの、ボルテージはそれなりに高いものです。例えば、ニレジハージを再発見したグレゴール・ベンコーが登場し、「彼はベートーヴェン、ショパン、リストと同じカテゴリーに入る天才」「私の知るもっとも偉大なピアニスト」と発言しています。ベンコーとニレジハージのインタビューを中心に構成されているだけあって、ニレジハージの生涯、彼の再発見のいきさつ、母親への憎悪などが詳細に語られていました。ただ、インタビュー収録時のニレジハージは、どうもアルコールが入っていたのではないかと思われる節があって、始終文句を言っているような口ぶりでした。

IPAのレコーディングセッションでリストのバラードを録音していた時、ベンコーがスコアをチェックしながら、録音セッションに立ち会ったということがありました。プロデューサーとしては、ごく普通の行為だったのですが、ニレジハージは、「アラ探しをしている」と悪くとり、激怒したようです。それについて、TVのニレジハージは、呂律のまわらなくなっている舌を震わすように、「あんな奴はもう沢山だ」と激しくベンコーを非難していました(呂律がまわってないので、何を言っているのかよくわかりませんが)。伝記にも二人の仲違いの経緯は詳細に書かれています。

このドキュメンタリー制作時に録音された演奏断片が、テープに残っています。残念なのは、テレビのバックグラウンド用ということで、ある程度演奏させた後、途中で技師が演奏を止めてしまうのですね。それでも、こういう断片を立て続けに演奏されると、逆にニレジハージの表出力の強さ、パレットの豊かさに気づかされます。「アイーダ」の終幕の二重唱では、ニレジハージの紡ぎだす美しい音を味わうことができました。また、即興のように「カルメン」「オテロ」からのアリアやモノローグを弾いていますが、ここらはリズムの崩れと暴力的な面が前面に出てしまい、良くありません。一方で、圧倒的なスケールを持つリストのソナタロ短調、ブラームスの第一協奏曲冒頭、凄まじい迫力を持つワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲」、鋭い低音からリストのように始まるチャイコフスキーの「悲愴交響曲」は素晴らしいものがありました。そして、もっとも印象に残ったのが、「イゾルデの愛の死」の豊麗かつ官能的な演奏でした。これは幸運なことに、技師が途中で演奏を止めていません。権利さえクリアすれば、ミスタッチはあるものの、十分出せる出来だと思います。「イゾルデの愛の死」は、後年の(おそらく東京バプティスト教会)録音が残っていますが、カナダ版の方がミスタッチが少ないです。

更新情報)1920年代頃に撮影された、ニレジハージと彼の彫刻の写真をアップロードしました(クリック)。ちょっとエドゥアルド・ムンクっぽいですね。

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4/6/07

「女性版ニレジハージ-2」

生涯のピークに姿を消した、あるいは活動を停止した音楽家はニレジハージの他にもいます。シベリウスもその一人です。

私が最近、ピアノとのデュオで組みはじめたヴィオラ奏者の方から、そのような作曲家をまた一人教えてもらいました。Rebecca Clarkeというイギリスの女流作曲家です。彼女自身が優れたヴィオラ奏者でもあったということで、多くのヴィオラ作品を残しています。ところが、1940年代を境に、家事に集中するようになり、作曲をまったく止めてしまいました。その後もほとんど作品を書かぬまま、1979年に亡くなっています。ヴィオラ奏者の間では比較的名前が知られているようですが、私は彼女のことは初耳でした。

そのClarkeの作品の楽譜を5曲ほど渡されて、そのうちの「Lullaby」「I'll bid my heart still」という曲を弾いてみたのですが、不思議な響きと旋律に魅了されてしまいました。イギリス音楽にフランス近代音楽の雰囲気を加味した響き、と言うおもむきがあって、ちょっとギヨーム・ルクーに似ています。ただ、使われている音階がモーダルなため、国籍不明の印象もあります。ピアノは、まるで弦楽四重奏のように書かれており、ヴィオラを美しく引き立てています。

Naxosから、Clarkeの
曲を集めたCDが出ています。ASVから出ている「Portrait of Viola」という作品にもClarkeの主要作品が収められています。ここでヴィオラを弾いているCallusは、私の相棒の師匠だとのこと。それは別にしても、「I'll bid my heart still」は、ASV盤の方が情感が豊かだと思いました。

............. ところで、話は変わりますが、その私の相棒のヴィオラ奏者が典型的な、「アカデミズム」系のクラシックの音楽家なんですね。彼女はプロの演奏家で、録音活動も行っています。実際、楽譜を読む力、それを音にする技術は大したもので、32分音符だろうが、8連符だろうが、きっちり計算してとってきます。CDを聴かずに、楽譜を読むだけでヒンデミットやバルトークを弾けてしまうようなところがあります。ところが、面白いことに、ピアソラとなると、楽譜を前に凍り付いたようになってしまうんですね。どうしてもリズムが把握できず、メトロノームの4拍子に合わせて一緒に弾いてくれ、などと、とんでもなく難しいことを頼んできたりします。でも、ああいう音楽は、楽譜を微分するだけでは弾けるものではありませんし、メトロノームなど、ただの邪魔でしかありません。

プロのアメリカ人演奏家が四苦八苦しているのを見て、実は民族音楽系は日本人の方があっているのかな、と思いました(ジャズは例外です)。今まで一緒にやった日本人は、技術の巧拙を問わず、大した苦労もなくタンゴのリズムにのれていましたし、歌い回しも上手でした。私のフラメンコギターの先生も、フラメンコの演奏は日本人の生徒の方がアメリカ人の生徒よりも上手、と話していました(古いフラメンコの歌のあるものは、日本の民謡、詩吟にそっくりだったりします)。日本人は、自分でも気づかぬうちに自国の音楽からいろいろなものを吸収し、西洋の音楽を演奏する時にもその語法を使っているのかもしれません。

更新情報)ニレジハージの1930年代中頃の写真をアップロードしました(クリック)。
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4/4/07

「ニキシュとニレジハージ」

15歳のニレジハージは、アルトゥール・ニキシュ指揮のベルリン・フィルと共演を果たします。ニキシュ・BPOは言うまでもなく20世紀前半の黄金コンビです。1978年にMike Starrによって行われたインタビューで、「ニキシュは疑いなく最も偉大な指揮者だった..........私には最高に良くしてくれた」と答えていました。ニレジハージの言葉によれば、ニキシュは自在なスタイルをとることでしばしば批判されていた、ということです。

更新情報)
同じ年に取られた写真をアップロードしました(クリック)。これは、1920年のカーネギホールのデビューコンサートに使われたもののオリジナルで、1918年にブダペストで撮影されています。この頃、彼はすでにフランツ・リストに入れあげており、髪型がリスト風になりつつあります。

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4/2/07
「ラモンドの録音-2」

やっと風邪から復活しつあります。仕事がすっかりたまってしまいました。

ラモンドのリスト録音を二つ、Ervin's Master's Voice (クリック)にアップロードしました。ラモンドはニレジハージよりは端正な演奏をしますし、音楽のダイナミックレンジもニレジハージほど大きくはありません。しかし、こういうリスト録音を聴くと、やはり同じ系列のピアニストですね。奏法に共通点が見られます。昨日アップロードしたUn SospiroやPetrarch Sonnetなど、ノスタルジックな味わいがあって大変魅力的な演奏です。ラモンドはUn Sospiroがお気に入りだったようで、何度も録音しています。それが演奏からもよくわかります。

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4/2/07

「ラモンドの録音〜Ervin's Master's voice」

ニレジハージの師匠、フレデリック・ラモンド(Frederic Lamond(1868-1948)) の日英共通ページ、Ervin's Master's Voiceを作成しました。日本語版は、「ニレジハージの演奏ファイル」から入ることができます。

アップロード可能な音源はかなりあります。1920-30年代前半までに録音されたものが大半です。

ニレジハージとの共通点を見いだせるでしょうか。

更新情報)Ervin's Master's Voice (クリック)にLisztの作品3曲を加えました。