サイト更新情報

fugue.usは、幻のアーティスト達、忘れられた作品、隠されたエピソードなどに光をあてていく事を目的とした非営利サイトです(営利事業は英国のレーベルSonetto Classicsによって行われています)。

内容は著作権 によって保護されています。


12.25.2015

Sonetto Classicsの最初のアルバム、Angelo Villani Plays Dante's Inferno (SONCLA0001)の日本国内盤の発売が決まった。日本出版貿易が販売店となり、輸入・国内盤仕様を担当することとなる。予定は来年4月。



12.24.2015

1年前、「今年は何 かを「創る」年に」と書いた。Sonetto Classicsの設立に加え、一昨年の11月、スペインでアンジェロ・ヴィラーニを数時間かけて説得することで始まったダンテ・プロジェクトも、クリスマス前のリリースを持って完了した。ダンテの記念年である2015年内のリリースを一つの目標としていたので、それをギリギリで達成できたことは良かった。

このアルバムのプロデュースだが、楽しく、新鮮で、同時に大変な経験だった。アンジェロはこのアルバムに文字どおり骨身を削るように取り組んだし、私も極 限状態にあった彼と意見の相違をみたこともあった。緊張はプロジェクト全体に波及し、秋にはエンジニアのトニー・フォークナーと録音後の編集を巡っ て袂を別つ、という事件も起きた。彼が降板した後は、私が編集を全面的に担当し、リマスタリングをエンジニアのアンドルー・ホルズワースに依頼。その後も 多少ゴタついたものの、今、目の前に積んであるCDがプロダクションで起きた全ての傷やストレスを癒し、清算してくれている気がする。

こ のアルバムはスタジオ収録だが、いろいろな意味でスタジオ録音的ではない、生々しい雰囲気があるのでは、と思う。セッション時のアンジェロのアプローチも ライブ演奏のそれだったし、アルバム全体の設計も、あたかもリサイタルにいるかのようにプログラム全体で、愛欲に溺れた人間の業と共に、地獄めぐりの一端を体験してもらうことを 目指した。楽曲 の順序だけではなく、トラック間の沈黙の長さもコンマ秒単位で綿密に検討して決めた。

昨今のスタジオ録音の多くは、実は一 音一音細かくデジタル修正していて、ミスだ らけの 演奏でも技術的に「完璧な演奏」にしてしまう。誰よりもコンクール世代のピアニスト達がそれを求めるのだ。耳のある人々はホロヴィッツやコルトーを聴いて いるというのに。私の親しい友人である評論家のGloverが、超絶技巧の代名詞のような有名ピアニストHのとある録音セッ ションに立ち会った際、Hは一小節、また一小節と録音を行い、後で編集で繋いでいたという。それは「超絶技巧」になるわけだ。しかし、フォトショップをや りすぎたモデルの写真にリアリティが無くなるのと同様、修正の量が増えれば増えるほど、音楽は死んでしまう。その観点から、このア ルバムでは、編集過剰に陥ることを避け、
音楽の流れや緊張感を保持することを最優先とした。通常ならば直すような細かいミスタッチも直さずにおいた箇所も多いし、トラックの半分以上は曲中に編集を一切入れていない。

リ マスタリングでは原音の良さ(ライナーやハイフェッツら、RCA Red Scealの数々の歴史的録音を記録したマイクの現物が使われている)を最大限に生かしつつ、地響きがするようなアンジェロのフォルティッシモと、崇高なピアニッシモを再現することを目指した。 音の情報量は多いものの、イヤーフォンやMp3では消える要素が多いと思う。できることなら、CD+スピーカーで大音量でかけて貰えば、と願う。

2016年の目標。まず、今年の目玉として春か初夏にニレジハージのアルバムを一つ発売する。現在、エンジニアとリマスタリング中で、出来れば来月には詳細を発表した い。それと、ノーマ・フィッシャーのBBC録音も一つは出したい。5月にはJK-Artsと共に、アンジェロの日本公演を成功させる。この三つは達成した い。


12.23.2015

Angelo Villani Plays Dante's InfernoSonetto Classicsよりリリースになった。Amazonより入手可能。


11.12.2015

Sonetto Classicsでニレジハージの音源復刻のプロジェクトが進行中。10分ほどの音源について、こちらで行ったリマスタリングの音質について簡単なフィー ドバックをしていただける方を探しています。プロのサウンド・エンジニア or プロデューサーでクラシック音楽畑で仕事をしている方。ジャズでもピアノ中心ならOKです。謝礼は出ませんが、プロジェクトについては定期的にお報せしま す。

もし、興味のある方は、info(at)sonettoclassics.comか、Ervinny(at)fugue.usまでご連絡いただければ幸いです。募集は11月いっぱい。人数に限りはないです。



11.3.2015

 Angelo Villani Plays Dante's Inferno のジャケット写真を Sonetto ClassicsのRecording page
にアップロード。


11.1.2015

今年のホセ・イトゥルビ国際コンクールで優勝したルカ・オクロス (Luka Okros)のホームコンサートに行ってきた。彼はノーマ・フィッシャーの愛弟子で、リサイタルはハムステッドにあるヴァイオリン・ショップで、20人ほ どの客のために行われた。彼のFacebookのページに行けば、私が撮ったノーマと彼の写真が見つかる。

レビューを書くのは控えたい。楽器が理想的な状態ではなかったし、これからのピアニストだ。何より、まだキャリアを発展させようとしているところ。今 日、ウィグモア・ホールに登場するので、ロンドン在住の方は力を確認していただきたいと思う。12月にもウィグモア・ホールに出る。

ちなみに、ホセ・
イトゥルビはニレジハージとも関連がある実力派ピアニスト。詳細はこちら



10.28.2015

Sonetto Classicsのノーマ・フィッシャー・プロジェクトの一環で、27日にビートルズで著名なアビー・ロード・スタジオをノーマと訪れた。彼女の古いリールのチェック、およびトランスファーの依頼のためである。Sonetto ClassicsのFacebook Pageに写真と映像を載せている。仕事は仕事として、高校生以来のビートルズ・ファンとして胸踊る体験でもあった。

ノーマは1972年にBBCにスクリャービン・プログラムを放送録音していて、その時のエアチェックテープの発売を考えている。残念ながら、ノーマの持っ ているテープの第五ソナタの録音の一部に欠落がある。完全な録音を探そうということで、ショート・フィルムを作成した。アビー・ロード・スタジオ内での映像はこちらから。

同日、スティーヴン・ハフのバービカンホールでのコンサートに行った。レビューはこちらから。


10.24.2015

ベンジャミン・グロヴナーのコンサートに行った。素晴らしいピアニストではあるが、レパートリーによっては食い足りないことがある。レビューはこちら

来年、ニレジハージの未発表録音をSonetto Classicsから出す予定だ。アンジェロ・ヴィラーニとノーマ・フィッシャーのアルバムを出してからの話になるし、権利関係のクリアやリマスタリング など、やることはあるものの、プロジェクトの見通しはついている。とりあえずジャケットと裏ジャケットだけは作った。クラウド・ファンディングで資金調 達を行うと思う。

ところで、ロンドン在住のタレントが新聞の軽減税率についての支持コメントを寄せていた。新聞協会べったりの意見は置いておいて、同じロンドン在住として、一面的で強引な論旨が気になった。

例えば、「モヒカン刈りの若者でも、お年寄りにサッと席を譲る。バスの運転手は最初にまず障害者を乗せます」として、「日本人も見習えば、
自然と税率を下げることに納得できるんじゃないかと思います」とある。しかしモヒカン刈り=冷酷ではないし、日本でもヤンキーがお年寄りに席を譲ることはあるだろう。それに、そのことと税率は何も関係がない。

少なくともロンドンに関しては、街が日本よりも老人や障害者に優しいとは言えない。ロンドンの地下鉄はバリアフリーでない駅も多く、障害者や老人 には厳しい。ロンドンのホームやバス待ちでは人はきちんと並ばず、電車が到着すると、人々が我先にとドアに殺到するという文化がある(だから運転手が障害 者を優先させる)。さらに、いくつかの路線では、車両とほとんど同じサイズのトンネル内に避難経路が全く確保されていないため、もし火事になったら健常な 人間でも逃げるのは非常に難しく、身障者や老人になると脱出の可能性はさらに低くなる。地下鉄職員が平均年収の二倍の高給を得る中、こういった状況が何十 年も放置されてきている。

「「知識に課税しない」という姿勢のイギリスでは、新聞や書籍などへのVATは0%だ。幼い頃から新聞を愛読してきた高田さん。「新聞などは国民の知識を豊かにする上で必要不可欠。税金のせいで買えなくなるのは公平ではない。日本も手本にすべきだと思います」。」

やれやれ.....。もともと、英国の中流家庭では新聞を取る習慣はなく、人々は家でも仕事場でも電車の中でも一般の新聞を読まないのである。多く読まれるのはSun やMetroなど、そこら中にヌードが載っているようなゴシップ大衆紙ばかりだ。ガーディアンのようなメジャー紙の発行部数は20万に満たない。「障害者 やお年寄りに優しい」と彼女が言うイギリス人は、そもそも新聞自体を読まずに育っている。手本にしろ、というのであれば、「新聞なんざ読まなくていい」と いう自己撞着に陥る。議論の仕方が丁寧でない。

実は日本が英国から見習うことより、英国が日本に見習うべきことの方が圧倒的に多いと思う。生活の上で英国が良いと思えるのは、せいぜい、ATMが、24 時間365日手数料ゼロで使えること、そして銀行間の垣根がATMには無いこと(例えばHSBCのカードがBarcleysのATMで無料で使える)、携 帯電話の使用料が安いこと、コンサートのチケットが安いこと(その代わり、音楽 家の給料は冗談のように安い)くらいだろう。海外在住の視点で発信するのであれば、なんでもかんでも「私の住んでる欧米に見習え」ではなく、もう少し正確 で丁寧な議論をしてほしい。前述のATMの場合のように、日本に導入すべき良いシステムは他にあるのだから。



10.21.2015

アンジェロ・ヴィラーニのアルバム、すでに編集は終了し、リマスタリングの段階に入っている。「ダンテ・ソナタ」が彼の求めるサウンドに近づいておらず、エンジニアのトニー・フォークナーと意見のすり合わせをしている段階。11月の発売は難しい。

一方で、Sonetto Classicsの二番目のプロジェクトがすでにスタートしており、これはノーマ・フィッシャー(Norma Fisher) という英国のピアニストに焦点をあてる。フィッシャーは60年代にブゾーニ国際コンクールで二位に入り、さらにウラディミール・アシュケナージとハリエッ ト・コーエン・メダルを共同受賞した。一時は英国を代表するピアニストとして、BBCプロムスをはじめとする多くのコンサートをこなしていたが、80年代 に顕著になった腕の故障で一線から身をひき、現在は王立音楽学校のピアノ科教授として教鞭を取っている。さらに、課外活動として、「London Master Classes」という著名な音楽教育コースのプレジデントも務めている。このコースの過去の教授陣にはジュゼッペ・ディ・ステファノ、セナ・ユリナッチ、イレアナ・コトルバスらの伝説的なアーティストも名を連ねる。日本人の音楽家でこのマスタークラスに参加した人も多いことだろう。

彼女を知ったのは、シーヤン・ウォン経由だ。彼女はシーヤンが12歳の頃からの教師で、シーヤンを通じて彼女の音楽性や手腕をきき知っていた。興味を持って、彼女の過去の録音を 聴いてみて、その演奏の音楽性の高さに驚嘆。一見、伸縮自在でありながら、実は規律のあるフレージングと、強固なリズム感に魅了されてしまった。アニー・ フィッシャー、スヴィヤトスラフ・リヒテルと同じ系列だ。もちろん、ピアニストとしての知名度は彼らとは比べることもできないが、音楽的には彼らに匹敵す るピアニストだと強く感じた(実際、リンクのブラームスはリヒテルの演奏よりも素晴らしい)。8月初旬に彼女に会い、プロジェクト案を提示してカムバック を求めたところ、私の言葉に強く心を動かされたようだった。

まずは彼女がかつてBBCに残した放送録音を出すつもりだ。ビートルズで著名なアビー・ロード・スタジオもプロジェクトに関わる。何を出すかはこれから検 討しないといけないけれど、少なくとも2枚は出す意義のある素材はある。新録音についても話はしているが、これはどうなるかわからない。



10.13.2015


ニレジハージ復活のきっかけとなった、1973年、Old First Churchのコンサートだが、この演奏会を録音したソースが二つあった、ということはどれくらい知られているだろうか?

このコンサートは、とある青年がマイクロカセットで秘密録音を行い、そのテープをInternational Piano ArchiveのGregor Benkoに送った。Benkoはコンサートで弾かれた「二つの伝説」の劣悪な音質のライブ録音と組み合わせるために新たにスタジオ録音を行い、 DesmarレーベルからNyiregyházi Plays Lisztを発売した。

これがオフィシャルのストーリーだが、実はこの話には当時、明確に語られなかった事実がある。Desmar盤に収録された「二つの伝説」の録音は、実はカセット由来 の録音ではなく、教会に備え付けられた録音機材を用いて、Wollensackの超薄型テープに録音されたもの、ということだ。この話が当時明確にされな かったのは、おそらく音源ソースをカセット録音と思わせておいた方が、ニレジハージ発見の物語がより劇的になるからだろう。残念ながら、この Wollensackのマスターテープは現在行方不明で、Benkoも所在を知らない。

それではカセット由来の録音は?これはこれで別に存在する。来年、Sonetto Classicsからのニュースをお楽しみに、とだけ書いておきたい。



10.2.2015

私の好きな作曲家の一人にセザール・フランクの最後の弟子であった、ベルギー出身の天才ギヨーム・ルクーがいる。ルクーは俊英揃いのフランクの弟子の中で、おそらく最も才能に溢れていた作 曲家だろう。しかし、彼は24歳そこそこでチフスにかかって急逝してしまった。もし、ルクーがあと10年長生きしていたら、フランスの音楽史はかなり変わったものになったかもしれない。

94年にルクーの没後100周年を記念した限定版CDボックスセット、「Guillaume Lekeu: Centernary Edition」がRicercar社から出た。このボックスセットはルクーの全作品をほぼ網羅していて、悲運の名ヴァイオリニスト、フィリップ・ヒル シュホルンが弾いた素晴らしい「ヴァイオリン・ソナタ」を始め、多くの注目すべき演奏が収められている。

私は10年以上使っているメールアドレスにルクーの名前を織り込んでいるくらい好きなのだけれど、この限定ボックスセットを逃してしまい、20年近く探し 続けていた。数年に一度、ebayやamazonで中古が5-7万円で出ているのを見るくらいで、もう入手できないものと諦めていた。

ところが、嬉しいことに、このボックスセットが、8枚組CDとして「GUILLAUME  LEKEU: LES FLEURS PÂLES DU SOUVENIR... COMPLETE WORKS」というタイトルでRicercarから再発になった。現在、一枚ずつじっくり聴いているところ。師フランク譲りの卓越した技量と都会的セン ス、ガラス細工のような繊細さ、そして熱に浮かされたような情念を放射するルクーの音楽の魅力がいっぱいに詰まっている。ライナーノートも充実。フランク や、フランキスト一派の音楽に少 しでも興味のある方は聴いていただきたいと思う。今回逃したら次はいつ出るかわからない。



9.30.2015

丸1日の沈黙後、ノーマン・レブレヒトがコメントを 発表している。曰く、「あるサイトはこんなのがニュースになると思っているらしい」「そのピアニストには仲間を選ぶ権利がある。皆に愛される人間などいな い」。彼は記事の中でソコロフのことを「イタリアに住んでいて、英国で弾くのを拒否した、一ロシア人ピアニスト」とだけ呼んでいて、名前さえ挙げようとしていない。

ソコロフの反応についての有力な解釈として、少し前にソコロフの妻が死去した際、レブレヒトがソコロフと亡妻の家系を調べてブログに書いたのが原因、というものがある。 しかも、記事の初期のバージョンでは、タイトルが「ソコロフの妻は彼の叔母だった」というセンセーショナルなもので、しかも、これはレブレヒトの勘違いによる完全な誤報だった。レブレヒト は誤りについて謝罪も言及もせずに、後になって「ソコロフの妻は彼の従兄弟の未亡人だった」にこっそりと変えた。これがソコロフの怒りを買ったのでは、ということだ。実 際、ソコロフは妻の死去のあと、「私を驚愕させたことに、私の妻の人生をタネにして気違いじみたデッチ上げがあったと耳にした」とする手紙を発表してい る。

死んだばかりの妻への侮辱という理由があったのであれば、ソコロフがレブレヒトをああいう形で非難したとしても仕方がないかもしれない。

それにしてもレブレヒトって男は......。

以下のブログに詳細がある。
http://orpheuscomplex.blogspot.co.uk/2015/09/lebrecht-sokolovand-sokolovs-wife.html




9.29.2015

ジェシカ・ドゥーシェンが今回のソコロフ&レブレヒトの一件をブログで 言及している。彼女はレブレヒトとは同業の音楽ジャーナリストであるし、ソコロフのアルバムのライナーノーツも書いており、まったくの他人事としては受け 取れないらしい。それどころか、今まであさってを向いていた猛獣が突然こちらに向き合ったような恐怖を覚えたらしい。「我々にはそんな重要視される資格も ない」「我々は正しいこともあれば、間違うこともある」「偉大な、素晴らしいアーティスト達よ。どうか聞いて。私たちを無視するのが一番。私たちではな く、あなたこそが重要な存在なのだから」と結んでいる。文面からも受けた衝撃が伺える。

レブレヒトも今回のことにはショックを受けているのか、一日に数度更新されるSlipped Discのサイトの更新が昨日以来ぴたりと途絶えている。鉄面皮の彼にしては異常なことだ。



9.28.2015

ソコロフがクレモナの賞を受賞拒否したニュースがGramophoneな どに報じられている。これによれば、ソコロフは8月4日の段階で授賞式の出席も前向きに考えていたらしい。主催者側がソコロフのマネージャーにノーマン・ レブレヒトが過去の受賞者に含まれていることを伝えたのが7/29だったそうだが、おそらく、ソコロフ本人はそのことを知らされていなかったのかもしれな い。

このニュースは私の周囲でも驚きを持って迎えられていて、大半は、溜飲を下げた、ソコロフよくやった、というような反応だった。それだけ、心ある音楽ファ ンや音楽家の間で、レブレヒトが蔑まれてきたわけだが、私の知人のジェシカ・ドゥーシェンのように、偉大なアーティストが一人のジャーナリストの言動に結果的に影響力を与えるような結果になっていることを心配する人もいた。

なぜソコロフがレブレヒトの名をあげたかについては、いろいろな見方がある。その一つが、レブレ ヒトはソコロフの名声について穿った見方をしていたことを挙げる人もいる。レブレヒトは常日頃ソコロフについて、'Greatest living pianist' と書いていた。'  ' の意味は、「巷でそう言われているけれども、自分は必ずしも同意していない」というニュアンスだ。

実際、レブレヒトは、ソコロフがビザ問題で放英拒否して いることについて、「他の演奏家と同じ国際的土俵で試されない状況での「最も偉大な」など、自分は受け入れない」と書いている。これなど、いかにもイギリス中心 主義のレブレヒトらしいコメントだ。彼にとっては、英国に来るのをやめたアーティストは偉大ではありえないらしい。愚劣な見方としか言いようがない。

私個人の考えはこうである。まず、ソコロフがレブレヒトと同列に並びたくない、と思ったことは十分理解できる。レブレヒトは音楽を理解しておらず、主張が 粗雑で、差別的で、取り上げる題材はタブロイド紙のネタレベルの話ばかりだ。しかし、今回、彼はその無視すべき存在を、自身と同じ土俵にあげてしまったの ではないだろうか?彼のような偉大なピアニストは、レブレヒトに触れずに、黙って受賞拒否すれば良かったのではないか?



9.27.2015

昨日の件だが、どうやらクレモナ音楽賞を拒否したソコロフの手紙は真筆のようだ。というのも、ソコロフのマネジメント会社であるAMC musicにソコロフがとある人物に出した手紙が掲載されていて、それを見るとクレモナの手紙の筆跡と完全に同じなのである。

また、クレモナ音楽賞の主催者は当初、ソコロフを受賞者として告知していた。ところが、最新の版では彼の名前は消されている。ノーマン・レブレヒトは2014年の「COMMUNICATION」のカテゴリーで音楽賞を受賞しており、状況としても合致する。手紙は真筆と見て間違いない。

レブレヒトは英国の音楽ジャーナリストで、「巨匠神話」などの著書で著名。非常にバイアスのかかった記事を書く。ユダヤ系であることもあり、ナチに関与したアーティスト、右派的な言動 をとるアーティストを嫌っている。過去、ナチに協力したウィーン・フィルと、右派的な言動をとるティーレマン叩きを繰り返している。プーチン嫌いであるこ とから、最近はプーチン支持を表明したゲルギエフも叩いている。

私は彼をまともな音楽ジャーナリストとはみなしていない。不勉強で記事は不正確だし、政治観、出自、国籍でアーティストを判断しすぎる。さらに、ティーレマンの記事にヒトラーそっくりのティーレマンのモノクロ写真を貼り付けるなど、やることがあざとい(指摘を受けた本人は「そのような意図はない」「ナンセンス」と弁明しているが、そんなわけない。無意識でこの写真を選ぶ方が精神病理的には問題ではないかと思う)。

私は彼を楽界でのデマゴーグ、三流ゴシップライターでしかないと思っている。ソコロフが受賞を拒否した気持ちもわかる。



9.26.2015

2015年のComitato Artistico di Cremona Mondomusica e Piano Experienceをグレゴリー・ソコロフが受賞者に選ばれたのだが、彼はこれを拒否した。その理由が「ノーマン・レブレヒトと共に受賞リストに名を連ねるのは 恥」とのこと。真偽は不明。だがその気持ちはわかる。

http://www.grigory-sokolov.com/iframes/cremona.htm

Dear Mr. Bianchedi, ladies and gentlemen of Comitato Artistico di Cremona Mondomusica e Piano Experience.
I refuse to receive the prize, Cremona Music Award 2015.
According to my ideas about elementary decency, it is shame to be in the same award-winners list with Lebrecht.
G. Sokolov




9.17.2015

リーズ国際コンクールが終わった。シーヤン・ウォンは残念ながら二次まで進めず。ロシア人のAnna Tchybulevaが優勝したが、ガーディアンの記事では、クリーンで面白くない、という声も上がっていたらしく、二位に入った韓国のKim Heejaeを推す声が多かったらしい。

別のガーディアンの記事で は、リーズ国際コンクールの凋落を指摘する声を紹介していた。曰く、かつてのルプー、ペライア、内田光子、シフのレベルの名声を持つピアニストをほとんど 輩出していない、というのだ。ただ、これはリーズに限らない。チャイコフスキーコンクールもショパンコンクールも、最近の入賞者達の顔ぶれはかつてのそれ と比べてだいぶ見劣りする。コンクールで優勝してメジャーレーベルと契約、というモデルがもうなくなっているのだ。

メジャーレーベルが力を失ったこともあるが、コンクールのシステムにも問題がある。オリンピックにおける中国選手の体操演技のように、ただミスの無い教科 書的な演奏が上位に来るのだ。果たして、ホロヴィッツやリヒテルが昨今のコンクールで確実に優勝できるかどうか。多少の破綻はあっても個性的なピアニストが排除されるような仕組みを変えない限り、コンクール優勝者がキャリアアップに苦労 するような状況は変わらないだろう。

このことについて、ノーマ・フィッシャーと意見交換したことがある。彼女の意見はコンクールのシステムを否定した上で、それでも必要悪、とのことだった。 つまり、「他に出世のきっかけとなる方法がない」ということだ。ただ、少なくともメジャーレーベルの現状は必ずしもそうではない。現在、DGやデッカが契 約しているユジャ、グロヴナー、ヴォロドスといったピアニストたちは、いわゆるメジャーコンクールでの優勝歴がない。ソコロフはチャイコフスキーコンクー ルの優勝歴はあるけれど、DGが彼と契約したのは、そんな太古の経歴が理由ではないだろう。レーベルは明らかに演奏者の「個性」を歓迎しているし、個性が あればチャンスが巡ってくる可能性がある。往々にして、その個性が音楽とは関係の無い、例えば演奏家の容貌などが関わってくることはあるけれど(ちなみ に、グロヴナーがデッカと契約を結んだケースでは、私の友人がデッカの上層部の知人に、ウィグモア・ホールでのライブ録音を送ったのがきっかけの一つだっ たらしい)。

これからは、ピアニスト達は自身の独自性、芸術性を、コンクールとは違う場で出していくことが必要になっていく。自身が持つネットワークを強固 にし、独自の芸術プロジェクトをライブハウスの生演奏や、クラウドファンディングを利用した録音を通じて世に問うていき、「見つかる」ことを目指す。すでにジャズやフュージョンの演奏家達がやっていることだ。ただ 楽譜に書かれた音符を正確に再現していればよい、というタイプのピアニストには大変な時代だが、自分のアイデアを持つアーティストには決して悪い時代ではないと 思う。我田引水だが、Sonetto Classicsはそういった場の一つにしたい。



9.16.2015

ロ短調ソナタの迷宮」に1976年アントン・クエルティ、2009年ユジャ・ワンの演奏レビューを加え、改定版とした。




9.14.2015

アンジェロ・ヴィラーニのアルバム、音源は編集段階に入っており、CD冊子もほぼ完成している。これから何が起こるかわからないが、現段階では、11月発売の予定を変える必要はなさそうな感じだ。

同時に、Sonetto Classicsの次のプロジェクトが動き始めている。フューチャーするのは、1961年のブゾーニ国際コンクールで第2位に入り、1963年にウラ ディミール・アシュケナージと共にハリエット・コーエン・メダルを共同受賞したノーマ・フィッシャー。ジストニアで引退した後は、現在、ロンドン・マス タークラスという教育機関のプレジデントを務めている。このマスタークラスには、ジュゼッペ・ディ・ステファノやセナ・ユリナッチ、イレアナ・コトルバス らが教師として参加しており、世界的に有名なマスタークラス・シリーズの一つとなっている。

彼女自身、素晴らしいフレージングとリズム感覚を持ったピアニストで、私は、彼女の音楽性と実力は、アニー・フィッシャーやリヒテルら、過去の伝説的な名 匠達と肩を並べると言っても決して過言ではないと考えている。プロジェクトの詳細は後ほど。まだ決まっていないこともあるので。



8.14.2015

アンジェロ・ヴィラーニのアルバムの録音セッションが成功裡に終わった。

エンジニアはトニー・フォークナーで、彼の実績についてはもう繰り返さ無い。この日、彼はRCA Red Sealsでハイフェッツ、リヒテル、モントゥー、ルービンシュタインらの録音を担当したルイス・レイトンから譲り受けたマイク2本と、オーストラリア産 のカスタムモデルの新しいマイク2本の計4本で録音を行った。ミキシング・ルームでは、彼が手がけてきた録音の話をいろいろ聞けた。小沢征爾、ボストン交 響楽団、ホールのことを褒めていた。

調律師はブルーノ・トレンスで、彼はかつてヤマハで働いていて、リヒテルがロンドンに来た時に調律を担当したこともある。いまはフリーランスとしてファツ イオリと契約しており、ロンドンを訪れた外来アーティストは全てブルーノが担当する。ニコライ・デミジェンコがブルーノを推していて、ロンドンのファツイ オリ担当者に、ブルーノを絶対に抑えてくれるように頼み込んだ。二日間、脆弱なところのあるファツイオリをつきっきりで面倒をみてくれた。

録音や大変だった録音準備のことを書くと、一冊の本ができてしまうくらいのエピソードがあるので、ここまで。録音セッション時の写真やビデオはSonetto Classicsの Facebook ページにアップロードした。



8.4.2015

アンジェロ・ヴィラーニのアルバムセッションまで1週間となった。ピアニストの準備はまだ100%ではないが、おそらく間に合うと思う。「トリスタン」の パラフレーズは完全な新編曲となっているが、第三幕、第二幕、前奏曲の要素を織り込みながら、劇的に発展。実に素晴らしい編曲となっている。スタジオに入 るのが楽しみだ。



7.20.2015

読者の方の中でご存知の方がいたら教えて頂きたいのだけれど、CD冊子の本文に使う日本語フォントは何が良いのだろうか?OSAKA?

CD制作会社は英国の会社なので、日本語の翻訳文で使う日本語フォントをこちらで指定しなければいけないと思う。下手なフォントを使うと、古臭く見えたり、読みにくかったりするので、どなたかよくご存知の方がいたらご一報ください。



7.16.2015

1978年のチャイコフスキーコンクールで第4位に入賞した英国のピアニスト、テレンス・ジャッドのコンクール時の映像がyoutubeに上がっている。この映像、当時放送されたものを除けば、映像としてはほぼ初出ではないだろうか?

この時のチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門は、チャイコフスキー・コンクール史上でも稀に見る大激戦で、後に名を成すピアニスト達が何名も参加した。結果、第1位ミ ハイル・プレトニョフ、第二位パスカル・ドヴァイヤンとアンドレ・ラプラント、第3位ニコライ・デミジェンコ、そして、第4位にテレンス・ジャッドが入っ た。今みても大変な顔ぶれだ。あのデミジェンコが第3位に入っていることからも戦いの激しさがわかる。

天才児とみなされ、優勝候補と期待されていたジャッドはこの結果に意気消沈、この時のショックが翌年の投身自殺へと繋がったとされている(他にも、自身の 同性愛性向との葛藤などの理由もあったようだ)。早逝のためにジャッドの録音はあまり残っていないが、シャンドス・レーベルから数枚のCDが出ている。

アンジェロ・ヴィラーニはジャッドのことを非常に高く評価していて、5名の中ではジャッドが優勝すべきだった、というのが持論。彼はイギリス人ではないか ら、別に英国贔屓で言っているのではないし、さらに彼が第3位に入ったデミジェンコのファンであり、旧くからの友人であることは、この評価の信頼性を見る一つの判断になると思う。

このビデオでも、ジャッドのスケールの大きな個性は十分発揮されている。バーバーの鋭角的なリズムや、ラヴェルの耽美的な世界、そしてもっとも印象的なのが、スクリャービ ンにおける荒削りだが、大海がうねるような情念の発露。一方で、以前から気になっていたことではあるが、まとまりの良さは指向されておらず、時折、洗練さ れていないペダリング、ざらついた響きが顔を出す。すでに地位を確立したピアニストであれば普通に個性として受け止められても、コンクールのような場では減点されそうな面はある。それゆえ、コンクールの結果でピアニストの価値を判断することはできない。

私は他の4名のコンクールでの演奏をまだ聴いていないので、ジャッドが優勝すべきだったかどうかは判断できない。だが、非常にパワフルで印象的な演奏であることは間違いない。彼の死がその後の音楽界にとって、大きな損失であったことを再確認することができた。




7.14.2015

先日、スタニスラフ・ブーニンについて若干ネガティヴに取られかねないことを書いたのだけれど、彼 は実際のところ、一時は本当に素晴らしいピアニストだったと思う。例えば、彼がショパンコンクールに勝つ前、17歳の時にメロディアに録音した「クライス レリアーナ」。これを聴いて気がつくのは、まず、フレーズの緊張感を保ちつつ、柔軟なルバートをきかせながら曲をまとめる手腕の巧みさ。迷子になりやすい音楽の中のパルス もしっかりと保持されている。一言で、音楽的な詰めの甘さが無い。

もう少し重量感を持って弾いたら、とか、もう少し瞑想的に、という箇所はあるかもしれないが、ここでは代わりに清新なロマンチシズムと、びくともしない構 築性を獲得している。細部までしっかり検討されていて、音楽の見通しがよく、彼が何をしたいかが明確に音になっている。自発性も歌心もあり、壮大さにも欠けていない。ピアノはベヒシュタインだろうか。非スタインウェイ系の鄙びてるが、陶器のように質感のある響きが演奏に品を与えている。

ピアニストとしての完成度、成熟ぶりはDebargueとは比較にならない。細部の隙の無さ、という点では、アルゲリッチやホロヴィッツの盤よりも上位に置ける。この年齢でこの演奏とは、やはり大変な才能だったのだと思う。やはり、あの軽薄なブームが彼に悪い影響を与えてしまったのだろうか。この演奏を聴くたびに、もしあの騒ぎが無かったら、と考えずにいられない。




7.13.2015

「Villani Plays Dante」のクラウドファンディング。現段階で予定額を超える金額が集まっている。Fugue.usの読者からも寄金があったようだ。どうもありがとうございました。

次段階は、メニューイン・ホールにて8-11、8-12にトニー・フォークナーと録音。録音セッションの模様は写真やビデオ映像を使って紹介していきたいと思う。



7.11.2015

新国立のデザイン決定を主導した安藤忠雄。問題になっているそうだけれど、彼のような理念先行の現代芸術家に、国民一般に関わる大きな判断をさせ る方が悪い。シェーンベルグにオリンピック・マーチを頼むようなものだ。地方の図書館や教会ならいいが、この手のプロジェクトはもっと現実的な感覚を持つ 人に頼まないと。

私が1999年から1年間所属した米国ソーク研究所は、伝説的な建築家、ルイス・カーンによって設計された。カーンは数多くの名作を残したが、その中でも ソーク研究所は傑作中の傑作とされている。太平洋に向かって立つ石造りの建物の緊密な構成と、モダンで直線的なデザイン。初めて行った時には真っ青な海に 沈む夕日の美しさも合わせて圧倒されてしまった。

その感動も最初の一ヶ月だけ。じきに、コンクリ剥き出しのその非人間的で冷たい佇まいが肌に合わなくなってきた。なにしろ、木材がほとんど使われていない のだ。何か、人工的な洞窟に住まわされるような感覚だった。私のいた研究室は半地下にあるのだが、トイレに行くには一度、外に出なければいけなかった。サ ンディエゴだから雨は降らないのだけれど、それでも冬は肌寒い日はあるし、夜はいちいち外に出るのは億劫。日常生活で、人間が建築に合わせなければいけな いのは本末転倒だと感じた。

殺伐とした建物のせいか、ソーク研究所内の人間関係は悪く、私のいたフロアでは研究者たちが喧嘩ばかりしていた。もちろん、世界的な研究者があつまっていたから、それだけエゴイストも多かったのだけれど、それにしても妙な閉塞感のようなものが漂っていたと思う。

ルイス・カーンのドキュメンタリーによれば、カーンがソーク研をデザインした時、ギリシャやローマの古代遺跡を念頭に置いたという。人間がいなくなった後 にも永続して存在し続ける無住の建築物、というイメージだ。設計した本人がハナから生身の人間がいることを想定していないのだから、居心地が悪いのも当 然だと思った。




7.10.2015

制作中の「Villani Plays Dante」のジェシカ・ドゥーシェンによるライナーノーツの最終版が上がっていて、すでに翻訳に入っている。冊子には英・伊・日を入れるつもりだが、 中・独・仏語版も作る可能性も検討している。冊子に入れないまでも、公式サイトからダウンロードできるようにすることはできるので。

ライナーノーツには、アンジェロが若い頃に大きな衝撃を受けたピアニストとして、ニレジハージの名も登場する。



7.9.2015

アンジェロのアルバムでライナー・ノーツを担当するジェシカ・ドゥーシェンが、一部の英国メディアで「Lucas Debargueが独学でピアノを習得した」とされている風潮について警鐘を鳴らしている。

彼女曰く、Debargueはピアノを始めたのは比較的遅かったものの、パリ音楽院で学んでおり、独学ではないと断言。「音楽はマジックのように生まれる」 という考えが誤りであることを指摘している。彼女が心配しているのはDebargueではなく、英国の音楽教育の方だ。「独学であれだけ弾けるのならば、音 楽教育は必要ない」と、親や政府が誤解してしまうことを憂慮している。ちなみに、彼女はチャイコフスキー・コンクールでのDebargueの演奏については 懐疑的ではあるが、彼のカルト・ブームが来るのは間違いない、と考えている。

日本にも、かつての「ブーニン・ブーム」のような、「デバルグ・ブーム」が来るのだろうか。二人は容貌も雰囲気も似ていて、女性ファンの母性本能を刺激しそうだ。また、Debargueの演奏には、 (リズムに決定的な問題があるとは言え)個性も魅力もある。ただ、ブーニンには、当時ショパンコンクールの審査委員であった、ピアニストの園田高弘の誇大な賛辞 の言葉があって、それにメディアや大衆が狂ったように踊らされた。今のところ、Debargueにはブームの火付け役になりそうな存在がいないし、ブーニンのようにコンクー ルに勝ったわけでもない。メトネルなど、レパートリーも地味目だ。だから、仮にブームが来たとしても、あれほどの大騒ぎにはならないだろう。

それに、Debargueのためには、あんな軽佻浮薄なブームが来ない方がいいと思う。ブームは一過性で終わるし、彼が自身の問題に取り組む機会を奪ってしまうと思うので。



7.8.2015

Kevin Bazzanaがニレジハージの未発表作の楽譜を送ってきた。(p1 and p2)よりダウンロード可能。

アンジェロのアルバムのためのクラウドファンディング(kickstarter campain )が後7日で終了する。現在までに目標額の2/3まで集めたが、まだ2000ポンド足りない。もし、期日までに集まらない場合、kickstarterの規定で寄付金は寄付者に返却されてしまう。ご協力、よろしくお願いします。



7.5.2015

顕在してきたのは1998年のマツーエフの優勝あたりからだと思うが、90年前後から、チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門の結果に対する異論、批判の声が大きくなって いるような気がする。一言で言うと、外野がうるさい。アンジェロがエントリーした90年のコンクールのスキャンダルについては、7.7.14の記事を参照。

マツーエフ優勝時は「フレディ・ケンプが優勝すべき」という声が地元の聴衆や批評家からあがり、のちに国際的なスキャンダルにまで発 展した。あの騒ぎで、西側ではチャイコフスキーコンクールへの信用が一時失墜したと言ってもいい。審査の公正さへの疑いを晴らすため、コンクール側もフ レッシュな顔ぶれの審査員を入れたり、スコアを公開したりといろいろと努力はしているようだ。だが、今年の審査委員の中には、 マツーエフ・スキャンダル時に審査委員長で、過去のコンクールに多大な影響力を持っていたドレンスキーの名前が見える。これを見ると、彼らの改革への意識 が本気なのかどうか疑わしくなってくる。

今年もやはりロシア出身のDmitry Masleev が優勝した。だが、聴衆や審判団の一部からは4位に終わったフランスのLucas Debargueを推す声が大きかった。このコンクールの演奏をライブ中継で追っていた友人のピアニストも、Debargueのユニークな才能を激賞して いた。審査委員の一人だったベレゾフスキーも、「Debargueは最低でも2位、3位に入るべき」「ベストはMasleevとDebargue」と絶賛 し、モスクワの批評家協会はDebargueに賞を与えた。この絶賛ぶりだと、優勝したMasleevよりも先にメジャーレーベルが契約すると思う。

遅ればせながらyoutubeでDebargueの演奏を半分ほど聴いてみた。感覚美に流れた演奏で、ヴォイシングや音色、レガートが美しい。おそらく、 聴覚が非常に鋭敏なのだと思う。ラヴェルの「夜のガスパール」の第1曲の美しいピアニッシモと、柔軟なフレージングが印象に残った。音に関しては確かに非 凡 な才能だ。

一方で、欠点も耳につく。リズムへの配慮の欠如が最大の問題で、例えばモーツアルトの24番の協奏曲やベートーヴェンの第7ソナタでは、表面上はリズム が取れていても、それが一定のパルスとして音楽に反映されていない。まるで指揮者を欠いたオーケストラのように音楽が奔っている(特に24番協奏曲の 第三楽章)。流麗ではあるし、コントロールは出来ているのだけれど、演奏に内的なパルスが徹底されていないため、聴いていて不安になる。

彼の感覚美への傾斜、リズムへの配慮の 欠如は音楽としての骨格の弱さにもつながっていて、絶賛されたというメトネルのソナタも、メリハリが弱く、フレージングが軽い。情熱的であるべき箇所でも、フ レーズが軽く扱われているため、表出力が弱い印象を与えてしまっている。非常に上手い学生の演奏を聴いた、というのが正直な印象。

Debargueがそこら中で絶賛されている理由だが、よほどMasleevの演奏が面白くなかったのか、あるいは頻発するロシア人優勝者達への反感があるのかもしれない。ただ、ベ レゾフスキーの証言によれば、Debargueを評価しなかったのは、ロシア人よりも、非ロシア系の審査委員達だったという。「プロとは言えない」という のが彼らの意見だったのだそうだ。それ以上の説明はされてないけれど、Debargueのリズムの問題が俎上に挙がったのは間違いないと思う。Masleevが優勝者にふさわしいかどうかは置いておいて、審査への疑惑の目が光る中、すべての審査委員達が周囲の空気に流されずにDebargueを推さなかったことに関しては評価すべきだと思う。


7.3.2015

ケヴィン・バザーナは今年の夏、彼が持っているニレジハージ関連の膨大な資料を整理し、カタログを作成するつもりらしい。この資料は高崎資料とかなりオー バーラップするもので、ニレジハージ作曲の楽譜に関しては、ほぼ包括しているという。ただし、量が膨大なため、カタログ化が本当に終わるかどうか、まった く先が見えないそうだ。ついでにスキャンしてくれると有難いのだが、あまりに楽曲が多すぎて、とてもじゃないがすべては不可能、とのことだ。一部はスキャ ンできるそうなので、めぼしいものはこのサイトで載せていきたいと思う。



7.1.2015


報道によると、ディミトリ・ホロストフスキーは、ロンドンのRoyal Marsdenで脳腫瘍の治療を受けているらしい。私の職場はこの病院とアフィリエイトしている大学院大学で、私もRoyal Marsdenに名誉オブザーバーのポストを持っている(と思う。少なくとも2014年までそうだった)。ただ、このRoyal Marsdenはキャンパスが二つあって、彼が治療を受けているクリニックは私のいるキャンパスではないと思う。ちなみに私がアメリカ時代に所属していた研究所は、ホセ・カレーラスが白血病の骨髄移植を受けた場所だった。

Sonetto Classicsのロゴが完成した。ト音記号とヘ音記号を反転させるとSとCになることを偶然見つけたので、その二つを組み合わせてみたら、結構悪くなかった。細部はデザイナーに仕上げてもらっている。




6.28.2015

ロンドン在住のフラメンコ・ギタリスト、パコ・ペーニャによるフラメンコ公演に行ってきた。レビューはこちら




6.27.2015

バリトンのディミトリ・ホロストフスキーが脳腫瘍の診断を受けたという。現段階では声に影響がないが、バランス感覚にダメージを受けているそうだ。かねて から、ホロストフスキーはバスティアニーニ以降最良のバリトンだと感じていたので、このニュースにはショックを受けた。生のホロストフスキーは2011年の9月にロイヤル・オペラの「ファウスト」を聴いている。役が小さかったのと、その夜のルネ・パーペがあまりに圧倒的だったので、その影に隠れてしまったが、声はやはり素晴らしかったと思う。バスティアニーニは絶頂期で咽頭癌 で亡くなってしまったが、ホロストフスキーにはなんとか復帰して、また底光りするような美声を聴かせてほしい。

先日、メンデルスゾーンの第四交響曲「イタリア」の良い演奏を探してyoutubeをサーフィンしていた。この交響曲にはアバド、マーク、カラヤ ンらの定番があるのだが、私にはどれも冒頭がいまひとつピンとこない。冒頭のヴァイオリンによる一連のモチーフだが、ここは理想的にはあまり力を込めない で、早いテンポで、推進力を維持しながら演奏してほしい。だが、どれも遅すぎたり、しっかり弾き過ぎていていたり、汚かったり、音楽が停滞している(特に 木管と弦が交互に会話する箇所で)。とりわけ、ドイツ・オーストリー系のオーケストラにこの傾向がある。

そんな中で一番印象に残ったのが、メゾソプラノのナタリー・シュトゥッツマン(Nathalie Stutsmann)が水戸室内管弦楽団を振ったNHK放送のビデオだった。これは小沢征爾とのジョイントコンサートからのものらしい。冒頭のフレーズが 良い意味で力が抜けており、その後の展開も自然で流麗。停滞しない。適度な重量感を持ちつつ、音楽がらくらくと進行していく印象がある。柔軟なリズム感もいいし、オー ケストラの反応もいい。これを視聴して、もっとシュトッツマン指揮の音楽を聴いてみたいと思った。



6.23.2015


カルロス・クライバーについて、もう一つ、エピソードがある。これもどこにも出ていない話。

アンジェロ・ヴィラーニが手の治療を求めてロンドンに住み 始めた頃、Matthew Boydenという人物とハムステッドのアパートをシェアしていた。Matthewはのちに「CD Review」の編集長を務め、指揮者になるとともに「Rough Guide to Opera」というガイド本を書く。

Matthew の父親はJohn Boydenというロンドン音楽界の重要人物だった。John Boydenは70年代にロンドン交響楽団の最初のManaging Director を務め、1895年に創立されたQueens Hall Orchestra (1915年にNew Queens Hall Orchestra (NQHO)に改名)を1992年に再結成し、その芸術監督を務めていた。アンジェロはMatthewを通じてJohnと親しむようになり、1990年代 の初め、Johnの誕生日カードを送った。カードには、当時アンジェロが働いていたレコード店の同僚が描いた漫画がかいてあり、そこには箒を持ち、 「NQHO」のマークをつけたカルロスが描いてあった。床には当時のデッカ・DGを代表していたシノーポリ、アバド、レヴァインといった指揮者の顔写真が 転がっていった。カルロスがその頭を「ポリグラム・ユニヴァーサル」と書かれた豚の貯金箱の中に掃き入れていて、豚の尻からは「$$」の糞が転がり出てい る、という趣向だった。Johnはその漫画を気に入ってカルロスに送った。カルロスは漫画を大変気に入っていたという。

1992年ー1993年頃、アンジェロはクロイドンで行われたJames Juddの指揮するNQHOの演奏会を聴き、演奏会のプライベート録音をMatthewに渡した。Matthewは当時、ミュンヘンのカルロスの家の近所 に住んでいたソプラノのマーガレット・プライスと交流があり、テープをプライス経由でカルロスに渡してもらった。カルロスは録音を聴いて大変感心したとい う。

NQHO は数世紀前に制作された古楽器を使うことで独自のカラーを出していた。アンジェロの話では、いわゆるピリオド奏法は使わず、ガット弦を使い、ビブラートや ポルタメントを用いてカンタービレを重視。それは、かつてのヘンリー・ウッド&Queens Hall Orchestraの 古風なスタイルを彷彿とさせるものだったという。カルロスは特にブラームスの第一交響 曲の開始部のティンパニの音に感銘を受けていたという。Johnはカルロスの熱狂的な反応を耳にし、そこからJohnとカルロスの間でNQHO客演の話し 合いが持たれた。カルロスは客演には好意的な態度を見せていたが、完全にコミットすることにはためらっていた。Johnが「我々の指揮台に天才が必要なん だ」と説得を試みると、カルロスは「君のところにはすでに天才がいるじゃないか(James Juddのこと)」と答えたという。結局、カルロスは招聘を受諾することがなく、Johnとカルロスの間の交流も途絶えた(拒否の理由は定かではないが、 おそらく、かつてLSOを振った際にロンドンの批評家から叩かれたことが原因にあると推測できる)。Matthewとカルロスはそ の後もしばらく文通していたという。

ベルリン・フィルやウィーン・フィルが頭を下げてもなかなか指揮棒を取ろうとしなかった彼が、どこの馬の骨とも知れぬロンドンの無名団体を指揮する気に なっていた、というのが、いかにもカルロスらしい話。ちなみに、JohnもMatthewも健在だが、NQHOは数年前、資金難のために活動を停止してい る。残念なことだ。




6.21.2015

ニレジハージのリストのロ短調ソナタの一部の録音がyoutubeに上がっている。フォーラムの一部で「偽物」という声が上がっていたが、これは正真正銘 の本物。1977年のCTVドキュメンタリーのアウトトラックの一部で、このサイトでも度々言及した。Youtubeのファイルのmp3は実はニレジハージ版リストのソナタのスコア制作の一環で私が作成した。Kevin Bazzanaの友人が配布に興味を持っているとのことで、友人の名は聞かなかったが、Kevinにファイルを前日に渡した。アウトトラックには他の曲の演奏もある。 CTVの著作権が関わってくるので、私自身は今はどこにもアップロードするつもりはないけれど、近日中にCTVに許可を得る手紙を書いてみて、許可が得ら れればアップロードしたいと思う。

アンジェロ・ヴィラーニのアルバムの制作準備が進んでいる。アルバムのライナーノーツは当初、「International Piano」の前身である「International Piano Quarterly」の編纂に関わっていた、友人のマイケル・グロヴァーに頼む予定だった。紆余曲折あって、著名な音楽ジャーナリストのジェシカ・ ドゥーシェン(Jessica Duchen:今までドゥーチェンと書いていたが、本人曰く、「名前がどう発音されるについては気にしていないけれど、私自身はフランス風にドゥーシェン と発音している」だとのこと)が担当することとなった。ドゥーシェンはソコロフやプレトニョフのCDのライナーノーツも担当したことがある。

先ほど下書きを読んだところ、読みやすくていい感じと思った。ただ、
ドゥーシェンの書いたノートは主にアンジェロに関するものだったので、少しアルバムコンセプトについての情報を入れてもらうように要望を出した。ライナーノーツにはイタリア語、日本語訳をつける予定で、これは友人と私が担当する。




6.1.2015

アンジェロ・ヴィラーニのCDアルバム制作のためのクラウド・ファンディングによるキャンペーンが始まった。寄付をいただいた方には様々な特典があって、値段によっては、プライベート・コンサートも含まれる。日本の場合、来年の5月下旬ならばホームコンサートを行うことは
(来日のベースとなる東京からの距離にもよるが、1250-1500ポンドのラインで)不可能ではないので、もし、寄付&プライベート・コンサートを希望される方は連絡ください。今なら来日日程の調整は可能なので。

私はプロデュースを担当し、ライナー・ノーツは著名な評論家であるジェシカ・ドゥーシェンが書く。レコーディング・エンジニアはトニー・フォークナー。デッカのケネス・ウィルキンソン以来の伝説的なエンジニアだが、フォークナー自身はフリーランスで活躍している。

トニー・フォークナーは古今東西のありとあらゆる演奏家と仕事をしてきている。一番売れたCDは、Nonsuchから出たグレツキの「悲歌のシンフォニー」で、その数、400万枚。まさかそんなに売れると思っていなかったトニーは、通常の料金の半額で仕事を受けたらしい。

現場で印象に残った演奏家について彼に訊ねたことがあるが、返事は「ピアニストではデミジェンコ、指揮者ではコリン・デイヴィス」とのことだった。カルロ ス・クライバーとは「仕事をする筈だったんだが、そうならなかった」そうだ。マゼール指揮でドミンゴがタイトル・ロールを歌った、ゼッフィレッリ監督の映画「オテロ」のサントラ録 音がそれで、本来ならばクライバーが指揮をとる筈が、例によって現場に現れず、急遽マゼールに変更になったのだそうだ。
ヴェルナーの伝記はしっかり読んでいないのでわからないが、このエピソードはどこかに出ているのだろうか?私は初耳だった。録音を担当した本人が言うのだから本当の話だ。

録音は今年の8月中旬にメニューインホールで行われ、発売は今年の11月、Sonetto Classicsから。



5.26. 2015

2013年に書いたビブラートの英語論文、To vibrate or not to vibrate, that is the question:

The evidence of early orchestral performances on filmをやっと和訳した。直訳気味なのは少しずつ直していくつもり。

「揺らすべきか、揺らさざるべきか、それが問題だ」:オーケストラ演奏におけるビブラートの映像による検証

別個に、既に日本語で書いた文がある。ただ、今回の方が内容が充実していて、記述がより正確かつ客観的になっている。ロゼーの映像の解析も今回のものにしか登場しない。



5.26.2015


友人のヴァイオリニストのユリアが、最近、イヴァン・フィッシャー指揮のブタペスト祝祭管弦楽団の演奏会に行った。どの曲かは忘れたが、オーケストラはか なり濃厚なポルタメントをつけて演奏していたようだ。ユリア曰く、「全員が一斉にポルタメントをつけていて、ちょっと変だった」とのこと。さらに、「しか も、下降はともかく、上昇のポルタメントがきちんとできていなかった。ポルタメントは簡単にできるものではなくて、体、技術の中に無いと無理」。フィッ シャーのハンガリアン舞曲の録音を聴いてみた。ポルタメントが濃厚についていたが、それが団員の感情から出てきたものとは感じられない。そのせいか、奇妙、というか気持ちの悪いものだった。

ポルタメント自体は良いと思う。ただ、仏つくって魂入れず、となってしまうのは本末転倒だ。フィッシャーが、ポルタメントという、近代オーケストラ演奏における 「禁じ手」を解除した意図は良いと思うが、彼のポルタメントは、例えば表現主義から出てきているメンゲルベルク&RCOのポルタメントとは本質的 に異なる気がする。

手法としては別方向ではあるが、ロジャー・ノリントンのノンビブラート・マーラー演奏に感じる違和感も似ている。彼の演奏では強制的にビブラート が排除されているわけだが、彼のやり方は、「恒常的ビブラートを濫用しなかった」と彼がみなす戦前のオーケストラの演奏とは、本質的に異なっている。しか も、私やHurwitzの調べで、1935年以前には、ビブラートはオーケストラでは使われていなかった、というノリントンが準拠した「事実」自体が間違っていたことも明らかになりつつある。

ピアノ演奏においても、和音のアルペッジオ、右手の先行などのロマン主義的奏法がある。こういった奏法は「古めかしい」として学校で排除されるし、コン クールでも忌避される。だが、私はこれらを排除するのも、また、手癖のように濫用するのも正しい態度ではないと思う。例えば、あるフレージングの中ではア ルペッジオ奏法の方が合理的な場合があるし、別の場合はコード奏法の方が相応しい場合がある。ポルタメントやビブラートもそうだ。音楽言語に縛られるのではなく、音楽言語の方を自在に操りながら表現 を行う、というのがあるべき姿ではないだろうか。



5.11.2015

アムステルダム、コンセルトヘボウでグレゴリー・ソコロフを聴いてきた。終わってみたら圧倒的な印象。レビューはこちら(今回はいつも以上に細部までしっかり聴いた)。



5.8.2015

一週間前の今日だが、早くも訂正。シーヤンのリサイタル、延期になった。5月に別のコンクールが控えているということで、準備不足になることを恐れたようだ。たぶん、8月か9月になると思う。しっかり準備したい。

今週末はアムステルダムにグレゴリー・ソコロフを聴きに行く。彼は英国移民局とのトラブルで来英を拒否しているので、こちらから出向くことにした。


5.1. 2015


シーヤン・ウォンの二度目のロンドン・リサイタルをプロデュースする事になった。期日は6/11で、場所は同じくRoyal Overseas-League。今回はスポンサーも誘致し、プロモーションをもう少し積極的にやる予定。

彼は9月にリーズ国際ピアノ・コンクールに参加するので、その時の曲目の一部である、リストのロ短調ソナタなどを弾く。ここのところ、彼のソナタの練習に つきあっているけれど、現段階で彼が2年前にWigmore Hallで録音したライブから格段に進歩してきている。6月には良いものになっている筈だ。

ところで、とある掲示板で、私個人への中傷を目にした。デュシャーブルのロ短調ソナタの演奏に対して私が書いたD評価を 根拠にして、わかっていない、私がウソつきである証拠、との意が書いてあった。「わかっていない」という批判は全然構わない。誰しも個人の感じ方があるし、実際、あの曲をきちんとわかっていると言える人がいたら教えを乞いたい、と思っている。 だが、ウソつき、と決めつけられるのは別だ。これは単なる誹謗中傷で、個人の名誉の問題になってくるように感じる。書いた本人から直接真意をきいてみたい。メール待っています。ervinNy(at)fugue.us



4. 28.2015

スティーブン・ハフのリサイタルがロイヤル・フェスティヴァルホールであった。レビューはこちら

仕事柄(ライフサイエンスの研究)、詐欺まがいの勧誘はよくくる。紳士録みたいなものもあるし、論文掲載の招待もある。いずれも数千ドルを払え、というもの。もう慣れてしまった。

昨日、World Biomedical Frontiersというサイトから、以下のようなメールが来た。曰く、私の出した2013年の論文が次の号の掲載対象として選ばれたので、手続きとして 38ドルを払いなさい、という連絡。値段は安いが、有料は有料。折り返し、二度とメールを送ら ないように連絡した。この手の申し出はよくあって、Globalなんたら、というサイトからもメールが来たことがある。


こんなものに乗っかる人がいるのかと思ってgoogleで調べたら、これが結構いて吃驚してし まった。地方の病院のお医者さんは構わない。有料のポータルサイトでもなんでも英語ならハクにはなるのだろうから。しかし、一流機関の研究者が、「~に紹介された」と嬉しげに書いている。もちろん、「手続き料」のことは一言も書いていない。

この組織を調べてみると、2013年にYという人物によって設立されている。場所はニュー ヨークで情報はそれだけ。電話番号も未登録で、組織にどのような人物が関わっているかの情報も無い。歴史もなく、素性も分からず、何より、サイトで紹介さ れた論文がどのような基準で選ばれているかが見えない。しかも、38ドルの存在によって、金を出す人の論文しか載らない、という情報サイトとしては欠陥を 持つ。実に怪しい。


3.29.15

Langhamでロビー・ラカトシュのパフォーマンスがあった。素晴らしい、の一言。レビューはこちら


3.27.15

Kings Placeでミハイル・ルディのリサイタルがあった。失望。レビューはこちら


3.26.15


アンジェロ・ヴィラーニの来日公演が決まった。来年の春。日程は以下。

5/24/2016: in F (大泉学園)
5/25/2016: ムジカーザ

来日公演はニレジハージ関連で付き合いがあった木下淳さんの運営するJK-Artsと、私の会社Sonetto Classicsの共同プロデュースという形になる。曲目などはまだまだ先だが、in Fは小さい会場という特性を生かした、リスト後期作品などを扱うマニアックなプログラム、ムジカーザはより一般的なプログラムになるのではないかと思う。 アルゲリッチの親友で主治医である小関さんという方にも、プロモーション、録音などで協力を頂くという話が出ているが、まだ細かいことはこれからの話。

先月、エンジニアのトニー・フォークナーと会い、録音の話し合いを行った。予算も決まり、プロモーション用のビデオもそろそろできる。録音に向けての準備は着々と進んでいる。



3.7.15

シーヤン・ウォンのリサイタルが終わった。フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」が素晴らしかった。スティーヴン・ハフも録音を聴いて好意的だったようだ。

他 の曲では改善の余地があったものの、成功裡に終 わったと言ってもいいと思う。客入りも悪くなく、損失を出さなかったのもよかった。次に繋がる。当日の録音をサウンドトラックにし、フランクの自筆譜と組 み合わせたyoutubeビデオを制作した。録音は私のPCM-M10と、アンジェロ・ヴィラーニのH4nで同時に行ったのだが、後者の方が潤いと広がり に分があったため、後者の録音を使用している。






3.5.15

ケヴィン・バザーナが新たに入手した写真を送ってきた。ニレジ ハージとグロリア・スワンソンの写真である。スワンソンはニレジハージのパトロンであり、一時期、恋人だったと言われている。二人が一緒に写って いるのは稀で、もしかしたらこれ一枚だけかもしれない。



2.24.15


シーヤン・ウォンのリサイタルを一週間後に控え、急遽、宣伝用のプロモを作成した。月曜日、ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックで撮影している。冒 頭で彼は、「音楽そのものになりたい。それが作曲家と聴衆の間での私の役割だと思う」と言っている。



この映像にあるように、彼はしばしば、キーを叩く際に指をかぎ型に反って弾いている。これは彼の指が長く細いためことに理由の一つがある(フランツ・リス トと同じサイズである)。同じく長い指を持つイーヴォ・ポゴレリチもか ぎ型 に弾く癖がある。

これについてシーヤンと話したことがあるが、細く長い指の持ち主は、ピアノの音色のコントロールが難しいそうで、常に練習していないといけないのだとい う。音が金属的になりやすいのもコントロールの難しさがあるのかもしれない。彼の意見では、がっしりとした太い指を持つアンジェロ・ヴィラーニの手がピア ニスト的には理想的なのだという。

ちなみに、Jose Iturbiも鍵型に曲げて弾く癖があり、おそらくその見てくれがあまり良くないとの理由で、映画「A Song To Remember」では、ニレジハージが映像面での手を演じている。Iturbiの音色は金属的ではない。彼の指が太く、掌が大きいためだろう。



2.19.15


ア ンジェロ・ヴィラーニの録音セッションの日付が決まった。8月11日、12日の2日間、6時間ずつ。エンジニアは当初の予定通りトニー・フォークナー。こ のプロジェクトにエキサイトしているのだそうだ。来週の金曜に会って細部の計画を詰める。

Sonetto classicsのpublicationのページに、私が昨年から制作していたニレジハージ版のリスト・ロ短調ソナタの楽譜の一部の写真を載せてある。 すでに 全編完成しており、あとは一箇所だけインタビューテープを聴いて確認することと、権利のクリアを行うのみ。今年はヴィラーニのアルバムに集中したいので、 出せるのは来年になると思う。

ところで、先日書いた音ズレの原因だが、問題はiMovieであることがわかった。Fujiは無罪。iMovie 10.06は、29.97fpsという標準のフレームレートを勝手に四捨五入して30fpsとして取り込む。そのため、実際よりも0.1%引き延ばされて しまう。そのために音ズレが生じていたようだ。ちょっと信じられないようなひどい設定である。しかも、そういった問題が起こる可能性も明記されていない。

さらなる問題が以下。この「トラブル」を修正するためには、理屈上、映像を0.1%速度アップすれば良いのだが、iMovie v10.06では、なんと小数点一桁の速度調整ができないのである。これには唖然としてしまった。

ただし、古いiMovieは小数点以下の速度調整ができるため、まず、映像をiMovie9で取り込み、100.1%に速度アップして、オーディオとシン クロさせた。そのファイルをiMovie 10で取り込み、マルチカメラの編集を行った。編集に関してだけは、iMovie 10はiMovie 9よりも優れているためだ。やっと、プロモの試作品が出来上がったが、iMovieのせいでとんだ時間の無駄をしてしまった。



2.16.15

ロ ンドンに設立したレコーディング・レーベルだが、サイトのHPは完成している。レーベルのロゴはこれから。当面、アンジェロ・ヴィラーニがレジデンツ・ アーティスト、という形になるが、他のアーティストの作品も念頭に置いている。

http://sonettoclassics.com

過去の名演奏家達によるCDが市場に飽和し、iTuneやYoutubeによる音楽鑑賞が主流になっている今、CDアルバムを出していく意義、というもの をよく考 えなければいけない。アーティストにとっては、CDは名刺代わりとして必須だ。だが、リスナーにとって需要があるのだろうか?

やはり、上の二つのフォーマットではなかなか得られない ものを提供しなければいけない。パッケージングも含め、アルバム全体を一つの作品と考えていくことがこれまで以上に求められる。ユニークなコンセプトを打 ち出すこと。ペースは遅いだろうが、その観点を忘れずに制作して いくつもりだ。



2.15.15

13日、アンジェロ・ヴィラーニのCDアルバムの録音会場となるメニューイン音楽院を訪れた。ここは、メニューインが少数精鋭教育のために設立した音大 で、サリー州の中でも田舎にある。不便なことこの上ない場所なのだが、「素晴らしいスタインウェイとファツイオリがある」と、トニー・フォークナーから薦 められた。ピアノはどちらも良いピアノで、ヴィラーニはファツイオリを気に入ったようだ。ただ、後で録音を聴き直してみると、スタインウェイの方が欲しい 轟音のような響きに近い。マイクとピアノの距離の兼ね合いだと思うが、録音まであと半年あるし、もう一度音楽院まで行ってチェックしなければいけないかも しれない。

この機会に、3台のカメラを使って、初めてのプロモ撮影をトライしてみた。準備ゼロで臨んだし、カメラの位置が限定されていたこともあるが、見直してみる とアングル、カメラの位置など、改善すべき点が多 い。次はもっとうまくやれると思う。

Fuji x100sとiphoneを使ってみたが、前者の映像のクオリティはさすがで、十分使えると感じた。一応、試作品のプロモは作ってみたものの、別撮りの オーディオファイルと、x100sの映 像をシンクさせようとしたのだが、どうしても音ズレが出てしまう。H4NとPMC-M10由来の音源、両方で音ズレが出ているので、カメラ側かデジタル処 理の時の問題か。現在、原因を調べている最中。

アップロード情報:ヴィラーニ・サイトに、ヴィラー ニがゲオルグ・ショルティに会った時の写真を追加。


2.10.15

今年に入ってから、ロンドンを本拠地としたレコード会社設立の準備が加速しており、近日中に有限会社がスタートできそうだ。すでにレーベル名も決めてお り、サイトの作成も始めている。

レーベルの目的はアンジェロ・ヴィラーニやシーヤン・ウォンを始めとするロンドンの演奏家たちに、できるだけ良いフォーマットでの活動の場を提供すること と、膨大なニレジハージ資料を市場に出すこと。後者についてはいろいろとややこしい問題があるのだが、まず受け皿とパイプラインを作っておくことで物事が スムーズに進めば良いと考えている。今年はヴィラーニの録音に集中しないといけないのでニレジハージ関連はまだ無理だと思うが、来年あたり、ニレジハージ 版リストロ短調ソナタの楽譜の出版ができれば、と思う。

2.8.15

ボレの死因は公式には心疾患だが、実際はエイズだったと言われている。これは生前のボレにIPAを通じて近かったグレゴール・ベンコーが言っていたこと。 だが、家族はエイズのことを否定しているらしい。ただし、私が耳にした話では、ボレの同性愛は関係者の間では公然の秘密で、彼はよく演奏旅行に、恋人らし き若い男を同伴していたという。

卓越した実力に比して、ボレがメインストリームの主役になれなかった理由は、ボレの「性的放埓さ、スキャンダル性」によるものが多分にあった、と、ボレに 詳しい友人の批評家から聞いたことがある。ただ、これはどうだろう。ピアニストの同性愛自体は別に珍しくない。というより、ゲイ、バイ、という噂のないピ アニストを探す方がはるかに難しい。たかが同性愛程度で干されるだろうか。バーンスタインの同性愛も公然の秘密だったが、それが彼のキャリアに影響したよ うには見られない。むしろ、キューバ出身という、クラシック音楽とは縁があまりない土地から来た、ということの方が大きかったような気がする。いずれにせ よ、ボレの再評価はこれからどんどん進むだろうし、このアルバムがそれを後押しするに違いない。

ところで、過小評価のピアニストといえば、ローザ・タマルキナというピアニストがいる。ギレリスの最初の奥さんで、たしか、ヤコブ・ザークが優勝したショ パンコンクールで第2位に入っている。いまや完全に忘れ去られたピアニストなのだが、彼女が本当に素晴らしい演奏をするのだ。天才的と言ってもいい。タマ ルキナについてはまた別に機会をもうけて、しっかりふれようと思う。



2.6.15

マーストン・レーベルから出ているホルヘ・ボレの6枚組アルバム、「Jorge Bolet Vol. 2: Ambassador From the Golden Age: A Connoisseur's Selection for the Bolet Centennial」が、米国Amazonから購入できる。
このアルバムには私の友人も関わっている。ボレは壮年期は録音に恵まれず、晩年、多少元気が無くなってからデッカに数多くの録音を残したため、若干誤解さ れているところもある。彼の知情意のバランスが取れていた70年代の録音が多く含まれているのはありがたい。

まだ全部聴いていないが、カッチリとした造形力と緊張感の保持に加え、陶器のように美しく、湿潤度の高いピアノの音が印象的。Vol1は数万円のプレミア がついてしまっているので、さらに内容が充実しているvol 2。今のうちに入手しておいた方がいいと思う。このアルバムに関しては、俳優のスティーヴン・フライが熱狂的な賛辞をツイッターで寄せている。

昨晩、ブリン・ターフェル主演の「さまよえるオランダ人」(ロイヤル・オペラ)を観劇。印象はこちら


1.30.2015

ハンガリーのGergely Bogányi社より、全く新しいコンセプトのピアノが発表された。写真はリンクから見ることができる。

このピアノの話は昨年末にとある関係者から耳にした。音が減衰するまで2分かかり、素晴らしい共鳴音を持ち、美しい一本足の近未来的デザインを持つなどな ど、興味深い情報が満載だった。ピアノ全体がスピーカーのエンクロージャーのような役割を果たしているようで、共鳴音を減らすファツイオリの対極に位置す るピアノ、という印象を受けた。すでにロンドンのいくつかの会場は購入に動いているとのこと。価格は20万ポンド(3000-4000万円)を設定してい ると聞いた。

ファツイオリのように、このピアノが数年後は市場を席巻して いるかもしれない。結局、スタインウェイが一番、という話に落ち着くかもしれないけれど。できればアンジェロの録音に使ってみたいのだけど、今年は無理か もしれない。


1.28.2015

シーヤン・ウォンの リサイタルのチラシが出来た。こちらか ら。写真は私がファツイオリのロンドン直営店ジャック・サミュエルズのスペースを借りて撮影。リンク、配布、自由です。

1921年、10月23日に行われたニレジハージのカーネギーホールのリサイタルの広告を アップロード。当時のカーネギホールのニュースレターからのもので、先日、アンジェロ・ヴィラーニが古本屋で見つけてきて私にくれた。


1.24.2015

ベンジャミン・グロヴナーのリサイタルがバービカンセンターで行われた。レビューはこちら


1.20.2015

シーヤン・ウォンの 演奏会のチケットが発売になった。演奏会は、3月5日、ロンドン、ロイヤル・オーヴァーシーズ・リーグで行われ、以下のプログラムが予定されている。演奏 会はアンジェロ・ヴィラーニと私のプロデュースで、そのほかにも数人のスポンサーが関わっている。

SCHUMANN - Arabeske, Op. 18
BEETHOVEN - Sonata No. 32 in C minor, Op. 111

Interval

FRANCK - Prélude, Choral et Fugue, Op. 21
LISZT (completed by Chiyan Wong) - Fantasy on Themes from The Marriage of Figaro and Don Giovanni

https://eventbrite.co.uk/event/15408230432/

シー ヤンはマンチェスター音楽院の学生時代に、スティーヴン・ハフに誘われてロイヤル・アカデミーに移り、ベンジャミン・グロヴナーらと共に名教師クリスト ファー・エルトンに学んだ。在学中からド イツやハンガリーを中心に活発な演奏活動を続け、2012年にはウィグモア・ホールでロンドン・デビューをしている。昨年はスティーヴン・イッサーリス、 エド・ガードナーといった著名演奏家と共演、今年の末にはLinn Audioのレーベルからリスト作品集が発売される予定。確固たるテクニックと、清新な叙情性を併せ持つ逸材だ。ロンドンの批評家、音楽家への顔見せ公演 の性格を持つ演奏会なので、会場は小さい。と、いうことで、チケットの購入は早めに............

1.6. 2015

昨年末から元旦まで一時帰国しており、新年を久しぶりに日本で過ごした。2000年の新年は既に海外(当時はサンディエゴ)に住んでいたので、日本の大晦 日、元旦は実に15年ぶり。身の回りの人々、テレビに出てくる人々が老いたことを除いて、何も変わっていなかった。そして、やはり日本の食事は美味しい。

2015年は、3月に行われるシーヤン・ ウォンのロンドンでのリサイタルのプロデュース、夏にアンジェロ・ヴィラーニのアルバムのプロデュース、秋にヴィラーニのフィレンツエでのリサイタルの企画と、何 かを「創る」年になりそうだ。

シーヤン・ウォンの 演奏会は3月5日にロイヤル・オヴァーシーズ・リーグで行われる事が決まっており、既にチケットのプロモーションやセールの準備に入っている。最高の公演 になるかどうかはピアニストの演奏にかかっているとは言え、演奏の細部の仕上げを助けるのも私に課せられた仕事の一つ。あと数週間、ピアニストとしっかり 取り組んでいきたい。

アンジェロ・ヴィラーニについては、CDアルバム発表後の来日公演を二つ計画しており、既に日本側の関係者とも協議を始めている。おそらく、来日は 2016年 の5月あたりになるだろう。今回、一時帰国を利用して、演奏会場の下見、ピアノチェックもしてきた。現在念頭にある会場は、渋谷近郊の、ムジカーザというリサイタル用小 ホールと、「in F」と いう大泉学園にあるJazz Live House。全く違ったフォーマットだが、それぞれの会場の特性を生かした演奏会ができれば、と思う。

ちなみにピアノが印象的なのがin F。日本を代表する調律師である辻秀夫氏が定期的にメンテをするカワイがある。フルサイズではないが、レスポンスの速さが好感触で、ピアノもフォルテも良 い感じ。ムジカーザのスタインウェイは、直前に普段とは違う非スタインウェイ系の調律師が入ったとのことで、試奏では低域のレスポンスに若干の改善の余地 を感じた。だが、しっかりしたピアノであることは感じられたし、普段は本来のスタインウェイの調律師が入っているそうだから大丈夫だと思う(楽屋にあった エセックスのアップライトが大変いい感じに調律されていたので)。

ニレジハージ関連については、とある件で日本で年末にかけて大きな動きがあるかと思ったが、また振り出しに戻ってしまった。これについては、関係者と協議 しながら忍耐強く当たっていくほかない。さらに、昨年から作成していたニレジハージ版のリストロ短調ソナタの楽譜は完成しているものの、ニレジハージのイ ンタビューテープを聴いて、彼が残した指示の最終確認をする作業が残っている。これが所有者から未だにテープが届いていない。どこかで見切りをつけなけれ ばいけないが、もう少しだけ待ちたい。