サイト更新情報

fugue.usは、幻のアーティスト達、忘れられた作品、隠されたエピソードなどに光をあてていく事を目的としたサイトです。サイトの文、内容は著作権によって保護されています。


12.3.2014

「今年の一枚」

今年はアニー・フィッシャーの生誕100週年ということで、いくつかの盤が発売された。

その中で、もっとも注目すべき盤がフンガロトンから出たベートーヴェンのソナタ全集ではないだろうか。この全集は、フィッシャーがフンガロトンの懇願を受 けて70年代に録音したもので、録音の条件として、フィッシャーが満足できるトラックが出来るまで発売させない、という条項がついた。実際、フィッシャー は多くのソナタの録音になかなか発売許可を出さなかった。最晩年までスタジオに戻っては録音をしなおしたり、編集を行う事を繰り返していたという。一端、 発売許可を出しても、すぐに手紙を出して許可を撤回するなど、本人も試行錯誤していたらしい。

この話で思い出すのが、オーソン・ウェルズが話していたモネかセザンヌの話。カスタマーが画を購入した後、画を自宅に飾っていた。ところが、購入からし ばらくたってカスタマーが画を点検すると、ところどころ修正した痕跡がある。画家が夜、勝手に家に忍び込んで手を加えていたのだという。これは芸術家を始 めとするクリエイター達が抱えるジレンマで、現実的には売らなければ生計が立てられないが、本音は作品を手放さず、手元に置いていつまでも手を加え ておきたい。フィッシャーについても、作品が手元に置くことが許された故に、この完璧主義のワナに陥ってしまったとも言える。ただし、クリエイターがあれこれ後で 手を加えたからと言って、必ずしも作品が良くなるとは限らない。最初に勢いで出してしまった版の方が優れていたりする、という事はよくある。

フンガロトンはフィッシャーの死後、彼女との生前の約定を違える形でこの全集を発売した。そのため、この全集は本当の意味での完成品とは言えないのだが、 少なくともフィッシャーは10数年もの間、ああでもないこうでもないと、マスタートラックのディテールの編集を繰り返していたわけだ。だから、演奏者に よって細部まで長きにわたって検討されたものであることは紛れもない。この全集は再発で、最初のものは2000年代初頭に出ている。

この全集については、以下のように端的に評価できる。「ベートーヴェンのソナタ全集として、おそらく他の全てを凌駕するもの」。細かい事を言えば、初期ソナタのいくつかが軽く 弾かれており、後期ソナタほど、解釈が細部まで突き詰められていないように聴こえる、という不満はある。だが、第32番ソナタ第一楽章の堅固で力強い展開を聴けば、 フィッシャーのベートーヴェン解釈の素晴らしさがわかるだろう。そこには、抒情を排し、厳格なリズムとパルスを保ちつつ、強靭な意志を感じさせる彫塑的な表現がある。そして、何 より、音楽的にも技術的にも一切の妥協が無い。同じくベーゼンドルファーを弾いたバックハウスの全集と比べると歴然だと思うが、フィッシャーの演奏にはバックハウスの演奏にある、技術的な妥協からくる弛緩が一切 ない。そのため、音があるべきところに「正しく」「力強く」収まっている、という手応えがある。

ハンマークラヴィーア・ソナタも同様だ。特にフーガは誰が弾いて も下手に聴こえる楽章だが、フィッシャーの演奏は安定感と厳しいリズム処理で骨格がビクともしない上、計算されたアーティキュレーションで、素晴らしい推進 力、明快さ、そしてスケールの大きさを獲得している。後期のベートーヴェンでこれ以上の演奏はちょっと思いつかない。

欠点は2つある。まず、ピアノの音だ。マイクが近いため、ベーゼンドルファーの欠点でもある、硬質で薄く、伸びの無い響きがそのまま入ってしまっている。その音が フィッシャーの演奏の直裁的で引き締まった印象を助けているとも言えるが、時に音が神経質で耳障りになる事があるのが気になる。もう一つは、編集の有無が 場所によってわかるところだ。解釈の充実ぶりを聴くと、無編集でもあまり結果は変わらなかっただろうと想像できるだけに、フィッシャーもあまり後で手を加えずにそのまま発売しておい た方が良かったのではないか、とも思う。

来年はフィッシャーの没後20週年だ。もしかしたら、彼女の録音の発掘、再発の流れはまだ続くかもしれない。これを機に、フィッシャーの再評価が進むと良いと思う。


12.1.2014

俳優の菅原文太氏が亡くなった。これから日本で追悼番組が多く組まれるのだろう。だが、そういった番組が伝えないであろう菅原氏のもう一つの顔がある。

菅原
は、 Desmar盤「ニレジハージ・プレイズ・リスト」に感銘を受け、「題名のない音楽会」で盤を紹介した。それがきっかけとなり、彼はニレジハージの二度目 の来日で中心的な役割を果たすこととなった。招聘を担当したのは高崎音楽短大に設立されたニレジハージ協会だが、招聘に至るまでの地ならし、そしてマスコ ミの旗振り役を務めたのが菅原だっ た。彼は知名度と人脈を生かして読売新聞、文部省、政府にかけあって支持、協賛を取り付け、自身も新聞やテレビ、協会の発行したニュースレターなどででニレジハージを積極的に賞賛し続けた。彼のスタンスは「自分には音楽のことはわからな い。だが、いいものはいい」と単純明快であったが、菅原氏の全面的な支持と関係者への口利きがなければ、1982年の来日は無かっただろう。そう言っても間違いでないほど、彼の熱意と力は大きかったようだ。菅原氏の関与については、英語版に短い記事を書いた。

私も、近い将来、菅原氏に高崎資料でひと肌脱いでもらえれば、と
ひそかに思っていた。何度か連絡を取ろうと思ったこともあるし、ここ数ヶ月のうちに実際に連絡するかもしれない、という状況にもなりつつあった。何か、心の拠り所を失った気分だ。


11.28.2014

ラドゥ・ルプーのリサイタルがレディングであった。インプレッションはこちら



11.23.2014

一月前、スティーヴン・ハフと話したのだが、その時にケヴィン・バザーナについて彼がコメントしていたことをまだ書いていなかった。

ハフは私にケヴィンについて「最高の伝記作家だ」と呼び、「Lost Genius」について、「本当に素晴らしい本」と口をきわめて絶賛していた。そして「ケヴィンの次の本の題材として一つアイデアがあるんだが。彼なら最 高だと思う。」とそのアイデアを私に教えてくれた。私は内容を明かす立場にはないので書かないけれど、アイデアを聞いて、なるほど、ケヴィンなら素晴らし い本を書くかもしれない、と感じた。ケヴィンにハフの言葉を伝えると、ハフの賛辞に関しては興奮しつつも、「素敵な嘘をありがとう」と表面上は私の言葉を 信用しようとしなかったけれど、ハフのアイデアには興味を惹かれたようだった。ただ、ここからケヴィンがまた本を書く気になるかどうかはまだわからない。 「Lost Genius・失われた天才」に傾注した努力に比して、受け取るものが小さかった、という事実があまりに重すぎたようだ。

昨 今、高い本がなかなか売れないのは承知しているが、ぜひ、このサイトの読者は購入していただきたいし、友人に配布していただきたいと思う。本がたくさん売 れれば彼はまた書き始めるはずだ。それも面白い本を(念のためだが、こうやって宣伝したところで私には一銭も入らない)。


11.17.2014

アンジェロ・ヴィラーニのサイトをアップグレードした。来年からの活動再開に合わせて、多少なりと素人っぽさを無くしたつもり。さらに、別にあった公式サイトを閉鎖し、私のサイトを公式サイトとする方向になった。

録音の計画も細部まで決め、知人たちの協力もとりつけた。名エンジニアのフォークナーも、友人のアンジェロの頼みということで、二つ返事で快諾。ただ、求めているのは彼の音というよりは、こちらの欲しい音を実現してくれるであろう超一流の技術。今月中に話し合うと思う。


新規レコード会社を設立する形にし、そこから出すことになると思う。



11.13.2014

アンジェロ・ヴィラーニと彼のガールフレンドと一緒にマドリッドートレドを旅行してきた。以下がその写真の一部。カメラはFuji x100s。

1) フラメンコ・ダンサー

2) フラメンコ・ダンサー

3) パラドールよりトレド

旅 行の三日間を利用して、アンジェロに来年夏にCD録音に取り掛かるよう、説得し続けた。「右手が完璧でないと」と尻込みしていたが、二日目には「やる」 と断言するようになった。以前から私がプロデュースを任されていて、アルバムコンセプト、曲目、ジャケットデザイン、ライナーノーツの内容なども決めてあ る。レコーディング・エンジニアは、グレツキの「悲歌のシンフォニー」を始めとする、数多くの優秀録音で著名なトニー・フォークナーになる予定。iTuneやYoutubeの影響でCDを製作する意義が低下していることは 理解しているので、アルバムを買いたくなるような音とコンセプトで勝負していきたい。アルバム製作に合わせ、イタリア、それからおそらく日本で小規模なリサイ タルも開きたい(既に関係者には打診している)。今月、実現に向けてより具体的なプランを話し合うことになる。

それと、公式アナウンスはまだ先だが、来年の3月、ロンドンで行われるピアノ・リサイタルを、アンジェロ・ヴィラーニを含む数人と共にプロデュースすることになっ た。演奏するピアニストはロンドン在住のピアニストで、これから一線に出るべき才能ということで、ロンドンの音楽関係者へのお披露目の 機会となる。



10.28.2014

ニレジハージ版ロ短調ソナタ楽譜制作の過程で遭遇した問題があり、それを解決するために調べ、自分なりに結論付けた事をまとめた。若干細かい話になってしまったが、音楽史的には重要な問題ではあると思うので。
「作曲家の意図を探る(2): リストロ短調ソナタの一音」




10.24.2014

Christpher Falzoneというピアニストがジュネーヴの病院で飛び降り自殺した。29歳。ファルゾーネはマルタ・アルゲリッチとつながりのあるピアニスト(弟子か どうかまではわからない)で、ロス・フィルやシカゴ交響楽団とも演奏したこともある俊英だったらしい。自殺の理由はおそらく鬱の精神状態のためで、 Facebookにあった彼の友人の書き込みによると、既に4度の自殺未遂を起こしていたらしい。

彼が精神的に追いつめられて行った原因は両親との関係のようだ。このサイトに 書かれた彼の手紙があるが、彼の視点によれば、両親は彼をコントロールする傾向があったが、妻との出会いで自己の道を歩み始めていたという。昨年、ほとん ど会っていなかった両親の家に行った際、過去のトラウマからから一種のパニック障害を起こしたらしい。彼は意思に反して両親によって病院に入れられ、裁判 命令によって両親の監督下に置かれ、妻とも一緒に住めなくなった。彼はアルゲリッチの招聘を受けてスイスに行き、スイスの病院で治療することを決めた。そ う手紙にある。


残念ながら、スイスへの逃避行は自殺という結果で終わってしまった。彼にしてみれば、両親の束縛から自由になる方法が他に無かったのかもしれない。


10.20.2014

あのグレゴリー・ソコロフがDGと契約を結んだようだ。ピアノ界でもここ数年で最大のニュースと言える。2015年からライブ録音が出始める。憶測だが、もしかしたらDGは、長らく葛藤がささやかれるツイメルマンとの契約を切る判断をしたのかもしれない。少なくとも、ソコロフという強力なカードの獲得でDGは強気に出れる筈だ。

ソコロフについてはイギリス当局とのビザ問題について書いたことがある。いまだにソコロフはイギリスでのコンサートのボイコットを解除していない。



10.15.2014


ニレジハージ版リストのロ短調ソナタの楽譜部分が完成したので、周囲のピアニスト達にベータ版として配布を始めた。ニレジハージが1978年に 第700ー725小節を弾いた録音が残っているので、この録音も楽譜に埋め込んである。今後の予定としては、彼らからのフィードバックを得て修正版を作 り、誰かに特 徴的な部分を数カ所弾いてもらって、それらの音源も楽譜に埋め込み、前文を加えて完成させようかと思う。前文のためにまだ調べなければいけない事がいくつ かある。それと、一カ所、ニレジハージによる指定の中に、音楽的に整合性の無い箇所があって、そこをどうするか考えなければいけない。たぶん、ニレジハージのオリジナルのインタビューテープを取り寄せて再確認する事になる。予想外に大変な作業になりそうだ。

ニレジハージのソナタの録音だが、これは1978年のCTVドキュメンタリーのサウンドトラックのためにクルーによって収録されたもの。結局、ドキュメンタリー本編には使われておらず、アウトトラックとして残った。この時、ニレジハージはブラームスの 第一協奏曲、チャイコフスキーの悲愴、ワーグナーの「神々の黄昏」ジークフリートの葬送行進曲、チャイコフスキーの「四季」などのごく一部を次々と弾いて おり、その中でリストのロ短調ソナタの上の部分が弾かれた。

私が作成した楽譜といくつかの相違点があって、例えば装飾音符の付加、コードの追加などを行っ ているが、楽譜と同じ解釈を見せているところも多い。さらに、録音ではいつものようにアルペッジョの多用、旋律における右手の遅延がきかれる。楽譜ではこ ういった奏法についての言及が無いので、これらが彼にとって標準であった事がわかる(逆に、アルペッジョを使うな、という指定が一箇所ある)。あくまで楽 譜はニレジハージによる設計図ではあるが、録音とあわせて、リスト作品にふさわしい19世紀的な解釈を知る手がかりになると思う。


10.13.2014

「ファツィオリとスタインウェイの違い」

スティーヴン・ハフに会う機会があったので、ニレジハージ版のロ短調ソナタの楽譜について話 したところ、是非見たい、とのことだったので、今週中に、音源(ソナタのごく一部の録音が現存する)とpdfを送る予定。出来ればハフ、シーヤン・ウォ ン、アンジェロ・ヴィラーニを交えてピアノでスコアを一通り通す事が出来ればいいのだが、ハフのスケジュールの調整が難しいので、数ヶ月以内に出来るかど うかわからないとのこと。

ハフはロイヤル・アカデミーで行われた公開インタビューのために来ていた。ハフはスタインウェイを賞賛し、ヤマハをそれに続くものとして評価した。特に、 ヤマハのタッチの弾きやすさに言及しており、彼のショパンのワルツはあえてヤマハで録音したという。一方、ファツィオリについては「自分は
ファツィオリ派 ではない」と話していた。その理由として、ファツィオリが倍音を減らし、純粋な響きを指向しすぎていることを挙げ、「近傍の弦との共鳴がグランドピアノの 特質なのに、それを抑える方向で作られている」「あまりに響きが純粋すぎて、合成音のようだ」と指摘していた。近傍の弦との共鳴を減らす、というのはは感 覚的な問題ではなく、ハフが実際にファツィオリの工房を訪れた際に、現場の技術者から説明されたポリシーだという。彼の言葉は、私の周囲で囁かれている、「ファツィオリは 弾いているピアニストの耳で聴く音と、ホールで聴衆の耳に届く音が違う=音の浸透性が低い」という事と一致するように思う(参照)。倍音や共鳴音を多く含まない音 は、ホールの雑音を越えて響きにくいからだ(参照)。

スタインウェイはスタインウェイで別の問題がある。良いピアノは本当に素晴らしいのだが、その絶対数は決して多くない。そして、良いピアノと悪いピアノのクオリティの差が、少数精鋭のファツィオリより大きいのは当然として、ヤ マハと比べてもだいぶ大きいように思うのだ。以前、ロンドンで行われたスタインウェイのイベントに行き、20台ほど試奏してみたことがある。本当に良いピアノと 思ったのは2台で、1台はレパートリー全般に使える素晴らしいピアノで、もう1台はモーツアルトやスカルラッティなどの古典音楽のみに向いているピアノだった。残りは、音が金属的すぎたり、低音部のレスポンスが 悪く、駄目なピアノばかりだった。日本のホールの担当者は、新たにピアノを購入する際は、スタインウェイだからと安心せずに、きちんとピアノの質の判断が 出来る人に同時に10数台チェックさせ、そこから一番良いものを選ばせる必要がある。それくらい、スタインウェイは玉石混淆だ。

ところで、1982 年に行われたニレジハージの79歳記念パーティの詳細があまり明らかになっておらず、「失われた天才」にもほとんど言及が無い。これはニレジハージが、当日の詳細を語る事 を拒んだ事に原因の一つがある(演奏が全く良くなかった)。未発砲録音も残っているのだが、ケヴィンと私の間で、当日のプログラムについて情報の混乱があ る。伝記の補完の意味も込めて、これを一度整理し、誕生パーティの詳細、プログラムなどを纏めたものをサイトに書くつもり。客は70名だけだが、菅原文太、武満徹、團伊玖磨を始めとす る、そうそうたる人々が列席していた。



10.11.2014

ロンドン在住の若手ピアニスト、シーヤン・ウォンがニレジハージ作品をドイツとハンガリーのリサイタルで取り上げる。シーヤンはロマン派作品を得意として おり、優れた技巧、叙情表現に優れている。彼はニレジハージ版ロ短調ソナタのプロジェクトにおいても、資料を提供してくれたり、試奏に協力してもらった。 もし、近傍に在住されている方があれば、是非、足を延ばしてください。

-Date & Venue-
November 15th, 17:00: Alten Rathaus, Stadtoldendorf, Germany

November 16th, 17:00: Wandelhalle, Bad Oeynhausen, Germany
November 22th, 11:00: Liszt Museum, Budapest, Hungary

-Program-

Brahms: Capriccio, Op. 116, No. 1
Brahms: Intermezzo, Op. 116, No. 4
Grieg: Someraften, Op. 71, No. 2
Liszt: Les cloches de Genève, S. 160/9
Liszt: Mazurka brillante, S. 221

(Intermission)

Nyiregyházi: Andante Ethereal
Beethoven: Piano Sonata No. 32 in C minor, Op. 111



10.8.2014

ニレジハージの最後の録音をアップロードした。これは1984年秋、死の2年半前に、友人のリカルド・エルナンデスの家でプライベート録音されたもので、 かなりのニレジ ハージ・ファンの間でも出回っていなかった貴重な録音である。もちろん、公に出るのは世界初。この録音は7年前には入手していたのだが、プライベート録音 と いう性質上、果たしてアップロードが道義的、法的に許されるかわからず、今までのびのびになっていた。著作権保持者であるスミット氏の当サイトへの支持という事実もあり、議論に議論を重ねて大丈夫という結論になったが、デリ ケートな事であることは変わらないので、他の動画サイトへの転載はご遠慮願いたい。

この録音については、バザーナの「失われた天才」第 26章に詳しく書いてある。


Liszt: Aux cyprès de la Villa d'Este No 2

Liszt: Song of the Shepherds at the Manger


10.7.2014

今回の作業をきっかけに、保有しているニレジハージ関連のカセットテープ音源を全てデジタル化することにした。恒久的に保存する目的と、資料として一部の 音源をニレジハージ版楽譜に貼付するためである。所有権等の関連で全て発表できないが、どのテープも貴重な録音だ。例えば、1982年1月、テンプル チャーチのボロピアノで弾かれたショパンを始めとする諸作品(
1980年、テンプルチャーチでの「月光」の録音は持っていない)、同月にホテル・ニューオータニで弾かれた「波間」、同じく高崎での自作自演コンサートの録音、CTVドキュメンタリーのアウトトラック、そして生前最後の記録となった1984年のリスト作品のプライヴェート録音、そして各種インタビュー音源。

そ の過程で、いくつかの音源を再度聴き直したが、一つ、どのような状況で録音されたのか、どうしてもわからない高崎由来のテープが一つある。ここには比較的良好 な音質で、「トリスタン」の愛の死、「神々の黄昏」葬送行進曲、ベートーヴェンの第七交響曲第二楽章などが収められている。

ケ ヴィン・バザーナの話では、1982年1月に、東京バプティスト・チャーチで小リサイタルを開いたらしい記録がある、という。しかし、私の調査ではこのコ ンサートが行われたという裏付けがとれなかった。二度の来日招聘で中心的役割を果たした関川氏に尋ねても、そんなコンサートは覚えていない、とのことだっ た。もちろん、東京バプティスト・チャーチにも問い合わせたが、20年以上前とのことでわからない、との返事。しかし、この時以外、他の可能性が考えられないのであ る。もし、(仮に行われたとして)そのコンサートの事を覚えている人の話が聞ければよいのだが.....。



10.1.2014

ニレジハージ版「ロ短調ソナタ」の楽譜の制作が進行中。Kevin Bazzanaと相談しながら、ニレジハージが残した指定の正確な意味や、楽譜上の正確な位置、過去資料による裏付けなどを行いつつやっている。できるだ けいい形で世に出したいので、最終的なものを発表するのはまだしばらくかかると思う。

楽譜と言う形で出版するのか、専門誌に投稿するのか、あるいは単にこのサイトにアップするのか、現段階では何も決まっていない。私に何かあった際、このサ イトは自動的に閉鎖になる。そのため、もしかしたら別ソースから出しておいた方がいいのかもしれない、とは思っているが、まだ何も決めていない。当面は作 業に集中し、内容を充実させていきたいと思う。

ニレジハージがこの曲を細密に設計し、リストによる自筆譜や、生前のリストの意見を取り入れたザウアー版やラマンの「Padagogium」などの情報 を取り入れつつ、独自の解釈を展開させていたことが明確になりつつある。ここ数年で、レスリー・ハワードによる原典版、リストの弟子のアルトゥール・フ リードハイムによる演奏解釈版などが登場している中、しばしば、「生前のリストの演奏に酷似」と呼ばれたニレジハージによる版は独自の意義を持つと思う。


9.30.2014

Gramophoneからチケットを貰ったので、ロンドンのRoundhouseで行われたiTune Festivalの最終夜に行ってきた。プラシド・ドミンゴ、ヴィットリオ・グリゴーロ、カーチャ・ブニャティシヴリ、エンジェル・ブルーなどが参加する豪華な顔ぶれ (ロンドンコンサート日記


9.19.2014

1960年代に録音されたというニレジハージのリストロ短調ソナタの音源は見つかっていない。もう見つからないだろうし、見つかってもテープは酷い状態だ ろう。だが、彼がCTVのドキュメンタリーで一部を弾いた録音がある。それに加え、1975年頃、および1985年頃に友人にこの曲の解釈を細かく注釈し た記録がある。前者は楽譜に書き込まれたメモ、後者はカセット録音である。バザーナの「Lost Genius: 失われた天才」にも関連記述があるが、この注釈の内容は公開されていなかった。

「Lost Genius」を読んだ友人のピアニストが勉強用にこの注釈を読みたい、と私に伝えてきた。バザーナに問い合わせたところ、録音は返却してしまったが、録 音にある会話は全てノートに記録した、とのこと。1975年のメモと合わせて送ってもらった。アゴーギグ、デュナーミクに関する専門的な指示が大半だが、 「鍵盤の血がついていなければならない!」といった個性的な指示もあり、大変興味深い。
一つだけ書くと、テンポはかなり遅く、全曲の演奏時間は40分ほどになるようだ。

現在、この二つの資料を統合している作業の最中。どういう形で公開するか未定だが、「ニレジハージ版」ロ短調ソナタの全貌を、なるべく早く、わかりやすい形で実現させたいと思う。注釈に忠実に沿った形で誰かに弾いてもらうのも面白いだろう。

もう一つ。ニレジハージの最後の録音となった、リスト作品のプライヴェート録音が二つある。これも一切世に出ていない。今年中にはサイトに公開するつもりだ。



9.13.2014

ファウスト交響曲の第二楽章、「グレッチェン」のピッチ修正版を
このページにアップロードした。この録音は既にオリジナルからピッチが半音高く、それがニレジハージによる転調なのか、あるいは単純に録音デバイスの問題なのかがわからなかったし、今もわからない。


ニレジハージは移調能力が抜群だったし、クレンペラーの前でも移調したショパンのソナタを弾いている。だが、個人的には録音デバイスの問題であると思って いる。一つには、ニレジハージがわざわざ転調して演奏する意図が見えないこと。もう一つはオリジナルのキーの方が落ち着いて聴ける気がするからだ。半音高 い版のものには、かすかだが気に障る要素があるのをずっと感じていて、この演奏を最初にアップロードした7年前からピッチ修正をしたいと思っていた。


ところで、先日、英国音楽院(ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージック)の修士修了試験で、アカデミーのデューク・ホールで知人のピアニストが演奏する のを聴いた。ピアノの鍵盤が重かったせいか、全てが卓越していたわけではなかったが、プログラムの中一つの楽曲の演奏は素晴らしかった。私が数日前に演奏 のチェックを頼まれた曲ではあるが、客観的に見て、非常に高いレベルの演奏であったと思う。

試験後、そのピアニストから教えてもらった話。

この修了試験では60分のプログラムで弾く事が要求される。それはまあいいのだが、プログラムは55分から65分の範囲内に収めなければならず、そこから1秒でも越えたり、短くなったりするとペナルティが課される。1秒から60秒の超過、短縮は3点減点、61秒から120秒は4点減点…となり、7分超過、短縮で10点減点かつプログラムの中止となる。ペナルティを避けるため、時計を確認しながら、繰り返しを省略して弾いたりするのだという。

にわかに信じがたい話だったので、アカデミーがどのようにこの規則を正当化しているかを問うと、彼は「組合やホールの賃貸の関係で、演奏を時間通 りに終わらせることは大切、と言われた」との返事。唖然とした。音楽と無関係の話ではないか。感情を込めて遅く弾いたり、高揚してテンポがあがったらペナ ルティを課されかねないのだ。こんな規則、音楽教育の放棄に近い。さっさとゴミ箱に捨ててしまった方がいい。表現をしないロボットが量産されるだけだ。




9/8/2014

ニレジハージ演奏による、リストの「二つの伝説」のmp3をこのページにアップロードした。第一曲目「小鳥」を加えたのは初めて。第二曲目「波間」は既にサイトにアップロードしていたが、既存のものはピッチが2Hzほど低かったので、修正したものをアップロードした。この録音はDesmarのLPから採録されたもので、酷くイコライズされ、痩せてしまったM&A版の音質よりもずっと優れていると思う。

また、以下のニレジハージ作品の原稿をNyiregyházi Archiveにアップロードした。

Castle, No. 2 (1984)
The Bottomless Pit (No. 3) (1985)





8/31/2014

ここ数年で世界中のピアニストの間に急激に普及したファツィオリというピアノだが、このピアノを演奏会で弾いたピアニスト達に印象を訊ねると、いくつかの 共通した意見がきかれる。まず、ピアニッシモの美しさとその音の出しやすさ。そして、一度音を鳴らすと、ピアニッシモでも音が長く鳴り続け、消える事がな い、ということ。この二つはスタインウェイやヤマハよりも優れた点ではないかと思う。

一方、「ピアニストの位置で聴こえる音ほど、ホールでは美しく響いていない」という意見も数人からきいた。これはピアニッシモに優れた
ファツィオリの音響特性もあるのかもしれない。この特性のため、ピアニストがステージ上で聴こえる音と聴衆の聴く音との間に大きな齟齬が生じ、結果として聴衆に悪印象を与えるかも、という危惧がピアニストによってはあるようだ。

先日、ウィグモア・ホールで行われたデミジェンコのショパンが今ひとつだった話を友人の評論家にすると、彼は「
ファツィオリに原因があったんじゃないか」と言った。本人は素晴らしい音を出しているつもりでも、それが聴衆まで届いていないか、色あせた響きとしてしか届いていない、という訳だ。彼は「最良のスタインウェイの音の方が、ファツィオリの出す音よりもホール全体の浸透性は優れている」という意見の持ち主で、同席したピアニスト達はそれに同意していた。もしそれが本当だとすると、ファツィオリには、ピアノで鳴った情報をしっかり伝える良いホールが必要な度合いが大きくなるかもしれない。そして、ウィグモア・ホールはピアノ用のホールとしては全く理想的とは言えない。

ロンドンではジャック・サミュエルズ・ピアノという店がファツィオリを一手に引き受けている。
St. James Piccadilly は独自のファツィオリを持っているが、他の多くのロンドンのコンサートで使われるファツィオリは、ほとんどがこの店の三台のコンサートグランドのどれかから出ている。ウィグモア・ホールで使われるファツィオリもそうだ。

先日、ジャック・サミュエルズの三台のコンサート・グランドを触る機会に恵まれた。この三台がロンドンでも最良の
ファツィオリの筈である。実際に弾いてみて印象に残ったのは、やはりピアニッシモの美しさと、高音域の金属的でないのに輝かしい響き。音 を出すために鍵盤をしっかり底までおさえる必要がないため、繊細なピアニッシモが出しやすい。あたかも鍵盤が底に届く前に音が鳴るかのような印象さえ持っ てしまう。それからレスポンスの良さ。ただ、低音域は薄く、若干ざらついた響きで感心しなかった。もしかしたら部屋のアコースティックに問題があったのか もしれない。

いずれにせよ、まだ私の中で
ファツィオリの評価は定まっていない。ピアニッシモや高音の響きは美しいと思うけれども、最良のスタインウェイほど多彩な音色を出せるピアノかどうか、ちょっとわからない。


8/30/14

ここ数日、とある若手ピアニストにベートーヴェンのソナタの解釈のチェックを頼まれ、何度か練習室に足を運んで演奏の修正点を細かく助言すると言う機会が 何度かあった。よく、演奏家に演奏後に感想を伝えたり、彼らの預かり知らぬところで文句を書くことはあるけれど、プロのピアニストを前にしてあれこれ言い ながら音楽を作っていくのを手伝う、という経験は初めて。

ふと、誰かが書いていた、「音楽大学ではトップの人間がソリストになり、二番手がオーケストラの団員になり、三番手が批評家になってトップと二番手の 人間を叩く」という言葉を思い出した。そのピアニストの技量は一流であり、私は三番手以降でさえない。まったく、音楽の世界は不可思議で端から見ると不条 理なものだ。



8/16/14


ロ短調ソナタの迷宮」の評者、三人 目が見つかった。若いが、国際的な活動をしているコンサート・ピアニストである。ロ短調ソナタを得意としており、曲や録音の知識も十分あるようなので、一緒に飲んだ際にレ ビューに参加するように誘ってみたら快諾を貰った。日本人ピアニストではない ため、掲載する文章は翻訳したものになる。掲載はしばらく先になるかもしれない。


8/12/14


ロ短調ソナタの迷宮」を知人数人に見せたところ、いろいろな反応があった。
かなりの数の録音を聴いた専門家達である。

ある知人は、私の選択のいくつかに同意した上で、「自分 とはテイストが違うところもある。自分は昔聴いたデ・ラローチャの演奏には特にインスパイアされなかったし、ノジマは技術的に素晴らしいがファンタジーに 欠けると思う」という反応だった。彼の考えるベストは1949年のホロヴィッツ盤レヴィの演奏だという。また別の知人は、私がバレルに高い評価を与えた 事について、「冒頭のリズムの問題がある」と同意せず、代わりにアン・アーバーでのホロヴィッツのライブ録音テレンス・ジャッドレヴィの録音について 「好きな録音」とした。一方、そのまた別の知人は、私が、批評家が言及しないデ・ラローチャの録音を推したことを高く評価してくれていた。彼も聴いて驚いたことのある録音だったらしい。

知人のうち二人が言及したレヴィだが、レヴィは私も好きなピアニストではある。特に彼のベートーヴェンのソナタ演奏は個性的でありながら、デュナーミクや アゴーギクの処理がが理に適っており、大変素晴らしいと思う。ただ、彼のリストのソナタの録音に関しては、アクが強すぎ、フレージングやテンポの処理が不 自然にすぎると感じる。一方で、そのアクを好む人がいる事も理解できるし、そういった人々がデ・ラローチャや野島を高く評価しないのもわかる。

非常に複雑で多面的な楽曲である。評者がこの曲をどのように捉えるか、この曲のどの面を重視すべきかによって、評価が全く変わってくる。大切な事は評価の 基準を明確にすること。それは個々のレビューの中で明らかにしていると思う。そして、ブラインドでまとめて多く聴くこと。これは本当に大切だ。

いずれにせよ、デ・ラローチャの演奏が超一級であり、少なくとも私の中においては、ディスコグラフィの最上位の一つ、である事についてはいささかも迷いがない。知人にも聴き直してもらいたいと思っている。
「スペインものの巨匠」という、デ・ラローチャの温和なイメージが判断の邪魔をした可能性もあると思うので。



8/5/14

ロ短調ソナタの迷宮」をIntermezzoにアップロードした。現段階でリストのピアノ・ソナタの主要108録音のブラインドでのレビュー、レイティングを行っている。あと1録音加える予定。また、誤字脱字等あると思うので、8月一杯、ベータ版としてちょこちょこ直して行くつもり。


8/2/14

ベンジャミン・グロヴナーの新譜「Dances」を聴いた。やはり卓越した才能の持ち主なのだと再認識させられた。

このディスクは「踊り」をテーマにした曲集で、バッハのパルティータ、ショパンのポロネーズ、スクリャービンのマズルカ、グラナドスなどが収められてい る。グロヴナーの美点である、流麗に歌う右手、フレージングの滑らかさが存分に堪能できる。特に素晴らしかったのがバッハ、ショパンのアンダンテ・スピア ナート、グラナドス。詩情の豊かさといい、珠玉のような音色といい、他に比べるものがない。もし、パルティータ全集が出たら喜んで購入するだろう。


その一方で、ショパンのop44のポロネーズや、スクリャービンになると、若干物足りなくなる。全てが適切なバランスの中で弾かれているのだけれど、スパイス、とい うか、毒のようなものが足りない。弓を引き絞り、放つ、というアーチェリーの動きに例えると、完全に弓を引き絞らないで矢を放ってしまっている気 がするのだ。スクリャービンもショパネスクで華麗だが、ソフロニツキーのダークな魔術的な空気が無く、スクリャービンに聴こえない。こういった問題は、後期ロマン派の大曲を弾く時のグロヴナーの演奏について、常に私が感じているこ とだ。バッハや初期のロマン派、ショパンでも軽めの作品を弾いた時には全く気にならないし、本当に素晴らしいのだが。

とにかく、豊かな音楽性と、図抜けて美しいピアノ演奏が記録されたディスクとして推薦したい。



7/26/14

リストのロ短調ソナタの録音群のレビューサイトの制作が順調に進んでいる。

予 定としては、夏中にフェーズ1として110-120録音程度のレイティングとレビューをサイトに発表する。これは私自身がブラインドリスニングの形式で 3ヶ月かけて行ったもの。レビューは既に100録音近くまで終了した。録音は少なくとも3回は聴いたので、のべ300録音ほど耳を通したことになる。

第 二段階として、秋頃までに、全録音について、第二の評者によるレビュー を加えていく。この評者は、リストの音楽に関する深い理解と知識があって、120録音を聴き通せる忍耐力があ り、かつ、ブラインドでレビューを書ける専門家。既に作業に入ってもらっている。彼は一流のピアニストとして高い評価を得ており、膨大な数のピアノ録音に も精通している。事情があって匿名での参加になる。この作品の多面性を考えると、私のものとは異なるレイティング内容となる可能性があるが、むしろその違いを 示す事が狙いの一つでもある。

最後に、インターネット以外のメディアへの発信。ロ短調ソナ タを分析した英語の専門書に優れたものが一つある。まだ何も決まっていないが、例えばこういった本の翻訳・出版も進めていければ、と考えている。そこで得 られた知見もサイトにおいおい盛り込まれて行くだろう。


7/17/14

15日のロイヤル・オペラ、「ラ・ボエーム」公演は、 劇場や公園に設置された巨大スクリーンを通じて、英国中の都市に生中継された。開始前には女性が出てきて、「あなたは彼らが見えないけれど、彼らはあなた が見えるのよ!」とその旨を観客に伝え、拍手喝采を浴びていた。ロンドンだけでも6カ所に大スクリーンが設置され、トラファルガースクエアでは6000人 がオペラを鑑賞したという。イタリアの新聞に掲載された写真には多くの若い観衆が写っている。 これは地方都市でも同じで、ノッティンガムのTrent Bridgeという場所では3000人がオペラを観るたびに集まった、という報道もあった。


本当に素晴らしいことだ。そして、今のじぶん、まだオペラにこんなに集客力があったとは!しかも、オペラの復権は世界中で進行していて、アメリカのメトロポリタン 歌劇場を除いて、世界中の大歌劇場が大幅な黒字を出しているのだそうだ。もともと、オペラは大衆芸術で、今で言うミュージカルや映画のようなもの。それ が、エリートのための鼻持ちならないイベントになってしまって客が離れた。本来あるべき形に戻ってきたのだと思う。日本もじきにこういう事が起こるのかも しれない。馬鹿なマスコミが「オペ女」「グリ女」「ゲオオタ」とか言い出して、それに乗っかる軽薄なのがでてきそうで、それはそれで問題だが.....。



7/16/14

アンジェロ・ヴィラーニはチャイコフスキー・コンクールの後、1991年にロンドンに移住。タワーレコードで働きながら右手の治療を続けていたが、時折、コンサートホールではない場所で弾くことがあった。その一つが、リスト全集を録音したレスリー・ハワードが会長を務めるリスト協会の年次総会である。
アンジェロは学生時代、レスリー・ハワードのマスタークラスに出席していた事があった。ハワードはアンジェロの才能を高く評価しており、アンジェロがリストの専門家達が集まる年次総会のコンサートで弾けるようにとり計らった。

数日前、1997年のリスト協会発行のニュースレターをネットで見つけた。これによれば、まずケネス・ハミルトンが「スカラ座の思い出」を弾き、続いて「アンジェロ・ヴィラーニが、
La Lugbre gndola II, Nuages Gris, Abendglocken, Rhapsodie Hongroise No 17 の4 作品を感受性豊かに弾いた」とある。その後、レスリー・ハワードが「Litanie de Marie」を弾いたという。そしてハイライトとして、Valle d'ObermannがTrio Articaによって演奏された。「ここ数年では、もっとも成功したリスト協会主催の年次総会・コンサート」という言葉が書いてある。

ちなみに、ケネス・ハミルトンはスコットランド人のリスト弾 きで、リストに関するいくつかの著述がある。特に、「Liszt: Sonata in B minor」は名著。また、「After the golden ages」ではニレジハージにも言及しており、好意的な評価を与えている。



7.15.14

ロイヤル・オペラの「ラ・ボエーム」。ヴィットリオ・グリゴーロとアンジェラ・ゲオルギューという二大スターの競演。この夜の公演は全英都市の劇場に生中 継され、数多くの人々が観ていたらしい............(以下ロンドンコンサート日記



7.10.14

レブレヒトのサイトに、今度はイスラエル出身のピアニスト、モルデカイ・シェホリの「アイザック・スターンと共にあった私の人生」という寄稿が載っていた

シェホリはピアニストで、晩年のホロヴィッツの信任を得ていた。彼は1970年代から10年ほど、アイザック・スターンの娘を教えていた。「展覧会の絵」 の解釈を巡って意見を違えたのがキッカケの一つとなり、スターンはシェホリのキャリアを潰しにかかり、イスラエルへの送還へも画策したとい う。シェホリのコンサート契約を破棄させようとし、コンサートホールの責任者に金を送り、シェホリに演奏させないように運動した。シェホリによれば、ス ターンが破滅させようとした演奏家はイスラエル人が多く、一度スターンに睨まれたら、マネージャー達は近寄ってこなくなると言う。

内容についてだが、
ロー ザンドの寄稿に比ると、今ひとつ信用しきれないところがある。ローザンドの率直で淡々とした書きぶりに比べると、シェホリの文には大げさな修辞表現や、自 らの才能や業績を誇大に見せたがるような表現がそこかしこに見られるからかもしれない。おそらく、ここに書かれていたのと似たような事は起きたのだろう。だが、その細 部については、どこまでが真実なのかを慎重に判断すべきだと思う。「死人に口無し」という状況である以上。

いずれにせよ、今一度、「アイザック・スターン」というキーワードを通して
、70-90年代の米楽界の動向を見直してみる必要があるようだ。スターンの権力、影響力は皆が考えているよりもはるかに大きかったことは間違いないようなので。




7.9.14

ちょっと驚くような記事が出ていた。ヴァイオリンの大スターであった、故アイザック・スターンに関する話である。

事の経緯はこうだ。一月ほど前、ニューヨークフィルのコンサートマスターだったデヴィッド・ナディエンの死を報じた記事に関連し て、アイザック・スターンに関する良からぬ噂-------同僚のヴァイオリニスト達を排除し、ライヴァル達のキャリアの妨害をした---------を、ノーマン・レブレヒトが
一蹴した、 ということがあった。レブレヒトはスターンがいかに寛大な人物であったかを述べ、自身の調査の結果、悪評を裏付けるようなものは何も出てこなかった、と断言 する。「(どの噂も)真実だとは思えない。客観的な証拠が無い以上、アイザック・スターンの安らかな眠りを邪魔するような悪口を止めるべきときに来ている」と高所から 締めくくった。レブレヒトは自身がユダヤ人という事もあって、普段からユダヤ系の演奏家を殊の外好み、評価している。そういう背景からのスターン擁護だろ うと思うが、私が彼をあまりにバイアスがかかりすぎている、とよく感じることがあるのはこういったところだ。

読者達はすぐレブレヒトに反論した。彼らの多くは生前のスターンを直接、あるいは間接的に知る音楽家で、一部はスターンの悪評を裏付ける書き込みを行った。これが一月以上前の話。

さらに昨日、名ヴァイオリニストであるアーロン・ローザンドがレブレヒトのサイトに「アイザック・スターンと共にあった私の人生」 という寄稿を行った。ローザンドはスターンほどの一般的知名度は無いものの、その力量はハイフェッツやオイストラフら、過去の伝説的ヴァイオリニストに伍す る、とさえ言う人もいる。いわば、ヴァイオリニストのためのヴァイオリニストだ。ちなみに、ローザンドもユダヤ人なので、ここではユダヤ人差別がどうの、 という面倒な話にはならない。

詳しくはレブレヒトのサイトを参照して欲しいが、概要は以下。ローザンドのアメリカでの音楽活動において、
スターンは様々な妨害を行っていた。スターンは自 身と妻のコネクションを使い、イスラエルやオーケストラの上層部のユダヤ人との間に強固な繋がりを作り、それが彼の権力の源泉となった。妨害の手段は多岐 に渡った。ローザンドがガルネリを購入するために資金調達を行った際、銀行に影響力を持つスターンがローザンドの資金源を絶ち、ヴァイオリンをローザンド から横取りしようとした。ローザンドが、レナード・バーンスタインと、バーバーのヴァイオリン協奏曲を録音する予定だったのをスターンは妨害し、バーンスタ インを直接脅して自らと録音するように仕向け、成功した。

さらに、ヘンリク・シェリングもアメリカでの活動をスターンに妨害された。この時はローザンドがシェリングのアメリカでのマネジメントを担当していた人物 に掛けあって契約の破棄を押しとどめている。シェリングはそれへの感謝の記しとして、アメリカで干され気味であったローザンドにヨーロッパのエージェントを紹介 した。10年が立ち、ヨーロッパで大活躍していたローザンドにCBSが近づき、アメリカでの新録音が企画されたが、またしてもスターンが介入し、その企画 を握りつぶした。スターンはローザンドの演奏スケジュールを完璧に把握し、ローザンドのキャリアの折々で登場し、彼を妨害し続けたという。

ローザンドは初めて明かす話だとし、「負け惜しみと嫌みにきこえるだけだろう。だが、君(レブレヒト)が私にスターンとの関わりを訊ねたから、真実を話し、良心に恥じぬことをする必要があると感じたのだ」と書いている。

ここからは私のコメント。スターンが若い演奏家、例えば、マ、ズーカーマン、ミドリらを育てたことは知られているし、称賛に値すると思う。だが、同時に、それは彼の息のかかったICM というサークルにいる人々の話で、サークル外の若い演奏家に関してはその限りではなかったようだ。例えば、67年のレーヴェントリットコンクールにおいて は、度々ミスを重ねた弟子のピンカス・ズーカーマンを、抜群の演奏を聴かせたチョン・キョンファと共同優勝させる、という強引な審査運営を行っている。キョン ファの母親はユダヤ陰謀論と絡めて激怒しているが、それとこれとは切り離すべきだろう。出来レースをセットアップしたのは、単にスターン個人の支配欲によるも ので、ユダヤ・ネットワークによる外国人排除、とやらとは関係がない。事実、スターンが妨害し、排除した演奏家の多くは、ローザンドのようなユダヤ人ヴァイオリニストであった。

ローザンドの寄稿文には多くの読者が支持の声をあげ、オーケストラのメンバー、ヴァイオリニストらが、自身や自身の師の経験として、生前のスターンが、数多 くの同僚達を妨害、排除してきたかを書きこんでいる。排除された演奏家の中には、ルッジェーロ・リッチ、ミッシャ・エルマン、エリック・フリードマン、イヴリー・ギトリスといった 名も含まれ、ヤッシャ・ハイフェッツの名さえ登場する。

アメリカの楽界を牛耳り、自らが影響力を持ったカーネギーホールから同僚達を排除しつづけたスターンを擁護する声はほとんど無い。その批判の対象はスターンの技量の限界や、スター ンの70年代中期以降の、無残な弾きぶりにまでわたっている。同時に、ローザンドほどの偉大なヴァイオリニストが、なぜ、長くアメリカで干されていたのかが やっとわかった、との声が多かった。

ちなみに、ローザンドのヴァイオリン購入に関しては、スターンの妨害は不調に終わった。ex-Kochanski Guarneri del Gesùと呼ばれたそのガルネリの銘器は、1957年からローザンドと共に半世紀を過ごし、2009年にロシア人富豪に1千万ドルで売却された。 これからは「ex-Rosand」と名付けられるのではないか、とローザンドは話している。

もしかしたら、ローザンドは才能に見合うキャリアを発展することは出来なかったのかもしれない。だが、どうやら、ローザ ンドの名はガルネリの最高傑作と共に不滅となり、スターンには権力の亡者というありがたくない烙印が押されつつある。どちらが本当の敗者であったか、もう しばらくすればわかるだろう。



7.7.14

Bill Fertikというドキュメンタリー映画作家が作製した一連のコンクール・ドキュメンタリーがある。Fertikはエミー賞やオスカーを受賞しており、 「The VII International Tchaikovsky Competition」が1982年に米PBSで放映された際は、同局史上最高視聴率をたたき出したという。

彼が1990年に監督した
The IX International Tchaikovsky Competitionを 見ていたら、51分30秒の箇所にアンジェロ・ヴィラーニが映り込んでいた。彼はこの時既に右手の故障で棄権していたが、コンクール後もモスクワに滞在 し、コンクールのピアノ部門の演奏を聴いていたという。このドキュメンタリーでは、数多くの演奏、転換点にあったモスクワとともに、コンクールの腐敗が焦 点の一つになっている。

過去のロシア人演奏家の上位入賞の異常な多さから見ても想像できるように、チャイコフスキーコンクールにおいては、審査がモ スクワのホーム・タウン・デシジョン、もっとはっきり言うとモスクワ音楽院のセルゲイ・ドレンスキーの強い影響下にある、ということが常にささやかれている。1990年 の時も、審査委員たち に、ベレゾフスキーとは別の、とあるロシア人ピアニストを優勝させろ、という露骨な圧力がかかったらしい。

さらに第11回では、抜群の演奏を行ったイギリ ス人のフレディ・ケンプが第三位になり、代わりにドレンスキー門下のマツーエフが優勝、という事態が起こった。あまりに身贔屓が露骨だったために、地元の 聴衆やメディアからも猛烈な非難の声が起こり、結果がスキャンダルとして世界中に広 がった。こういった数々の悪いイメージを払拭するため、ここ数年はチャイコフスキー・コンクール側もかなりの努力をしているらしく、2011年のコンクールではピアノ部門の審査員の顔ぶれが一新している。

さらに、1990年の時には、審査委員全員を巻き込んだ大々的な贈賄行為も発覚した。中村紘子がこれについて簡略に書いていたが、「某国」の財閥の大金 持ちが、参加していた親戚の子供の便宜をはかってもらうため、審査員個々に1000ドルを渡したという。また、ドキュメンタリーにもあるように、同じ人 物が、モスクワ音楽院に新品のハ ンブルグ・スタインウェイを「贈呈」している。この事実を告発したのが、審査員の一人だったイギリス人のJames Gibbで、彼はすぐ金を突っ返している。贈賄行為に関与したピアニストの名前や出身国は、中村紘子本やドキュメンタリーでは一切明かされていないが、問 題のピ アニストは審査員の総意で第三次ラウンドには進めていない(つまり、厳密に言えば贈収賄は成立していない)。

ちなみに、以前、韓国の中央日報が、チャイコフスキーコンクールにおいて、ヤマハなどの日本のスポンサーが、数多くの日本人上位入賞に影響したのでは、と証拠に基づかない憶測記事を書いていた。一方で、
1990年に贈賄に関与したのは、当の韓国出身のピアニストであるHae-Jung Kimだった、という複数の証言がNew York Timesに報道されている。。ただし、贈賄行為は、韓国人である彼女の父や叔父によってなされていたようで、ピアニスト本人は賄賂について知らなかったので は、ともある。

James Gibbは、「キムは良いピアニストで、もし
賄賂がなければ第二次ラウンドで落とされる事は無かったかも」とのことを言っているので、キムに とって叔父の行為はただの迷惑だったかもしれない。キムはその後、順調にキャリアを積んだらしく、ロジェストヴェンスキーとも録音を行っている。

ところで、アンジェロが登場するシーンで怒りを表明している参加者は、「他の審査員は金を受け取ったまま」と話しているが、実際はどうなのだろ う。この時の審査員席には中村紘子や園田高弘もいたのだが.....。贈賄が公になっている以上、金は後で返されていると思いたいのだ が、これについては何も確証がない。




7.5.14
ニコライ・デミジェンコがロンドン・ウィグモアホールに久しぶりに登場。得意の後期ロマン派を弾いた............(ロンドンコンサート日記)。



6.29.14

ここのところ、リストのピアノ・ソナタロ短調の過去の録音をじっくり聴き直し、個々の演奏についてのノートをつけている。この曲の膨大なディスコグラフィ に対する包括的なアナリーゼはどこにも無いので、まだ少し先になるが、インプレッションを纏めたものをIntermezzoに書こうと思う。最終的には 60-80録音程度にはなると思う。100録音まで行くかどうかはわからない。

40録音を越えたところまで聴き終わった現段階で、シモン・バレル、野島稔、アラウ(1970年)、リヒテル(1965年 NY)のものを特選とした。酷かったのがレスチェンコ。この曲はピアニストの全てを丸裸にしてしまうというのに!レスチェンコの演奏を聴くと、全国放送でスベり まくって平然とする芸人を見ているかのようで、こちらがいたたまれなくなる。
オールソン、評判のトリフォノフも良くなかった。

ニレジハージの録音は残っていない。プライベート録音がなされている記録はあるのだが、テープが紛失したままになっており、再発見される可能性は限りなく低いし、仮に見つかっても経年劣化で鑑賞に耐える音は残っていないだろう。おそらく、1970年代の ホロヴィッツの録音群に近いものだったのでは、と個人的には思うが、あくまで想像の域を出ない。残念なことだ。


5.28.14

私の本職は分子生物学なので、その観点から昨今気になっている事を書いてみたい。音楽とは無関係だが、日本の将来のために大切な問題だと思うので。

世界地図において、野生のウサギが分布する国家と、紛争の起きている国家の分布を調べると、一見して負の相関関係がある。だが、この事から「野生のウサギが戦争の抑止に効果がある」と結論付け られるだろうか。たいていの人間が「出来ない」と思えるのは、その結論が荒唐無稽であることを経験から知っているからだ。だから、「平和のためにウサギを飼う会」とい う団体はいまだに出てきていない。

もし、提示された仮説が上のように、荒唐無稽かどうかを
経験則で判断する事が出来ない場合はどうすべきなのだろう。実際には、知識不足から判断出来ない場合 の方がはるかに多い。まして、情報の質が玉石混交である場合、正確な判断を行うことは難しくなる。そのため、優れた情報を取捨選択し、仮説が正しいかどう かを検定し、因果関係を客観的に判断する能力を持つことが求められる。大切なのは、相関関係(〜と〜の間には関連があるように見える)と因果関係(〜のた めに〜が起こる)はごっちゃにしてはならない、ということだ。因果関係が証明できない場合は慎重にものを言わねばならない。

人文系研究では、このアプローチがきちんとできないか、あるいはやろうとさえしていない。だから、同じデータであるにも関わらず、国やイデオロ ギーによって歴史解釈が全然違う、という事が起こる。だが、科学では日常的にこの客観的なアプローチを実践している。例えば、上の例で言えば、まずウサギ の分布と紛争領域の分布を調べる際、2つの事象を記号化し、ウサギだの戦争だのというバックグラウンドを無視 する。2つの事象の相関関係を統計学的テストで数学的に調べて、さらに「〜のために〜が起こる」という因果関係を調べ、検定する。こういった作業を行う理 由は、直感や主観にしたがって結論を出すことを避けるためだ。

「美味しんぼ」で話題になった、「放射線のせいで鼻血が出た」という論はどうだろう。まず、あの話には3つの問題がある。まず、相関関係のチェックのため の十分なサンプル数をとっていない。そして、実際に数学的な相関関係があるかどうかも調べていない。さらに、データや解析が不十分なまま、個人の主観に基 づいた因果関係を示唆している。現段階では、「放射線のせいで鼻血が出た」というのは、「ポケモンのせいで鼻血が出た」と同じレベルの、未検定の一仮説に過ぎな い。

では「美味しんぼ」は規制されるべきか、というとそれは絶対に違う。いくら論理が飛躍しているから、デマを拡散している可能性があるからと言って、出版や 発言に圧力がかけられるべきではない。まして、マンガの中の登場人物の発言なのである。司馬遼太郎は様々な虚構を真実らしく書き、彼によって乃木希典のように必要以上に悪 く書かれた対象もいたが非難を浴びることは無かった。受け取り側に「所詮は小説の世界」という判断力と余裕があったからだ。もっと言うと、ある程度の判断力を 持った読者だけが司馬遼太郎を読んでいたから、大きな問題にならなかった。

もちろん、飛行機の中でむやみに「爆弾だ!」と騒ぐのは許されない。だが、公共の福祉に反しない限り、基本的には個人の信ずるところを発言する機会は保証 されるべきで、同時に、発言内容を批判する自由も許されなければならない。私はホロコースト否認論を受け入れていないが、それでも、「マルコポーロ事件」のよ うに、否認論をああいう形で言論封殺した事については同意できないし、筒井康隆が癲癇の記述を巡って断筆宣言に追い込まれたのもとんでもないと思うし、村上春樹 がポイ捨ての記述を巡って修正に追い込まれたのもおかしいと思う。Yahooのコメント欄は低レベルの内容ばかりだと思うが、それでもコメント欄を廃止すべきだとは 思わない。

こう考えるのも、法的な観点からではなく、緩やかな生物学的な多様性こそが集団を強くすると考えるからだ。多様性がある事で、外部変化への環境にも対応す る事が出来、生存の可能性が高くなる。多様性を持たない純化された集団は短期的には良いかもしれないが、長期的には環境の激変に対応できず、衰退しやすい。組織にせ よ、国家にせよ、細胞にせよ、集団内にある程度の多様性を持っていた方が生存に有利なのである。ダーウィン進化論の基本原則だ。

この理由で、発信する側をむやみに規制する事は望ましくないのである。情報は多様化させたままにし、むしろ玉石混淆の情報の氾濫に対応するための 受け取り側の素養と判断力を上げていく事が大切だ。そして、それが出来るのが 先進国だと思う。これは個々のレベルである程度実践できることだし、教育現場でも出来ることだ。個人的には、小学校、中学校の社会の授業で、現実のデータ の統計学的処理を教える事が効果的だと思っている。根拠の無いデマではなく、データに基いてものを客観的にみる訓練になろう。



5.21.2014

ここ数ヶ月、ウクライナのサーバーから「Intermezzo」のページにある「テナーの死因ーハイCもほどほどに」 へのロボットによるアクセス、不正アクセスが増加していた。サーバーに負荷がかかる以外、実害は無いのだが、やはり気分は良くないし、放置するのもどうか と思い、ウクライナ経由の怪しいアクセスを発見する度に、そのIPアドレスをブロックしていた。既に数百のIPアドレスをブロックしたと思う。しかし、ア クセス自体が一向に止む気配が無いので、当面の間、当該アドレス変更で対処することにした。アクセスする先にファイルが無ければ、相手側に自動的にアクセ スが止まる仕組みがあるのではないか、という希望的観測である。

このページは
過去、2chなどにリンクを貼られていることもあって、fugue.usの中でも比較的読まれている。アドレス変更で過去に貼られた外部リンクからのアクセスは出来なくなってしまうが、他にいい方法がみつからない。内部のリンクについては、過去日記のそれ以外は直した。



5.16.2014

1) 2007年の英
Pianoおよび、2008年の英Inernational Piano に掲載されたニレジハージの記事をarchiveに追加。著作権を考慮し、掲載は記事の一部のみ。二つの記事で使われた写真は編集部の要望で私が高解像度ファイルを提供したのだが、当初の約束と異なり、Pianoの方は記事に謝辞がなかった。こういう事はままある。International Pianoの方は入っていた。

2) 横尾忠則による「失われた天才」の書評(朝日新聞)のリンクをarchiveに追加。



5.9.2014

アンジェロ・ヴィラーニのサイトをアップデートした。レイアウトを若干変え、トップページにFacebook のボタンを加えた。"Like"のアイコンをクリックすると、Facebookのオフィシャル・ヴィラーニ・ファン・ページの「Like(=いいね)!」 のカウントがあがる。この数字 が上がっていくと、ピアニスト側には多少なりとも良いことがあって、例えばレコード会社との契約がしやすくなったりする(こともあるらしい)。私自身、なかなかやらない事なのだけれど、 Facebookのアカウントをお持ちの方は、是非クリックしていただければ、と思う。右手の治療に苦闘しているアンジェロへの励みにもなると思うので。それとは別に、私個人にとってはこのサイトがどれだけ読まれているかを知る一つの指標にもなる。

また、youtubeにあったアンジェロのロンドンデビューコンサートのビデオを「メディアの中のヴィラーニ」のページに埋め込んだ。
当日の聴衆の中にはピアニストで、リスト全集を出したレスリー・ハワードもいて前に座っていた。もしかしたら彼の姿を映像で確認できるかもしれない。この晩、ハワードはアンジェロの演奏にとても喜んでいたそうだ。

ちなみに、この時のライブ録音は、伝説的なレコーディング・エンジニアであるトニー・フォークナーが担当している。彼はベルグンド&ヨーロッパ管のシベリ ウス全集を始め、数多くの名録音を残していることで知られており、グラミー賞の受賞歴もある。ニコライ・デミジェンコの録音を行っていた関係から、デミ ジェンコと交遊があるアンジェロのライブ録音を担当する流れになった。ちなみに、この時のホールはあまりに残響が長過ぎて生では音が綺麗に聴こえず、 フォークナーの手腕もあって、生よりも録音の方が情報量が多い、という結果になった。

フォークナーは私がプロデュースを担当するかもしれないCD録音に関わる予定だが、アンジェロは常々、「
CD録音ではフォークナーには、ニ レジハージのMasterworks盤のような音にしてもらいたいと思っている」と言っている。つまり、ボリューム豊かで、高音から低音まで密度が濃く、 ダイナミックレンジが大きく、かつ適度に残響が入った音だ。確かにあれは素晴らしい音で、ニレジハージの演奏の巨大さを強烈に印象づけた。



5.8.2014

日本語Wikiのニレジハージの項目の「ノート」の箇所にKevin Bazzanaから表記に関する要望が書いてあった。「Nyíregyházi」は誤りで、「Nyiregyházi」でなければならない、というもの (私の英語版サイトの表記は一通り直しているが、日本語版はまだ)。要望は数ヶ月前に出されているが、まだ手直しされていないようだ。

これに加えて、Wiki自身が参考サイトにあげているこのサイトで度々指摘しているのにも関わらず、以下のようなひどい作り話が何年もそのままにしてある。こちらの方が問題だと思う。

「ところが1970年代、妻の病気の治療費が必要になったため突然カーネギー・ ホールに出現。みすぼらしい身なりの彼を、スタッフの誰もが汚い浮浪者と思ったが、「ピアノを弾かせてほしい」との懇願に負けて演奏させてみると完璧な演 奏だったので一同唖然とした。ながいブランクにもかかわらず、彼の幼い頃からの音楽的才能は錆付いていなかったのである。こうして彼は75歳にして再び脚 光を浴び、カーネギー・ホールでの復帰コンサートは大喝采を博した。 」(日本語版wikipediaの当該項目より転載)

話としては面白いが、こういった事実は一切存在しないし、誇張話を乱発した過去の報道にさえ出てこない。ニレジハージにカーネギーホールからのオファーがあったのは事実だが、彼はこれを断っている。ニレジハージの項目に限らないが、正確度において、日本語版のウィキペディアの記述は英語版のそれとは比較にならない。著しく主観的な上、正確性を欠く事が多い。個人のサイトではないのだから、参考文献をあげ、きちんと事実のみを記してあるべきだ。

私はWikipediaまではとても手がまわらないので、どなたか以上の二点、訂正していただけないだろうか?



5.7.2014
「雑感」

気がついたらこのサイトを開設して7年が経過していた。アメリカで始め、イギリ スに移ってからも細々と続けている。何らの見返りも期待せずに始めたのだけど、この活動は結果的に私に何をもたらしたのだろう、とはよく考える。7年間の サイト維持費も馬鹿にならなかったし、時間をかけて作製したファイルや文章が雑誌や動画サイトなどでクレジット無しで使用されたり、他サイトに無断転載・剽窃らしいこともされた。受け手からの 反応と言えば、リファラースパムやロボットのアクセスばかり。それでもやってよかったと思うのは、期せずしてサイトが名刺代わりになり、楽界のいろい ろな人々と知り合いになれたこと、音楽に深く関われるようになれたことだと思う。この7年間で出来たネットワークはアメリカ、イギリス、日本、カナダなど 数カ国に渡り、その中からは無二の親友と言える存在も出てきた。

先日もこんな事があった。ベンジャミン・グロブナーのリサイタルの後の打ち上げで、演奏会に来た音盤コレクターや評論家たちと夕食をともにする機会があっ た。その中の一人と話しているうちに、彼がこのfugue.us英語版の読者だということがわかった。「ニレジハージならこのサイト、と皆が思っている。 いつもチェックしている」と携帯のブックマークを見せてくれた。

サイト運営というのは、少なくとも私に関しては、真っ暗な洞穴に向かって独り言をつぶやく ようなもの。読者からのメールは(私に関しては)年に1-2度も来ないし、掲示板やコメント欄を置いていない以上、コミュニケーションの双方向性も期待できな い。だから、ごくたまにこういう事があると、更新にも多少気合いが入るような気がする。

fugue.usの日本語サイトは「ニレジハージ
アンジェロ・ヴィラーニIntermezzoの三つのセクションに分かれている。最初の二つは使命感と友情でやっていて、最後のものは私個人の趣味。だから「Intermezzo」にあるページのレベルは玉石混淆で、今読むと本当に素人の趣味のレベルを越えていないものもある。ただ、デラ・カーザのページと、英語版のビブラートのページの 二つだけは、どこに出しても恥ずかしくない出来になっていると思う。実際、プロの文筆家や評論家のからもお褒めの言葉を頂いた。また何かモチベーションをかきたてられる題材があれば良いのだが。



5.5.2014

アンジェロ・ヴィラーニの右手の状況だが、本人曰く、10代の頃の70%ほどの機能があるかどうか、という状況。それでも優れた「ダンテ・ソナタ」を弾けてしまうわけだが、彼としては、これをなるべく100%に近いところまで持ってきたいとのこと。

昨年末、オーストラリアの最新鋭の機材によって、右手の不調の原因がほぼ究明された。なんとかなるかもしれない。数ヶ月かけての治療、訓練を始めたところだ。

それと並行してCD録音も計画しており、これは私がプロデュースを依頼されており、既に選曲は済んでいる。手の状況次第なので、いつ録音に入れるかわからないが、もし関わることが出来れば良いアルバムを作りたいと思う。

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5.3.2014

私はDesmar盤の「ニレジハージ・プレイズ・リスト」のCD化を強く願っている1人。とある人物にCD化を働きかけたり、人を介して関係者に問い 合わせたりしたことが何度かある。こう願うのも、M&Aに入っている「二つの伝説」にはイコライジングがかけられており、オリジナルのLPの迫力が失われている、 と思うからだ。これはYoutubeにあるファイルも例外ではない。

以下は高崎で製作されたニレジハージのLPにも言えることなのだが、まず複雑な権利問題がクリアになっていなければCD化は出来ない。関係者が喧 嘩してい たり、エゴや権利を前面に出していると話がまとまらない。Desmar盤の場合、演奏者ニレジハージの著作権と、録音/販売に関わったグループの著作権の 二つが存在する。このうち、ニレジハージの著作権はおそらくクリアできるだろう。ニレジハージの著作権の管理者であるマティアス・スミット氏に関しては、彼 はニレジハージのためなら無私で動くと思う。問題は後者だ。

Desmar盤は、Old First Charchで録音された「二つの伝説」と、ベンコーによって録音されたスタジオ録音によって構成されている。このうち、前者に関しては、ニレジハージ本 人の与り知らぬところで録音されているため、録音する側の著作権は要求できないため、ニレジハージの著作権のみになる。その判断で、このサイトにもアップロードした(本サイトにおける活動は、著作権管理者のスミット氏の支持を得ているので)。ただ、後者に関して は、ベンコー、録音を担当したIPA、コロンビアレコードのどこかに権利があるため、例えば、第三者が勝手に盤起こしのCDを作製して販売することはでき ないし、ニレジハージの著作権管理者のスミット氏が手をつけることも出来ない。

私が得た情報では、ベンコー本人はDesmar盤のCD化に直接関われる立場で はない上、諸事情でオリジナルのマスターテープにもアクセスできないらしい。権利はIPAが持っているようだ。現在、CD化については某レーベルが計画し ているという。このレーベルは歴史録音でしっかりした仕事をする一方で、仕事は遅く、リリースは遅れがちだ。現段階では、Desmar盤がいつCD化され るかは不明、と言わざるを得ないため、LPの購入が推奨される。テープの経年劣化を考えると、仮にマスターテープからCDが作られたところで、LPからの音質向上は望めないのではないか、という気がする。

(なお、グレゴール・ベンコーはM&AのCDの音質変化については、「ドイツ・テレフンケン盤のLPをソースに使用したため」と考えているらし い。テレフンケン盤はDesmar盤と音質が違っており、さらに針音をイコライジングで消したためにあの音になった、という。私が考えるに、この可能性は あり得ない。M&A盤が発売されるはるか前に、Old First Churchを収めた音源を入手しているが、すでにイコライジングがかけられている同じ音源であった。おそらく、イコライジングはファンか、IPAの誰か によってかけられたのではないかと思われる)




4.29.2014

ここ1-2年ほど、ロシア、ウクライナ、中国からのリファラースパムが大変多くなってきたため、怪しいIPアドレスを片っ端からアクセス拒否にしています。あまりに酷いようでしたら、この三国からのアクセスを全て遮断するつもりです。

大丈夫だとは思いますが、もし、読者の方で繋がらなくなったようでしたら、IPアドレスとともに、ervinNy(at)fugue.usまで連絡ください。

「ロンドンコンサート日記」にベンジャミン・グロヴナー、ヴィルデ・フラングの演奏会のレビューを追加。

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3.29.2014

現在、ロイヤル・オペラとスカラ座の共同プロダクションでリヒャルト・シュトラウスの「影の無い女」が行われている。160人編成のオーケストラ、5名の 主役歌手、複雑なスコアを熟知する練達の指揮者、天界、地上、冥界、幻覚が交差するステージ。オペラハウスにとってはあまりに負担が大きいため、コヴェン トガーデン級の大オペラハウスでも20年に1度程度しか公演が行われない。私は29日の公演に行った。この公演はラジオで生中継がされてい た.......以下(ロンドンコンサート日記)



3.9.2014

4年ほど前、パコ・デ・ルシアのギターを作っていた人物の家を訪れたことがある。その時の訪問記がこちら

3.6.2014


さきほどランチの列に並んでいたら、フラメンコ好きのイギリス人が近寄ってきて、「パ コが死んだよ。メキシコで」と言ってきた。寝耳に水とはこの事。10日間もヒーローの逝去に気が付かなかった。知らなかったのも無理はない。イギリスでは トップ・ニュースになっていなかったのだから。

パコ・デ・ルシアの演奏を最初に聴いたのは、ギター・トリオの来日公演だった。アル・ディ・メオラとジョン・マクラフリンを左右に従えたパコはま るで皇帝のようで、その威風堂々とした佇まいと、その場の空気が鳴動するような音の力強さに圧倒されてしまった。その後はパコ一辺倒。全集も購入したし、アメリカでのフラメンコ・ギター の師匠はパコのバックで弾いていたことがある人。好きが嵩じて、パコのギターを何本か作ったレスター・デヴォーにギターを作ってもらい、ロスまでレスター本人に会いに行った。生前のピアソラを逃してしまった自分にとって、パコは一緒の時代を生きたと実感で きるリアルなレジェンドとして、随一の存在だった。

一番の思い出は、2007年1月のトロント、マッセイホールだ。「自分は本名の時には素に戻る」とドキュメンタリーで言っていたのを覚えていたので、「ミ スター・フランシスコ・サンチェス!」と呼びかけて、夜、零下20度の中で震えながら待っていた何十人ものファン達を出し抜いてまんまとサインを貰った。 彼を本名で呼びかけた時、それまで仏頂面だったパコはイタズラっ子を咎めるような笑った目でこちらを何秒かジっと見つめてきた。あの目の輝きは一生忘れな い。



2.16.2014

「ロンドンコンサート日記」にユジャ・ワンのリサイタルのレビューを追加。



2.12.2014
「ロンドンコンサート日記」にデュトワ・ロイヤル・フィルによる「ダフニス」のレビューを追加。
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2.6.2014

以前、日本の実家から、佐村河内守を扱ったNHKのドキュメンタリーのテープが送られてきたことがあって、彼の名前や作品の一部は知ってい た。ドキュメンタリーの中に短時間登場した曲は、真面目な作曲だとは思ったし、シベリウスやマーラーの響きも聴こえた。ただ、効果を狙いすぎるように聴こ えたり、古めかしいオーケストレーションに光るものを感じなかった。ピアノ作品は単純に好きになれなかった。ということで、グレツキやアルヴォ・ペルトの ブームには素直に乗ってCDを買った私も、彼の作品はそのまま素通りした。

私だけではなかったと思う。日本の音楽仲間との間では、同じようにマスコミに持ち上げられたフジコ・ヘミングの音楽について話が出たことはあるけれども、佐村河内守について話題にのぼった事は無かった。

個人の好みは別にして、本来ならば、今回の事は大騒ぎするほどの事ではないと思う。ゴーストライティングは文学、評論、芸術ではよくあることだ。モーツア ルトのレクイエムだって、もとはヴァルゼック伯爵というエセ作曲家のために作曲され、ヴァルゼック伯爵作曲として発表された。マイルス・デイヴィスの60 年代中期以降の音楽は、ウェイン・ショーターやマーカス・ミラーが真の作曲者だったが、マイルスのクレジットで世に出た。佐村河内守は、少なくともヴァル ゼック伯爵よりは作曲課程に関わっているようだし、マイルスと同じくプロデューサー的な役割は果たしていたようだ。

いずれにしても、誰の名で発表されようと、作品が気に入ればそれでいいと思う。「佐村河内守の音楽」が好きだった人は、今度は新垣隆氏の音楽を聴けばいい だけの話ではないか。彼の作品を初演した指揮者の大友直人は、謝罪は行わず、「楽譜を見て音楽が良いと思ったから指揮した」と言っているが、それでいいと 思う。

ところが、大衆やマスメディアは、皆が皆、純粋な音楽ファンではないから、捏造や偽作と分かった途端、興味を失い、バッシングにまわる。以前、グラミー賞 を受賞したラップデュオのミリ・バニリのCDやライヴは、録音が別の歌手によってなされた「口パク」であることが暴露された。影歌を歌っていたグループ (リアル・ミニ・バニリとしてデビューした)に脚光が浴びるかと思いきや、ミリ・バニリどころかリアル・ミニ・バニリも消えてしまった。ミリ・バニリの名 声が音楽以外のところに準拠していた、いわば、アイドルのそれだったからだ。ミリ・バニリの一人は追い詰められて自殺したと思う。

数年前にも、「ジョイス・ハットー事件」というクラシック界を揺るがす出来事があった。がん治療中のピアニスト、ジョイス・ハットーの録音が次々と発掘さ れ、それが欧米の評論家達に絶賛され、ピアノファンの間に「ジョイス・ハットー・ブーム」が起こった(私はこれもたまたま素通りしてしまった)。ところ が、ハットーの死後、一連のCDは全て捏造で、ハットーの旦那が別の有名・無名ピアニストによる既存の録音を加工したり、切り貼りしただけのものだった事 が明るみに出た。

これは大きなスキャンダルとなり、ハットーブームを推し進めた著名評論家や音楽誌は謝罪に追われた。不思議なのは、加工元となった音源を演奏したピアニス ト達への扱いで、その後、特に名声が高まったという話が無い。一時あれほど絶賛された演奏をした張本人達だというのに。音源の中にはYuki Matsuzawaという日本人ピアニストの演奏もあったのだが、彼女の録音がハットーのそれのような脚光を浴びたとは言いがたい。

今回のゴーストライターの新垣氏の扱いがどうなるかわからないけれども、たぶん、リアル・ミニ・バニリやYuki Matsuzawaと同様、物語の無い彼がもてはやされることはないだろう。結局、大衆やメディアは音楽の中身なんぞよりも、演奏者や作曲家の顔や物語が 大事で、肝心の音楽なんぞどっちでも良い。時間がたてばわかることだが、そういう、今まで何度も繰り返されてきた事実を確認させる結果になるのではないか と思う。その意味で、大衆もマスメディアもCD会社も佐村河内守の共犯者だ。音楽をBGMとした「佐村河内守物語」に感動し、さんざん儲けたのだ。被害者 面してバッシングなぞとんでもない、むしろ彼らは佐村河内守に感謝すべきではないか..........とあえて挑発的に言ってみる。




2.4.2014
ケヴィン・バザーナが興味深いサイトを教えてくれた。ホロコーストの犠牲者4百万人の記録だ。ヨーロッパの図書館や役所などにある公文書や収容所記録を集めて作られたデータベースらしい。


ピアニストのニレジハージは母親をアウシュヴィッツで失っている(母親嫌いのニレジハージは「ヒットラーに感謝したい」と言ったらしいが)。ケヴィンが Nyiregyháziで打ち込むと、母親の記録は出てこなかったものの、ニレジハージの弟の名前がヒットしてきたのだそうだ。ニレジハージは生前、親族 から「弟は戦死した」と聞かされていたらしいのだが、どうやらホロコーストの犠牲者だったらしいことがわかったという。

http://db.yadvashem.org/names/nameResults.html?lastName=Nyiregyházi&lastNameType=THESAURUS&language=en

トロント交響楽団で指揮棒をとっていた名指揮者のカレル・アンチェルはアウシュヴィッツの生き残りである。アンチェルは妻と息子をアウシュヴィッツでなく している。データベースで調べると、Jan Ancerlという1943年生まれの幼児の名前がアウシュヴィッツの犠牲者として出てくる。このJan Ancerlがガス室に送られた日は、カレル・アンチェルの妻Valayと息子Janがアウシュヴィッツに移送されたとされる日の翌日の1944年10月 16日。データベースにあるJan Ancerlはカレル・アンチェルの息子に違いない。

ちなみに、この時、カレル・アンチェルもガス室で処刑される予定だった。ただ、アンチェルの回想によると、すぐ横にいた作曲家のパヴェル・ハースが喘息持 ちで咳をしていたため、ヨーゼフ・メンゲレの判断で代わりにハースが処刑され、アンチェルは生き延びたという。彼の回想を裏付けるように、データベースに はパヴェル・ハースの名も見つかる。
http://db.yadvashem.org/names/nameDetails.html?itemId=4816700&language=en




12/19/03
Corresponding with Carlos: A Biography of Carlos Kleiber

日本に一帰国していました。木下淳さんと、アルゲリッチの主治医をされている小関芳宏さんと一緒に飲む機会がありました。

行き帰りの飛行機の時間を利用して、ずっと読まねばならないと思ってた懸案の本を一冊読み終えることができました。カルロス・クライバーの友人であり、弟子であるCharles Barberが書いた 「Corresponding with Carlos: A Biography of Carlos Kleiber」です。彼は現在、バンクーバー市オペラの総監督を務めています。

「Corresponding with Carlos: A Biography of Carlos Kleiber」については、既に何度か触れたように、私がシアトルにいた頃、執筆中のバーバーから計画を教えてもらっていました。バーバーはKevin Bazzanaの友人で、私がクライバー関連の資料を持っているという事で、バーバーの方から協力を求められました。協力と言っても別に何もしていないの ですが(一応、本の注釈には情報提供者として名前が入っていました)、バーバー曰く、「お礼をしたいので、好きな指揮者の映像を教えてくれればビデオを送る」 との事だったので、いくつかリクエストを出しました。結局、テープは送られてこなかった上、貸した資料も5年以上戻ってこず。さらに、「シアトルに来 る予定があるので、一度会おう」と彼から連絡してきたので、予定をあけて待っていたのにも関わらず、すっぽかされた事もあります。それでもバーバーとは メールを通じてたまに連絡をとっており、ビブラートの論文の話でもいくつか助言をもらっています。

なんとも大雑把な性格の著者ではありますが、本の方は大変面白かったですし、よく書けていました。クライバーの伝記部分と、クライバーがバーバーに送った膨大な手紙から構成されています。スタンフォード大で映像ライブラ リーを構築していたバーバーはクライバーの知己を得た後、せっせと指揮者のビデオをクライバーに送り、クライバーは手紙でその一つ一つに熱狂したり、憤慨したりしています。クライ バーが好意的な評価を下しているのはフルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤン、ストコフスキー、モントゥー、セルらで、フリッチャイ、クーベリック、 ロジンスキーらについては辛辣な評価でした。シカゴ響に客演した朝比奈隆のブルックナーの第五のビデオについては、クライバーは「日本人の酷い演奏」「ブ ルックナーを破壊」と酷評していました(ちなみにクライバーは手紙で「Jap」という表現を使っているのですが、これはアメリカ以外の国では差別語と考え られておらず、クライバーの日本好きと矛盾しません)。

私は数年前にKevinから「サンフランシスコにいるクライバーの友人が本を書いている」ときいた時は、正直のところ、「どうせ自称友人なのだろう」と思 いました。バーバーから送られてきた本の一部を読 んだ時も、せいぜいメル友なのでは、という印象を受けたものです。ですが、完成した本、特にクライバーによって書かれた膨大な手紙を読むと、バーバーはク ライバーの親友、もしかしたらそれ以上の大切な存在であったかもしれない事がわかりました --------- 二人は一度も顔をあわせたことは無いのに も関わらず。例えば、バーバーか らの手紙の返事が少しでも途切れたり、遅れたりすると、クライバーの方が「友情にヒビが入ったのではないか」とオロオロと心配しているのが伺えます。友人 があまりおらず、隠遁生活にはいりつつあったクライバーにとって、教育、音楽、執筆、映像ライブラリの構築など、さまざまな活動をこなしていたバーバーと のつながりは、現世とつながる上でこの上なく大切なものだったのかもしれません。ただ、この友情はあくまでバーバー の指揮者としての能力や才能とは無関係だったようです。バーバーがクライバーに推薦状を書くように依頼した時は、クライバーは幾度となく、「君の演奏を聴 いていないか ら書けない」とためらっています。結局、クライバーの発案で、バーバーが自分について書いた文章にクライバーがサインをする、という形にしたようです。

この本、謎に満ちたカルロス・クライバーの素顔がわかる魅力的な本、という事で強く推薦したいと思います。英語も本文は読みやすいです。翻訳でどこまでク ライバーの文章のウィットや楽しい雰囲気が出せるか難しいところだと思いますが、日本語版の出版もぜひ進めてほしいところです。



12/7/2013

川畠成道の伴奏者として知られる、南アフリカのピアニスト、ダニエル・ベン・ピエナールによる、平均律クラヴィーア全曲のコンサートが二日にわたって行わ れました。二日間の演奏を通じ、激しい拒否反応から始まり、少しずつ受容に変わっていく、という興味深い体験をしました。

アンジェロ・ヴィラーニはピエナールを10カ月ほどレッスンした事があります。常々、ピエナールの卓越した才能を賞賛していました。「ロンドン・コンサート日記」にコンサート・レビューを追加しました。



10/14/2013

Classicstoday.comのオーガナイザーであり、著名な音楽評論家であるアメリカのDavid Hurwitz(デヴィッド・ハーヴィッツ)から、
"To vibrate or not to vibrate, that is the question"について、大変好意的なメールをもらいました。楽しんで読んでもらえたようです。



10/13/2013
a) 英語版にビブラートに関する英語記事『
"To vibrate or not to vibrate, that is the question"』を載せました。結論はノリントンの以下の主張は不正確である、ということです。日本語で「Intermezzo」で書いたものよりも多くの資料を調べています。

「ドイツやアメリカの有力オーケストラは30年代までビブラートを取り入れていない。ベルリン・フィルは1935年以降。ウィーン・フィルは1940年代以降である 」
 
この説を検討するため、現在入手可能なオーケストラ映像を1926年まで溯ってチェックしました。その結果、NYPでは1926年、BPOでは1931 年、VPOでは1933年にビブラートの使用がはっきりと確認できます。ノリントンは映像資料を検討していなかったようです。また、新たな発見として、 1935年の映画「恋は終わりぬ(Letzte Liebe)」に、オーケストラピットで弾くアーノルド・ロゼーがとらえられています。ロゼーはビブラートを用いていませんが、周囲の団員はビブラートを 使っています。

b) ニレジハージ・ページに資料提供を頂いたこともある木下淳氏の主催するjk-artsによるピアノ公演が10-11月に行われます。個性的なピアニストが登場します。以下にご紹介しておきます。

フランチェスコ・リベッタ ピアノ・リサイタル
10月29日(火)19:00  浜離宮朝日ホール
曲目:レスピーギ / 3つの前奏曲 他 17世紀〜20世紀のイタリア音楽

リベッタ&マルテンポ 2台ピアノ・コンサート
10月31日(木)19:00  浜離宮朝日ホール
曲目:ベートーヴェン(リスト編)/ 交響曲第9番「合唱付」 他

アルカン生誕200周年祝賀ピアノコンサート
11月2日(土)13:00 横浜みなとみらいホール(小)
曲目:アルカン / エスキース(素描集)より、前奏曲集より、など

ヴィンチェンツォ・マルテンポ ピアノ・リサイタル
11月2日(土)18:00 横浜みなとみらいホール(小)
曲目:アルカン / すべての短調による12のエチュード 作品39

森下唯 ピアノ・リサイタル
11月6日(木)19:00 すみだトリフォニーホール(小)
曲目:アルカン / 悲愴な様式による3つの曲 作品15、スケルツォ・フォコーソ
作品34 ほか

http://jk-arts.net



8/26/2013

来月行われる予定だったアンジェロ・ヴィラーニのリサイタルがキャンセルになりました。



8/11/2013

来月19日、7:30PMより、Angelo Villaniのリサイタルがロンドンにて行われます。リスト、ショパンなどが弾かれる予定です。彼の知人の誕生日に会わせたリサイタルで会場が小さいため、席数に限りがあります。早めに予約ください。

Royal Over-Seas League
Park Place
SW1A 1LP London
United Kingdom



7/6/2013
www.mbsi.org/presto/

search prest issueをクリックし、  "Nyireghazi" 、あるいは"Nyiregyházi"とタイプすると、ニレジハージの古い広告や論文が読めます。初めて見る写真がありました。
 
ニレジハージ作のピアノ作品の演奏がいくつかyoutubeにアップされています。日記と同じく、作品の構成や和声を云々すべき雰囲気ではないですね。ひたすら個人の心象風景を覗き込む気にさせられます。

"Nyiregyházi Stephan Ables"

http://www.stefanabels.de/Ervin_Nyiregyházi.html




7/5/2013
インテルメッツォに、ニノ・ロータの「ピアノのファンタジア」の自筆譜と、録音へのリンクをアップロードしています。この自筆譜も8年ほど前に入手しております。楽譜は三版あるうちの第二版で、ロータ家やロータ財団も存在を知らなかったようです。



7/2/2013
私が2004年に入手し、
インテルメッツォでも議論したラヴェルの「フーガ」の自筆譜。完全版の楽譜が最近出たようです。youtubeに演奏版もおいてありました。

http://www.scribd.com/doc/42169322/Ravel-1901-Fugue-Prix-de-Rome

http://www.youtube.com/watch?v=oX-BhnJeAiE

売り手の話では、学生時代のラヴェルのノートから派生したもので、もともとはフラン スでオークションにかけられたものだという話でした。ただ、署名が無いため、今ひとつ確信が持てませんでしたが、売り手は信用がおける業者だった上、専門 家の保証もついていたので購入しました。それでも半信半疑だったのですが、この完全版の登場で、やっと真筆であるという確信が持てました。




6/17/2013

リストの「
「ダン テ・ソナタ」について書いてみました。自筆譜に無い作曲家の本来の意図を探っています。作曲家の意図を探る:ダンテ・ソナタの一音





6/15/2013

6/5にロンドンの1901クラブで行われた講演で、アンジェロ・ヴィラーニが「ダンテ・ソナタ」を弾きました。既にファツイオリによって弾かれた「ダン テ・ソナタ」の録音(2012年)は載せています。技術的完成度の点では2012年のものの方が良いのですが、デモーニッシュな迫力においては1901ク ラブの時の演奏が若干勝っていたため、両方掲載することにしました。こちらより聴けます。ピアノはスタインウェイです。


6/1/2013

このサイトにも協力いただいている友人の木下淳さんがSonyを退職され、ピアニストを招聘するプロモーター会社を立ち上げました。

http://jk-arts.net

木下さんは日本で最初にマルク・アンドレ・アムランに注目、まだ世界的名声を得ていない頃の彼を招聘し、 日本での「アムラン・ブーム」のきっかけをつくりました。数年前には、ワルシャワで行われたアマチュア・ショパン・コンクールで第三位に入賞しています。 個性的な才能を持つピアニストを発掘する能力には定評のある木下氏の活動、注目していただきたいと思います。10-11月に4公演が予定されています。



5/27/2013
ヴィラーニ・サイトの日本語版を作りました。インタビューの和訳などが置いてあります。

5/26/2013

すでに何度か言及しているオーストラリア生まれのピアニスト、アンジェロ・ヴィラーニのページを 始めました。彼は19世紀スタイルのロマンティックなヴィルとオーゾの系列に属するピアニストで、1990年のチャイコフスキーコンクールに参加直後にモ スクワで腕の故障が発覚、そのまま引退し、22年間もの間、ステージから遠ざかっていました。その時期は15分程度は弾くこと出来たため、時折、小さな集まりで弾く ことがあり、その際は熱狂的な反応を受けていました。2-3年前からやっと腕の状態が改善が見られるようになり、昨年の10月にロンドンで復活コンサート を行いました。

ページでは彼の未発表録音、ラジオ出演時の音声、新聞記事などを掲載しております。

録音はヴィラーニを始めとする関係者の意見を聴きつつ、私が選んでいます。トリスタンとイゾルデのパラフレーズは大変な名演。Les Clochesもニレジハージを思わせる大変美しい演奏で、どちらも彼のロマンティックなスタイルが表れていると思います。

日本語版はおいおい作る予定です。



5/17/2013

グラモフォンのホール・オブ・フェイムの2013年殿堂入りアーティストが発表になっています。ファンの投票によって選ばれるため、ミケランジェリよりも ラン・ランが先に選ばれるなどの妙なことはおこりますが、一応の人気の指標にはなると思います。今年はベーム、ミケランジェリ、チェリビダッケ、ラフマニ ノフ、ヴンダーリッヒ、マ、セル、ワルターなどが加わりました。小沢征爾、オーマンディ、ミトロプーロス、マゼール、ムーティ、ムラヴィンスキー、ライ ナー、クナッパーツブッシュ、ツイメルマン、テバルディ、カレーラスなどがまだ入っていません。

以下にリストがあります。ボールト、デイヴィス、バルビローリは普通なら入ってこないと思うのですが、やはり英国びいきがあるのでしょう。
http://www.gramophone.co.uk/HallofFame

5. 8. 12

私が高く評価するピアニスト、アンジェロ・ヴィラーニの二度目のリサイタルが行われました。それに先立 ち、BBCにおいてインタビューも行われ、ヴィラーニ自身の編曲による、トリスタンとイゾルデの「愛の死」の演奏が行われました。大変な名演だと思いま す。ロンドンコンサート日記にレビューがあります。



4.8.12

ロンドンで行われたYELLOW LOUNGEに行ってきました。クラシックコンサートの新しい形として、大変面白い試みだと思います。ロンドンコンサート日記にレビューがあります。



12. 11.12

スイスのソプラノ、リーザ・デラ・カーザが昨日亡くなったようです。93歳とのことです。各紙で大きく報じられています。

http://www.latimes.com/entertainment/arts/culture/la-et-cm-lisa-della-casa-20121211,0,1432516.story?track=rss

スイスで隠棲していた彼女に、英訳した拙文「踏みにじられたウィーンの名花」を送ろうかと考えたこともあったのですが、忙しさにまぎれて先延ばしにしていました。冥福を祈りたいと思います。



11. 30.12

一連の報道にもあるように、旧高崎短大時代にニレジハージを日本に招聘した、創造学園大の小池(堀越)前学長が逮捕になり、創造学園大が閉校の方向に向 かっています。私は伝記本の調査時に小池氏本人には二度会い、高崎の資料の閲覧許可の交渉を行いました。残念ながら小池氏との交渉は不調に終わりました が。

彼の逮捕や閉校は大きなニュースではありますが、最も気になる
のはこの大学にあるニレジハージ関連の資料の行方です。債権者の手に渡るのか?Kevin 、私に何ができるかを考えてみたいと思います。

Angelo Villaniのデビューコンサートの模様です。

http://www.youtube.com/watch?v=DaLAjnwObZI&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=DaLAjnwObZI


10. 6.12

Angelo Villaniのコンサートレビュー、「ロンドンコンサート日記」にアップしました。


10.4.12

Angelo Villaniのロンドン・デビューコンサートまで数日。ガーディアンなどの有力メディアが彼を特集しています。

http://www.guardian.co.uk/music/2012/oct/02/pianist-angelo-villani-moods-emotions

http://jessicamusic.blogspot.fr/2012/09/a-remarkable-pianist-is-due-to-make-his.html

後者の記事では、Angeloはニレジハージについて述べています。

以下はBBCラジオの特集。9:30から。
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/p00yk1pd/The_Strand_04_10_2012/

9.7.12

ロンドンも秋の気配が近づいてきました。

私の友人であるAngelo Villaniが来月10月6日、St James' Piccadillyでロンドンデビューコンサートを開きます。

彼は10代でメルボルン交響楽団と共演して絶賛を博するなど、オーストラリアでは将来を嘱望された若手ピアニストでした。第九回のチャイコフスキー国際コ ンクールにエントリーしたのですが、コンクールの一週間前に原因不明の神経痛を発症、そのまま引退に追い込まれました。その後、英国に移り、タワーレコー ドでバイトをしたり、子供にピアノを教えたりして生計をたて、体調の良い時に限られたサークル内でピアノ演奏をしていました。

そういった時にプライヴェート録音されたものが一部の好楽家の間で高い評価を受け、神経痛の改善もあって、20年の沈黙の後、やっとロンドンデビューとな りました。英語版の方にプレスリリースを貼っておきました。ニコライ・デミジェンコやベンジャミン・グロヴナーらが推薦の言葉を寄せており、Angelo への期待の高さが伺えます。

Angeloはニレジハージの事を大変高く評価していて、彼と出会ったのもニレジハージがらみでした。彼の演奏にもニレジハージの影響が濃厚にあります。大変楽しみです。以下からチケットが買えますので、近場の方は是非どうぞ。

http://www.angelovillani.com/



6.26.2012

リーザ・デラ・カーザ最大の当たり役、「アラベラ」1960年のミュンヘン国立歌劇場におけるライブ映像の全曲がyoutubeで観ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=5xeCbF-a33g
フィッシャー・ディースカウ、アンネリーゼ・ローテンベルガーの歌手陣、カイルベルト指揮の決定。この映像、私も持っていますが、youtubeのものの 方が状態がいいです。ここでのデラ・カーザ、ザルツブルグの降板の年ですが、歌手としては一番いい頃。そして何と言っても伝説的な舞台姿の美しさ!

踏みにじられた「ウィーンの名花」ー映画「バラの騎士」デラ・カーザ降板劇



5.36.2012

指揮者のロジャー・ノリントンは、ピリオド演奏を推進し、ロマン派においてもノン・ビブラート奏法を使うことを提唱しています。彼いわく、1930年代に 入るまで、ドイツとアメリカのオーケストラはノン・ビブラート奏法を使い、1940年代まで、ウィーン・フィルはビブラート奏法を導入しなかったというの です。映像と音源を用いて彼の説を検証していきます。

「オーケストラ演奏におけるビブラートの歴史」を「Intermezzo」の頁にまとめました。

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5.22.2012

ロンドン・コンサート日記にコンサートレビューをいくつかアップしています。

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4.3.12

カルロス・クライバーの新刊本、サイトがスタートしています。
http://correspondingwithcarlos.com/

「隠された履歴:第三帝国のカール・ベーム」の一部が、まるまる2ch の掲示板にソース無しに無断転載されていました。しかも、あたかも自分が書いたかのように。どのサイトから文章を転載したかを書かない場合、その転載は盗 作になります。どのように対処すべきか考えています。


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10.25.11

とある方のご好意で、ニレジハージ1982年来日時にNHK教育テレビで放映された「いまこの人に」を観る機会がありました。音源、スクリプトに接する機 会はありましたが、映像は初めてでした。このプログラムは、1982年の自作演奏会の一シーンと、インタビューで構成されています。映像のニレジハージは 大変元気そうでしたが、卒中の後遺症を思わせる口元の歪みが顕著でした。オンデマンドでも視聴可能という話でしたが、私自身は確認しておりません。

ところで、このプログラムに登場した1982年の演奏シーンと同じか、またはよく似たものを、年末のNHKの音楽ハイライトで放映されたのを子供の頃に見 た記憶があります。その時は既にニレジハージのデスマー盤の洗礼は受けておりましたので、「あのホームレスのピアニストがこんなきちんとした身なりをし て!」と意外に思った記憶があります。

更新情報)
Intermezzoの楽譜再現サイト「沈黙の響き」にあるフランクのページに、サン・クロチルド教会の写真とディスク情報をいくつか加えました。

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8.19.11

ニレジハージを招聘した高崎芸術短大の後継である創造学園大学が揺れています。この大学にはニレジハージが寄贈した直筆楽譜など、貴重な資料が秘蔵されているだけに、今回の騒動の行方を注視しています。

7 年ほど前になりますが、カリフォルニア在住のCarles Barberという研究者がカルロス・クライバーについて本を書いているということで、彼の調査に少しだけ協力したことがあります。この人物は晩年のカル ロス・クライバーと交友があったようで、彼が学生の時からクライバーと文通をしていたようです。面白いのは、ある時、Barberが推薦状が必要になり、 カルロスに頼んだところ、以下の推薦状を書いてくれたそうなのです。

「私は推薦文を一度も書いたことがないが、これは例外になる。Charles Barberは音楽を愛し、理解する研究者・指揮者である。我々は友人になったが、彼は私が何かを彼に教えたと信じるフリをしている。」カルロス・クライバー、1997

ところが、この推薦状、「あのカルロスが推薦状を書く筈がない」と全く信用されなかったとのことです。そういったエピソードが書かれた前文だけは7年前の段階で出来ており、下書きを見せてもらっていました。

ところが、その後さっぱり本の話は聞こえてこず、貸した資料も全く返ってこなかったのですが、数週間前にアマゾンを見ていたら彼の本Corresponding with Carlos: A Biography of Carlos Kleiber
の発売予告が出ていました。さらに驚いたことに、7年前はBarberはスタンフォード大の音楽図書館か何かに勤めていたとおもうのですが、いつのまにかヴァンクーバー市オペラの総監督になっていました。以下からカルロスの推薦状も読めます。

http://cityoperavancouver.com/about/whos-who/dr-charles-barber

これを機会にBarberに久々に連絡をとったら貸した資料が戻ってきました。本が出来上がるのを楽しみにしているところです。


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8.14.11

8.14は指揮者カール・ベームの没後30周年です。彼については、戦時中にナチの賛同者だった、との記述が欧米のメディアで増えています。第三帝国時代 のベームとナチスとの関わりはどのようなものだったのか、シュワルツコップやカラヤンのように党員だったのか、ナチのイデオロギーの支持者だったのか-- -------以下にまとめました。

隠された履歴ー−第三帝国のカール・ベーム

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11.18.10

パリのサン・クロチルド教会を訪問しました。セザール・フランクがオルガニストを務めた教会です。

サン・クロチルド教会は、オルセー美術館の南、観光地から外れた住宅街にひっそりと建っています。大きくて立派な教会ですが、訪れる人もほとんどなく、大 きなカテドラル内には他に1人。案内の紙 に描かれた「専属オルガニスト」の冒頭にCesar Franckの名。例のカヴァイエ・コルのオルガンは、入り口の真上に黒々とそびえ立っていました。記録では、この教会で老フランクは、「演奏に熱中する と我を忘れ、延々と弾き続けた」という話。

教会の前の公園は子供の遊び場。ここにフランクの彫像があります。天使に見つめられたフランクの姿が、慎ましく、ひっそりと鎮座していました。

ところで、11月18日に、私のヒーローの1人、フラメンコ・ギターのパコ・デ・ルシアのロンドン公演が行われました。彼も引退を考えているようで、今回が最後のツアーになるそうです。

詳細はロンドン・コンサート日誌より。


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6.20.10

仕事でサンフランシスコに来ています。ニレジハージが晩年暮らしていたテンダーロイン地区に行きました。10年前にここに滞在したのに続いて二度目です。

10年前に比べると、多少綺麗になったような気がします。それでも、ジャンキーやホームレスがそこら中にたむろしていたり、小便臭さが漂ったりしていました。




このテンダーロインから10分ほど北に行ったところに、Old First Churchが建っています。この周辺にもホームレスはうろついているものの、テンダーロインほどの怪しい雰囲気はありません。残念ながら担当者が不在で、中には入れませんでした。

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3.27.10

ケヴィンがGouldの未発表録音を発見したと連絡してきました。オタワの図書館のアーカイヴにあったとのこと。1955年の「皇帝」で、以下からダウンロードできます。音は劣悪です。
http://www.timescolonist.com/Podcast+Rare+1955+recording+Glenn+Gould+performing+Beethoven+Emperor+Concerto+with+Victoria+Symphony/2731329/story.html
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3.21.10

英語版サイトに「Nyiregyházi and Bunta Sugawara」を加えました。

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3.18.10

朝日新聞掲載の書評です。
http://book.asahi.com/review/TKY201003160132.html

先ほど(ロンドン時間18日夜)見たところでは、amazon.co.jpの演奏家、指揮者、楽器カテゴリーでは16位に入っていました。
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3.17.10

ニレジハージ1982年の来日時、1月19日にホテルニューオータニ、桂の間でニレジハージの誕生祝い・歓迎レセプションが開かれています。

歓迎・お祝いの言葉
小林興三次(読売新聞社代表取締役社長)
堀越久良(日本ニレジハージ協会長)
伊東正義(賛同者代表・衆議院議員)
ハロルド・ショーンバーグ(NY Times 首席音楽評論家)

乾杯
藁科雅美(音楽評論家)

ニレジハージによる答礼、演奏

お祝いの言葉、解説:団伊久磨(作曲家)

八丈島 八丈太鼓

この時は、リストの「伝説」が弾かれています。録音が残っていますが、残念ながら技術の崩壊がかなり進んでおり、ニレジハージ本人にとっても不本意な演奏でした。武満徹が「頭おかしいんじゃないか」と関川氏に言ったのはこの時でした。

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3.16.10

ピアニストのスティーヴン・ハフがブログで、ニレジハージと、伝記「Lost genius/失われた天才」について議論しています。ハフは早い時期からLost geniusを賞賛しており、原著発刊時に真っ先にKevinにメールを送り、彼を喜ばせました。

http://blogs.telegraph.co.uk/culture/stephenhough/100007078/is-this-liszt-playing/

朝日新聞の書評に、伝記「失われた天才」が取り上げられたそうです。未読です。

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3.14.10

私自身の結婚式のため、東京に帰っておりました。宮澤淳一さんがお祝いの食事会をアレンジしてくださり、「失われた天才」の訳者、鈴木圭介さんや、木下淳 さんを始めとする方々が参加されました。そこでいろいろな話題が出たのですが、「失われた天才/Lost Genius」では触れられていない、日本関連の情報がまだ数多くあることに気がつかされました。そういったことも少しずつアップして行こうと思います。

ニレジハージの1982年の来日ですが、ニレジハージのデスマー録音に感銘を受けていた俳優の菅原文太氏の影響力のおかげで、各方面から数多くの賛同者が出ることとなりました。「あの人が?」という名前もあります。

主催: 日本ニレジハージ協会
後援:外務省、読売新聞、国際交流基金、NHK、上毛新聞

賛同者:伊東正義(衆議院議員)、丸山巌(読売新聞社)、安岡章太郎(作家)、藁科雅美(評論家)、芥川也寸志(作曲家)、江川三郎(評論家)、井上ひさ し(作家)、山田太一(シナリオライター)、鈴木則文(映画監督)、樋口洋一(東大法学部教授)、川口幹夫(NHK理事)、愛知和男(日本音楽家協会会 長)、山本直純(指揮者)、菅原文太(俳優)

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2.17.10

1978年のCTVとNBCで放映された、ニレジハージのドキュメンタリーがyoutubeにアップされています。ダビングを繰り返したものらしく、クオリティはよくありません。

http://www.youtube.com/watch?v=g9_bDhMPoGU&feature=related

先日、アンジェロ・ヴィラーニというオーストラリアのピアニストと食事をする機会がありました。彼は1990年のチャイコフスキーコンクールの参加が決 まっていたのですが、手の故障で参加を断念。その後の治療ははかばかしくなく、ロンドンのレコード屋で働いていたりしたようです。現在はロンドンでピアノ 教師をしており、手の調子の良い時にのみ、ホームコンサートなどで弾いています。そういったコンサートのうちの1つで録音された彼のリストを耳にしたので すが、それが実に「ニレジハージ的」な、スピリチュアルで豊麗な響きを持つもので、感動的な演奏でした。Kevin Bazzanaに録音を送ったところ、賞賛の反応が返ってきました。

何が良いのかよくわからないピアニストが世にもてはやされ、これほどのピアニストが世に埋もれている。巷の名声とは何なのか、ということを改めてかんがえさせられる出来事でした。

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1.20.10

来 週、「失われた天才」(春秋社)が発売になります。訳は鈴木圭介氏。この翻訳版については、評論家の木下淳さんや宮澤淳一さんの協力を得つつ、3年前に春 秋社に売り込みの文を持ち込んだ経緯があります。翻訳版の発売で、2004年から関わってきたニレジハージ・プロジェクトも、これで一区切りついたかな、 という思いです。

http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-93520-0/

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3738654

未読です。春秋社の方が一冊送ってくださるとのことで、楽しみにしております。大変優れた訳だそうです。

ニレジハージの生涯を描いたドキュメンタリーの制作の話が持ち上がっていますが、具体化にはしばらくかかりそうです。検討しているのは、カナダのドキュメンタリー映像の作家です。